第28話 本当に、嬉しかったんですよ……。
顔をあげて、今度はこちらの番だと促すように、その魔女――ノーディタウはまあ手を差し出してきました。
勝手なものです。この流れでさっと自己紹介ができるほど、私は落ち着いてはいません。問題や疑問はそれこそ、その重さで潰れてしまいそうなほどのしかかって来ていますが、一番はこの魔女が私のことを魔女と、そう呼んだことでしょう。
私がここに来るまでの間、二人にどんなやりとりがあったかはわかりません。けれど、ノーディタウが魔女であることは、いくらぽやっとしているフレットさんであっても気がつくことでしょう。そんな彼女が、私のことを魔女と呼んだ――。
ちらりと、フレットさんを見ます。目は合いませんでした。フレットさんはどこを見るわけでもなく、ただ視線を下におとしていました。
「フレットさん……」
たまらず呟いてしまいました。小さい呟きでしたが、しっかりとフレットさんの耳には届いたようで、身体がピクリと跳ねました。けれど、フレットさんはなにも返してはくれませんでした。
沈黙が続きます。段々と、いつまで見ていたいとさえ思っていたその顔を見ることが、とても罪深いことのような気がして、ゆっくりと私も目を伏せました。
「ノーディタウ……」
「なにかしら。自己紹介をしてもらえる感じではなさそうだけれど。私は待たされることは好きではないわよ」
「貴方の目的がなにかなんて興味ありません……。けれど、フレットさんにこれ以上なにかするのなら、私は貴方を許しませんよ」
これはきっと精一杯の虚勢です。けれど、このままうなだれているわけにもいきません。立ち上がって、一歩前に出て、息を吸いつつ身体に力をいれます。そのまま念じて、周りに三つ、四つ、火球を浮かび上がらせます。
堅くなっている顔の筋肉を無理矢理動かして、笑顔を作ります。若干引きつったものになっているかもしれませんが、とりあえずはよしとしましょう。
そのまま振り向いて――やった、今度は目が合いました。
出来ることなら、その青い瞳に映る私が、ずっとただのライラだったらよかったんですけどね――。
「フレットさん、今までありがとうございました。見ての通り、私は魔女なんですよ。巻き込まれないように、早く後ろの部屋の窓からでも逃げてください」
短くまとめましたが、ぜんっぜん足りません。言いたいことがありすぎて困りますね
けれどまあ、なにを言ったところで魔女の戯れ言として捉えられてしまうでしょう。――いえ、もしかしたらフレットさんもアリシアのように――。
いえ、今考えるべきことではありません。ひとまず、目の前の魔女をなんとかしないことにはなにも始まりませんし、なにも終わりません。
フレットさんの顔をしっかりと目に焼き付けてから、ノーディタウに向き直ります。
改めてみたノーディタウの表情は、まさしくキョトンという表現がよく似合っています。
「えー、ああ、あーあーあーなるほど。そういうこと。スッキリしたわ」
ノーディタウ、勝手になにかに納得したあと、クツクツと笑い始めました。
そして言います。
「ライラ――ええそう。なんにも知らないのね。いいわ、私が教えてあげる。知らせてあげる。本来なら、さっきからそこで座り込んでいるフレットから知るべきなのでしょうけど、きっとなにも言わないだろうから私が言うわ。いいわよね――?」
問いかけられたフレットさんは、歯を強く噛みしめて、
「僕は…………」
と、なにかを言いかけて、そのまま喉につっかえがあるかのように黙り込んでしまいました。
ノーディタウが呆れたようにため息を吐きます。そしてそれは、あまりにも軽く、彼女の口から放たれました。
「フレットは、ライラが魔女であることを知っているわ。出会ったときからずっとね」
――まるで、世界が静止したようでした。
呼吸をすることも忘れて、ぐるぐるとその一言が身体に巻き付いてくるように――。
知っていた?いつから?ずっと?
