第24話 あの子の行く先には必要ないから

 唐突――。けれどそれが近いうちに訪れることは、わかっていました。少なくとも大人達は。

 マキナさんはもう長くないと、アリシアに伝えるべきかどうか私は悩みました。けれど、そんなものはあくまで憶測。まだ子供のアリシアに言ったところで、ただ不安にさせるだけだと思い、結局私は彼女にはなにも言わずじまいでした。それが正しい判断だったのかは、最後までわかりませんでした。

 アリシアの家に着いて私がみたのは、いつもよりいくらかか安らかな顔をして眠っているマキナさんに、慌ただしく動いていた大人達、泣いたり、困惑しているアリシアの弟達、そして――その子達を慰めたり、状況を説明したりしているアリシアの姿でした。

 亡くなった人のちゃんとした弔い方なんて、私にはわかりません。だからできることは、アリシアを慰めること。そう思っていましたし、アンダさんにもアリシアを頼むと言われていました。

 けれど、私の目に映っているのは、この場にいる誰よりもしっかりと立ちやるべきことをやっていたアリシアでした。

 私に気がついたアリシアは、


「ごめんなさいライラ。ちょっとまってって」


 微笑んでそう言いました。

 そのまま私はとくになにができるわけでもなく、慌ただしさが落ち着いていくのを待っているだけでした。


 なんとなく私は、以前アリシアに連れてきて貰った花畑に座り込んでいました。

 ただぼーっと、風に揺れる花々を眺めていました。こういうのを、歯がゆいと言うんでしょうか。なにかしてあげたいのに、なにをすればいいのかさっぱりわかりません。


「あ、ここにいた」


 後ろから、聞き慣れた心地のよい声が聞こえてきました。


「もういいんですか?」


 振り向かずに、私は声に応えます。

 そのまま気配が近づいてきて、赤い髪の女の子が隣に座ってきました。


「すいません。なんにもしてあげられなくて」

「ううん、来てくれただけでうれしいから」


 アリシアは膝を三角に折って、その中に顔の下半分を埋めていました。

 私は何を言うべきか迷って、迷って、けれど出てこなくて、そっとアリシアの頭に手を置きました。


「おかあさん、最近ずっと寝てばかりだったの。ご飯もあんまり食べなくて。みんなが心配すると、『大丈夫、大丈夫』って、そっとほっぺをなでてくるの」


 姿勢は変わらず、アリシアはぽつりぽつりと呟くように言います。

 私はそっと、アリシアの頭の上にある手を動かし始めました。


「昨日ね、コンサートのこといっぱいいっぱい褒めてくれて、ほかにもいっぱい色んなこと話して、最後にはおかあさん、『私がいなくなったら――』なんて言い始めて、わたしはそんな話ししないでよって少し怒っちゃって、おかあさんは笑ったまま『ごめんね』って言って、そのままいつもみたいに寝ちゃって――」


 そこでアリシアは、言葉をきりました。

 なんとなくではあるでしょうが、アリシアもわかっていたのでしょうか。だからといって割り切れるほど、アリシアは大きくはないはずです。けれどここまで話して、アリシアの声色は落ち着いていて、涙は気配すら覗かせていませんでした。


