第33話 二人なら、大丈夫な気がします。

 思わず大声で助けを求めた後、ノーディタウは面倒くさそうに小屋に入ってきて状況の説明を求めました。しかし、混乱する私は要領を得て放すことが出来ず、とりあえず呆れながらもフレットさんを寝室のベッドまで運んでくれました。

 そこから私を落ち着かせるために飲み物をもってきてくれたりと、なんだか迷惑をかけてしまった気がします。

 ひとまずお礼を言った後、私は簡単に状況を説明しました。

 フレットさんに記憶に関することを伝えた後、そのまま倒れて意識を失ってしまった――と。

 そのあとノーディタウの放った「面白いわね」の一言が原因で一悶着あったりもしましたが、まあそこはいいでしょう。


 私もなんどか眠ったことのあるベッドの上で目をつむったまま、フレットさんはただ呼吸だけを繰り返していました。

 そして目を覚まさないまま、陽はとっくに落ち、いつの間にか真夜中になっていました。


  

「一体いつまでそうしているつもり?そろそろ寝ないと今度はライラが倒れるわよ」


 そう言いながら、部屋の棚から六冊目の本を取るノーディタウ。

 私は黙ったまま、フレットさんの手を強く握っていました。いつか彼が私にしてくれた時のように――。

 

 フレットさんが私の手を握り続けていた時、私はとても嬉しかったですし、救いようのない自分がなんだか救われた気分になりました。……けれど、フレットさんはどうなんでしょう。

 散々この人を弄んで傷つけて、今度もきっと私のせい――。魔女と呼ばれ、魔術なんて大層な力が使えるくせに、フレットさんのためになることは何一つ出来ない。

 それでもなにもしないよりマシだと自分に言い聞かせながら、こうして手を握りしめています。


「私が出来ることはなにもないんでしょうか……。こんなことしてて、許されるんでしょうか……」


 弱音を吐く相手を、あまりにも間違えているとは思います。けれど一番近くにいるから、だだそれだけの理由でノーディタウに訪ねます。


「ライラってば不愉快に面白い物の考え方をするわよね」


 ノーディタウは本のページを捲りながら、どうでもよさげに吐き捨てました。


「そうですね……ごめんなさい」


 と自分で言って、思わず顔を上げました。みるとノーディタウも驚いた顔をしてこちらを見ています。

 今まで自分がどんな目にあっても、ここまで弱くなることはなく――弱くなっていたとしても、そのことに気が付かないフリをしていられたものですが、なんというか――


「――もちろん、ライラの恋慕についても私は知るべきことではあるけど……なんというか、真正面から喰らうと吐き気がするわね」


 そういうことです。

 フレットさんの顔を見ていると、取り繕うための皮がボロボロと落ちて、弱さを隠せなくなってしまいます。そしてそれは、なんだか悪くないような気もして――。


「あー、眠い。眠いと脳が鈍るわ。私は眠る。ライラも程々になさい」


 そう言って、ノーディタウは今まで読んでいた本を、律儀に全て元の場所に返して立ち上がりました。

 フレットさんが目覚めるまで私はここを離れるつもりはありませんでしたが、頭に一つ浮かんだ言葉を言うべきかどうか少し考えて、言うことにしようと、部屋の扉を閉めてでていこうとするノーディタウの背中に声をかけました。


「ありがとうございます、ノーディタウ」


 ノーディタウの動きが一瞬だけ止まりました。しかしすぐに黙って扉を締めきって、部屋をでていきました。

 

 部屋の中には私とフレットさんの二人。うち一人はただ穏やかに寝息を立てているだけ――。会話はなにもありません。


「フレットさん、早く起きてください。私も正直眠くなってきました。だから交代しましょうよ。今度は私がそのベッドで寝るので、フレットさんは私が起きるまで手を握っていてください」


 どうせ誰も聞いていないならと、少し恥ずかしいことを言ってみました。――もしかしたらノーディタウはこっそり聞いているかもしれませんが……まあ今更です。


 ――今のをフレットさんがもし聞いていたのなら、なんと返されたでしょうか。照れたでしょうか。それとも逆に私が照れさせられていたでしょうか。それとも、今の私の表情を見て、だだ優しく、「わかった」と頷いてくれたでしょうか。

