第27話 恋とはままならないものです。
その後、なにかが変わったかといわれれば、とりわけてそんなことはなく、そうですね……アリシアと出会う前の生活に戻ったという感じでしょうか。
ガウドには、ドルムトでのことを一から十まで説明しました。それを聞いて彼は、茶化すわけでも、責め立てるわけでもなく、興味がなさそうに「そう……」とだけ呟いてどこかに出かけていきました。
去り際に、「アンタは後悔してないの?」と、そう聞こうとしてやめていました。そんな質問をするまでもなく、答えは私の顔にしっかりと書いてあったのでしょう。
他に道はいくらでもあったはずだと――そんな意味のない考えが頭をよぎっては消えていきました。
翌日、帰ってきたガウドが一言――「あの子、ちゃんと元気でやってるわよ」
声の一つもでないほどの脱力感に襲われました。
あの後、アリシアは純粋な被害者として扱われ、あの衛兵さんにひとまずは引き取られたそうです。
私にこんなことを思う資格がないのは充分にわかりきっています。けれど、全身から溢れるその感情をなかったことにするなんてできませんでした。
「よかった――」
本当に、よかった。
うつむいたままの私の頭を、大きな手がポンと叩きました。
そして手が離れ、間髪入れずに襲いかかってきた手刀を見事にキャッチ。
「チッ――」
「貴方のやりそうなことは大体お見通しですよ」
そう言いながら、煽るように鼻をならします。けれどガウドは愉快そうに私から離れて、壁にかけてあった似合わない花柄のエプロンをつけながら言いました。
「なにが食べたい?」
「――パスタ」
ほっと一息。美味しい食事の後に飲む紅茶はいいですね。目の前でガウドが、たまには自分で入れたらどうなの?という顔をしていますが、紅茶と一緒に流し込みます。
自分で入れたこと自体はあるんですよ。ただ、味が全然違うんです。飲み物としては充分美味しい部類には入るんですが、日頃ガウドが入れてくれるものを飲んでいると、どうにも違いが気になって満足できないんです。紅茶に限らず料理とかびっくりするぐらい美味しいんですよこの男。
――本人には絶対言いませんけどね。なんとなく鬱陶しそうですし。
「ところでアンタ――」
「ひゃい?!」
「……なに驚いてんの?」
急に話しかけてきたので、心でも読まれたかと思いました。
とりあえず、驚いた事実は消えませんし、ただぼーっとしていただけですと、適当にごまかします。
「今日はフレットのところにいかないの」
「……」
答えず、カップを強めに顔に押し当ててグビグビと残っていた紅茶を飲み干します。
――顔が赤いの、隠せてませんねこれ。
大人しく諦めて、カップをテーブルに置き直しました。
「どうしてそんなこと聞くんですか?」
「別に。最近暇があればフレットに会いにいってるみたいだから」
ニヤニヤしているガウドになにも言い返せず、目線を斜め下にそらしました。ぐうの音もでないほどその通りだからです。
ええ、そうですね。そういえばそれが変わったことと言えば変わったことでした。
アリシアとの一件の後、今思えば恥ずかしさで焼かれ殺されそうですが、本当にフレットさんの家に泊まりました。ずうずうしくも一つしかないベッドを占領までして。
『眠るまで、手を握っていてください』
どうとち狂えばこんなセリフが飛び出してくるんでしょうか私は。なんで文句の一つも言わずに、眠るまでどころか一晩中手を握っていてくれたんでしょうかあの人。わざわざ私が寝そべっている枕元に椅子まで準備して。馬鹿なんじゃないでしょうか。
――目が覚めて、一晩中握られていたせいか、汗でぎっとりした自分の手を見て、なんだかとても嬉しくなってしまった私がいえたことではありませんけどね。
――逃げようと、目をそらそうとすればするほど速度をあげて重さを増して襲いかかってくるんですよ。この恋という感情は。
どうするのが最良なのかと、考えれば考えるほど考えたくなくなってきてしまうんです。
決着をつけるのなら、せめて早いほうがいいのに――。
「なんでアタシはアンタの女の顔を見ながら午後のひとときを過ごさないといけないわけ?」
「ひっかかる言い方しないでくださいよ!女の顔なんてしてませんし、なんならずっとしてますよ女ですから!」
「……そんなに会いたいなら会いにいけばいいじゃない」
私の恋を完璧に理解している前提の会話ですが、私ガウドに一言もその辺りのこといった覚えないんですけど……。けれどもう、一々ツッコミを入れる余裕は今の私にはありません。
「うるさいですよそうですよ会いたいですよ!一目でもいいから顔が見たいですよ喋りたいですよ一緒にいたいですよ!全部わかってるならわざわざ私の口から言わせないでくださいよ!」
「どういう種類の癇癪よ……」
もっともすぎるガウドの呆れた声。ほんと私何言ってるんでしょう。ついこの間までなら、友達としての認識できていたんですけど……。
アリシアのとの馬車での会話のせいでといえばそうなんですが……けれど、遅かれ早かれこうなっていたとは思います。ままならないものです、ほんと。
