幕間 とある魔女の話

とある大きな商家に一人の男の子が生まれた。

 周囲はみな、こう思ったことだろう。


「ああなんと幸運な子供なのだろう」


 と。

 安泰な生活。約束された将来。そして敏腕な商人でありながらも、周囲から慕われ、人格者と言ってもなんら過言ではない両親――。

 その幸福に引っ張られるように、ガウドと名付けられた男の子もまた、利発な子供として育っていった。

 一年が過ぎ、二年が過ぎ、そして三年――。

 順調だ。あまりにも順調で幸福な家庭がそこにはあった。

「お前はこの家を継ぐのにふさわしい男になれ」と、父は胸をはって言った。

「はい――。けれど、ガウド気負うことはないのよ。もしやりたいことが見つかったのなら、その道へ遠慮なく進みなさい」と、母は我が子の頭を優しく撫でながら言った。

 二人の言葉を聞いて、利発な幼子は頷くことも首を振ることもせず、父と母の声に耳を傾けて、自らの将来に目を向けた。

 そして四年目にさしかかろうというその時――ひっそりと悲劇は起こった。


「おはよう、かあ様」


 そう挨拶した我が子を、愛おしく迎える。その屈託のない笑顔には、自分の息子はもはや息子ではないということに気が付いた様子は欠片もなかった。

 ガウドは魔女に成った――。元の『ガウド』という子供の人格を食い潰し、おぞましい悪性を身体中に巡らせた魔女ガウドへと変貌を遂げた。

 本来ならば、その日の朝の時点で商家に存在していた家庭というものは崩壊していたはずだった。けれどそうはならなかった。

 次の日も、その次の日も、いつも通りの日々が過ぎていった。

 それは受け継がれたものなのか、それとも魔女となったガウドが生まれると同時に得たものなのか、ガウドには才があった――。

 生き抜くための才。

 彼は周囲を観察し、『ガウド』という子供を分析し演じ続けた。じっくりと身を潜めて、牙を隠して、八年もの間ガウドは『ガウド』として生きた。

 その間に、彼は生きる術を学んだ。人を、魔女を学んだ。

 魔女――つまりは自分だ。それがどういう扱いをされているかを正確に知り、それでもなお生きていられる方法を模索した。

 そして、八年が経ち、もう十分だと判断した彼は、彼を愛していた全てに牙を剥き、そして滅ぼして、魔女として世界に降り立った――。

 きっと、ガウドならば一生『ガウド』として一人の人間の人生を送ることが出来ただろう。その選択を捨てた理由は極めて単純だ。彼が魔女であるが故に――。



 ガウドは確かに、魔女として絶大な力と才能を持っていた。けれど同時に、彼はまだ八歳。もともとの『ガウド』と合わせても十一年しか生きていない子供だ。

 つまるところ、甘かった。自らの力を過信していた。

 世界の全てが自分に牙をむくと、頭では理解していた。現に彼はあらゆる苦難を頭と力でねじ伏せて生きていた。

 力を振るえばどんな屈強な人間であろうと物に変わる。その快楽に酔っていた。

 結果、ガウドは人間だけでなく同じ魔女にすら危険視されることになり、まだ幼き魔女にその力が降りかかった――。


 路地裏でガウドは崩れていた。

 息はしている。魔術を使って血は止めた。けれど体は動かない。

 こんなところで惨めに死ぬのかと、出ない声でガウドは叫んだ。

 ガウドがもたれかかっていたのはどこかの家のようで、賑やかな家族の団らんが聞こえていた。

 そしてそれとは対照的に、ガウドの視界の先には、惨めな野良犬の死体があった。死んでからそう経ってはいないのだろうか。まだ毛並みには少しハリがあった。

 ガウドはぼんやりと思う――、自分もあと少しでこうなるのかと。

 地面に倒れ伏して、ただ時が来るのを待っていた。


 嫌だ――。


 家族の声が小さくなってきた頃、ふとそんな感情が湧いた。


 嫌だ――嫌だ――。


 死にかけの体に一度沸いた無念は際限なく溢れてくる。

 嫌だ――こんな惨めで誰にも気付かれることなくあの犬のように惨めに終わりたくはない――。

