第37話 あぁぁぁああああ――!
そこは大きく開けた円形の空間でした。
床は直視していると目が痛くあるぐらいほどの、色とりどりのラインが敷かれてしました。部屋の隅から始まって、やがてそれらは部屋の中央に収束するように。
そして、部屋の中央にあるのは円柱状の巨大なにか。
入れ物?なんでしょうか。円柱の側面透明で、なかになにが入っているかは一目見ればわかりました。
「驚きのようですね。――ええ、あなた方ならこれがなにかわかるのではないですか?」
「――そうね。わかるわ。わかるからこそ、意味がわからないわ。さっさと教えてちょうだい」
「もちろん」
ゴボゴボと泡を立てる透明な液体。その中で、ゆっくりと上下し漂っている一人の女性の体。一切の体毛がなく、一瞬人間かどうかすらわからない様相をしていましたが、それは確かに女性の形を保っていました。
息をしている様子はありません。けれど、気配だけはしっかりと感じとることができます。
「魔女……」
聖女は軽く頷き、円柱へと近づいています。そして手を触れて、私達に背を向けたままに、言いました。
「彼女こそが、この世界に生まれた最初の魔女。そして――魔女を造った人間」
「魔女を造った……」
私とノーディタウの表情は真逆といってもいいぐらいです。
ノーディタウは際限なく、恍惚を露わにしています。だからでしょうか、彼女は私よりよほど理解が早い。
「そう――つまり、魔女という存在は人工的に造られた。そういうことね?」
「はい。二百年ほど前に」
「いや、どういうことですか。私にはわけがわかりませんよ。二百年前ってそれって――」
「うるっさいわよライラ。今からあの聖女様が教えてくれるんだから黙っていてちょうだい」
私の混乱は、ノーディタウによって潰されました。
なにも言い返すことができない代わりに、ノーディタウを睨みます。それにノーディタウも目で応じて、その様子を眺めていた聖女はクスリと笑いました。
「なんだか姉妹のようですね、あなた方」
「これが妹とかないわ」「これが姉はないですね」
ぴったりと揃ってしまいました。
チッという舌打ちが聞こえてきたので、その方向を向いて舌をだします。ああ、もしかしてこういうところなんでしょうか。釈然としません。
「ふふ、準備はばっちりのようですね」
「どこがよ」
ノーディタウが言います。私もつい「どこがですか」と言いそうになりましたが、引っ込めて正解でした。これ以上空気が緩むのはなんとなくどうかと思うので。
けれど、聖女はクスクスと笑っています。
「リラックスはこの辺りにしましょうか。――いえ、もうしわけありません。わたくしも代々守られてきた秘密を全て語ろうと言うときですので少し緊張してしまって――」
その落ちていく声に、緩んだ空気は段々と締まっていきました。
もう一度、聖女は背を向けて、柱の中に入っている女性――魔女を眺めます。
「時間もないので簡潔に語らせていただきましょう。わたくしの知る全ての真相を――」
静寂――。
この場にいる三人の息づかいがやけにはっきりと聞こえます。
恐らく聖女はこれから自分が語ることに、ノーディタウはこれから得る知識に思いを馳せていることでしょう。
私が思いを馳せるのは、いまここにいないあの人。いつだって優しくて、私に温かさをくれたあの人。
フレットさん――。私は今からなにを得て、なにを貴方に与えられることができるんでしょうか――。
聖女から、細く美しい声が聞こえ始めました。
「二百年。この世界――いいえ、この大陸に存在する三つの大国。ドルムト、コルデ、そしてティアムト。この三国は戦争のただ中でした。もう何年もずっと。どこの国も長引いた戦争によって人も物資も枯渇寸前に追いやられていました。
いつ終わるかもわからない。たとえ勝ったとしても得られる物と失った物では後者の方が遙かに大きい――。もはや戦争を続けるメリットは何一つとしてない。それが三国の状況でした。けれど、自分からそれを言いだすことは出来ない。そうすればいよいよ残るものはなにもありません。
どうすればこの戦争を自国に不利益なしで終わらせることが出来るのか、三国は悩みました。秘密裏に繋がり、出た結論は――戦争どころではない状況にすればいい。
ではそのためにはどうすればいいか。三国間の戦争は互いの国を敵だと認識しているから。ではその『敵』をもっと別の対象に向けることができればいい――。万人に共通する敵を――。万人に共通する悪を――。
ええ、そうして生み出されたのが魔女です。
この培養槽に入っている女性……名前は確か……レプリール。
レプリ-ルはティアムトの科学者でした。とても優秀で、戦禍においても活躍はめざましかったそうです。それに、彼女は代えのきかない才能の持ち主でした。
ええそうです。負のエネルギー。生き物からも人からも、絶えず漏れ出しているそれらを知覚できる能力を彼女は持っていました。
言うまでもないかもしれませんが、彼女のそれはフレットが持っているものとは比べ物にならないほどに強力でした。なにせ彼女は、その負のエネルギーを研究し応用する術を得ていたのですから。
そういったことから、レプリ-ルは全員に対する『悪』を生み出すことを命じられ――いえ、どうなんでしょう。自ら志願した、という可能性も大いにありますね。なにせ彼女は、他ならぬ彼女自身を魔女の器としたのですから――」
さて、ここまでよろしいでしょうか?と、聖女は一旦話を区切りました。
「いらない確認よ。いいから早く続きを話して。もっと、もっと私は知りたい!あっはは!」
瞳孔を開いて、叫び散らすようにノーディタウは催促しました。
その精神性は理解出来ませんが少なくとも、いいから続きをというのは私も同意でした。
だから余計な口は挟まずに、続きを待ちます。
全て繋がっている――。そのことを、深く強く噛みしめながら。
「魔女を造り出した具体的な方法はわたくしにはわかりません。恐らくそれはレプリ-ルだけが知り得ることなのでしょう。けれど彼女はなんらかの方法で、その負のエネルギーを体の中に閉じ込めたのです。本来なら常に外部に放出され続けているはずのもの――それが体の中に溜まり続けるともちろん、異常を引き起こします。
その異常こそが、魔女の悪性の正体。頭の中にあるはずの倫理は崩れ、悪行こそを良しとし、そのために力を振るう――。
魔術と呼ばれているその力も、恐らく負のエネルギーでしょう。
断言は出来ませんが、負のエネルギーによって汚染された精神を媒体に体外へ放出しているのでしょう。使える魔術が魔女によって違うのは、その者の精神性に特性が依存するから、だと思います。
――さて、あとはなにを話さなければならないんでしたっけ……ああ、なぜレプリ-ル一人で終わるはずだった魔女が世に溢れてしまったのか、ですね。
……レプリ-ルは自ら全てを脅かす災厄となり、三国はこれを協力して打倒。戦争は終わるはずでした。
――いえ、確かに戦争は終わりました。けれど、魔女は倒されなかった。
レプリ-ルは魔女になりました。けれどそれは必要悪。倒されるためだけの存在でした。人間と魔女の戦いはあくまで演出。レプリ-ルも自らが力に喰われることのないよう、その人間性を強く残していたそうです。――けれど、魔女は猛威をふるいました。人間達に甚大な被害を与え、倒されることなくどこかへ逃げ出したのです。
――結局、彼女は自らの内に渦巻く悪意に飲まれてしまったのか、それとも人のままに人を裏切ったのか、わたくしにはわかりません。
ただようやく捕らえられたレプリ-ルはこう言ったそうです。ですから、彼女のしたことをだけを語りましょう。
レプリ-ルはその後、行く先々で多くの人間と交わりました。自分の血を、体液を、そこに刻まれた魔女の遺伝子ごと、多くの人間に流し込みました。それが――」
「魔女という存在がいまも残り続ける理由、ね」
「ええ。一度遺伝子に刻まれた魔女の遺伝子は、幼少期にのみ低確率で発露します。その強い悪性はまだ薄い対象の自我を食い潰し、まったく新しい『魔女』としての人格が身体だけはそのままに発生するのです。そして、全身を駆け巡る悪意にしたがい、魔女は人々から畏怖され淘汰されるべき存在となる……。――こんなところでしょうか」
なにか質問はありますか?とばかりに聖女はこちらを見やりました。
横から、ノーディタウもこちらを伺っています。聞きたいきとがあるのなら先にゆずるわよ、とでも言いたげに。
長い話でした。かつて投げかけられた質問の答えが、一つ一つ埋まっていくようでした。
『魔女ってなんなのかしらね』
『身近な誰かが壊れていくのが好きよ。――なんでアンタはそう思わないの?』
だから、私が言うべきことは決まっていました。あるいはそれは、どこに向けたものなのかもわからない言い訳のようなもので――
「確かに、私は誰かを傷つけるような行いを散々やってきました……。でも、それを私は心から楽しいとは思えません。それに……大切な人達には幸せになって欲しいなって、そう思っていますよ」