「アリシアは、悲しくはないんですか?」


 言ってから、やってしまったと後悔しました。

 悲しくないはずがないのに、こういうときは誰よりも頑張って耐えるような子だと私は知っているはずなのに――こんな言い方、最低です。


「いや、違うんです今のは、私が言いたいのはそういうことじゃなくて、その、ええと」


 適切な言葉を探そうとするほど、考えが絡まってしどろもどろに。

 けれどアリシアだって、そんな私のことをよく理解してくれているようで、慌てる私を見てクスクスと笑っています。


「悲しい、凄く。いままでで一番、みっともないぐらいにわんわん泣きたい」

「じゃ、じゃあここなら誰も見てませんし、私の胸にどーんと飛び込んでもきゅっ」


 アリシアの頭から手を離し、ばっちこいのポーズをとったその時です。小さな手が私の口を塞ぎました。

 急になにごとかと抗議しますが、塞がれているのでむーむー音が出るだけです。


「それは……まだ」


 うつむいたアリシアが、そう小さく言いました。

 そして、うつむいてちゃいけないというようにアリシアは首を振って、顔を上げました。


「むぐぐほ……」

「順番なの。まだ弟たちが泣いてるから。みんなが落ち着いて、笑えるようになって、そしたらわたしの番」


 ゆっくりと、私の口から小さな手がどかされました。

 まま強い力で押さえ付けられていた苦しさが消えて、軽く咳き込みます。


「あ、ご、ごめん……」

「だいじょっほっ!えほっ……!」


 咳き込んだ拍子に唾が喉の変なところに入って、さらに咳き込んでしまいました。

 申し訳なさそうにしているアリシアに手だけで、大丈夫ですよと伝えます。

 そのまま少し時間をかけて、息を整えて、とりあえずは何事もなかったかのようにアリシアに向き直ります。


「そうですか――。強いですね、貴方は」

「ううん、強くなったんだと思う。ライラが強いから、わたしも頑張って背伸びして、強くなれたんだと思う」


 なんて面白い買いかぶりでしょうか。

 私が強いだなんて、そんなことあるはずないのに。

 けれど、アリシアは本気でそう思ってくれているのでしょう。

 そんな風に見えてしまうのはきっと、やっぱりアリシアが強いから。友達と呼んでくれるのが嬉しくて、その強さが羨ましくて、私のほうこそ背伸びしていた――。


「わかりました、尊重しますよ。けれど無理は絶対駄目ですよ。私の胸はいつでも飛び込みオッケーですから!」

「うん!ありがと、うへへ」


 アリシアは立ち上がって、目の前に広がる花畑を眺めます。私も同じように、それを眺めて、口には出さずにただしみじみと、本当に綺麗だなと顔を緩めます。


「これからのことなんだけどね――」


 横から声がします。ここしばらくで、すっかりと耳に馴染んだ声が。

 その声を聞くと、なんだか胸が温かくなってきます。私は、色とりどりの花を眺めながら、意識だけをアリシアへと傾けました。


「アンダが言うんだ。『ガキどものことはオレにまかせとけ』って。『アリ姉頑張れ!』って、タックが言ってくれた。『夢を叶えて素敵な旦那様紹介してね!』って、ローテに言われた。『また……会えるよね……?』って、シルが寂しそうに言ってた。『俺たちは元気だから大丈夫なんだー!』って、ヤムが騒いでた。『もし私に何かあったら、アリ姉の背中を押してやれって婆ちゃんが……』って、カタムが泣きながら――」


 慈しむように、アリシアはいつかはわかりませんが大切な人たちから贈られた言葉を吐き出していきます。そして視線はただ目の前の花畑をみつめたまま、最後の一押しを待っているかのように言葉を止めました。

 私が言うべきことはとくに決まっています。――そのはずなのに、喉に変な物がへばりついているみたいに、言葉がつっかえて出てきません。それを言ってしまうと、あとはもう前に進むばかりで、止まることも、後ろに戻ることもできないような気がして――。