「いつかアリシアみたいな別れ方をするぐらいならいっそ――なんて思えれば楽なんでしょうけどね……みたいな感じね?」
「心読まないでください」
「アンタがわかりやすいだけよ」
アァーという、うめきとため息の丁度中間みたいな声がでました
たしかに、ガウドに読まれた通りのことが頭をよぎるのは日に二度や三度ではありません。しかし、この先親しい誰かと別れることがあっても、あんな風に終わってしまうのは嫌だなとも思うのです。
「アンタは悩んでもしょうがないことを悩むのが本当に好きね。今度はちゃんとアタシも考えてあげるから、さっさと行ってきなさい」
「貴方に励まされるのは慣れませんね――というか、さっきからやたら私をフレットさんのところにいかせようとしてません?」
そういえば、ガウドはさっきからチラチラと時計を気にしています。……怪しい。
「怪しくはないわよ別に」
「また心を?!」
「はいはい、読んだ読んだ。大したことじゃないわよ別に。ちょっと客がくるからアンタ邪魔なだけよ」
「それれなそうとはっきり言えばいいじゃないですか……。そしてそんなはっきり言わないでもらえます?!」
「どっちよ……」
いや、これに関しては極めて正当な意見だと思うんですが……。
けれど抗議の暇は与えられず、さっさと出てった出てったとうような感じで、追い出されてしまいました。
なにをそんなに急かすことがあるんでしょうか。まさかそういう関係の女――いや、男?あれ、どっちでしょう。まあ、なんにせよ、私が気にすることではありませんし、というか気にしたくありません。
なんにせよ、追い出された以上は仕方がありません。フレットさんに会いに行きましょう。
今日はフレットさんは山の麓の小屋の方にいるでしょうから、まずはそこまで行かねばなりません。
片道約二時間、決して近くはありませんが最近はすっかり慣れてきました。
国の外に出て、準備運動代わりの背伸び。ついでに軽い体操を。
「よー、お姉ちゃん。どっかいくんけ?ドルムトか?」
いざ行きましょう――と思った矢先、後ろから声をかれられました。
なにかと振り返ると、頭にバンダナを巻いたおじさんが、馬車の上で馬の手綱を握っていました。積んでいる荷物や出で立ちからみるに行商人のようです。
「……いえ、山の麓に住んでる友達に」
少し迷いましたが、こんなことで嘘をついても仕方がないと思い、正直に答えました。
すると、行商人のらしきおじさんの目が変わりました。
「ほっへー、あの兄ちゃんの知り合いかい?」
「え?!ご存じなんですか!?」
なんとまあ奇妙な縁。
「ご存じも何も、あのお兄ちゃんの行き帰りは毎回毎回おれが送ってやってんだから!」
「へー、そうなんで……」
ここで、今まで考えたこともなかった可能性に行き当たりました。
片道約二時間――私は毎度毎度歩いて往復していました。けれどフレットさんは――?
“毎回毎回”と、このおじさんは言いました。つまりフレットさんは毎回このおじさんはの馬車に同乗して、あの家とコルデを往復しているということです。
歩いて二時間……よくよく考えると、遠いですよね……。歩くのが基本なわけ、ありませんよね。
「――?どうしたお姉ちゃん。乗らねえのか?運動代わりに歩いていくかい?ウッハハハ――」
「あ、ああ歩いて行くわけないじゃないですか!なにいってんですか貴方?!二時間もかかるんですよ?!冗談も程々にしてくださいよ!」
「お、おう……なんかすまん……じゃあ早く乗ってくれ……」
悪寒がします。
フレットはきっと当たり前のように、私がこのおじさんに乗せて貰って往復していたと思っているんでしょう。もし今までずっと歩きだったとばれたら……どういうお節介を焼かれ、お説教をくらうか考えただけで――あれ、そんなに嫌じゃないですね……むしろ、ちょっと嬉しい……。うう、顔がにやけてきました。
気がつけば、馬車は動き出していました。なにか色々と察したらしいおじさんは、黙って腕の手綱を握っていました。
道のり半分ぐらいまで来た辺りでしょうか、さすがに沈黙がお互い苦しくなってきてたころで、自然に言葉を投げ合うようになりました。
最初は簡単な趣味嗜好の話とかでしたが、最終的にはお互いが言葉で一番話しやすい――フレットさんの話題になりました。
「いやあしかし、あのお兄ちゃんにお姉ちゃんみたいなべっぴんな恋人がいるとはなあ」
「いやいや、えっへっへっへっへ」
恋人じゃありません友人ですと、否定しようとは思うんですが、恋人という響きに胸を動かされてなかなかいいだせません。
むしろ、恋人全肯定みたいな反応になってしまいました。
「あのお兄ちゃんも色々苦労してるみたいだからな~。はじめの頃は色々と身の上話を聞いてやったもんさ――」
結局、否定する機械のないまま話題は次に移ってしまいました。まあ、わざわざ話の腰を折ってまで否定することではないですし、別にいいですね。えっへっへ。
「おれはあれだ。あの話が一番印象に残ってるぜ。ほら、あれだよ」
「残ってないじゃないですか」
