第35話 語って、そして――
目の前の現実はあまりにも常識からかけ離れていて、しばらく頭が真っ白になっていました。
どういう理屈でアレは宙に浮いているんでしょうか。どういう理屈でこれは動いているのでしょうか。
こんなもの、人の手ではどう頑張っても不可能です。けれど、今私達の目の前にこうして存在しているのですからそこを疑っても仕方がなくて――。と、辺りをゆっくりと見回している時に人の姿が目に入りました。
しかしそれはこの国に住む人ではなく、近くにあったやけに透き通った壁に映った自分の姿でした。
そこで思い至ります。私は、持っていると――。
普通の人間ならば絶対にあり得ないことを、当たり前のようにやってのける。魔術と呼ばれる異端の力を――。
頭に電流が走ったように一瞬痛みます。そして、いままでバラバラだったものが、恐ろしく丁寧に一つの形に組み上げられていきます。
ああ……でも……こんなことって……。
けれどもし本当にそうなら、この国が壁でなにもかもが隠されていることも、この目を疑う景色も、すっきり説明が付きます。
そもそも、おかしかったんですよ。フレットさんはこの国を出るとき、この国がどういったものなのかということに関する記憶を消されたと――。
なぜいままでそのことに意識が向かなかったのでしょう。人間の記憶を操作するだなんて真似、出来るはずないんです。私ならともかく。
そう――、私ならともかく。魔女なら、ともかく。
つまり、ティアムトという国の正体は――
「魔女の国」
「……どういうこと?」
「考えてもみてくださいよ、フレットさん。いま目の前に広がる光景がまともな人間の手によるものだと思えますか?人に物を浮かせることが出来ますか?あんな奇天烈な生き物を生み出すことが出来ますか?無理でしょう、どう考えても。けれど、魔術ならば、魔術を使える魔女ならば、可能です。現に私達は、その魔女の手によってこんな所まで一瞬でこれたんですよ。――つまり、ティアムトという国は魔女の国。この国住む人間の多くが、いえ、下手をすれば全員が魔女なんですよ――」
「違うわ」
と、ここまで黙っていたノーディタウが初めて口を開きました。
そして一言、「違う」と……違う?
え、違うってあれですか?間違えてるってことですか?私凄いいっぱい喋ったんですけど?それも、繋がった――!みたいな顔して。フレットさんだって、私の話を聞きながら徐々に目とか見開いてましたけど違う?
けれどノーディタウは、わなわなと震えている私は気にも止めていません。
きっと考えがまとまって、熱が溢れ出ているのでしょう。目が黒々と光っており、狂人のそれです。
「魔術じゃない、魔術じゃないわ!これはそうれっきとした人間の手によるもの。その英知の先にあるもの――科学よ!地下から水を汲み上げる装置を誰かが考え作った、火を簡単におこせる装置を考え、作った。ええ、これはきっとそういうものよ。魔術なんてあやふやなものじゃないわ!ああ、だからこの国は他との関わりを断っても問題なく機能できているのね。人という種が長い年月をかけてたどり着く場所にこの国は存在するのよ――!そしてそれを秘匿している……アッハハハハハハハ最高じゃない!知った、知ったわ!私はいまそれを知ったのよ!アハ!アハ!アハハハハハハッ――!!」
まさに狂喜。私もフレットさんも、ノーディタウの言っていることの意味はほとんどわかりませんでしたが、とても尋ねられる雰囲気ではありません。話しかけたら最後、ノリで宙吊りにされそうです。
けれど幸運なことに、多少落ち着いたノーディタウが呆然としていた私達に気が付きました。
なんだか見慣れてきた呆れ顔をこちらに向けています。……いや、今の発狂で理解出来る人なんていないと思いますけど。
「要するに、この国は文明はめざましく文明が発展している……そうね、言うなれば機械都市というところかしら!まあもっとも、これはまだ私の推察でしかないわ。確かな知識には裏付けが必要よ。そのために、この国を隅々まで散策しないといけないわね。――ああそういえば、ライラもさっきなにか推論を披露していたわね。自分の考えをまとめるのに夢中で聞き逃しちゃったから、一応聞かせてもらえないかしら?」