「フレットさん――」
すがるように、名前を呼びます。なにも返答はかえってきません。けれど、フレットさんのその表情が、ノーディタウの発言が妄言ではないことをものがたっていました。
「どういう……ことですか……?」
恐る恐る口にした言葉は決して責めるようなものではなく、ひたすらに純粋な疑問から出たものです。けれど、フレットさんはやはり何も言わずに、一拍ほどおいて、ノーディタウが喋り始めました。
「私も詳しくはまだ知らない。ただえーと、なんだっけ……世界の悪意?だったかしら。そんなものを彼は見る力を持っている。悪意――ええ、あながち間違いではない表現ね」
ノーディタウの口調に、段々と熱がのってきました。
私は、ぎゅっと拳を握りしめて、口に出したい様々なことを我慢しながら、黙って彼女の語りを聞いていました。
「そう――人や動物、植物、はては建造物にさえそれは存在する。本来なら認知することすら出来ないマイナスのエネルギー。それをフレットは見ることができる、ということ」
曖昧でしかなかった、フレットさんの見えている物の正体。それを私は今、この魔女の口から聞かされている。フレットさんさえ、そのことを知らなかったのでしょう。目を開き、驚いた表情をしていました。
けれど、今私が知りたいのはそのことではありません。
そのエネルギーとやらと、フレットさんが私が魔女であると知っているのとどういう関係が――と問いかけようとして、フレットさんがゆっくりと口を開きました。
「僕が初めて倒れてるライラさんを見かけたとき、なにも感じなかったんだ、なにも見えなかったんだ。違和感も悪意も欠片も感じない、一人の女の子が倒れてたんだ――。ライラさんだけじゃない、ガウドを見たときだってそうだった。確信があったわけじゃないよ。でも、これが魔女なんだって、なんとなく――ごめん」
ごめん――と、そこでフレットさんは言葉を切りました。その一言が、どうしようもなく不快感を生み出しました。
けれど、その不愉快を言葉にする暇もないままに、またノーディタウが喋り始めます。
「なにかを質問される前に言っておくけど、私もまだ詳しいことは知らないわ。けれど、もうじき知る。ここに渦巻いているのは断片でしかないけど、必ず全てつながっているわ。魔女も、悪意も、私も、
ガックリと、肩を落とすノーディタウ。魔女という存在の歪みっぷりを全身で表してくれているこのような情緒です。その様相に、フレットさんはおろか私まで気圧されていました。
あ゙ー、という汚い声を出しながら、ノーディタウは右手で頭をかきむしり言います。
「駄目よ。フレットは壊れているわ。知識は記憶から、記憶からは知識が――それなのに……はあ。ねぇライラ、なにか知らない?見たところ二人は親密そうじゃない。……それとも、もう過去形かしら?どちらにせよ、知っていることがあるなら教えて欲しいのよ。これじゃあ気持ち悪くて吐きそうよ」
「私は……」
なにも、答えられません。私はフレットさんの何を知っているのでしょう。私の友達で、好きな人で――他にも色々答えられたはずなのに……。ちょっといつもとは違う方法で、いつも通り会いに来ただけなのに、目で追っていた彼の輪郭はあまりにも脆く崩れ去ってしまいました。
「はあ……まあいいわ。ライラのことも色々知りたかったのだけど、そろそろ時間ね。待たせると面倒な奴を待たせているし……」
私がなにをいうわけでもなく、興味をなくしたようにノーディタウは私達から視線を背けました。
そしてそのまま、背を向けて当然のように去って行こうとしています。
「ライラもフレットも、二人で話したいことがあるでしょう?そうすれば少なくとも、何を知らないかぐらいは知れるんじゃないかしら。そうしたら私達、もう一度会いましょう――」
それを最後の言葉に、私の日常を一瞬にして崩した魔女は消えていきました。無理矢理にでも引き留めるべきなのでしょうが、結局私は動くことも声を出すことも出来ませんでした。
もう一度会いましょう――、その言葉をしっかりと焼き付けて。
もちろん、二度と会いたくありません。けれど、予感がします。私達は、もう一度会わなければならないと。
さしあたって、まず私は知らなければ――聞かなければなりません――。
「フレットさん、どうして私を助けたんですか?確信はないにせよ、私が魔女だということはわかってたんですよね。その後も、ずっと私と仲良くしてくれて、ずっと私の心配をしてくれて――どうしてですか?どうして、