「うるせえ。あー思い出した。ペンダントの話だ。綺麗な緑色の!」
「あー、あれですか」
御守り代わりとしてお姉さんから貰ったという、翡翠色の宝石が埋め込まれた綺麗なペンダント――。
というかあの人、色々詮索されるのが嫌で国から離れて暮らしてるんじゃありませんでしたっけ。のわりには自分からペラペラ喋りますよね。
「国を出るときに、御守り代わりにお袋さんから貰ったんだってな――」
しんみりと語るおじさんは、少し涙ぐんでいました。人情家な人のようです。
――あれ、ちょっとまってください。今確かにおかしな部分が――
「今、お袋さんって言いました……よね?」
「ああ。全く、そんないいお袋さんほっぽって飛び出してくるなんざあ親不孝もいいとこ――」
「ちょ、ちょっとまってください?!お姉さんじゃなくて……ですか?」
なんてことないよくある勘違い……のはずです。なのになんなのでしょうか。この胸のざわめきは。
「あん――?お袋さんだよ。それにあのお兄ちゃん兄弟なんていないって言ってたぜ?」
ドクンドクンと、なぜか自分の心臓の音が酷い不協和音のように感じていまいます。
そうです、このおじさんは先だって記憶に怪しい所がありました。ただの勘違いです。そうにきまってます。
「でも私に話した時は確かに――」
「んだと、おれのいうことが信じられねえってのか?!もういい降りろ!」
「嘘でしょう?!いえ、疑ってすいませんでした。私が間違っていました」
「いいや、だめだ。今すぐ降りろ。──なぜなら、もう目的地に着いたからな」
愉快なジョークに反応することも、ましてやここまで送って貰ったお礼をいうこともせずに、私は馬車から飛び降りて走っていました。
かつてという程昔でもなく、つい最近友達のと交わした会話が頭をよぎります。
『ああ、でも弟がいるって言ってた!弟から貰った大切なペンダントがあるーって』
『弟?お姉さんじゃありませんでしたっけ?』
偶然です。たまたまちょっとした勘違いが重なっただけです。
──じゃあ、なんで私は走っているんでしょう。いえ、別に構いません。ただの杞憂であるならば。
私が急いで扉を開けると、キョトンとした顔で、けれど優しい声で「どうしたの?」ってフレットさんが言ってくれればそれで──。
すぐにフレットさんの家は見えてきました。
自然、走る足に力が入ります。そしてその一歩を踏み出した瞬間──胸中の不安は、ハッキリとした不快感に変わりました。
この感覚、前に感じたのはいつだったでしょう。確かちょうど、コルデにきたばかりの時でした。
肌ではなく、心が感じているこの気配。例え五感全てが消えても、決して失われない同じものを感じ取るこの感覚──。
フレットさんの家に、魔女がいる。
「フレットさん──!」
乱暴に扉を開け放ち、フレットさんの家にとびこみました。
そこにあるのは、とても容認しがたい光景でした。
「がっ……ライ……ラ………さ……」
フレットさんが宙に浮いて、苦しそうに呻きながら私の名前をよびます。
足をじたばたさせて、さながら首を吊っている真っ最中のように──。
「ふふふっ、随分と早かったのね。魔女さん」
鈴の音のような声がしました。その声の発生源は、なにやら糸を手繰りよせるような仕草をして、苦しむフレットさんを睨んでいました。
けれど、フレットさんの首元からも、手繰る指先からも、糸らしきものどころか、その他の異物は一切目で確認出来ません。異物があるとするならただ一つ、その女──魔女です。
「その人を、今すぐ離してください」
チリチリと、身体が爆発しそうです。
魔術は感情によって左右される──確かにと思いました。少しでも気を抜けば、辺り一体を火の海に変えてしまうのでないかと感じるほど、身体の中で力がうごめいています。
「ふんっ──」
「──いっ……がヒッ…ゲホッ……!」
「フレットさん──!」
魔女はあっさりと、フレットさんを解放しました。
床に腰を打ち付け、えずくフレットさんに慌てて駆け寄ります。
「殺すつもりはないわ。待ってるのも暇だったし、その男は知ってること以上のことはなにも知らなかったから──ただの憂さ晴らし」
とりあえず、フレットさんに大事はなさそうです。
私はフレットさんの前に立ち、魔女を睨みつけます。
魔女の態度は至って普通で、ただ世間話をする程度の感覚で言い始めました。
「ああ、そうね。ライラ──そう、ライラ。私はあなたを知っている。けれどあなたは私を知らないもの。なら、教えないと。あなたに言い分は色々あるでしょうけど、まず知りなさい。私が誰かを。魔女であることは知っているだろうから、省いていいわよね?」
魔女は、雑に切られた大体肩ぐらいまでの黒髪を手ぐしでとかし、黒いドレスの裾をつまみ上げてゆっくりとお辞儀をしました。
「私の名前はノーディタウ。身長、体重、その他は測ってないのでわからないわ。好きなことは知ること。嫌いなことは知れないこと。今知りたいのはあなた達二人のこと。どうぞ、よろしく」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます