[第二部]わたしの一欠片をあなたに

第1話 それは最悪な序曲(前)

 楽しく生きたいのなら、ドルムトに行け。

 そう謳われる程には、ドルムトというのは華やかな国だ。

 仰々しい舞台の上で、スポットライトを浴びるスターになるのもいい。そのスターを間近で眺めながら、歓声をあげるのもいい。

 スリルを味わう賭け事に興じても、一夜限りの熱い遊びを楽しむのもいい。

 金さえあれば、なんでも出来る。そう、金さえあれば。だから、商業が盛んな隣国コルデで一山稼いで、この国での暮らしを夢見るものも、少なくない。

 ただ注意するべきは、華やかな光の裏には必ず、一度踏み入ると戻ってこられない闇があるものだ。触らぬ闇に祟なし。くれぐれも忘れることなかれ。


 ただ、どうしようもないこともある。例えば、国そのものに根付いた闇とは無関係の、もはや災害のようなもの――そう、魔女である。

 魔女。

 それはおぞましき存在。人の手で扱えるはずもない恐ろしい術を行使し、下手をすれば国単位で損害を与えかねない、人々から恐れられ、そして唾棄すべき存在。

 世界で初めて魔女が観測されたのは、およそ二百年前。ドルムト、コルデ、ティアムトの三国間の戦争が集結を迎えた頃だ。

 よって、その戦争は魔女が手引きし、引き起こしたもとして知られている。


 戦争の傷が癒えぬまもなく、魔女は世界に猛威を奮った。

 多大な犠牲の末に、その魔女は討伐されたという。だが、もう遅かった。既に第二、第三の魔女は生まれ、その恐怖は消えることなく現代にも息づいている。

 かつては盛んに魔女狩りが盛んに行われ、魔女ではないただの人間も多く処罰されたという。けれど、そのかいがあった、というべきなのだろうか。次第に魔女の猛威は薄れていき、国そのものを脅かすような凶悪な力を持つ魔女は次第にいなくなっていった。

 記録に残っているもので、個人や団体の域を超えた魔女災害――そう呼ばれる、魔女が引き起こした被害はもう四十年近くも前になる、とある集落が丸々一つ氷漬けになり、滅んだ。

 氷結の魔女と呼ばれたその恐ろしき魔女は、誰に捕えられることも、殺されることもなく、ふっと姿を消した。

 ただまあ、記録に残らないものでいえば、かつて戦争を繰り広げていた三国の一つ、ティアムトもその氷結の魔女によって氷漬けになったが、巨大な壁で覆われたその国の真実を知るものは少ない。

 今はもう、関係のない話だ。

 今を生きる人間も、魔女も、この世界の真実というものを知らない。意図的に根付かせられた虚偽の文化を、真実と疑わずに苦悩し、生きている。

 それは、魔女という存在の成り立ちであるとか、世界の外の存在であるとか――。

 一般的に、"世界"と人々が呼んでいる範囲は、件の三国が存在する大陸のことである。

 大陸の果てには海があり、それを超えるとまた別の大陸があり、そこにもまた文化を築きあげている人々が住んでいることだろう。

 けれど、それを人々は知らない。海とは世界の果てである。あれ以降はなにもない。ただただ変わらず、同じ光景が広がっているだけであると、魔女という忌まわしき文化を外界に出さないために浸透させたそれを、常識として過ごしている。


 真実を知った魔女がいる。真実を知ったものを知る男がいる。

 けれどもその二人は、停滞することを選んだ。ただ一つ、自分達が得た人並みの幸福を噛み締めて生きる道を選んだ。

 きっとそれは英断だ。けれど同時に、彼らが沈黙を守る以上、もうその真実を知るものはいなくなるというわけで。

 だから今回は、なにも知らないものが、なにも知らないまま終わる。そんな話だ。

 幸福になりたいわけでもない。自分がなんなのかを知りたい訳でもない。ただ、ありきたりな少女が、夢を叶えるまでの話――。



 少女――アリシアはスターである。長く美しい赤髪をたなびかせて、路地を歩いていた。

 ドルムトという国の中心にはもはや彼女がいると言っても過言ではないほどの人気者のアリシア。

 六年前に、このドルムトにやってきて、義父に拾われ、育てられ、この国の様々な事業を担う、サルジーア・カンパニーの長、サルジーアにその才能に目をつけられて、舞台に上がった。

