第30話 それだけが、願いだったんです。

ただ呆然と歩いていました。意識はありますが、ただ意識があるだけというか……簡単に言うとうわの空?

 さようならと、別れを告げられた以上はそこに留まることもできず、決して見つからないなにかを探すように街中を彷徨っていました。

 時々顔見知りに声をかけられますが、ぼんやりと耳を素通りしていくだけで、私がそれらになにかを返すことはありません。

 声をかけられるごとに段々と認識が広がっていって、景色が目に映り、喧噪がはっきりと耳に入ってきて、それがとても煩わしく感じて――気がつけば走り出していました。

 走って入れば、当然疲れます。無我夢中に足を大げさに動かして、踏みしめる地面から伝わる鈍い痛みに意識を持って行けます。荒々しくなっていく息がなにかを考える余裕を奪っていきます。

 つまるところ、私は今なにも考えたくないんです。今の私は、久しぶりにちょっと嫌なことが続いて不安定になっているだけです。しばらくすれば落ち着いて、いつものように物事を考えられるようになります。

 あと少し――あと少し――あと少し――。

 あと少しが来る前に、私は地面に膝を突きました。体力がもってくれなかったようです。

 私の意思とは関係なく、ゆっくりと乱れた息がまともになっていきます。ぼんやりした視界が明瞭になって、それに合わせて頭に余裕が出てきて、考えたくないことでみるみるうちに満たされてしまいます。

 弱々しく身体を引きずり起こして、傍の薄汚れた壁によりかかりました。

 とくに目指していたわけではありませんが、私の今いる場所はアリシアと出会った場所でした。

 アリシアがずっと一人で歌っていた場所――。

 改めて見る景色は驚くほど殺風景で、よくこんな場所で一人頑張っていられたものだと感心します。そう、一人――。


「私、一人になっちゃいました……」


 ああ、とうとう言ってしまいました。

 口からでた言葉はまるで呪詛のように胸に絡みついてきて、身体の中に無理矢理現実が押し込まれていきます

 ――いつか失うと、ちゃんとわかっていました。わかっていたはずでした。 

 アリシア、フレットさん、ガウド――。三人との日々が胸の内で繰り返されるたびに、針で刺されるような痛みが襲ってきます。

 友達も好きな人も手放して、ついには帰る場所もなくなってしまいました。

 痛みは段々と膨れ上がってきて、せり上がってくるものに身体がブルリと震えました。私は下を向いて、下唇を思いっきり噛んで、必死にそれを押しとどめます。

 これだけは我慢しなければ、これだけは抑え込まなければ――泣いてしまったら、本当に全部剥がれてしまう――。

 私は魔女なんですから、こうなるのは運命で、受け入れて飄々としていなければならないんです――いつものように。

 私は魔女だから受け入れられる、魔女だから辛くても苦しくても我慢できる。だから、泣いては駄目です。泣けばきっと、その涙と一緒に私の『魔女』という虚勢もこぼれ落ちてしまうから――。


『このエセ魔女が』


 そんなことを言われた記憶が蘇ります。

 エセでもいいじゃないですか。魔女という世界から背負わされた肩書きにすがれるのならなんでも。

 私は魔女ですから――。

 そう言い続けることさえ出来るのなら、私の人生がどんなに不幸でも気にしないフリをし続けられるんですから。いつか自分が無残に死ぬまで、自分を騙し続けていられるんですから――。


 口元から垂れた血が地面に落ちて広がる頃、ようやくせり上がってきていた感情はなんとか収まってくれたようで、私は顔を上げました。

 きっと前までなら、これで充分だったはずです。けれど、私はあまりにも温かいものに触れすぎました。私の持つちっぽけな『魔女』の殻では抑えきれないぐらい、持っていないフリをしていたものは溢れてしまっている。

 その証拠が、いま私と見つめ合っている幼い女の子です。少し短い金髪に、私と同じ翡翠色の目をして、私と同じ名前を持つ女の子。


「幸せ――?」


 いつか見た夢に出てきた時と同じように、女の子は私に問いかけてきます。

 ということはこれは夢なんでしょうか?いいえ、そんなわけはありません。

 今は勿論、あの時だって、夢なんてものよりもっと不確かな――ただの私の妄想です。

 彼女はライラという人格に食い潰される前の少女、ライラ。誰を傷つけることも、誰に傷つけられることも知らずにただ普通に生きていた少女――ですが、私は彼女のことを何一つ知りません。ただ身体と名前が同じなだけの赤の他人です。

