第26話 いいはずなのに……。
ひとまずの脅威は去りました。けれど、アリシアのから恐怖は欠片も消えてはいません。むしろ、さっきよりも濃いように思えます。
魔女が人々にとってどういう存在であるかを、目の前で怯えている友達が身をもって教えてくれています。
それはもはや、世界に蔓延した刷り込みです。実体験がなくても、世界がそれはとても恐ろしい物だと教えてくれます。健やかに生きていく上で敵だと教えてくれます。
アリシアのような小さい子供でも知っている。アリシアのような貧しい子でも知っている。
魔女は、狂った人攫いよりもずっとずっと恐ろしい存在だと――。
私は、さっきまでの顔を保てているでしょうか。――きっと、出来ていないのでしょうね。
自分からこうなるようにしておいてなんですが、よりにもよってアリシアにそんな――おぞましい物を見る目を向けられるのは、思っていた以上にショックだったようです。
体がピクリとも動かず、声も出ません。
このまま時間がくるまで、私たちは目線を合わせたまま全く動かずに――というわけにはいかないんですよね。
貴方はこういう時、立ち上がれる子ですもんね、アリシア――。
一歩、一歩、立ち上がったアリシアが私の方にゆっくりと向かってきました。
ゆっくりとはいっても、私とアリシアの距離は、アリシアの歩幅でもせいぜい四歩分といったところです。
すぐに、抱きしめようと思えば抱きしめられる距離になりました。
けれど私は、指の一本すら動かせずに――そっと、アリシアに手を握られました。優しくて、小さい、温かい手です。
アリシアは、声の震えをなんとか押さえながら、ゆっくりと言いました。
「だい……じょうぶ……。だいじょうぶだから……。わたしのこと守ってくれたんだよね。ライラは、ライラだよ。わたしの、友達だから」
その優しい言葉は、握られた手を通じて私の全身へと染み渡ります。しかし握られた手からはもう一つ、隠しようのない震えも一緒に伝わってきます。
アリシアは明らかに、無理をしていました。
夢に向かって伸びていたハシゴは外されて、そのハシゴを支えていたのは恐ろしい魔女で――。悔しいでしょう、悲しいでしょう、憎いでしょう、怖いでしょう。喚いて叫んで暴れたくてたまらないでしょう。いえ、そもそもが急展開過ぎて、現実を理解するところまで及んでいないかもしれません。いずれにせよ、アリシアの胸中はまともではないでしょう。
けれどこの子は、そんなぐじゃぐじゃな自分を抑え付けて、私を案じてくれている。
きっと、いまの私の顔があまりにも情けないから。
友達としていなくなることが出来ないなら、いっそ魔女としてこの子の中からいなくなる――そんなことすら満足に出来ない私を、まだ友達と呼んでくれる。
ごめんなさいも、ありがとうも、お別れのさようならだって、もう私の口からこの子に伝えることはできません。
だからせめて、出来ることを全力でやろう――。いまこの場で、
「そこまでだ、魔女」
声がした方向は、この広場唯一の出入り口の細い通路前。衛兵さん達がずらりとならんでいました。
そして、ずらりと並ぶ衛兵さん達が持っている武器の穴が私の方へと向いていました。銃とはまた、面倒なものを持っていますね。こちらが魔女だとわかっているから、下手なことをすれば一斉に撃ってくるつもりでしょうか。そばにはアリシアだっているのに……。
「子供がいる。銃を下ろせ」
鋭い声が響いて、一人が前に出てきました。あの筋骨隆々の三人の中の一人です。一体いつからいたんでしょうか。少なくとも、私が魔術を使った時にはもう気配はしていました。
「タッナ殿!」
「いい、ひとまずあの子供の安全が優先だ」
タッナというそうです。あの人。
アリシアは私とタッナさんを交互に見つめていました。混乱しながらも、なんとか状況を理解しようとしているようです。
タッナさんが、重苦しく口を開きます。
「まさか、裏にお前がいたとはな――金の魔女」
金の魔女――。ああ、この国から出るときに顔がばれて以来そう呼ばれているんですね。悪くない二つ名です。いや、二つ名なんてものが着く時点で魔女として状況最悪ですが。しかしこの言い方、前々からナルベルさんには目を付けていたということですかね。通りで来るのが早いわけです。
「仲間割れ……か」
「ええ。ちょっと取り分で揉めまして」
なんの確認もせずに私も人さらいの一味扱い。まあ、当然です。あとはこの話にのっかって、アリシアをただの被害者と思わせないと――。
「その子をどうするつもりだ」
「……別に。取り引きは失敗しましたし、私の身の安全を保障してくれるのなら無事に返しますよ」
「え?え?ちょっと待って、何言ってるの?違うよ?」