 決して楽とは言い難い道のりだった。けれど、彼女はその天賦の才と、何度転んでも起き上がる不屈の精神、たえまぬ努力の末、もはやこの国どころか、隣国コルデにもその評判が届くほどの大スターへとのし上がっていた。

 そんな彼女の才能、それは歌だ。

 曰く、『聴くもの魂に直接語りかけてくる』

『彼女に歌わせれば、どんな歌でも一つの世界として完成する』など。数年で磨きあげられたその才は、至高の領域といって差し支えない。

 そんな彼女が今、夜にこそ輝きを放つドルムトという国でなお、明かりの薄く、人通りのない、寂れた路地をなぜ歩いているのか。

 答えは単純。


「あーーーーっ、もう!!」


 彼女は荒れていた。

 怒り、悲しみ、拍子抜け、そのどれもがしっくりこない感情を持て余しながら、荒れていた。

 人のいない場所を選んで正解だ。歌姫という評価を欲しいままにしている彼女が、酒をたらふく飲んだ中年のようなうめき声をあげている。誰かに見られれば、幻滅どころでは済まない。

 それに、いくら一通りの護身術は使えるからといって、下手をすればいきなり後ろから刺さ金品を奪われるような場所で、しかもこんな夜更けに女一人、それもアリシアほどの有名人が出歩くなど、ただでさえ褒められた行為ではない。が、そんなことは置いといて彼女は荒れていた。


 アリシアには、小さい頃の記憶がない。ざっと、十歳の頃までだ。

 どこでなにをしていたのか、なぜこんな所にいるのか、綺麗さっぱり頭の中から消えてしまっていた。

 今から六年前、アリシアはとある事件に巻き込まれていた所を保護され、身元もわからない、本人はまるで赤子のようになにも覚えていない。それを哀れに思った、衛兵の一人が、彼女を養子に迎えいれ、今に至っている。

 父親が本当の父親ではないということは、最初から理解していたし、そのことに不満はない。

 ただ、アリシアはずっと思っていた。自分はなぜ今ここにいるのだろうと。

 アリシアの才能は、誰もが認めているが、その才能を誰よりも信じているのは他ならぬアリシア自身であった。

 驕っていたわけではない。ただ事実として、天才と呼ぶに相応しい歌の才能が自分にはある。


 アリシアは多感な年頃だ。めでたく、本日十六歳を迎えた。

 年頃、才能、頑として語られてこなかった自分が義父に拾われた時のこと――。

 それらが合わさると、こう思ってしまうのは無理もない話だ。すなわち、自分は特別な星の下に産まれてきたのではないかと。他の皆とは違う、何かしら特別な使命を持って生まれてきた存在なのではないかと――。


 そしてそんな夢想は、ほんの少し前にあっさりと打ち砕かれた。


「アリシア、話がある」


 迎えた十六歳。それと同時に訪れた、神妙な父の声。

「ついにきた……」内心、胸が踊った。けれど、語られた真実は、あまりにも拍子抜けで――。

 魔女の係わっていた人身売買組織に、洗脳されそのまま売られそうになっていた所を、義父含む衛兵達が救出し、保護したと――。ただそれだけだった。

 記憶に関しても、その魔女が余計なことを喋られないように奪ってしまったものだと。

 確かに、それは立派な悲劇だろう。けれど、言ってしまえばそれは、ありきたりな不幸だった。

 身寄りのない子供が、そういった連中に目をつけられてしまう。悲しいが、珍しくはない。

 しかもだ、六年の間わざわざそのことを頑なに教えてくれなかったのは、「ショックを受けるかもしれないから」という父親の過保護以外の何物でもなかったのだ。

 大切に思ってくれているのはありがたい。その事には感謝もしよう。けれど、どうせならもっと早く言って欲しかった。別に自分を娘として迎え入れてくれた段階で言ってくれてもよかった。

