第34話 これは……魔術……?

「おええええぇぇ……」

「大丈夫ですかー」


 独特の浮遊感から解放された私がまず行ったことは、ふらふらとした足取りで体勢を崩し、そのまま嘔吐するフレットさんの背中をさすることでした。

 私は吐いてません。次から慣れると言っていたノーディタウは正しかったようで、少し立ちくらみがした程度でした。


「うぅ……ありがどう……」


 まだ濁った声でお礼をいうフレットさんに、私はいえいえと答えます。ノーディタウはせわしなく辺りを見回した後、こちらに視線を向けてフレットさんが落ち着くのを待っていました。


 フレットさんがしっかりと自分の足で立てることを確認してから、私もぐるりと周りの景色を見渡しました。

 最初に目に飛び込んできたのは巨大な壁です。いうまでもなく、ティアムトという一つの国をぐるりと囲う巨大な壁。というか、もう壁という次元を超えています。

 恐らく上部も隙間なく囲われているであろうそれは、真っ白なホールケーキの様です。


「凄いねこれ……」

「そうですね……」


 同じように壁を見ながら呟くフレットさんに、気の抜けた声で返します。

 口を開けて、しばらく呆然と壁を眺めながら、どうやら転移自体は無事に成功したのだという事実と、どうやってこの中に入るのかという疑問が頭に浮かんでいました。

 どこかに入り口があるのでしょうかと、それとなくフレットさんに聞いてみましたが、返ってきた答えは「わからない」でした。

 そもそもフレットさんは、本当にこの国にいたことがあるのでしょうか?

 ――けれど、その疑問を口に出すのは控えます。きっとフレットさんも同じことを考えているでしょうし、わざわざ不安を煽りたくありません。


「なにを呆けているの?さっさと行くわよ。歩けるようになったのならさっさとしてちょうだい」

 

 とりあえず、一番なにか知っていそうなノーディタウに聞こうと思いましたが、その前に彼女は先に歩き始めていました。

 

 毎度一言多いんですよね、彼女。けれど確かに、立ち止まっていても仕方ありません。フレットさんと一緒にノーディタウの後を追いかけます。一瞬、当たり前のようにフレットさんの手を繋ぎそうになりましたが、慌てて我に返り手を戻しました。

 フレットさんはなにも気が付いていないようなので、私もそのままなにもなかったかのように横並びに歩きます。


 ノーディタウは、ずっと壁沿いに歩いていました。入り口を探しているんでしょうか?まあどこかに入り口があるのなら、壁沿いに歩くのが正しいですね。


「――ねえ、どこかに入り口があったとしてそこから入れるものなの?」


 同じことを思っていたのか、フレットさんがノーディタウの声をかけました。

 フレットさんの疑問と似たようなことを私も考えていましたが、その時は私の魔術の出番かななんて暢気に考えていましたから、別段問題とは思っていませんでした。

 けれど、ノーディタウは足を止めて心底呆れた目をしてフレットさんを見やりました。ついでに同じ目で私の方も見ました。……私はなにも言ってないんですけど。


「正規の入り口からなんて入れるわけないでしょう?フレットならともかく私とライラは魔女。忘れたわけじゃないでしょう?」

「う、うん……まあ」


 歯切れ悪く答えるフレットさん。小声で「そういえばそうだった……」って言ってます。

 そもそもこの人どんな方法でここに来たと思ってるんでしょう。

 記憶の齟齬の正体も、ただ単にこの人の頭が残念なだけなんじゃ……それはそれで安心するんですけどね。別の問題は増えますが。


「正面から入るなんて、殺してくださいって言っているようなものよ。だから抜け穴を使うの」

「抜け穴?」

「そうよ。――といっても、その辺りは私もガウドから聞いているだけだから、もしものときは私を責めないでちょうだい」


 ガウドが……。そういえば、以前ティアムトに来たことがあると言っていましたね。

 結局、ガウドはなにをどこまで知っているんでしょう。私達がこれから知るかも知れないことも、もしかしてすでに全部知っていたりするんでしょうか……。

 考えていても、その答えは掴む場所にはありません。私に今できることは、ノーディタウの後ろをついて行くことだけでした。



 しばらく壁の外周に沿って歩いていると、見えてきました。入り口ではなく、海です。揺らめく青々とした水が、視界ギリギリまで――いえ、きっとそれ以上に果てなく続いていました。


