第32話 そういうところ。ほんとそういうところです。

 身体がどこかに浮遊しているような感覚です。目は開いているのか閉じているのかわからないほどの視界は不明瞭で、じたばたと手足を動かしてみても本当に動いているのかわかりません。体全体の感覚が著しく鈍くなっているようです。あの陣にのまれてからどれくらいたったでしょう? まだ一瞬なのか、それとももうかなり時間が経っているのか。それすらわかりません。なんとも不思議な感覚で、少なくとも愉快でないことは確かです。


 そんなことを考えている内に、体と意識に重みが戻ってきました。なんだか高いところからぶん投げられたような感覚と共に、視界の白が晴れていきます――。



「うええええぇぇぇぇ……」


 吐いてます。

 嘔吐です。口から酸っぱい物を出しています。

 ノーディタウに引きずり込まれた転移の陣から出た私を襲ったのは、猛烈な気持ち悪さでした。一気にドンっと来ました。視界が光に包まれてそれが開けると同時、脳が揺らされました。その気持ち悪さは即吐き気となって、素直に私の口から放出されている現状です。


「あー……最初の一回は皆そうなるわね。大丈夫、大丈夫。次からはマシになるから」


 暢気に言うノーディタウに、そういうことは先に言えという気持ちを込めてにらみ付けます。言葉でなにかを伝える元気が戻ってないからです。

 ノーディタウは私の視線を無視して、そのまま棒立ちで、私の体調が戻るのを待っていました。

 

 出す物を出し切って、しっかりと足で立てるようななったところでようやく周りを見渡します。確か行き先はぐるりと周囲を城壁で囲まれた入り口の場所すらよくわからない謎の国、ティアムトのはずです。

 地面の感触は土。さっきまで膝をついていたので、服に草がひっついています。思ったよりも辺りには自然が溢れていました。

 遠目には丘のようなものも見えますし、すぐ傍には山があります。どこか見覚えのある景色です。

 そして文字通り目と鼻の先、ほんの数歩歩けばたどり着く距離には、木でできた人が住んでいそうな小屋が――


「――ってここフレットさんの家じゃないですか!」


 たまらず叫びます。なぜこの場所に?

 ノーディタウに視線を向けますが、どうやら行き先を間違えたわけではなく、はなからここに来るつもりだったようです。


「どういうことですか!?」


 ノーディタウに詰め寄ります。しっかりと怒りを露わにして。

 けれど彼女はとても涼しげな表情で、なんでもないという風に答えます。


「当然でしょ?ティアムトに行くならフレットを連れていかない理由はないわ」

「あの人を巻き込むことは私が許しません……」

「ライラに許される必要は私にはないわ」


 たまらず、ノーディタウの胸ぐらを掴みあげます。ノーディタウは相変わらず涼しい顔をして、それがいっそう私の怒りを増幅させました。

 そのままお互いがなにもせず、なにも言わないままにらみ合います。といっても睨んでいるのは私一人で、ノーディタウは私をただ見ているだけでしたが。

 ――やがて、頭が少し冷えて、冷静な考えが頭をよぎります。力に訴えても、私はノーディタウには多分勝てないと。

 魔術が感情に左右されるのであれば、ここまでブレを感じさせない魔女であるノーディタウはきっと強い。

 だから私は、ノーディタウを掴み上げていた手をゆっくりと放します。

 ノーディタウは乱れた襟元を直すこともせず、私を見ています。

 私はそのまま手をだらりと下げて、頭も下げて顔を伏せて、か細い声を出しました。


「お願いします――彼を巻き込まないであげてください」


 それはどうしようもないほど弱々しいただの懇願でした。けれど、とっさに考えてはみましたが、これしか思いつきませんでした。

 力に訴えても、失敗する可能性の方が高い。それに、騒ぎになれば聞こえてしまう範囲に、フレットさんは今もいます。

 これは私の――魔女の問題です。そんなものにフレットさんを関わらせたくはありません。

 だから、私は無力に頼むしかありませんでした。


「フレットさんはなにも知りません。だから、これは私と貴方で片付けられる問題のはずです。お願いします……フレットさんを巻き込まないでください……。あの人は――私の幸せなんです。フレットさんが幸せなら、私も幸せなんです。だから――」