 ほんの小さな感情は膨れ上がり、やがてはガウドを突き動かす未練へと昇華した。

 持てる力全てを使って、ガウドはその体を引きずる。前へ――前へ――。

 きっとこの瞬間が、ガウドという悪意の塊のような魔女に、願いという異物が混ざった瞬間。

 惨めなままで終わりたくはない。死ぬまで……いや、死してもなお誰かの中に残る存在でありたい。

 名声を。どんな豪華な服よりも自分を着飾る名声を――。

 芽生えた願いを叶えるために、ガウドは目の前で息絶えている犬の肉を食らった。



 蜘蛛の巣を張り巡らせるように生きた。

 狡猾に、円滑に。かかった獲物はまとめて喰らい、絶望する悪人と絶望する善人を食んだ。

 快楽のままに、欲するままにガウドは悪を重ねた。大切だったのは生きる術ではない、生かし殺す術だったのだと、同じ轍を踏まないよう立ち回り、全てを得、時には全てを捨てた。

 年月が経ち、欲しかったはずの名声はとっくに手に入れていた。

 おぞましき魔女災害をもたらした『氷結の魔女』として、あるいは裏の世界の君臨者として。人間としても魔女としても、その悪名は人々にとどろいていた。

 けれども、ガウドは満たされない。

 自分の手一つで何かがどうしようもないほど壊れていくのは、快楽の頂点だった。得がたい充足だった。けれども、心の一部分――そこだけは満足することはなかった。

 晴天のしたを歩きながら、ガウドは考える。なにが違うのだと。求めた名声は得たはずなのに、なぜここまでの空虚を抱えねばならないのかと。

 ふと、騒ぎが目に留まった。

 なんとなく、その雑踏の中にガウドは足を踏み入れる。するとそこには、倒れている男と、その男に泣きすがる女と子供。

 なにかしらの事故でもあったのだろう。男の首はあらぬ方向に曲がり、どう見ても生きてはいなかった。けれども、女は男の名を何度も何度も呼んでいた。

 滑稽だ――。そうガウドは思った。けれど同時に、「これだ」とも思った。

 もし、あの状態からあの男を生き返らせることが出来たのなら、今ここに集まっている人間はなにを思うだろうか。

 それを成し遂げた自分を見て、はたして忘れることは出来るのだろうかと。

 ああ、簡単なことだった。魔女の名声も、裏の世界での名声も、いまはただの道行く人であるガウドの名声ではない。

 確かに自分は魔女で、悪人だ。今後ともそれを続けていくのだろう――。けれどもう一つ、人としての名声が欲しい。

 それがガウドの得た答えだった――。


 その日から、ガウドは死者蘇生の研究を始めた。いくらかの試行錯誤を重ね、もっとも成功率の高い方法は薬だろうと、元々あった知識を活用してガウドは薬屋を始めた。

 研究の傍らにできた益のある薬を売って、全うに生計を立てた。少しでも印象を強めるために、いかつい顔と体格に似合わないようなしゃべり方にもした。

 それから十年、二十年。三つの顔を持ちながら彼は生きてきた。

 悪行では望むものは得られないととっくにわかっていたが、それは彼にとって重要な快楽だ。だから続けていた。

 

 気が付けば、四十年近くもガウドは生きていた。その魔女として異例の年月はやはり彼の才能の賜物なのだろう。

 年のせいだろうか、集落一つを丸ごと氷漬けにしていたころとくらべると、彼の生活は落ち着いていた。

 日常的な悪行も、人身売買や違法薬物の取り引きといった魔女の力を使わずとも可能な範囲に留まっており、彼は薬屋としてある程度の善行すら積んでいた。

 そしてなにより、疲れていた。

 日が経つごとに、良くも悪くも輝いていた人生が、段々と濁っていくような感覚に襲われる。

 色々なことがあった数十年だ。けれどその中でガウドが知ったことは、自分――つまりは魔女という存在はどうしようもなく欠陥品だということ。

 魔女はなににも感動できず、なにも得られない。

 豪華な家を建て、豪華な家具を置き、一流と評される芸術品を飾った。「旦那はおめが高い」なんて言っていた男を、ガウドは鼻で笑った。なぜなら、ガウドにはそれの良さが何一つわからないのだから。

