第29話 きっと、感謝だってしていました。

 すっかり通り慣れた道を、重たい足取りで歩いています。ふと足を止めて、後ろを振り向きそうになりますが、視線が少し横にずれただけで顔は止まり、また前へと歩き出すのを繰り返していました。

 どうすればいいのかはさっぱりわからず、帰るということ以外に選択はありませんでした。

 ――でも、帰ってどうなるんでしょう?家に帰れば、何事もなかったかのようにこれまでの日常が続いていくのでしょうか?まさか――、それはあまりにも希望的観測です。

 あの魔女――ノーディタウは言っていました。


『また会いましょう』


 その言葉の真意はさておき、ろくでもないことだけは確かです。

 もう私は、フレットさんと話すことはないかもしれません。この道だってもう二度と歩くことはないのかもしれません。だからせめて、もうフレットさんは魔女と関係ないところで生きていて欲しい。そのためには、私はノーディタウと決着をつけなければなりません。

 それが話し合いになるか、殺し合いになるのかはまだわかりませんが――。


 そしてその再会は、驚くほど早く訪れました。

 今日来たときに馬車から降りた場所――二手に分かれた道に立てられた看板に、だるそうに座り込んでいるノーディタウがいました。


「――ああ、来たのね。ライラ」


 そう私の名前を呼んで、大きく背伸びをしてからノーディタウは立ち上がります。

 私はすぐさま身構えて、彼女がやる気なら応戦できるよう準備を整えますが、ノーディタウはそんな私を見て、「違う違う」と手で払うような仕草をしました。


「待ってたのはそういうんじゃないわ。私はただ、ライラの知らないことを教えたいだけよ」

「私の……知らないこと……?」


 その言葉に、私の警戒心はさらに強まります。聞きたくはありません、それはきっとまた私の周りのなにかが崩れるに違いないから。

 けれどもう、耳を塞いで逃げるには遅すぎる気がして、私はノーディタウの言葉の続きを待っていました。

 そしてノーディタウは、私の心境など一切興味がなく、ただ自分がそうしたいだけだという風に喋り始めます。


「――これは八つ当たりみたいなものよ。まあ教えろとは言われなかったけれど、教えるなとも言われなかったからいいわよね。知らないことがなくなるのはいいことだもの。――それとも、ライラはもしかして薄々気がついていたりするのかしら?」


 含みのある言葉です。

 気がつけば私は、構えていた身をいつも通りに戻していました。警戒を解いたわけではありませんが、なんといえばいいか、後ろから刺される準備ができてしまったような――。


「私は、当たり前のようにフレットとライラの名前を呼び、まるで顔見知りのように振る舞っていた」

「――ええ、そうですね」

「まあ私はライラが来る前にフレットと話をしていたから、フレットのことは本人に聞けば知れるわ。けれど、ライラのことは?自分でこういうのは愉快だけど、私は怪しく恐ろしい魔女――。そんな相手にフレットがライラのことを話すと思う?」

「思いません」


 即答します。あの人は、きっと殺されそうになっても私のことは話さない。

 不思議と心臓の音は落ち着いていました。

 私は、いつからそれに気がついていたんでしょう。目の前の魔女に出会わなければ、その気づきに蓋をし続けることができたのでしょうか。

 今ノーディタウが喋っていることは、単なる答え合わせでしかありません。

 教養のない私でさえ、すんなりとわかってしまうような、簡単な問題の当たり前の答えの――。


「私はね、今日は言われてきたのよ。私が知っていることを、ライラとフレットに教えてあげてと言われてね。依頼主は、ライラもフレットも知っている――ああ、その顔はもう私が教える必要はないって顔ね。じゃあ、吐き出しなさい。しっかりと口に出して知覚しなさい。ライラが知り、私もよく知る醜悪な男の名前を――」


 ああ、それこそ忘れていたんでしょうか。それとも、本当に知らなかったんでしょうか。あの男がそういう人物だということを。

 私が口を開くのに合わせて、ノーディタウも同じように口を動かします。

 放たれるのは、たった三文字の名前。どこまでも理解の及ばない、一人の魔女の名前。


「ガウド――」



「あらお帰り。てっきりどこかでいじけて来るかと思ってたのに随分早かったのね。それで、質問があるなら答えるわよ」


 家に帰って私の耳に入ってきたのは、いつもの欠片もかわらない日常のような野太い声でした。そして、今日起こったこと全てを知っているのが前提の言葉。思わず口から笑いが漏れました。