 たまらず私は、唇を強く噛みました。眠気と、油断すると出てきそうになる涙を我慢するためです。

 あるいはもう、これだけ自分の弱さをぶちまけた今なら、涙を我慢する必要はないのかもしれません。けれど後もう少しだけ、私は私の『魔女』を残しておきたいと、ただの弱い人間になるのは全部終わってからにしたいと思うのです。

 窓に映る自分と目が合いました。

 なんというか、哀れという言葉がぴったりの表情をしています。ガウドがしきりに言っていた顔に出やすいというのは、どうやら本当だったようです。

 空いている片方の手で頬を軽く叩いて、なんとなく魔女らしい表情を作ってみました。

 そして、窓に映る自分の目を力強く見つめます。


「《私は、眠たくない》――」



 フレットさんが目を覚ましたのは、すっかり日も昇った頃でした。いい感じに鳥が鳴いています。

 ほんと、私の心配をどうしてくれるんでしょうという風に、爽やかなお目覚めです。

 当然、怒りなんて沸きようがなく、かといってはしゃぐような雰囲気でもなく、だだ一言。


「おはようございます、フレットさん」

「――ああ、うん、その、おはよう」


 自分が急に意識を失ったことは覚えているのでしょう。返ってきた挨拶はとても歯切れの悪い物でした。


「もう目覚めてくれないんじゃないかって、凄く心配しました」


 なんだか重い空気を軽くするために、冗談めかして言ったつもりでした。けれど、本気でそう思っていた部分もあってか、しんみりとした言い方になってしまいました。

 フレットさんはさらに気まずそうです。違う、私は別に責めたいわけじゃないと、必死に言葉を探します。しかし、私が言葉を探しきる前に、フレットさんが口を開きました。


「ライラさんごめん――って言っちゃ駄目なんだよね。えっと……一晩中傍にいてくれて、ありがとう」

「こういうときは別にごめんでもいいと思いますけど……ていうか一晩中傍にってなんでわかるんですか!?」

「いや、だって顔色が……」

「ああなるほど――っていうことは私の顔色一目でわかるほど酷いってことじゃないですか!? こっちみないでください、まだ寝ててください!」

「ええ……」


 ああこの感じ、いつものやりとりです。自然と笑みがこぼれてしまします。安心して、楽しくて。もしかしたら、こんなやりとりもう二度とできないかもと思ってましたから。

 だから、その思いを今度はちゃんと言葉にしなくてはなりません。


「――フレットさん、私嬉しいです。また、フレットさんと話が出来て」

「…………僕もだよ」

「フレットさん……昨日は、ごめんなさい」


 穏やかに答えてくれたフレットさんに、私は言いました。

 昨日のことを、今蒸し返すことを少し悩みました。けれど、やっぱり今言いたいので言おうと思いました。


「フレットさんの気持ちも考えずに怒って、拒絶してごめんなさい。ただ私は、嬉しかっただけなんです。魔女と知りながら助けてくれたことが、一緒にいてくれたことが」

「でも僕は、ライラさんにそう思ってもらえるような理由でキミを助けたわけじゃ――」

「それでもですよ。それでも、嬉しかったんです。私は、フレットさんが助けてくれて本当に嬉しかった」


 随分と、簡単なことでした。

 あの時胸に渦巻いていた気持ちを言葉にさえしていれば、もしかするといまのように穏やかに話せていたかもしれません。アリシアとも、ガウドとだって――。

 なおも申し訳なさそうな顔をしているフレットさんに、私は告げます。

 貴方が私に申し訳ないなんて思わなくていいと、私は貴方に感謝しかしていないと。


「だからフレットさん――、こんな私ですけど、こんな魔女な私ですけど、仲良くしては貰えませんか――?」

「……うん、ごめ――ありがとう、ライラさん」

 

 良かった――本当に、良かった。

 ひとまずは、私は失いたくない物を失わずにすんだ――のでしょうか?

 フレットさんを散々魔女に巻き込みたくないなんて言いながら、こんなにも都合のいいことを言う私に、フレットさんは笑顔をむけてくれます。

 もうこのまま言ってしまいましょうか、好きですと。きっと、初めて会ったときから、私はフレットさんのことが――。

 ただそれを言うのにはなんだか頭が重たくて、張り詰めていた物が一気なくなって、視界は黒と白をいったりきたり。

 そのまま私は沈むように、フレットさんの胸の中に落ちていきました。




「おはよよう、ライラさん。――こんにちはかな?」


 そんな温かな声を、目覚めてすぐにききました。どうやら眠ってしまっていたようです。安心感からか、魔術のごまかしがいっきに切れたようです。……えっと、なんの話をしていましたっけ?