どれだけ理解の範疇を超える真実を聞かされようと、その気持ちだけは本当です。
もう絶対に、私のことを想ってくれている人達を傷つけたくない。
どんな真実だろうが、関係ありません。私はもう、魔女だなんて言い訳で自分を騙して後悔したくない――。
「私は……なんなんですか?」
「魔女ですよ」
あっさりと、聖女は答えました。
私の感情なんて一切の興味がないというふうに、ただ語るべきことだけを彼女は語ります。
「そうですね――。確かに、レプリ-ルの手によってあちこちの遺伝子に魔女は刻まれました。けれど、遺伝子というものは受け継がれる度に徐々に摩耗していくもの……後付けの魔女なんて、二百年もたてばだいぶ薄れているのではないでしょうか。そうですね――あと三十年もすれば魔女という存在そのものがこの大陸から消えてなくなることでしょう」
魔女が、なくなる……。魔女の摩耗……。それが私とガウドの違い。なんとも、複雑な気持ちです。
明かされた真相はあまりにも衝撃的で、あまりにもあっさりしたのでした。
「私からも一つ、いいかしら」
ノーディタウが言います。どうぞと、聖女が軽く答えました。ノーディタウはあいかわらず恍惚の表情を浮かべています。
もしかすると彼女のこの知識欲も、彼女の中の魔女が時を経て摩耗した結果なのでしょうか。
「さっきから、この大陸って言っているけどどういうことかしら?この世界じゃなくて?どうにも含みがありそうじゃない。ここにきて出し惜しみなんて、面白くないわよ」
「――ああ、それですか。いえ、出し惜しみだなんてするつもりはありませんよ。わたくしもこういう話を誰かにするのは初めてなので至らぬ点が多くて……。この反省を次に活かせることが出来ないのが残念でなりませんね」
「いいから早く教えなさい」
急かすノーディタウ。ですが、いまなにか引っかかることを聖女は口にしたような……。
「この国のすぐ傍にもある海――。それはこの世界の果て、それ以上はただなにもなく青が彼方へと広がっている――そんな教えがありましたね。
それは二百年の内に定着させられた常識です。魔女という恐ろしい存在を万が一にも外部にださないためにです。本当は、あの海の向こうにも様々な島があり、様々な人間が営みを積み重ねていることでしょう。
あとはそうですね……万が一のためにもまた魔女を一から生み出せないように、高度な技術は全てティアムトが独占しただとか、他には――」
その瞬間、視界が大きく揺れ、地響きのような音が響きわたりました。
「な、なんですか?!」
空中に浮いているはずのこの建物が、どうやら大きく揺れているようです。
「ああ、もうしわけありません。どうやら時間切れのようです」
「時間切れ?」
「ええ。本来ならばこれは決して誰にも語ってはいけない絶対の秘密――。それを護るためにこの国があり、わたくしがいます。その役目を放棄した今は、ただ崩れ去るのみです」
腹が立つぐらい、聖女は冷淡に言い放ちました。
「うぎやあ!?」
バランスが崩れて、床に倒れ伏します。文字通り、崩れているということでしょう。
聖女を睨みます。彼女はただ平然と、滅びを受け入れるように立ち尽くしていました。
「――外にでたいのならお早めに。いまならまだ間に合いますよ。フレットも外にいるでしょうし」
「っ……ノーディタウ!」
聖女はここを出る気はないようです。もはや、なにを言っても無駄なのでしょう。そう感じたので、ノーディタウに声をかけて、一気にかけ出そうとしました。けれど――。
「ノーディタウ……?」
彼女は動こうとしませんでした。それどころか、ゆっくりと聖女に近づいて――その目にははっきりとこうありました。
まだ足りない――。
「ノーディタウ、正気ですか?!死んじゃったらもうなにも知れないんですよ?!無数の知らないことを知らないままで、貴方はそれでいいって言うんですか?!」
「良くない。良くないわ。いいはずがないじゃない」
「だったら――」
「でもね、いまここを逃せば二度と知れないのよ。足りない。全然足りないわ。まだ聞けていないことが多すぎる。そもそも戦争はなぜ起こったの?最初の魔女は――レプリ-ルは、どのように捕らえられて、そしてなぜ今もなお私達の目の前にこうしているのかしら――!ああ、知りたい。知りたい。知りたいわ!死なずに知らないことよりも、私は死んで知るわ!」
否定できる材料は無数にあります。けれど、なにもいえませんでした。