 そもそもライラという女の子がこんな姿であるのかさえ、確かではありません。

 だから、この女の子はただの妄想です。きっと、私が私から目をそらすために生み出したものです。

 妄想女の子は、黙ったままの私にもう一度問いかけます。


「幸せ――?」


 前に同じことを言われたとき、私はなんと答えでしょうか。覚えてはいません。けれど、その時と同じ答えはきっと返せないでしょう。

 だって、私はもう考えていませんでしたから。頭でなんて答えようかなんてかんがえずに、ただ心の底から上がってくる物を、そのまま喉にあげてそのまま――


「――幸せなわけないじゃないですかっ……!!」


 もう吐いた言葉は飲み込めず、あとはもう無尽蔵に、感情の濁流が口から溢れ出るだけです。


「ずっと辛かったですよ!ずっと悲しかったですよ!いつだって喚いて泣いて叫んでしまいたくて、誰かに助けて欲しくって……でも誰も助けてはくれないんですよ、魔女だからっ!――だったらもう全部魔女のせいにして諦めるしかないじゃないですか、運命なんだって!私は……私はただ……」


 思い出すのは、ガウドに拾われる直前の記憶です。

 そこに至るまでの二年だか三年だかを、どうやって生き延びていたのかはもう覚えていません。ですが、いよいよ限界がきていたでしょう。

 今よりもずっと小さな身体を引きずって、今みたいに寂れた場所で壁にもたれかかっていました。

 私のもたれかかった壁は、ちょうどどこかの誰かが住んでいる家の壁で、私はいつ途切れてもおかしくないような意識の中で、聞こえる弾んだ会話に耳をすませていました。

 聞こえる声は、なんだか私までその中にいるような錯覚に陥って、つい顔がほころんでしまうほど楽しそうなものでした。

 てっきりこのまま死ぬのだとばかり思っていた私は、その贅沢な声を最後まで聞いていたいと思いました。

 外は寒くて、身体はボロボロで、でもその時だけはなんだか心地がよかったことを覚えています。

 もしなにかが違えば私もあんな風に、幸せそうに――。

 そんなことを思いました。壁を隔てて漏れてくる幸せを夢見て、夢見て、また夢見て。そんなものにはすぐに蓋をしてしまいましたが、それでもずっと残っていました。

  私はこの時からずっと――


「ただ幸せに過ごしたかった――!」


 それが、私の願いです。

 誰もが過ごす当たり前の日常の中に、ただ私も存在していたかった。ずっとそう願っていたはずなのに、ずっと蓋をしてしまっていた。

 もっと早くに蓋を開けていればよかった――なんて、遅すぎる後悔です。そうしてさえいれば、すぐそこに私の願いはあったと気づけていたのに、もっと私は私の願いを守るように動けていたのに――。


「ああっ、もうっ!」


 怒りに似たなにかに駆られて、私は傍に落ちていた空き瓶を掴んで未だ私を見つめている女の子に投げつけました。

 当然当たりません。妄想なので。瓶はそのまま向かい側の壁に当たって、割れずに地面を転がりました。


「私は、どうすればいいんでしょうね……」


 女の子に問います。私にわからないことが、妄想の女の子にわかるはずもなく返事はありません。

 なにかをするには、行きすぎてしまいました。

 少なくとも、フレットさんと出会ったあの時、『誰も助けてくれない』なんて思い込みは間違いだと証明されていたはずです。他にも色々と、私は一体なんど機会を逃していたのでしょう。

 ありったけ叫んで出したものを埋めるように、後悔が集まってきます。けれど、心なしかなんだかスッキリもしていました。


「お腹、すきましたね」


 フレットさんの料理、美味しいんですよね。ガウドはお金取れるレベルです。アリシアは……そういえば知りません。

 あの子、本当に元気なんでしょうか。無事と言っていたのはガウドです。いまとなっては信用できなくなってしまいました。

 ガウドとノーディタウ、二人はなにを企んでいるんでしょうか。ほかにもフレットさんの記憶のこととか――。不確かなことが多すぎます。全て繋がっていると、ノーディタウは言っていました。そしてガウドが言っていました。『ノーディタウに会いなさい』と。何一つ出来なかった私に、あの男はまだなにかを期待していると言うんでしょうか。 