「綺麗ですよね~」


 呟く私にフレットさんが首を縦に振って応じてくれました。

 海――この世界の果て。

 その先にはなにもなく、ただどこまでもあの青が続いているのだそうです。静かに揺れ続けていているその様は、本当にこの先にはなにもないんだということを伝えているかのようでした。


「私、海を見たのは初めてですよ」

「うん……僕も。凄く綺麗だ」


 知識として知っているのと、実際に見るのとではやはりこうも違うのですね。ええ、はい、私も海ぐらいは知ってました。

  それはともかく、一日中眺めていられるほどには綺麗です。風に乗って流れてくる食べ物みたいな匂いも、心地よさを上げてくれています。


 フレットさんが本当に海を見るのが初めてなのかは疑わしい所がありますが、ここでそれを指摘するのは野暮でしょう。なんだか穏やかな顔をしていますし。なんなら海の代わりにフレットさんの顔をずっと眺めていたいぐらいです。


「……どうしたの?」

「――いえ、我ながら恥ずかしいこと考えるなあと……」


 なんのこっちゃという顔をするフレットさん。

 なんでもないですよと、視線をふたたび海へと向けます。


「――あのーもういいかしら?」


 頭をガリガリと掻きながら、ノーディタウが刺々しい声を出しました。

 心底つまらなそうな彼女は、海の綺麗さを欠片も感じていない様です。


「まったくそんなもの見ててもなにも知れないわよ?目的地はすぐそこだっていうのにわざわざ余計な時間を作らないで貰えるかしら?」


 そして事実感じていませんでした。


「……別にいいじゃないですかちょっとぐらい。貴方も折角ですから海について知ってみたらどうですか?」


 怒られた腹いせにちょっと言い返してみました。それこそこんなことしてる場合ではないんですが、まあそれはそれとしてちょっとムッとしたので。

 そしてノーディタウは、心底見下した目を私にむけて言いました。


「馬鹿じゃないのライラ?いいえ、馬鹿ね。ここは世界の果て――それ以外になにを知ればいいと言うの?知を探求する心もなければ考える力もないのかしら。無駄な行動を取るばかりでなく無駄口も叩くのね。――フレット、ライラはやめておきなさい。馬鹿よ」

「――なんっですかそれ?!大体無駄口が多いのは貴方の方じゃないですか!知る知る知る知るって知識と一緒に口数も増えてるんじゃないですか!? ちょっと色々知ってるからって上から物言ってばかりいるといつか酷い目に遭いますからね!」