「それは嘘ね」


 私の懇願を、ノーディタウは一言でバッサリと切り捨てます。それでも私は、どこまでも情けなく、頭を下げ続けるしかありません。

 ノーディタウは、今どんな顔をしているのでしょう。彼女から放たれた声は、呆れというよりも、愉快の感情が強く出ていました。


「それでライラの幸福が満たされるのなら、あんなみっともない別れ方にはならないでしょう?」

「それは――っ……まだあの時は気が付いていなかっただけでガっ……!?」


 途端、頭がなにかに締め上げられ、痛みと共に体が強制的に起こされます。

 鈍い痛みに耐えながら、見下げるようにノーディタウの表情を見ると、やはりというか、その顔には愉快の色が強くでていました。見えない糸で引っ張り上げた私を見ながら、あざ笑い、そしてあやすようにノーディタウは言います。


「みっともない嘘はやめなさい――。ライラは知らないの?それとも知っているの?私は知っているから教えてあげるわ」

「なにをっ……ぎゃっ!?」


 ノーディタウが手を自由にすると、それに合わせて頭を締め上げていた感覚もなくなり、ふっと体全体が軽くなりました。そのせいでバランスがとれなくなり、地面に倒れ込んで尻餅をつきます。

 私がお尻をなでながら痛みを和らげている間も、熱の入ったノーディタウはしゃべり続けています。


「危険の度合いもわからない未知に、嘘をついてでも巻き込みたくない。非効率に頭なんてさげる。まるで自分のことのよう――いえ、それ以上に考えてしまう。それはね、それはね、ライラ。恋慕というのよ!」

「――知ってますよ。そんなこと、とっくに」


 冷めて、酷く吐き捨てるように私は言います。

 なんだかむしろ笑えてきもします。とっくに知っているのに、こんなことになっているんですから。


「好きですよ。恋ですよ。でもだからどうしたっていうんですか?恋だから、それに免じてフレットさんを見逃してくれるなんて言うんですか?」

「うーん、まあ譲歩はしたくなるわ」

「へ?」


 あまりにあっさりと言ったノーディタウに、思わず目を丸くします。気の抜けた声もでました。

 ノーディタウは、なにを驚いているの?という風に顔をしかめて続けます。


「私はライラと争いたいわけじゃないもの。ただ知りたいだけ。知るために必要な部品はなるべく集めたいだけ。そうね――本人の意思を確認しましょう」

「本人……つまりフレットさんの?」

「ええ。ライラだって、フレットの歪みはもう知っているわよね。だからそれをちゃんと説明した上で、フレットが私達についてくるかどうか確認をとりましょう。今知れることを知った上でなお、フレットが知ることを拒むのなら、仕方がないわ。今回は妥協してあげる」


 その埋め合わせはしてもらうけれど――と。ノーディタウは言いました。

 考えます。考えてみますが、これよりいい案は思い浮かばず、私の方もその辺りで妥協するべきという結論に至りました。

 ようやくお尻の痛みが引いたので立ち上がり、わかりました――と、ノーディタウに頷きます。

 そのまま風だけが通り過ぎて、私達は立ち尽くしていました。


「……なにやってるの?早く行きなさい」

「え?!私?!」



 まあ当然と言えば当然。フレットさんを危険な目に遭わせたくないのですから、ノーディタウと話をさせるなんてもってのほかです。この場にいるのは私とノーディタウの二人。私が行くしかありません。

 

 ――いや、無理でしょう。

 どんな顔してフレットさんに会えばいいんですか?色々とありすぎましたが、まだフレットさんを拒絶してから一日と経っていません。どの面下げてこの家の扉を開けろというのでしょうか。

 なにも説明できないまま、ただただ気まずさだけが残る空間にしかなりません。

 まず表情は?声色は?というかいま私ゲロ臭くないですか?