 けれども、私はこの場所で決めました。『アリシアのために、全力を尽くそう』と、そしてここ最近考えていたことも。

 だから私は言います。これまでのように、自分の足でしっかりと立っている少女の背中に手を添えて、ほんの少しだけ力をいれるように――。


「そうですねえ――、私からは別段何もないですよ。だって、貴方はもう決めているんでしょ?だから私からは一言だけ――頑張ってください」

「うん!ライラ大好き!」

「私もですよ大好きですよ、アリシア」


 いつものようなやりとり。けれどいつもなら戸惑っているところをさも当然のように返した私に、アリシアは驚いた顔をして、照れたように頬をかいていました。

 初めて勝てたような気がして、私も得意げに鼻を鳴らします。

 そして二人で笑い合って。


「じゃあ、わたしそろそろ戻るね」


 決して軽くはない足取りで、アリシアが遠ざかっていきます。

 しばらくして、アリシアの歩みが止まりました。


「離れていても、もし会えなくても、わたし達ずっと友達だよね」


 そんなわかりきったことを言うアリシアに、私は笑顔で応じます。

 アリシアもニカッと笑って、満足そうに去って行きました。

「もちろんですよ」と、当然のように口から出るはずだったそれを、胸の内にしまったままに――。



 何度か眠り、何度か起きてを繰り返していく間に、着々と物事は進んでいきました。

 私はあの花畑での会話以降、アリシアとはあまり話せていませんでした。私の方は別段忙しいということはなかったのですが、アリシアの方がバタバタとしていたみたいで。

 その代わり、同じように暇を持て余したちびっ子達となんどか遊ぶ機会があり、いつのまにか覚えるつもりのなかった名前も覚えてしましました。

 タック、ローテ、シル、ヤム、カタム。

 フレットさんもちょいちょい顔を覗かせていましたね。ウキウキで絵を見せて「気持ち悪い」と一蹴されていましたが。学習能力というものがないんでしょうかあの人。

 一番尽力してくれたのはアンダさんでしょう。彼の覚悟も相当な物で、人を集めてアリシア達の住む掘っ立て小屋を修繕したり、安定した稼ぎのためにフレットさんに土下座したり。結果、フレットさんが働いている修理屋でしたっけ?で雇ってもらえることになったそうです。

 そしてアリシアは、やはりドルムトへと向かい、ナルベルさんの誘いに乗り、夢を叶える道へと進むのだそうです――。

 

 身辺が落ち着きを見せた頃、アリシアは改めて私に決意を語ってくれました。そしてその後は、嫌になるぐらい私の胸で泣いていました。泣いても泣いても泣き足りないというほど泣いて、泣いて。私はだだずっと、その小さくて強い背中を抱きしめていました。

 けれど最後には、涙と鼻水を拭いて、ありったけの笑顔で、いつものように歌をきかせてくれました――。


 そして、出立の前夜――。


「大丈夫?入れ忘れとかない?もしもの時のために着替えは多めに持っていった方がいいんじゃないかな?あとあの国は治安が悪いみたいだし、身につける財布と盗まれる用の財布を持ってたほうが――」

「ああもう、うるっさいですよ!大丈夫ですからいい加減帰ってください!」

「いや……でも……」

「でもじゃない!はいさようなら!また今度!」


 アリシアはまだ十歳。十歳の少女が一人で国間の移動など――まあできなくはないんですがそれでも周りの心配は当たり前。というわけで、一人同行者をつけるという話になり、私がついていくことになりました。

 それについては誰からも反対はありませんでしたが、アンダさんだけは自分がついて行く気だったようですが、言いだしたのがガウドだったので口がだせなかった様です。あの苦虫を三匹いっぺんに噛みつぶしたような顔はしばらく忘れません。

 そんなわけで、明日の荷造りとかをしていたわけです。フレットさんはお手伝い。

 いや、特にお手伝いしてもらうようなことはないわけで、だだ心配性こじらせたあの人が勝手にやってきただけなんですよね。そしてただただ口うるさい。どうも、初対面時にあんな山の中でぶっ倒れていたのが尾を引いているようです。


「見てて飽きないわねアンタら」

「見世物じゃないですよまったく……」


 ギャーギャーと言い合う私たちをずっとニヤニヤ静観していたガウドが、フレットさんがいなくなるとようやくしゃべり始めました。

 そのまま慣れた手つきで紅茶と茶菓子を用意し始めたので、私も一息つこうと席に座り甘い香りが目の前にやってくるのを待ちます。

 すぐにガウドはやってきて、テーブルの上に綺麗に一人分のカップとお皿を並べて私の対面に座りました。


「――アンタの分はないわよ?」

「そういう陰湿な嫌がらせやめません?!」


 姑ですか全く……。

 当然のように「やめるわけないじゃない」と言っているガウドを無視して、用意だけはされてそのまま流し台の上に放置されているカップとお皿を取って席に座り直します。本当に無駄な手間です。


「で――、アンタ本気なの?」


 紅茶をいくらかすすったタイミングで、ガウドがそう訪ねてきました。

 何に対しての問いなのかは、そしてその答えも、わかりきっています。


「ええ、本気ですよ。ドルムトに着いてアリシアと別れるときは、あの子から私に関する記憶を全て消します――」

「そう――」


 とだけガウドは応えて、また紅茶を口につけました。アンタがそう決めたんならアタシから言うことはなにもないというように。

 ナルベルさんに出会ったあの日からぼんやりと考え初めていたことで、時間が経って、アリシアが決意すればするほど、それは形をなしていきました。


 私は魔女。

 ガウドがなにを言おうが、私がどう変わろうが、この世界においてその存在は認められていない――。

 もし、いまのような生活がずっと続くと約束されているのなら、私はアリシアの友達でい続けられる。けれど、いまが壊れたら――?