 頭を整理しながら起き上がろうとしてようやく、その感触に気が付きました。


「――手、ずっと握ってくれたんですか?」

「うん。迷惑だった……?」

「まさか」


 なんならずっと握っていて欲しいぐらいですとは、口には出しません。


「心配、かけてしまいましたか?」

「うん。凄く焦った。ただノーディタウ……さんが、一晩僕の傍で寝ずにいたからその疲れだろうって」

「ノーディタウが……」

「そ。ライラが眠っている間、もう私とフレットで話はまとめておいたわよ。あとはライラがその内容を知るだけ。ちゃちゃっとすませましょう」


 と、部屋の壁にもたれかかりながら本を捲るノーディタウ。いたんですね。


「というか話をまとめって…………あ、そうでした」

「――忘れてたの?」

「あはは、まさか」


 まさか。

 

 寝ぼけているなら吊してあげましょうか?と言うノーディタウに首を振っているうち、頭もだいぶさえてきました。

 私はフレットさんを見ます。ノーディタウは静かに本を読んでいます。フレットさんはゆっくりと、これはノーディタウさんにもすでに話したことだけどと前置きをして、話はじめました。


「なんだか、変な夢をみたんだ」

「夢?」

「うん。夢だから意識はぼんやりとしてるんだけど、ただはっきりと、声が聞こえてんだ。知らない、女の人の声だった。でもその女の人は僕を知っているみたいで、なにかを言われたはずなんだけど、もう覚えてなくて、でもはっきりとわかることが一つだけあって」


 段々と言葉が早くなるフレットさんに、私は落ち着いてくださいと手に手を添えます。ありがとうと、フレットさんは一呼吸おいて、また静かに話し始めました。


「わかるのは――あの女の人は僕を呼んでいる」

「呼んでいるってそれって」

「うん。僕は行かなきゃいけない。そんな気がする――ティアムトの国に」


 私は絶句していました。ノーディタウの全ては繋がっているという論がいよいよ真実味を帯びてきたからです。

 あそこに行けば、本当になのもかもがわかる……。


「危険、かもしれませんよ?」

「でもライラさんは行くんでしょう?」


 だから僕も行くと。私がいるから安心なのか、私が行くから心配なのか、どちらにせよフレットさんが決意を固めている以上、私に言えることはありませんでした。それに、ノーディタウとの妥協点でもありますから。


「じゃ、決まったわね。全く長い足止めを食らったわ。――ま、それに見合うだけのものはあるだろうから勘弁してあげるけど」


 ノーディタウはいつの間にか本を片付けて、部屋の扉に手をかけていました。その口調どことなく嬉しそうです。

 開け放たれた先の部屋は、中央にあったはずのテーブルと椅子は、画材などが置かれている場所に乱暴にどかされていました。

 その代わり部屋の中央には、淡い光を放つ不規則な模様で描かれた陣が置かれていました。

 ここに来るときにも使った転移の陣です。


「もう、寄り道はなしですか?」

「は?ここだって寄り道じゃないわよ。ライラが眠りこけた分余計な時間をくっただけ。これの行き先は正真正銘ティアムトのすぐ傍よ」

「これに入るの?」


 フレットさんは少し怯えていました。気持ちはよくわかります。私がいうのもなんですが得体がしれなさすぎますし、なにより移動した時の気持ち悪さ凄いですし。


「フレットさん、手握ってもらえますか?」

「え?」

「手。ほら……私も、怖いので」


 フレットさんは頷きはしましたが、動作はどこかぎこちなく、結局指の部分を軽く包まれる程度でした。

 目をみるとそらされた辺り、照れているんでしょう。

 ですからこれは好機だと、包まれている手をほどいて、がっつりと深くまで握り返しました。

 手を握った瞬間勢いよく走り出したので確証はありませんが、フレットさんは驚いていたと思いますし、ノーディタウは苛立っていたと思います。

 ともかく、私は早くあの陣の中に飛び込んで光に包まれようとしていました。

 真っ赤になっている顔を、フレットさんに気付かれたくなかったので――。  

 

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