私にはノーディタウの考えを、心を、何一つ理解することが出来ません。けれど、彼女にとってそれは絶対に譲れないということだけはわかって――はがゆくて――。
動けなくなっている私の顔に、手が添えられました。いつの間に、目の前にいたんでしょうか。
「けれど、ライラは違うのでしょう」
「え……?」
「さっさと行きなさい。死ぬわよここにいると。私は知ることが全てだけど、ライラの全ては多分外で待っているわ」
「べ、別に全てってわけじゃあ――」
「全てでいいのよこういうときは。私の幸福はライラには理解出来ない。ライラの幸福は私には理解出来ない。不愉快だけど――楽しかったわよ」
「ノーディタウ……私は……」
言うべきかどうか迷いました。
言ったところで、もうなにが変わるわけではありません。
ノーディタウの目を見ます。真っ黒に狂気を湛えたその目に私は巻き込まれ、きっと――救われた部分もあったのだと思います。だから――
「私は、貴方と友達になりたいです」
「その関係性に見合う知識を提供し続けてくれるというのなら、いつだって歓迎よ」
そう言って、ノーディタウは私を軽く突き飛ばしました。その勢いのまま、体を反転させて、揺れる階段を駆け下ります。
開かれた聖女の最後の語りから背を向けて、一心不乱に外の光を求めて――。
フレットさん、フレットさん、フレットさん――!
結局、私は自分の幸せに対する答えをまだ見つけてはいません。けれど、それを見つけるときは、フレットさんと一緒がいい。フレットさんと一緒じゃなきゃ嫌なんです――!
まばらになっていく足場を軽快に飛び跳ねながら、上った階段を下へ、下へと。
全てが崩れさろうというその瞬間に、体が光に包まれました。
そのまま乱暴に外に投げだされて、それでもなんとか両足で地面を踏みしめて、顔を上げて飛び込んできた景色は――地獄でした。
血のにおい。
何人もの人間の、血と死の匂い――。
けれど辺りは静まりかえっていて、無機質な機械の駆動音だけが耳に入ってきました。
「なんですか……これ……一体誰が……」
今自分が生きていることが異常であると感じてしまうほど、終わった殺戮の風景が広がっていました。
人間どころか、生き物一匹ここにはいないとそう確信出来ます。じゃあフレットさんは――
「っ……!?」
それに反応出来たのは、偶然と言ってもいいでしょう。
ウィィーンという機械音。視界に映ったのはこの国に入ってからよく目にしていた球体の機械です。
その球体から伸びた突起が、私の方を向き、背中に悪寒が走りました。
大股で体を横に移動させて、さっきまで自分のいた場所を見やりました。その後ろ瓦礫にはぽっかりと穴が空いており、それを造りだした球体の機械の突起のさきからは、煙が立ち上っていました。
「に、逃げないと……!」
ひとまず、一目散に駆け出しました。目に入った死体には、ぽっかりと穴が開いていました。
つまり、この国の人達はあの機械に殺された――。
『その役目を終えた今は、ただ崩れ去るのみです』
あまりにも無茶苦茶です。このティアムトという国は真実を守るために存在する。けれどその真実はもう漏れてしまった。だから――巨大な壁の中の一切合切を壊して秘密を守ろうと。
「狂ってる……狂ってますよこんなのああ!」
倒れていた死体に躓いて転んでしまいました。手をつくことが出来ずに全身で痛みを味わうことになりました。
そして、痛みから出たうめき声は、間近で聞こえる機械音でかき消されました。向けられた銃口が、私に諦めを与えました。
「フレットさん……」
最後に、愛しい人の名前を――。
どうか、どうか、生きていてくださいと願いを込めて。
「フレットさん――フレットさん――フレットさん――」
せめて最後に、愛しいひとの名を言い続けたいと、繰り返しました。時間の許す限り、何度もフレットさんと。
「ぁ…………」
そしてそれを止めたのは、体に穴が開いて声が出せなくなったから――ではありません。
気が付いてしまったからです。私が躓いた原因の死体が、血を流して倒れている人間だったものが――
「フレット……さん……」
私は今生きているのでしょうか死んでいるのでしょうか。そんなことは、どうでもいい。関係ありません。
ただひたすらに、熱い――。
「ああぁ……あああああ……あぁぁぁああああ――!!」
私の内から外まで、全てを燃やして尽くす炎が溢れて――
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