「貴方に会えたからわたしは進めたよ、けれどまだ少し怖いからもうちょっと手を握っててー」


 行動を起こすにはなんだか疲れてしまって、体勢はそのままに歌を歌っていました。アリシアが舞台の上で私に届けてくれた歌を。

 私にこの歌を資格があるかどうかと言われれば、まあないでしょうけれど、誰もいないですし今だけは許してください。女の子も、いつの間にか消えていました。

 ささやくような声でしたが、静かなこの場所では十分すぎるほど響いています。


「ひっどい歌……。ライラは音痴、一つ知れたわ」

「うわあああ!?」


 汚い悲鳴を上げてしまいましたがそれは仕方のないことです。いきなり目の前に、全体的に黒い女が逆さまで降ってきたんですから。

 降ってきた女――ノーディタウは私の胸の位置辺りで、逆さまのまま空中で静止していました。服がめくれ上がって下着が丸見えです。

 ノーディタウはそのまま事もなげに半回転して地面に着地、ボサボサの頭をガシガシとかいています。


「全く……ガウドはやたら機嫌悪いわライラは全然見つからないわで最悪ね。これに見合うことを私は知れるのかしら」


 例によって、ノーディタウはいきなり話し始めました。ガウドに会って……私を探していた?


「はいこれ、ライラの分」


 状況についていけていない私を置いて、ノーディタウは話を進めます。


「……え、これなんですか……」


 無造作に差し出された手には、カードのような物がのっかっていました。

 なんですかという私の当然の質問に、ノーディタウは苛立たしげに顔をしかめました。


「はあ?!これは……ええと、私はどうすればいいのかしら。なにも知らないライラに怒りを向ければいいの?それともなんの説明もしていないガウドに怒りを向ければいいの?どっち?」

「えっと……説明してください」


 大きな舌打ちが聞こえました。

 そのまま、手に持ったカードのような物を私に無理矢理押しつけてから、不機嫌そうに話し始めました。


「真実を知りに行くのよ」

「真実……?」

「そう、一度言ったでしょ。全ては繋がっている、私はそれを知りたいって――。これがそのための……まあ、鍵みたいなものよ。服に付けときなさい」


 言われて見ると、裏側に服に留められるピンが付いていました。とりあえず言われるがまま、ずっと付けっぱなしだった『ガウドの薬屋』のワッペンを外して付け替えます。


「いやちょっと待ってください。それは貴方の都合であって私は関係ないじゃないで――」

「うん?私は聞いて知ったわよ。ライラ、幸せに生きたいんでしょう?」

「なっ!?」


 ノーディタウ……この魔女、いつからいたんでしょうか。もしかしてずっと聞いていた……嘘でしょう……。


「誰しも知られたくない奥底に抱えた想いはある……けれど私はそれこそを知りたい。――ええ、ええ、私はライラの願いを知ったわ。だからこそ私はライラを誘う。誰に言われたかからでもなく、ほかでもない私の意思で!」

「盗み聞きのくせに……!」


 ノーディタウは私を無視して、「さあ、行きましょう」と歩き始めました。


「ちょ、ちょっと待ってください私行くなんて――」

「いいのこのままで?」

「え?」


 ノーディタウは、ゆっくりと振り向きました。

 そのまま一歩一歩近づいてきて、私の顔に触れようと手を伸ばします。思わずそれを払いのけると、ノーディタウは残念そうに手を引っ込めました。


「例えばライラがまた誰かと巡り会ったとする。きっとその出会いの過程も育むものも違う。けれど、きっと結末は同じよ。本意だろうが不本意だろうが、ライラはまた失う。それは嫌でしょ?」

「……」

「じゃあそんな結末を変えるためにはどうしたらいいか……知ればいいのよ。魔女を、ライラの知らないライラを、この世界の真実を――。知ったことは武器にも、鎧にもなる。それはきっと、ライラの願いを叶えるために必要なもの――」


 そう言って、ノーディタウは手を差し出してきました。今度はそこになにももっておらず、求められていたのは純粋な握手でした。

 その手を――私は握ることはしません。ノーディタウの言葉は信用には値しません。それが私を乗せるためのペテンである可能性の方が高い――けれど、私に出来ることがあるのなら、やらずにはいられません――。

 ノーディタウの横を通り、私は歩き始めます。


「それで、私達はどこに向かうんですかノーディタウ」

「――ふふ、私達が向かうのは、真実が眠っているかもしれない場所――全てが隠匿された国……ティアムトよ」

 

  


 


 

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