 魔女とは異物だ。他の魔女と同じように若くして死んでいれば、こんな空虚を味わうことがなかっただろう。けれど、ガウドは長く生きてしまった。世界と自分の乖離を理解出来てしまうほどに。

 死者蘇生の薬も、完成して……どうなるのだろう。自分は満足出来るのだろうか。

 もしも、薬を売り病人を治しお礼を言われたときのように、なにも感じることが出来なかったら――やめよう。あまり深く考えると、毒薬でも飲みほしてしまいそうだと。そんなことを日々思いながら、ガウドは研究を続けた。


 そんな折り、ガウドは出会う。一人の魔女に。

 その魔女はまだ小さい少女で、いつか見た野良犬のように、路地裏で汚く身を小さくしていた。

 見て見ぬふりをする、息の値を止める。選択肢はいくらかあった。けれど、この時ガウドが選んだのは、少女を家に連れて帰るというものだった。

 それは決して善行ではない。ただ、薬の実験体にでも使ってやろうと。

 だから言葉も交わさず、少女の顔を見ることもせず、無造作に少女を担ぎ上げて連れ帰った。ガウドにとって、死にかけの魔女などゴミよりも認識する価値のないものだ。

 数時間も経てば、少女は人かもわからぬような無残な姿に変わり、ガウドは取れたデータのみを保管して一切のことは記憶の中に留めない。――そのはずだった。


 そして魔女は、少女はガウドの家に足を踏み入れる。濁った目で、少女は家の中をキョロキョロと見回していた。

 煩わしいと、ガウドは思う。一体意識を奪おうと、少女の頭に手を置いた。そして、置かれた手に意識を向けることなく、少女は呟いた。


「綺麗……」


 ガウドの動きが止まる。彼はその時、およそ十数年ぶりの驚愕を味わっていた。

 ガウドの家にあるものはどれも一級品だ。たとえ歪んだ感覚しか持てない魔女であっても、使われている素材や精巧な技術を見て、「綺麗」。そんな感想を抱くこともあるかもしれない。

 けれど少女に視線の先にあったのは、入り口に飾ってある紫色の花。

 ありえない――。

 よりにもよってこの少女は、今この場に置いて最も価値の薄いただ置いてあるだけの花を綺麗だといったのだ。

 魔女は魔女を知る。ガウドの中にある悪意全てが目の前の少女は確かに魔女であると訴えかけている。

 少女は魔女だ、この世界の異物だ。無様に弾かれて無残に死ぬはずだったゴミにすらなれないなにかのはずだ。

 けれど――、この少女はただの少女のような完成で花を見てそして綺麗と言った。

 不気味なものが、ガウドの胸の中に渦巻く。

 なぜ――?

 そこから思考が停滞して進めなくなるのは、きっと初めての経験だった。理解に苦しむような行動をする奴らはこれまでに何度も見てきた。けれど、それは分析できるものだ。人には人の、魔女には魔女の、行動をする上での前提のようなものが存在していた。

 人間は人間を外れないし、魔女は魔女を外れない。その枠組みのなかでしかもがけないと、ガウドはずっと味わってきたはずだった。

 初めてガウドは少女の顔を見る。くすんだ金髪は顔に無造作に垂れ下がり、乾いた顔からは二つの翡翠の目が覗いていた。

 口が開く。


「ガウドよ。アタシの名前」


 今度は自分に対してわけがわからなくなった。なにがどう狂ったとしても、この少女に名を告げるとは思っていなかった。

 思わず唇を噛みしめるガウドに、少女はただ一言告げた。


「ライラ」



 それから、数年が経った。実験体として消費されるはずだった魔女、ライラは生きていた。住み処と食事を与えられ、年相応にしっかりと成長していた。

 無論、タダではない。暗いものも明るいものも含めたガウドの仕事の手伝い、それらをこなすことでライラは当たり前に近い生活を与えられていた。

 ただライラにしてみれば、それは決して幸福ではない。生きることに最低限なもの以外は与えられることはなかったし、ガウドの手伝いの名目で試作段階の薬を飲まされて生死の境を彷徨ったりもした。