 うん、駄目です。帰りましょう。別に急ぐ必要はないじゃないですか。

 私にも、フレットさんにも、多分ノーディタウにも少し気持ちを落ち着かせる時間が必要な――


「だぁ――!?」

「うわあああああ?!なに?!」


 悶々と考え事をしている最中、背中に強い痛みと衝撃、そのまま鍵だけの開いていた扉をぶちやぶって床にダイブ。豪快な破壊音とフレットさんの悲鳴が小屋の中に響き渡りました。

 おのれ……ノーディタウ……。


「お話があります」

「いや……えっと……」

「お話が、あります」

「…………はい」


 結局、ご丁寧に椅子に座らされてお茶なんかを出されたりしている私です。

 突然の乱入者に驚き終わったあとは、すぐに床で呻いていた私の心配をしだす辺り、とてもフレットさんです。もっと他に言うべきことがあるでしょう。それをこの人は……この人は……もう!


 私だって、色々とフレットさんに言わなければならないこと、言いたいことがあるはずです。

 けれどもう、フレットさんの顔を見ると、恋だけではないもっと色々な感情が渦巻いて、喉から先に声が出せません。

 フレットさんはじっと、私の言葉を待っていてくれています。――いえ、フレットさんもなにを言っていいのかわからないというのが正しいのでしょう。

 沈黙は時間と共に重さをましていきます。いよいよその重さで押し潰れるまえに、なんとか言葉を絞り出さなくてはなりません。

 とりあえず、私はいますべきことを冷静に考えます。そう、いま優先するべきは私達のことではありません。外ではノーディタウが待っています。恐らく、一番初めに我慢の限界がくるのは彼女でしょう。そうなった時、やはりフレットさんを危険な目に遭わせることになってしまいます。

 だから私は、一つ宣言をしました。


「殺します」

「……えぇ!?」

「あ、いや、そうではなく……ごめんなさい。まとめますね」


 本気で怯えられてしまいました。悲しくはありますが、流石にこれは私が悪い。

 ということで、必死で自分の言いたいことを頭の中でまとめます。


「えっとですね、まだ時間も経っていない先の件ですが、一旦忘れてください」

「え?う……うん」

「私は、貴方に伝えていない気持ちが沢山あります……。けれどその前に、貴方に伝えなければいけないことと、貴方に決めて欲しいことがあります」

「――うん。わかった」


 フレットさんは、まだなにも言っていないにも関わらず、力強く頷いてくれました。いつもと変わらない笑顔で――。

 思わず、どうして?と聞いてしまいそうになります。けれど、その気持ちをいまはぐっと抑えて、私はただ淡々と、事実だけを述べていきました。


 私は今ノーディタウといること、フレットさんの記憶は時間と共に変化していること、その謎は私達についてくればもしかしたらわかるかもしれないこと。

 私もよくわかっていないなりに懸命に説明をしました。

 フレットさんは、時々質問を挟みながら私の話を静かに聞いていました。

 全て話し終わったら、フレットさんには決めて貰わなければなりません。でも、私はフレットさんを危険な目に遭わせたくはありませんから、それとなく、別に知らなくてもいいと、さしたる問題ではないと、このまま穏やかに暮らしていて欲しいと伝えました。

 それでも、最終的な決定権はフレットさんです。


「では、フレットさん――決めてください。私達についてティアムトに来るか、ここに残るか」


 自分で吐いた言葉に体を凍らされるようで、私はぎゅっと目をつぶってフレットさんの答えをまっていました。

 沈黙が重くて怖い。けれどその重さがはじける瞬間が一番怖い。

 時計の針はいくつ動いたでしょうか。まだ答えはありません。

 また時計の針が何回か動いて、どさり――と、大きめの物音がしました。

 目を開けると、目の前にいたはずのフレットさんの姿はなく、おかしいなと辺りを見回すと、椅子のすぐ傍にフレットさんが倒れていました。


「フレットさん?」


 声をかけますが、返事はありません。


「フレットさん?ねえ、フレットさん!」


 大声を上げて、フレットさんの体を揺すりますが返事はありません。

 それでも名前をよびながら、揺らしていると、横向きに倒れていたフレットさんの姿勢が崩れ、力の入っていない腕がだらりと――。


「ノーディタウ来てください早く!フレットさんが……フレットさんが……!!」

  

 

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