アリシアが、戸惑いながらもようやく言葉を発しました。状況を理解できているわけではないでしょう。けれど、私があらぬ疑いをかけられているということだけは感じとったのでしょう。
アリシアは必死に、私のことを説明し始めました。
「おじさん達勘違いしてるよ。ライラはね、わたしを守ってくれたの!そこに倒れてる人たちが悪い人たちで、やっつけてくれたの!」
「……お嬢ちゃんも見ただろ。火を出せる人間なんていない。その女は魔女だ」
「――まじょ、でも……わたしの大切な友達だもん!わたしをいつも助けてくれるんだもん!」
「目を覚ませ!」
強烈な叱咤が飛んできました。私でも少し肩がすくんでしまうほどです。けれど、アリシアは一歩も引きません。ボロボロと涙を流しながら、なお叫びます。
「目を覚ますのはおじさんの方!ライラのことなんにもしらないくせに勝手なこと言わないでよ!!」
「その女は、お嬢ちゃんみたいな子供を何人も何人も攫って、人身売買組織にながしていたんだ!恐らく人だって殺している!」
「ライラは絶対そんなことしないもんバカ!!ちょっとアホだけどとっても優しいの!」
「お嬢ちゃん――!」
「無駄ですタッナ殿……。恐らくもうすっかり洗脳されています」
衛兵の誰かが言います。それにたいしてなおアリシアは違う違うと、喉の張り裂けるような勢いで叫んでいました。
ああ――もし、あの衛兵さんの言っていることが間違っていれば、私も声を張り上げてそんなことはしていないと叫ぶことが出来るのなら、なにかが変わっていたんでしょうか。
まさか、もう少し清く正しく生きていればよかったなんて後悔をする日がくるなんて思っていませんでしたよ。
この場で間違っているのはアリシアで、正しいのはタッナさんです。
私はアリシアぐらいの身寄りのない子供を洗脳して攫っていましたし、人だって何人も殺しました。
本当なら、貴方の頭を撫でる資格なんてないほど、私の手は汚れています。だからどうか、私なんかのためにそんな必死にならないでください。
「ライラは、ライラは――!」
「アリシア――もう、いいですから《黙りなさい》」
「――っ!――!」
アリシアの口が閉ざされました。何度も何度も声をあげようとしていますが、かすれた空気の音がするばかり。魔術はしっかりと効いたようです。
「貴様なにをしたっ!?」
再び、無数の銃口が私の方を向きました。
「別に、だださすがにうるさいかったので口を閉ざしただけですよ?全く――反抗できないように洗脳魔術をかけたんですが、いささかやり過ぎましたかね」
「――――!!!」
アリシアの声はでません。ああでも、これは怒ってますね。『なんで悪者になろうとするの?!』といったところでしょうか。
謝罪の言葉を伝えることができないのが、なによりも辛いです。
「で、さっきの話ですが、この子を無事に返すので私を逃がしてください」
「それはできない。その子は俺の命に代えても助けるし、お前はここで殺す。忌まわしい魔女め」
いい軽蔑です。
しかし、私は本当に随分と変わってしまいました。こんなありきたりな悪人じみたことを言うのに、なぜここまで胸が痛いんでしょう。裏切ることも、裏切られることにもなれていたはずなのに――。でも、後もう少し。
「そうですか――。では勝手に逃げますねっとその前に――」
「――ッ!?」
アリシアの頭を掴んで軽く持ち上げます。アリシアの表情が苦しそうに歪み、このままほかでもない私自身を殺してしまいたい気持ちに駆られました。
「貴様……!」
「下手なマネはしない方がいいですよー。この子、面白い死に方しますよ?」
脅しは利いたようで、衛兵さんの何人かは銃を下ろしています。
タッナさんは、もの凄い眼光で私をにらんでいます。あの目で人殺せそうですよね。
――こっそりと、息を整えます。
大丈夫、大丈夫。魔術は感情が不安定だと失敗し、安定していると成功する。
なら、今の私は絶対に失敗しない。だって、今の私はアリシアを守りきることしか頭にないから。
万が一、魔女と友好的だなんてばれたら、アリシアがなにをされるかわかりません。
彼らには徹底的に、アリシアは魔女に洗脳されたただの純粋な被害者であると思わせなければなりません。
彼らは基本的に鬱陶しいほど正義感の塊です。だからこそ魔女を許しませんし、魔女の被害者を虐げることは絶対にないでしょう。
そうすればきっと、また夢を叶えるチャンスもきっと来ますから――。
「それでは――《さようなら、アリシア》」
そのまま手を離すと、アリシアは意識を失って床に倒れ込みました。さて、あとはまたこの国から逃げるだけです。
「さて、これで彼女から私に関する記憶は全て消えました。目覚めてももう私のことなんて、一欠片も覚えていませんよ――」
「お前……」