フレットが口を開き始めるまでが、とても長く感じました。カチ、コチと、掛け時計の秒針が刻まれる音が私の心音を加速させました。
やがて――
「興味本位だったんだ――。もしこの女の子が魔女なら、一体どんな風なんだろうって。だから、助けた。――ごめん」
「そうだったんですか……」
「ベッドにねかせて様子を見てた。しばらくしたらうなされ始めて、周りに小さく火花が散った。それで思った、やっぱり魔女なんだって――。それでちょっと怖くなって、丘の上で絵を描いてたんだ。――ごめん」
また、ごめんです。
「でも話してみると、びっくりするぐらいなんか、女の子だった。だから、なんだか楽しくなっちゃって、別れがちょっと寂しくなったりもして――でも、君はまた来た。父さんの形見の大切なペンダントを持って」
「父さんの……形見……」
お姉さんからでも、弟さんからでも、お袋さんからでもなく、父さん。それに、形見だなんてのも初耳です。
やっぱり、フレットさんもどこかが歪です。けれど今そこには触れず、フレットさんの話を聞いていました。
「話してると、ますます君は魔女?なんて言えなくなってきてさ……。ごめん。――そうこうしてるうちに、ガウドに会った。あの人は凄いね。何も言ってないのに、僕がライラさんを魔女だと知ってるって一発で見抜いてた」
「そうですか……ガウドも……」
「半分……というかほぼ脅しに近かったけど、それでもその時言われたんだ。『あの子をよろしくね』って。だから、ガウドと僕との二人で嘘をついてたことになるのかな……ごめん」
ごめん、ごめん、ごめん――。
「それからはずっと、なにも知らないふりしてライラさんに接してた。ほんと、ごめん。ライラさんの絵をちゃんと描けたのも、ライラさんが魔女だからだって気付いてた。ごめん。――アリシアちゃんのことだって、薄々そういうことなんだろうなって思ってたけど、僕は何も聞かなかった。ごめん。ずっと知ってたのに僕は――」
「いい加減にしてくださいよ……!」
自分でも驚くぐらい、口からでた声は怒気をはらんでいました。
ええ、私は怒っていました。どうしようもないほどに。
ここで散らせば、いよいよ終わってしまうことぐらいはわかっています。けれど、それでも私は――。
「なんなんですか、さっきからごめんごめんごめんって!まるで何もかも間違ってたみたいに!!」
「――でも、正しいわけじゃ」
「ええ、そうですよね。魔女なんて助けたんですもん、正しいわけないですよね!」
「そういう話じゃなくて――僕はずっと嘘をついてたから、だからごめんって」
「だからそのごめんはなんなんですかっ……!」
嘘をついてたからなんだっていうんですか……そんなの、私の方が沢山ついていますよ……。
嘘でもいい、興味本位だっていい。私は――
「私は、嬉しかったのに――」
「っ……!」
フレットさんが助けてくれて嬉しかった、フレットさんと話していると楽しかった。
たとえそれが嘘に塗れた脆い砂の城でも、私は心から心地がよかった。誰に否定されてもいい、けれど、フレットさんにだけは否定されたくなかった――。
「――フレットさん、私の方こそ、ごめんなさい」
「なんで……」
「だって、私の方こそ色々嘘をついていましたから」
「違う、違うよ、だってライラさんは――」
「私は魔女です。貴方が感じたとおり、私は上から下まで、忌み嫌われる魔女ですよ。――なんなら、フレットさんと出会う前、私がどんな悪事を働いてきたか一から十まで説明しましょうか?」
その言葉に、フレットさんは黙り込みます。必死に言葉を探しているようでしたが、どれもこれも喉から出るところまではいかないようです。きっと、私が傷つかないような、そんな言葉を探しているのでしょう。
「フレットさんは、優しいですね――」
別にフレットさんに言ったわけではありません。ただ口からポロッと零れてしまっただけです。
――さて、これ以上ここにいると限界がきそうです。
「安心してください。もう、貴方に魔女は関わらせませんから」
ノーディタウも、ガウドも、もちろん私も。
「待って――待ってライラさんっ熱!?」
去る私を引き留めようとするフレットさんに、言葉ではなく魔女の炎で私の答えを返します。
これで充分でしょう。フレットさんは優しいから、拒絶すればきっともう追いかけてこない。
けれど、初めて私に優しくしてくれた愛しい人の声は、扉を開いて前に歩いて地面を踏みしめて扉が閉まるまで、私の耳をゆらしていました。
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