第3話 過去と未来への接続曲(前)

 目を覚ます。アリシアにとって、今日は誕生日の翌日ではあるが、気分は良くない。

 昨日出ていったきりの父も、まだ帰ってきていない。そんなに大事なのだろうか?

 大事でなくとも、アリシアに関わることだ。きっと、無理をしていることだろう。

 例え血など繋がっていなくても、大切に想いあっている父と娘だ。

 差し入れの一つでも持っていってやろうかとも思ったが、それはそれで余計に心配をかけてしまいそうだ。


 かつて、自分に牙を向こうとした犯罪者が脱獄した――。

 ああ、恐ろしい事件だ。出会った魔女のことといい、色々なことがありすぎる。


「というか、男じゃん……」


 ギラギラとした魔女の風貌を思い出し、そんなどうでもいいことをぼやく。

 魔女というのはあくまで、魔術と呼ばれる異能を行使する存在の総称であって、そこに性別は関係ないのだが、アリシアの知ったことではない。


 そして、やることがない。

 仕事は勝手に全てキャンセルされてしまった。事態が事態ではあるし、そこに文句をいうつもりはないが、予定が崩れた事実はかわりない。

 ひとまず、家でできる簡易な運動と、喉のトレーニングを行った。

 彼女が歌姫であり続けるために、こうした地道な努力はとても重要だ。アリシアには才能がある。それを本人は自負しているが、驕ることはしない。

 元から優れているからこそ、それを錬磨することを怠ってはならないのだ。

 喉を鳴らし、自身の持ち歌を一曲歌い上げる。

 鬱屈も不安も、歌と一体となっている時は忘れられる。

 歌というものを、現実逃避の材料にはしたくないというのがアリシアの吟醸だが、それでも全身を捧げられるこの時間は、いいものであった。

 どうせ、今日はもう何もないのだ。このまま限界がくるまで歌い続けていようか――。


 そう思った矢先、頭に浮かぶのは昨日の魔女。

 ベルカントと名乗ったあの魔女は、アリシアの歌に"美しさ"を見出し、それを自分のものにしようとした。

 思わず、窓の外を見る。

 そこにはいつも通りの景色が広がっており、それにアリシアは酷く安堵した。

 またあれが来るのではないか――。そんな不安が過ぎる。

 歌もおちおち歌えないというのは、笑えない話だ。


「魔女か……」


 あの魔女と、脱獄したという男とは何か関係があるのだろうか。

 ナルベル――。アリシアの所属している、サルジーア・エンタテインメントの元スカウトマン。

 魔女と共謀してアリシアを売ろうとした男。

アリシア自身は、その名前さえろくに知らない。そういう存在がいるらしいということを、父から聞いただけにすぎない。

記憶を失った少女のアリシアという名前も、ナルベルがボソリと口にしたからこそわかったということも、何も知らない。


 アリシアはただ、アッカに娘として育てられ、サルジーア・エンタテインメントの社長であるサルジーアに才を見出され、十分に幸せであると言える人生を送っている。

けれど――


「わたしが、なんとかしなくちゃ駄目なのかな……」


 それに答えるものはいない。

 これは自問自答だ。ただ囚人が一人脱獄しただけというのなら、父に任せて自分は大人しくこのまま家に入ればいい。

 けれど、どうしても魔女が気になる。父は屈強な衛兵で、魔女さえも相手取ったことがあると聞く。

 だが、自分が相対したあの魔女は、危険だ。自分の美学の前には、命でさえ価値を持たない――。そんな狂いをアリシアは感じていた。

 アリシアの境遇など、調べれば直ぐにわかることだ。

 あの魔女がアリシアを狙って、ナルベルを脱獄させたのだとしたら――。


 父だけではない。お世話になっているサルジーア、応援してくれている人達、よく遊びにいく友人――その人たちがどんな目にあうか。

 その可能性を考えながら、自分はこのまま閉じこもっていろというのか。


「そんなの、嫌」


 考える時間は必要なかった。

 今家を出たことが知られたら、父には酷く怒られることだろう。

 けれど、二度と怒られなくなるよりはずっといい――。


 決めるが早いが、アリシアは服と荷物を取り外に出かける準備をする。

 護身用の白い球体が目に入り、苦い顔になるが、考えた末に懐にしまった。

 達の悪い品だが、効力は十分。気をつけさえすれば相手だけに食らわせることも可能だろう。

 あの魔女は、アリシアの歌に執着しているようだ。だから、たとえ遭遇するのが脱獄したナルベルであっても、魔女であっても、いきなり殺されることはないはずだ。

 だから、大事――。


 けれど、アリシアとてわざわざその二人を自分から探して迎え撃つなんて真似はしない。

 ではどうするか。

 とりあえずは、相談だ。


 この状況でアリシアが許せないこと。それは、アリシア自身がなにもしないこと。

 けれど、具体的なことは思いつかないし、考え無しに行動するわけにもいかない。

 ならばこそ、信頼出来る誰かに相談する――というわけだ。

 アリシアは家を出る。向かうのは、街の高台にある、一軒の屋敷だ。そこには、占い師がいる――。


 その占い師がドルムトにやってきたのは三年前。その印象強い風貌もあって、彼は直ぐに街でも有名になった。

 占いは怪しい妖術というよりは、真摯な人生相談に近く、実際彼の言葉で人生を救われたという人も多い。

 あとは、彼と共にやってきた黒髪の女性がたいそう美人で、儚げな雰囲気を纏っているということからも、客足は多い。

 アッカは、彼のことを快く思っておらず、アリシアにも関わるなと忠告されたこともあり、自分から赴くことはなかった。が、いつかの舞台の帰りに、なんとその占い師の方からアリシアへコンタクトを取ってきたのだ。