 ライラの感覚からすれば、育てられているというよりは目的のためにただ生かされているというほうが近い。

 けれども、ライラは生かされていた。自分に近しいものこそを喰らう性質のあるガウドの傍に、数年ライラは居続けた。

 もっとも、その性質を知らぬライラはそのことを疑問に思ったりはしない。けれど、ガウドは違う。彼は自分の性質をよく理解しているからこそ、わからなかった。

 そもそも、ライラについては最初からわからなかった。だからこそ、こうして生かしておいたはずだ。理解するまでは、遊ばせてやろうと。

 そしてそのまま、拾っただけの少女は成長した。言葉も交わすようになった。いっちょまえに文句すら言ってくるようになった。

 鬱陶しいとは思う。けれど、煩わしいとは思えなかった。

 ガウドはなにより、自分がわからなくなっていった。少女に抱いていた不可解は、いつの間にか期待と呼べるものへと変わっていた。自分がずっと理解できなかったものを、理解させてもらえるのではないかと。


「ガウド……安全な仕事だと聞いていたはずなんですが、まんまと襲われましたよ。さっさと事情を説明して、後処理をお願いします」


 そんなことを言いながら部屋に入ってくるライラに、ガウドはいつも通り適当にあしらう。それは確かな年月を重ねた二人のやり取りだ。

 ガウドはわからない。

 なぜライラは、なんだかんだと自分に対して親しみを見せるのか。そしてなぜ自分はそれに当然のように応じているのか。

 ライラと話す度に、今まで溜めていたものがずれていくような感覚だった。この少女のような魔女に確かに自分は変えられていっているのだと、嫌でも気が付かされる。

 そしてガウドは、思う。ならば――この子は?

 たかだか十数年、きっとこの少女は自分よりも脆い。ライラという魔女の少女性はただの偶然の産物であって、ふとしたきっかけになくなるものではないかと。もしそうなら、自分の数年間はただの杞憂としてかたづけられるだろうと。


 そして、ガウドはライラの元を去った。今までの何倍も過酷であろう環境を彼女に用意して。少女性など邪魔なだけの、暗く汚い世界だ。

 大地を踏みしめて、ガウドはほくそ笑む。それは久々の、魔女としての表情だった。

 一体どうなってしまうのだろう。悪意に身を染めて完全な魔女になるか、はたまた魔女にも少女にもなれず生きているだけの機械となるか――。


「それとも……ああ、クソ」


 その悪態は、きっとガウド自身へのものだ。

 またらしくないことをした、と。

 過酷な闇の世界ではある。けれどライラが万が一にも死ぬようなことはないように取り計らった。そればかりか、いざとなったら自分の所を尋ねろなんて去り際に言ったりもした。

 その失敗を、ガウドは見なかったことにして、コルデの国へと足を進めた。



 四年――。

 それはガウドとライラが離れていた期間だ。その間、ガウドはふとしたときにライラのことを考えていた。まるで自分の一部にでもなったかのように、その場にいない存在を背負わされていた。