 聞くこと自体が無駄だとわかっていますが、それでも私は聞きます。それ以外、出せる言葉がなかったから。


「どうしてこんな真似を?」


 ありきたりねと、カップに紅茶のおかわりを注ぐガウド。そしてそのまま一口すすって、ぼんやりと私を見つめながら言いました。


「例えば、アンタは自分が好きだとおもう物や人を、徹底的に壊したいと思ったことはない?」


 ――何を、言っているんでしょう。なぜ、質問の答えが質問でかえってくるのか、まさかそれが答えだとでも言うつもりなんでしょうか。

 ガウドはまっすぐ、私の方を見て答えが返ってくるのを待っています。喉がすっと渇いていくのを感じます。

 私がいま相対している男は魔女で、頭から足の先まで狂っているのだと、いままでずっと思っていたはずなのに、どうしてこんなにも怖いんでしょう――。


「そんなこと……あるわけないじゃないですか……」


 ようやっと、私は答えを絞り出します。

 確かに、誰かをいたぶりたい、そうすることに若干の悦を感じることはあります。けれど、フレットさんやアリシア、他にも出会った色んな人たち。その人達が酷い目にあってほしいだなんて、それこそ爪の先ほど感じたことはありません。


「やっぱり、アタシはアンタがわからないわ……」


 吐き捨てるように、ガウドは言います。今日初めて、ガウドの声色が変わった瞬間でした。


「――アタシはね、常にそう思ってる。いえ、正確には好きだと思うものなんてアタシにはないけど……まあ、それは置いておいて、身近な誰かが壊れていくのが好きよ。信じていた足下が一気に崩されて落ちていく様は何度見ても飽きないわ。たっぷりと甘い蜜をすすらせて、たった一滴毒を仕込めばのたうち回るその様は悦楽の頂点ね。全員が『なぜ?』って顔をする。けれどアタシは何も答えない。だって明確な理由なんてないんだもの。遊び飽きたら壊したくなる。飽きてなくても壊したくなる。それがアタシ、それが魔女」


 狂っているし、終わっている――。

 今まで同じ屋根の下で生活していた存在を、私は恐ろしいほどに理解できません。

 私はこの男に怒り狂ってもいいはずです、けれど言葉が全くでてきません。なにを言っても届かない、そんな得体の知れない感覚が私を固まらせていました。


「ねえ……なんで……?なんでアンタは、そう思わないの?」

「は――?」

「アンタだって、確かに魔女でしょう?ならなんで?なんでそんなに人間みたいなのよ。どうして当たり前を当たり前として受け止めることが出来るの?」


 なんでと、ガウドは私に問うてきます。その声には苛立ちと困惑、他にも細かい物が混ざりあった複雑な感情が表れていました。

 私は魔女です。けれど、目の前にいる同じはずの魔女は、どう考えても同じではありません。もっと別の、理解不能ななにかです。

 ガウドからみた私も、そうだとでも言うのでしょうか――。


「アンタを初めて家に連れて帰った時にね、飾ってある花を見てアンタ言ったのよ。『綺麗――』って。ねえ、ライラ……花って、なんで綺麗なの?あんなもののどこに、アンタは綺麗と感じたの?」