『あなた、有名人なんでしょ? タダにしとくから占わない?』


 アリシアとて、年頃の少女である。その言葉になびかないわけがない。ほんの少し占ってもらうだけならと、一応の警戒心は出した上で占い師に着いていった。

 その後は、なんてことはない。

 当たり障りもない占いをしてもらい、アリシアが少しばかり悩んでいた時期だというのもあって、他の客よろしく人生相談に乗ってもらい、そのまま何故か気に入られ、今に至るまで関係が続いているというわけだ。

 あの強烈な匂いを発する白い球体も、彼から貰いうけたものである。

 どういうわけか、その辺の怪しい品を作ることに関しては、彼は天才的だ。

 それにいつの事だっただろう。アリシアがなんの気なしに、「お父さんが、占い師さんのこと悪人って言ってた」ということを伝えたことがある。

 その時も、彼は一切戸惑うことも、怒ることもなく冷静に「あら、その人随分と鼻が効くのね」と言い放ちアリシアを閉口させた。

 事実、彼にはその物言いが真実であると思わせる悪辣さがあった。平然と嘘をつき、人を騙すことがあるし、人の不幸を楽しむきらいがある。

 だからこそ、こういう時の相談にはうってつけなのだが。


 いつのもなら駆け足で通り抜ける道も、この日ばかりは恐る恐る進む。

 道行く人には、アリシアが挙動不審に見えることだろう。そもそも、こんな一通りの多い道で警戒すべきは、脱獄犯や魔女ではなく父ではないかと、そしてやはり家に帰るべきではないかと思ったが、もうとっくに家に帰るよりも、占いの屋敷へ向かった方が早い。というわけで、足を進める。


 結局、何事もなくその屋敷へはたどり着いた。屋敷というだけあって中々の大きさだ。

 ただ本人曰く、物を集める癖があるから、別段部屋を遊ばせたりはしていないらしい。


「こんちにはー」


 扉を軽くノックして、返事を待たずに開けて中へ入る。

 こういうことが許されるぐらいには、アリシアと占い師の仲は良好であった。

 訪れる客の配慮だろうか。扉を開けて玄関に当たるそこにはもう、人と人とが対面し話が出来るようなスペースが設けられている。

 そして、椅子に座る怪しげな風貌の占い師から、


「今日はどうしたのかしら?」


 とお決まりの言葉がかかるのだ。

 が、今日はそうではない。アリシアの目の前には、布の被さった高めの台、そしてその上に丸いガラス玉が置かれているだけで、そこに人の影はない。

 ちなみに、ガラス玉はただのガラス玉であって、それ以上でもそれ以下でもない。占い師曰く、この方が雰囲気が出てお客が寄り付くから、だそうだ。

 人並み以上に占い師と関わりのあるアリシアからしてみれば、胡散臭さを底上げしているだけにしか見えないのだが、事実客足は多いようなので、何も言わない。


 扉の開く音で気がついたのだろう、中からゆっくりと車椅子椅子に乗った誰かが出てきた。

 占い師本人ではなく、そのお付のような立場の人らしい。


「やあ、アリシアちゃん。今日はどうしたの?」


 馴染みのその女性が、話しかけてくる。ずっと前から足が悪いらしいが、綺麗に揃えられた肩ほどまである黒髪に黒い瞳。そして黒いドレス。

 穏やかで透き通るような声と、悠然とした所作も相まって、どこか神秘的な雰囲気を纏う彼女は、彼女目当ての客も訪れるということへの説得力があった。


「少し相談事があって……」

「あら、そう。あの人は少し出かけてるから――そうね、そろそろ帰ってくるとは思うけど。……お茶を入れてくるわ」

「ありがとうございます」


 そう言って、車椅子を漕ぎながらまた奥へ消えていく。

 このように占い師が不在時の客の相手や、占い師の身の回りの世話まで彼女は行っているどのことだ。アリシアも当初は、不便ではないかと思ったが、曰く、車椅子も使い慣れると足とほとんど変わらないという。

 それの真偽はともかく、本人がそういうのだから、アリシアも彼女に甘えて大人しくお茶を待つ。

 直ぐに、ギコギコという音が聞こえ始め、器用に片手にお茶と菓子を持ったお付の女性が戻ってくる。

 ちょうどそのタイミングだった。

 アリシアの後ろにある扉がぎいと開き、そこには一人の男が立っていた。


「あら、アリシア来てたのね」


 体躯はアリシアの父であるアッカよりも一回り大きい。歳も老人と言っても間違いはないほどのその男だが、見てわかる老いはせいぜい、後ろにかきあげられた白髪混じりの髪ぐらいだ。

 おまけに髭を蓄え、強面。格好も占い師らしく、奇抜な色使いをしているが、何より強烈なのは、その見た目にそぐわぬ女口調だ。

 声は非常に野太く、いきなり現れられると、慣れているアリシアでさえ面食らう。


「おかえりなさい。ちょうどお茶を入れたところよ」

「あら、ありがとうレプリール。待ったかしら?」


 アリシアの代わりに、お付の女性――レプリールが答える。


「いいえ、ついさっき来たところよ。あなたに相談があるんじゃないかしら」

「あらあら、それは光栄ね」


 そんなやり取りを交わして、レプリールは奥へと引っ込んでいく。

 それに合わせて、占い師も分厚い衣装を翻し、アリシアの対面へと座る。

 そしていつも通り、怪しい笑みを浮かべて、決まり文句を告げた。


「ようこそ、占いの屋敷へ。 あなたの未来を見てあげましょう――」

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