 六年もの間、この悶々とした感情を抱き続けていたのが馬鹿みたいではないか。

 そして事実、アリシアは馬鹿だった。ただ、それだけの話。


 だから、荒れていた。

 きっと一眠りすれば、スッキリとなくなっているような感情だが、頭が火照って眠れない。

 こうして夜風を全身に浴びれば、いくらかスッキリするかとも思ったが、そこまで効果はないらしい。

 ふうと、短く息を吐いて足を止める。自分が着ている服を眺めて、多少なら汚れても問題ないやつだと判断して、地面に腰を降ろす。

 そろそろ戻った方がいいだろうか。一応、義父には外へ出るとは伝えてある。アリシアの心中を――ずれた形ではあるだろうが慮ったのか、普段なら夜間の不要な外出をよしとしない彼も、今回ばかりは何も言わなかった。

 それでも、心配はしているだろうし、自分が帰るまではずっと起きているだろうなという確信はある。

 だからそろそろ帰ろう。

 そう思って見上げた夜空は、星が輝いていた。夜も明かりが耐えないこの国で、星が見られる場所は限られている。


「――――」


 息を吸って、歌った――。

 観客の一人もいない。ここにはただ寂しく座り込むアリシアただ一人。散々荒れていた。喉を痛めるような汚い声を出していた。

 けれど、その歌声だけは鈍らない。いつだって、刻みつけるように放たれるその歌は、彼女自身の気持ちさえ、新たにする。

 伴奏さえない、その独唱は、きっとなによりも美しく、夜空に解けて消えていく。


「美しい――」


 余韻が消えると同時、聞こえてきたのは男の声。アリシアの歌を賞賛する――けれど、その声色は、獰猛な肉食獣が獲物をみつけたときのそれで――。


「ッ――?!」


 立ち上がると同時、アリシアの身体は正面から圧力を受けてそのまま壁に叩きつけられた。

 身体に走る痛みに声をあげそうになるが、出ない。まるで自分を抑えつけるように、不気味な黒い影が身体にまとわりつき、その影に口も塞がれていた。

 あまりにも、異常。けれど、こんな光景を起こせる存在を、アリシアは知識として知っている。

 義父からも何度も伝え聞いたその恐ろしさ、そして家を出る直前にも会話に昇ったおぞましき存在――。


 魔女が、アリシアの前に降り立つ。

 派手な男だった。前に流れた銀髪から除く目は、闇の中で鈍い光を放ち、貴族階級の人間が着るようなタキシード、そこには様々なアクセサリーが取り付けられている。

 拾われた頃に巻き込まれた、魔女とのこと。その記憶はアリシアにはない。けれど、記憶がなくても、たとえ魔女という存在を知りもしなくても、目の前の男が危険な存在だとわかる。

 隠しようのない禍々しさ、けれど、透き通るような声で男は――魔女は言う。


「お前だろう? 今のはお前が歌ってたんだろう? ああ――ここまでのものは初めてだ……いい……いい……いい!」


 アリシアは震えることすら出来ない状態のまま、恐怖に耐えている。ふと、死の文字が頭に浮かんだ。

 どうしよう、どうすればいい、どうすることも出来ない、どうしよう――ぐるぐると考えを巡らせるが、無駄だ。アリシアの命運は完全に目の前で感嘆の声を上げる魔女に握られてしまっている。


 魔女の顔がアリシアの顔に近づく。息がかかるほどの距離、顔を逸らすことも許されない。

 だから、精一杯アリシアは目の前の魔女を睨んだ。それが自らの寿命を縮める行為の可能性が高くとも、ただいいようにされるのだけはごめんだと。

 けれど魔女は、そんな視線など気にもとめず、睨まれていることにすら気が付かない。彼は、アリシア本人のことなど見ていない。

 偶然聞こえたその歌に、立ち止まった。いつだって飛び出せたのに、その歌が終わるまで動けなかった。

 彼は――ベルカントは魔女。他の魔女と同じように、この世界で生きるはずだった誰かを媒介にして生まれた存在。

 ある魔女は知識を、幸福を、家族を求めた。

 彼が求めるのは、美しさ。そんなベルカントの琴線に、アリシアの歌は触れてしまった。


 ベルカントは、アリシアを見ながら、けれどアリシアのことなど欠片も眼中に映さずに言い放つ。


「ああ、美しい。――その歌、ボクに寄越せ」

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