うやむやになりかけたことをわざわざ掘り返してきたノーディタウ。その口角は彼女の性格と同じく上に曲がっていました。
絶対に聞いていましたよね、この人。
「どうしたの?時間を取らせないでちょうだい。別にどんなに的外れで見当違いなことでもかまわないわよ。さあ、さあ、さあ!」
「……あの、そろそろやめてあげて。ライラさん、その、そういうの弱いから」
どす黒い物を身にまといながらにじり寄ってくるノーディタウに、フレットさんが待ったをかけます。
私が守りますなんて言っておいて、逆に守られてしまうとは……。いえそれ自体は結構嬉しいですが、フレットさんの言い方だと、なんというか私の惨め度合いが上がるといいますか……。その証拠に、私はさっきから地面しか見られていません。
満足したのか、ノーディタウはカラカラと笑いながら、足音を鳴らして遠ざかっていきました。
「私はしばらく色々調べてみるから、そっちはそっちで知りたいことを調べなさい」と言い残して。
私とフレットさん二人。これからなにをしましょうか。とりあえず私は――
「こっち見ないでください。フレットさん……」
そのまま地面に膝をついて、思う存分落ち込むことにしました。
さて、気を取り直して行きましょう。
今のフレットさんは、表面上はいつも通りですが、でもやっぱりここに来てから気持ちは沈んでいるようです。私がしっかりと手を取ってひっぱらないと。……まあ、さっき私が早速落ち込んで慰めて貰ったわけですが、この際それはよしとしましょう。
とりあえずの目標として、フレットさんの家族を探そうということで私達は歩みを進めていました。
家族の人さえ見つかれば、少なくともフレットさんに関することはなにかわかるのではないかという推察です。
「そういえばこれ、結局なんなんでしょうね」
歩きながら、胸の位置に取り付けたカードを手で動かしながら疑問を口にしました。結局、入るのにもあんな抜け穴を使いましたし、もしかしてもう取っても大丈夫なんじゃないでしょうか。
「うーん、やめた方がいいんじゃないかな。一応まだここの仕組みもよくわかってないんだし」
「フレットさんがそう言うなら……あっ」
弄っていた弾みで取れてしまいました。
すると――、ビー!ビー!ビー!と、けたたましい音が。
「なななななんです!?」
慌てて音のする方へ目をやると、そこにはこの国に入った時にも見た、よく見るとその辺にわらわらいる鉄で出来た丸い生き物のようななにか――あれも機械なんでしょうか。
球体から少し伸びた突起が私の方を向いています。音も止みません。
「ライラさん、さっきのカード早く付け直して!」
フレットさんの声にハッとし、慌ててカードを付け直そうとしますが――
「あれ!?ない!?」
急になった音にびっくりして手から落ちてしまったようです。
慌てて辺りを見渡しますが見つからず、球体はなにかの照準を私に向けたままうるさく鳴いています。
「あわわわわわ」
「ほれ、これ。早くつけな。うるさくてたまらんよ」
もう駄目かもしれないと思った時、たまたま通りかかった誰かが落ちていたカードを拾って渡してくれました。
焦りながらも胸に付け直すと、うるさかった音が止み、球体の照準が丁度カードに合わさりました。カードには、赤い点のような光が浮かび上がっています。
『――住民コード認証。おはようございます。きょうも、よい一日を、おすごしください』
驚くことに、球体の機械は若干たどたどしいながらもまるで人間のように言葉を話し、そのままどこかに移動して行きました。
肝が冷えますほんとに。けれど、いまのことで大体わかりました。恐らくこのカードはこの国の住民かそうでないかを判別するものなのでしょう。もしあのままあの球体にこの国の人間と認識されなかったら――、国に入る前のノーディタウの言葉を思い出し身が震えました。
「どうもありがとうございます。助かりました」
「いえいえ、しかし今時珍しいじゃないのさ。アナログのカードを持ち歩いてるだなんて。あたしらみたいな年寄りでも皆体の中に埋め込めるチップ型にしているのに」
考え事をしているうちに、私の代わりにフレットさんが拾ってくれた人にお礼を言ってくれていました。
その人は穏やかそうな老人で、どういう原理なのか、空中に浮いている車椅子のようなものに乗っていました。
フレットさんは、老人の口から出てくるこの国では常識であろう発言に戸惑っているようでした。ここは張り切って助け船をだすとしましょう。
「あーあの、お婆さん!先ほどはどうもありがとうございます。そのついでに一つ聞いて欲しいことが――。この人、フレットさんというんですが、家族の人がどこに住んでいるかわかりませんか?この人、何年か前にこの国を出てついさっき帰ってきたんです」
会話に割り込むように老人に質問を投げかけました。すると老人は、キョトンとした顔をしてしばらく静止し、大口をあけて笑い始めました。
「あーっはっはっはっは、これ。年寄りだからって馬鹿にするんじゃないよ。アタシだって最低限の常識ぐらいは理解しているさ」
「なにを言っているんですか?私は真面目に――」
「この国から出るだなんて、そんなこと出来るわけないじゃないのさ」
そしてまた笑う老人――。
「いやでも、現にフレットさんは――」
「無理無理。そんな特例、あたしがこれまで生きてきて一度だってありゃしないよ。もしそんなことがあったら大ニュースさ。まあ、若い子が国の外に興味を持つのはわかるけど、だからって年寄りからかって遊ぶのは駄目さね。諦めな、あたしらはその不自由と引き換えにこの国の便利を味わえるんだから」
「違います!私は――」
ぽんと、肩に手が置かれました。フレットさんです。
そのままゆっくりと、フレットさんは私の前に出てきて言いました。
「ですよね。すみません、変なこと言って。それじゃあまた」
「ちょっと――フレットさん!」
早足で歩いて行くフレットさんを慌てて追いかけます。私からはフレットさんの背中しか見ることが出来ず、この時フレットさんがどんな顔をしていたのかは知ることが出来ませんでした――。
「僕は、一体なんなんだろう……」
歩きながらふと放たれたその言葉に、思わず足を止めました。フレットさんはハッと我にかえったように笑みを浮かべて「ごめん、なんでもない」と言いました。そんなはずはないのに。
けれど、私がかけられる言葉は見つからず、代わりに私もなんでもないという風に言いました。
「歩き疲れました。少し休みませんか?」
私の提案に、フレットさんはただ静かに頷きました。
適当な木陰に――といいたいところですが、肝心の木がどこにも見当たりません。なので近くにあった大きな木のような機械の影で休むことにしました。
人通りはありませんが、例の球体の機械があちこちにいてなんだか落ち着きません。
私達はなにを話すでもなく、ただボーッと休んでいました。私としては、落ち着けばなにか話してくれるかなと期待していたのですが、そういうわけにもいかないようです。
私に弱音を吐き出してくれないことを、寂しく、そして腹立たしくも思いましたが、今のフレットさんの心象を思えばあまり意地になって問い詰める気もおきません。
だから――
「ねえ、フレットさん。話を聞いてくれますか?」
「……いいけど、なんの?」
「私の、
私は私の話をすることにしました。
気休めになればいいだとか、私のことをちゃんと知って欲しいだとか、理由を付けようと思えばいくらでも付けられます。けれど実際は、明確な理由なんてなくて、私だって頭の中がグチャグチャで、全部話してしまえばフレットさんに嫌われる可能性だってあります。けれど私は話していました。
なんの罪もない少女の上に生まれたこと、なんの罪もない人たちを傷つけたこと、傷ついたこと――。無意識のうちにフレットさんには見せないようにしていた私の魔女としての、糾弾されて当然の部分も、全部、全部語りました。
自分から語り始めておいて、終わりの頃になると、フレットさんの顔を見ることが出来なくなっていました。返ってくる言葉がなんであれ、それは私を締め付けるものだと思ったからです。
そしてフレットさんは、ゆっくりと、いつもと同じ、優しくて落ち着く声で言いました。
「僕はね、どちらかと言えば性格の悪い人間なんだ」
「――なんですかそれ。嫌みですか?」
「違うよ。僕はね、自分に関わりがあること以外には結構冷めてるんだ。僕の全く知らない誰かがどこでどうなってもなんにも思わないし、逆にすぐ近くにいる人のことはあれこれ考えちゃうんだよ」
そう言いながらフレットさんは、「いや違うな。あれ、なんて言えばいいんだろう」と言葉を悩ませていました。その様子がちょっと面白くて、笑みが零れます。
「うん、なんというかさ、僕が知ってるライラさんて、僕と出会ってからのライラさんだけだから」
「ふっ、なんですかそれ」
「うーん、なんだろう……。つまりね、僕が知っているライラさんはさ、美人で抜けてて反応が面白くて友達思いで大人げのない女の子なんだよ。ライラさんがこれまでどんな生き方をしてきたとか、魔女だとか言われてもさ、僕はそれしか知らないんだよ」
なんですかそれ――。悪口混じってるじゃないですか。ああでも、なんでちょっと嬉しいだなんて思っているんでしょうかね、私。なんで顔まで赤くなってるんでしょう。
「ねえライラさん、こっち向いてくれる?」
私は伏せたままの顔を横に振りました。けれど、フレットさんはなおも食い下がってきます。
「お願い。一生に一度のお願い」
「こんなことに使わないでください」
「じゃあ一生に千回ぐらいのお願い」
「急に欲ばりすぎじゃないですか?」
「頼むよ」
なにがフレットさんをそこまでさせるのかはわかりませんが、まあ意固地になって下を向き続けるのもどうかと思うので仕方なく、折れることにしました。もうフレットさんを心配させるような表情はしていませんし、大丈夫でしょう――。
「はい、これでいいで――!?」
それは隙のない奇襲でした。全く予期していなかった攻撃でした。
顔を上げると同時に、ぶつかるぐらいの距離にフレットさんの顔はありました。そしてそのまま、フレットさんの唇と私の唇が重なりました。
密着していた時間は一秒もないでしょう。しかしそれでも充分過ぎる時間でした。
身体中の力が抜けて、二本の腕はだらしなく地面に落ちました。かろうじて息を吐けるだけで、声は全くでません。
気持ち的にはにらみつけているつもりでフレットを見ましたが、そんな風に目に力は込められませんでした。
フレットは悪びれもせず、口を開き始めます。
「ライラさん――。全部終わって、家に帰って、いつも通りの日々が過ごせるようになったら、僕はキミに言いたいことがある」
そういうフレットさんの顔は、耳まで真っ赤で見ているこっちが恥ずかしくなりそうでした。いえ、充分すぎるほど私も顔真っ赤ですけど。
文句を言ってやろうかと思いました。いきなり唇を奪った代償に思いっきりパンチをたたき込もうかと思いました。けれどおかしなことに、そのどちらもが今の私の感情として正しくはありませんでした。
だから、なんとか抜けた力を入れ直してこう答えます。
「私も全部終わったら、フレットさんに言いたいことがあります。ずっと、言いたかったことです」
「ええ――、それでは早急に終わらせましょう。全て」
見知らぬ、鈴の音のようなか細い声が聞こえました。
驚いて声のした方を向くと、そこにはノーディタウ――ともう一人。
高貴な身分というのが一目でわかる純白のローブを身にまとった、白い長い髪の見た目妙齢の女性。
その女性は私達――いいえ、フレットの方を見て言いました。
「久しいですね、フレット。わたくしはずっとあなたを待っていましたよ」
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