 あらゆるものを得ては捨てを繰り返してきたはずなのに、たった一人を自分の人生から捨てられない。

 ならば拾いにいけばいいはずだ。けれどそれをしようとすると酷く無気力になってしまう。だからガウドは待った。四年間、ささやかな悪事と研究を重ねながら――。


 そうして、身を置いていた組織が壊滅したという理由で訪ねてきたライラの姿は、あまりにも予想外だった。

 久しぶりに目にした時、血だまりの中に倒れていたことはこの際どうでもいい。

 なにが魔女か機械かだ。四年、様々な苦悩と地獄がライラを襲ったことだろう。それなのになぜ、そんな少女も恥ずかしがるような少女の顔をしているのか。

 面白いにもほどがある。

 それにその原因は自分が気まぐれに絵を盗ませた家の少年だという。おまけに、その少年はライラを魔女だとしってなお親交を深めようとしていた。

 愉快だ。あまりにも愉快だ。こんな奇跡があるものか。どうせなら二人一緒に遊び倒してやろう。

 そんなことを思って、ガウドはフレットと二人きりで話をした。けれども、楽しむことなんて出来なかった。

 その少年――フレットからライラとの出会いを聞いた。フレット自身の特殊な事情と力のことも聞いた。

 そして、ガウドは思いだす。かつて閉鎖された国、ティアムトで世界の真実を知る機会があった。けれど、自分には興味ないと蹴ってその場を離れたことを。

 ――そうか、これが鍵か。

 ライラという少女が、数奇な運命の上にいるのだと、ガウドは理解する。けれどやはり、ガウドにとってそれは興味がないことだった。

 だから、それらのことには触れずにただライラのことについてフレットと話した。殺されるのではないかと、フレットは震えていた。

 けれど、


「あの子のこと、よろしくね」


 ガウド自身言うつもりもなかったその一言で、フレットの顔はくしゃりと崩れた。


 そして日々は過ぎていく。結局、ガウドの思惑はどこにいってしまったとばかりに、ライラは豊かな日々を送っていた。

 ガウドの理解出来ないことで悩み、理解出来ないもので感動し、あげく友達のためになにかしたいだなんて言い出す始末だ。

 ライラという一人の魔女は、いつの間にか当然のような幸福を得ようとしている。このまま放っておけば、ライラは一人の少女として完成するのではないか。

 だから――だからこそ――、それらを崩してしまった時、あの子はどんな顔をするのだろう――。

 その感情は、ガウドの中に根強く残る魔女というには、あまりにもちっぽけな悪あがきだった。




 一人、ガウドは家の中にいた。いつも自分の対面に座っていた少女はもういない。彼女は今三人で、ガウドがかつて手を伸ばさなかったものを掴みにいっているはずだ。そう、三人で――。

 一度は壊れたはずだ。けれどもライラはそれをもう一度つなぎ止めて前へと進んだ。力も頭も、ライラは遙かにガウドに劣る。けれど、ライラはガウドにはない強さを持っていた。そしてその強さは、ガウドにはもう得ることが出来ない物だ。

 それが答え。ようやく納得――とまではいかないが、落としどころは見つけられた。もういい。もういいはずだ。

 けれど、未だにガウドは満足を得られていない。けれど、悲観することではない。長年追い求め続けた死者蘇生の薬がほぼ完成したあの時でさえ、なにも満たすものはなかったのだから――。


 ライラが出ていってから、店を閉めているにもかかわらず、何人もがガウド訪ねてきた。

 用件を聞けば、皆口を揃えてこう言う。

「ライラちゃんが凄く悲しそうな顔をして歩いていたけどなにかあったのか?」

 と。

 ガウドがこれまで積み上げてきたものは、全てが虚構だ。崩すも続けるも全てが自分の采配しだい。

 けれど、ライラは違う。自分の力で、しっかりと自分の生きる場所を固めていたのだ。


 ガウドは目をつぶる。

 考えるのは、自分の間違いについてだ。ずっと、ずっと、自分は名を残したい。名声が欲しいのだと思っていた。けれど、それは違う。

 そんなことはもうわかっていた。まあいいかと目を背けていた。そのことについて、考える。ライラがいなくて、暇だから――。


 自分が本当はなにを望んでいたか、答えはあっけないほどすぐにでた。人に言われてようやく理解出来たあの娘とは違うのよと、ガウドは頭の中を整理する。

 あの時――惨めに死にたくないと思った。それがガウドの願いの起源。それは間違っていないのだろう。けれど、彼の感情に火を灯したのは犬ではなく、彼の背後から聞こえてくる――。

 死んだ男を見て、彼が本当に求めた物は男に寄り添う――。

 ガウドという魔女は、一人で生きてきたし、その力が備わっていた。だからこそ、無意識に目をそらしていたのだろう。そんな物を欲す弱さは不要だと、切り捨てたのだろう。

 ガウドが本当に欲しかったもの。それは惨めな最後を彼に与えず、寄り添ってくれる存在――


「家族、か」


 そう呟いた後、ガウドは盛大に笑った。笑うしかなかった。だって、あまりにも手遅れだ。彼が求めた物になり得たたった一人は、自分から手放してしまったから。どんな顔をして、あの子を今更家族だなんて呼べるだろうか――。

 今、あの子はどうなっているのだろう。真実とやらを知ったのだろうか。そうしたら、ここにはもう二度と戻っては来ないかもしれない。あるいはもう、全てを知った代償に、その体をただの肉へと変えているのかもしれない。


 ――それでも、それでもだ。


 ガウドは立ち上がり、厳重に鍵をかけた木箱をこじ開けて、真っ赤に揺らめく液体の入った小瓶を取り出す。

 五十年の時を生きた氷結の魔女、ガウド。彼が最後にやりたいことはもう、決まっていた――。 

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