「それは――」


 なにかを答えようとしますが、何も出てきません。

 だって、私にとってそれはあまりにも当たり前だから。花を綺麗だと感じるのは、綺麗だとおもったからで、そこに説明なんてものは付きません。

 けれど、ガウドの当たり前と私の当たり前はあまりにも違う。


「つまり、アンタとアタシはどうあってもわかり合えないってわけね――」


 ガウドが出したその結論が全てです。私達は、わかりあえない。

 この男と話したところで知れるのは、決して理解できないというそんな当たり前のみ。


「――アリシアの一件も貴方が黒幕ですか?」

「ええ、当然よ」


 当然――ですか……。

 なにが目的ですかなんて聞いても、ゼロどころかきっとマイナスなんでしょうね。


「私には、貴方がわからない」

「アタシも、アンタがわからないわ。心の底から」

「心のない貴方に、心の底なんてものがあるんですかね」

「――アンタにはあるのね、わけて欲しいぐらいだわ。手に入れたところで、貪って捨てるでしょうけど」

「――少なからず、私は貴方に感謝していたんですよ」

「そこはしっかり感謝しときなさいよ。アンタの世話をあれこれ焼いてたのは嘘じゃないわよ」

「だから理解できないんですよ――」


 あまりにも不毛な言葉の羅列です。理解できないのことは十分すぎるほど知ったはずなのに、すがるように会話を重ねてしまう――。

 私はきっと、ガウドのことは嫌いではないのでしょう。事ここに至ってもです。

 歩み寄ろうとすればするほど、溝は広がっていくだけだとわかってはいるんですけどね。


「私、自分で思ってるより貴方のこと好きみたいですよ」

「アタシはアンタのこと好きでも嫌いでもないけど、ずっと気に入ってるわ。そして、期待してる。昔も、今も」


 またわけのわからないことを言い始めました。

 そしてそれは、ガウド本人からしても意外だったようで、なにかに気がついたように何回か静かに頷いてから続けました。


「――ええ、そうよ。期待してる。期待してたのよ、アンタに」

「みっともなくのたうち回ってくれることをですか?」

「違うわ――」


 ガウドは私の全身をざっと眺めて、少し笑みを浮かべて言いました。


「どうしてこんな真似を?に対する答えよ。――期待していたから」

「相変わらず意味がわかりません」

「アタシは魔女で、アンタだって魔女。けれどそれが疑わしいぐらい、アンタは違う。アタシが今まで出会った魔女は、皆奇妙な世界を見ていた。――ノーディタウも、かなりの変わり種だけどそこは変わらない。でもアンタが見ている世界は、あまりにもまともなのよ。だから――」

「だから、私に色んなものを与えれば、自分もその私が見ている世界に触れられるのではないかと期待した、ということですか?」

「――ま、そんなところね」


 ガウドの言うそれが、本心からのものなのか、ただ私をわずかでも納得させるために吐いた虚言なのかはわかりません。

 なんであれ、一つ許せないことが出来ました。


「そんなことのために、アリシアやフレットさんを危険な目にあわせたんですか?これからも、また何の前触れもなく危険な目にあわせ続けるんですか?」 

「さあ、どうかしらね?」


 熱風が部屋を舞いました。いくらかの食器が落ちる音がして、チリチリと私の身体から火の粉が舞っています。

 臨戦態勢、というやつです。けれどガウドの体勢はなに一つ変わらないままで――。


「やめなさい」


 重たい声が、部屋に響きました。思わず気圧されて、身体をまとう熱が乱れました。

 ガウドは、まるで悪戯をした子供を諭すように私に言います。


「アンタじゃ、アタシには絶対勝てないわよ。アンタが攻撃してくるのなら、反撃しないわけにはいかない。――アタシは、アンタを殺したくないのよ」

「ガウド――ほんとっ……なんなんですか貴方は!」


 たまらず叫びます。理解のできなさが重なって、ついに限界が来ました。

 ガウドはそんな私を見て、苦笑いを浮かべて首を振ります。


「なんなのかしらね――。さっきはああ言ったけど、もしかしたらアンタのこと好きなのかもしれないわ」

「やめてくださいよ……もうこれ以上……私にどうしたらいいかわからなくさせないでくださいよ!」


 叫んだ後、どっと疲れが襲ってきて、気がつけば肩で息をしていました。

 そのまま少しだけ静かな時間が流れて、ガウドがポツリと言いました。


「魔女って、なんなのかしらね……」

「え――?」

「数々の災厄を引き起こした。かつての戦争の原因なんてのも言われている。私達はどうやって、どうして、この世界に存在しているのかしらね」


 それこそそんなもの、私に答えられるわけないじゃないですか――。

 けれどガウドは別に、私に答えを求めていたわけではないようで、そのままゆっくりと続けました。


「ノーディタウ……それを知る鍵は、あの魔女が持ってるわ。アンタが知ることを望むなら、彼女に会いなさい」


 そう言って、ガウドは初めて立ち上がりました。穏やかな表情をしています。

 なんとなく、ガウドの言うことがわかってしまって、思わず口から出てしまいます。


「やめてください……」


 けれど聞き入れられることはなく、それは放たれてしまいます。


「さようなら、ライラ」

 

 


  


 

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