胸元から、小さな小瓶を取り出します。もしなにかあった時のためにと、ガウドから持たされていたものです。
ふりかぶって、小瓶を思い切り地面に叩きつけます。すると小瓶は簡単に割れて、辺りには煙のような物が立ちこめて、衛兵さん方の視界と冷静さを奪いました。
「魔女を逃がすなー!」「撃て……いや、絶対に撃つな!子供に当たるかもしれん!」
「クッソオオオ!!」
そんな騒ぎが遙か後方から聞こえました。私は振り返らずに、ひたすらに走って、跳んで、また走って、跳んで跳んで――。
決して最良とは言えませんが、これでよかったのだと思いながら――。だから、泣きません。私は絶対、泣いたりなんかしない――。
今度は山で遭難するわけでもなく、しっかりとコルデに帰ってくることができました。
「そうか……。しばらく会えない……か」
「ええ、向こうから会いにこれるようになるまでは駄目だと――」
とりあえずは、一番やきもきしているであろうアンダさんのところへと向かいました。
勿論、本当に起こったことを言えるはずもなく、アリシアは普通にナルベルさんに引き取られて、これから色々大変だから年単位で連絡はとれないと――そんな感じに説明をしました。
運良く、アンダさんを訪ねるとちびっ子達も、あのコンサートに観客として来ていた人たちも大勢集まっていました。みんな、アリシアを心配していたのだそうです。
申し訳なさそうに、アンダさんが言います。
「――すまなかったな。アンタが一番辛かったろうに……」
「いえ……私は……」
一番辛いのは、アリシアに決まっています。けれど、それを抱えるのは私だけでいい。
「私はもう疲れたので、今日の所は帰りますね」
「あ、ああ。ゆっくり休め。俺達でよかったらいつでもなんでも言ってくれていいから」
アンダさんのその言葉に、周りの何人かが頷いていました。
なんだかんだ、いい人達なんですよね。けれど――
「ありがとうございます。――最後に、《私のことは忘れてくれると嬉しいです》」
コンコンと、ドアを二回ノックします。
「あ、おかえりライラさん――」
「どうも……」
ドアを開けて、蒼い目に、さらさらと流れる茶髪の笑顔の似合う人――フレットさんが出てきました。
貧民街を出た私が向かったのは、ガウドのいる自宅ではなく、フレットさんのところでした。理由は特にありません。ただなんか、無性に会いたくなったんです。
でも、会うにはふさわしくない表情をしているんだと思います。私の顔を見たフレットさんから、笑顔が消えて、少し悲しそうな表情になりましたから。
「とりあえず、入ってよ」
そのままフレットさんに案内されて、家に入りました。
私はなにも喋らず、フレットさんもなにも聞いてこず、そっと温かいお茶を出してくれました。
そのまましばらく沈黙が続きました。やがてフレットさんは、なんでもない雑談を始めました。私もそれに相づちを打ちながら、たまにお茶を飲んでいました。
結局、フレットさんからは一言もアリシアの話題がでることはありませんでした。気をつかってくれているのでしょう。私は、本当に酷い顔をしているんでしょうね。
しばらく時間が過ぎて、雑談も途切れたころ、それは意識したわけではなく、呼吸のような間隔でぽろっと出た言葉でした。
「フレットさん――、今日泊まっていっていいですか?」
「ぶっ……へっほ……!……とま?――オホッオホッ!」
フレットさんがむせました。けれど、私の口は止まってはくれませんでした。
「はい。もう少し一緒に話をして、一緒にご飯を食べて、それからまた話をして、それから――眠るまで、手を握っていてください」
私はなにを言っているんだとおもいます。けれど、どうしようもないぐらいの本心で、どうしようもありません。
「いいよ。泊まっていってよ」
少し困った顔をした後に、フレットさんは言います。私は赤くなったのを隠すように、顔を伏せました。
「じゃ、おなか減ったしなんか作るよ。待ってて」
そう言って立ち上がったフレットの背中に、私は手を伸ばします。
その手は空中で止まったままで。
このまま魔術をつかって、フレットさんからも私の記憶を消す――。それが、きっと最良なのでしょう。けれど、それはきっと失敗するとわかります。
フレットさんの顔を見たら、なんだかホッとした。あの背中を、ずっと目で追っていたくなる。
友達と交わした会話が、頭の中で克明に思い出されました。
いったいいつからそうだったんでしょうか。いつの間にか、気がつかないフリが出来ないほど大きくなってしまっていました。たとえ何を手にしても、いつかは無情に失われていくだけかもしれないのに――。
「恋、か」
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