「ちょっとライラさん落ち着いて……!悪いのは僕らだし多分だけどライラさんは勝てないよ!」

「勝ちますー!いざという時はフレットさん一人ぐらいは守りますー!」

「それは嬉しいけど今言ったのはそういうことじゃないよ……」


 火に油を注いだらさらに油を増やされて返されたという感じにギャーギャー喚く私に、必死でなだめるフレットさん。

 本来あるべきはずの緊張感はどこへやら。

 ノーディタウも毒が削られたのか、それとも呆れがたまりすぎてどうでもよくなったのか、また壁に沿って歩き始めました。

 もう付いてこいとは言わず、「もう勝手にすれば?」とその背中が語っていました。


「というかあんだけ言い返してきたってことはノーディタウもイラッとしたってことですよね?ねえ??」

「うん、いいから行こう。本当に置いてかれちゃうから」




 なにはともあれ、ここまで来たからにはノーディタウについて行くしかありません。帰り道わかりませんし。

 ということで、変わらず三人で歩いています。なにも知らない私とフレットさんはなにかを知っているノーディタウの後ろで。


「着いた――」


 ノーディタウがそう言って、歩みを止めました。途中立ち止まっていた時間もありますが、歩き初めて三十分といったところでしょうか。


「ここに国の中に入る抜け穴が?」


 尋ねる私に答える代わりに、ノーディタウはある一点を指さしました。

 指された先は外壁の下の方。地面と接している辺りです。

 そこには、ちょうど人一人が通れるような穴がぽっかりと空いていました――。


「いや抜け穴って本当に抜け穴!?」


 叫ばずにはいられませんでした。というか私が叫んだから他の二人は叫ばずに済んだようです。


「これは……流石に知らなかったわ……」


 ノーディタウがこんなことを言う始末です。


「えっと……ここであってるの?」


 不安そうにフレットさんが尋ねます。


「ええ……。ガウドは見ればわかると言っていたから間違いないはずよ。……多分」


 なんだか歯切れの悪いノーディタウ。

 まあ無理もありません。外壁に囲まれ、文字通り全てが覆われた国ティアムト。

 そこに入る方法がこんな空き家に侵入するみたいだなんて……なんというか……締まりません。

 なんか地下水路みたいなのを通ってとか、そんなの想像してました。私。


 妙に重い空気のなか、立ち尽くす私達。このままの状態が続くのも勘弁して欲しいので、思い切って声を上げてみました。


「とりあえず、入りませんか?」

「……ええ、そうね」

「うん、ここまで来たもんね」


 やはりなんだか締まりません。

 けれどもうこの空気はどうしようもなく、穴をくぐるためにまずノーディタウがかがみました。――そして立ち上がりました。


「どうしました?」

「……そういえば渡すのを忘れていたわ。フレット――」

「わわっ!?」


 ノーディタウから投げ渡されたものを、取り落としそうになりながらもなんとかキャッチしたフレットは、それをしげしげと眺めます。


「なにこれ?」

「さあ?まだよく知らないけど、この国に入る鍵みたいなものよ。それ服のどこかに付けて置かなきゃ多分死ぬわよ。ガウドが言っていたもの」


 フレットさんが渡されたそれは、昨日私が渡されたカードと同じものでした。

 私の胸元にも、『ガウドの薬屋』のワッペンの代わりにひっついています。見ると、ノーディタウも下のスカート部分にカードを付けていました。


 死ぬ――。あまりにも軽く言われたその言葉に、フレットさんは戸惑っているようでした。だから私はなるべく笑顔を作ってフレットさんに近づきます。


「大丈夫ですよ。フレットさんはこの強い魔女こと私が守りますから!ノーディタウだっていますし」

「は?私は別に――」

「空気読んでください。フレットさんはちょっと事情の込みあった遠足みたいな感じに思っててください。――それ、付けてあげますね。胸のところでいいですか?」


 ちょっと強引かもですが、今はこれぐらいがちょうどいいんです。フレットさんも少し戸惑っていましたが、最後は笑顔でありがとうと言ってくれました。

 これでよしです。


「じゃあ、行きましょうか!おー!」


 張り切って、手を上に伸ばします。ここから先は確かになにもかもが未知です。実は私も不安だったので、勢いに任せた空元気です。

 フレットさんも「おー!」と張り切って手を突き上げてくれました。

 ノーディタウは微動だにしないまま、吐き捨てるように言いました。


「楽しそうでいいわね」




 抜け穴にはまずノーディタウが入り、その次にフレットさんが入りました。

 二人とも小柄なこともあって、スムーズに這って通りぬけることができたようです。そしていよいよ私の番――。

 壁は思ったよりも分厚く、上半身が穴に入りきった辺りでようやく向こう側に頭が出ました。

 前の二人とは違い、私はズリズリと音を立てながらゆっくりと這い進んでいました。


「む……胸が……」


 つっかえていました。

 それでもなんとか、着実に前進していき難所を突破。難所さえすぎればあとは二人と同じように、スルスルと通り抜けることが出来ました。

 息を吐いて、服を払って立ち上がります。


「苦戦してたんですからちょっとぐらい引っ張ってくれてもよかったんじゃないですか?」


 ノーディタウはそんなことはしてくれないとわかっているので、主にフレットさんに向けて文句を言います。

 けれどその文句をフレットさんは無視。なにも返してくれません。

 見ると、口をぽかんと開けて目の前の光景を眺めていました。そして、ノーディタウも驚愕を隠せていません。

 勿論私も――。

 開いた口は塞がらず、脳の異常を真っ先に疑う――そんな光景が視界には広がっていました。

 ドルムトとも、コルデとも違う。街の雰囲気とかそういう次元でなくなにもかもが。

 別の国というよりは、もはや別の世界と表現したほうがいいでしょう。


 例えば、空中を通る道。空に浮かぶ円盤のような物。いきなり現れて、しばらくすると消える奇妙な映像。そして地面を動き回っているどう見ても鉄かなにかでできた生き物。ゴミとか拾ってます。

 なにより、この国は上部まで壁で覆われているはずです。それなのにくっきりと見える快晴の空。そして、遠くからでもはっきりと見える空中に浮かぶ城のような建物。

 他にも見たことがないようなごてごてした物が音をたてたり動いたりしています。

 

 これがティアムトという国の正体――いや、なんですかこれ? 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る