 遠くにいってしまうあの子に私はなにをしてあげることもできない。ただただ、私という存在が重い足かせになるだけです。

 私はあの子のために出来ることをすると誓った。だから、あの子の中から一人の友達としていなくなることが、最後に私が出来ること――。

 それが、考えた末にでた結論です。


「――でも、アンタそれほんとに出来ると思ってんの?」

「なっ――!?」


 気がつけば、私は立ち上がってテーブルを強く叩いていました。ヘラついているガウドについカッとなったのです。けれど本当の怒りの矛先はどこに向いているんでしょう。

 ガウドか、自分か、それとももっとどうしようもない別の何かなのか。

 わけもわからず、だだ叫んでいました。


「そんなんの……やるしかないじゃないですかっ!出来るか出来ないかだなんて、考えさせないでくださいよ迷っちゃうじゃないですか!そりゃ、貴方からみれば今の私は酷いほどに滑稽にみえるかもしれませんよ。でもっ……私は……!」

「あー違う違う。そういうことじゃないわよ」


 今の私とすっぱり真逆。酷く冷めた態度とあきれ顔で吐き捨てるように入ってきました。

 そのあまりの温度差に、頭まで上っていた熱がすーっと引いていきました。

 もしかすると、私は今ものすごく恥ずかしいことをしたのかもしれません。


「あー、もしかしてアンタ、知らない?」

「なにがですか……」

「ま、とりあえずすわんなさい」

「はい……」


 おとなしく座りました。とても小さくまとまっています。それとも椅子じゃなくて床に座ったほうがいいですかね。


「あのね、アタシが言いたいのはアンタの気持ちどうこうじゃなくて――いや、気持ちの問題ではあるわね」


 ガウドの口調にはめずらしく、茶化しが入っていませんでした。

 ただ神妙に、淡々と、話は続きます。


「アンタ、自分に関する記憶を消すってどうするつもり?」

「そんなの、魔術でパーンとしかないですよ」

「やっぱり知らないか……」


 ため息をつくガウド。度々される教養がない女扱いです。

 そもそも私がいったいいつまともな教養を受けれる機会があったというのか、というか魔術に関しては教養もクソもありませんよ、と。色々いいたいことはありますが今は我慢。


「あのね、魔術っていうのはね、感情と強く結びついてるもんなのよ」

「感情と……結びつく……?」

「そ。感情が不安定になれば、魔術はぐらついて、使えなくなる。使えても、うまく作用しなかったりね。これまで魔女として生きてきて、思い当たる節はない?」

「思い当たる節……あ――」


 確かに、思い当たる節はいくつかありました。

 例えば私が行き倒れた山。それまで軽快に飛び跳ねることが出来ていたのに、自分がいる所がどこともしらぬ場所だと気がついたとき、急に使えなくなり疲労感が襲ってきました。

 あの時は、魔術に使用制限があるのだと思っていましたが、それは正確ではありませんでした。今ならばちゃんと理解できますが、あの時私は不安だったんでしょう。

 曲がりなりにもずっといた環境を飛び出して、振り絞った空元気も尽きて、怖かった。不安で不安でたまらなかった。感情が乱れて、魔術が使えなくなった――。

 フレットさんと出会ったときも、洗脳が効いたり効かなかったりしてました。あのときも、私は戸惑っていたんでしょう。誰かに親切にされたのなんて、初めてだったから――。


「つまりよ、迷いがあればアンタお得意の記憶消去は成功しない。それどころか最悪の結果になる可能性もある」


 最悪の結果――。想像もしたくありません。けれどそれは近い現実でもありました。

 いま自分は迷っていないと言い切れるほど、私の決意は固くない。必死に考えないようにしているだけで、少しでも考えるときっと揺らいでしまう。

 けれど――


「大丈夫ですよ。仕組みがわかっているのなら」


 結局は私の感情の問題なのですから。いざとなれば、自分を騙せばいい――。


「そ。ならいいわ。色々うまく行くように祈ってるわ。洗い物、よろしくね」


 そう言ってガウドは、カップとお皿を流しに置いて、自室へと消えていきました。

 私は気を緩めれば身体中からあふれ出るなにかを飲み込むように、カップを勢いよくあおりました。けれどその中にはもう、一滴の紅茶も入っていませんでした。

   

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