第22話 ありがとう、アリシア。
「ほほう、これはなんとも立派な……」
ベンチに腰掛け、底からみえる景色に思わず声が漏れました。
寂れたまわりの景色にはいい意味で不釣り合いなステージが出来上がっていました。
使用したのは、投げ捨てられていた木箱、廃材、あとは余っていた布。
設計やデザインはガウドとフレットさんで意見を出し合ったそうです。しかし、センスが斜めどころか歪曲している二人ですから、初期段階ではそれはそれはおどろおどろしいステージが出来上がる予定だったそうです。
私はほとんどステージ作成については関わっていませんが、想像するだけで目眩がしてくるようです。
そんな暴走する二人を、文字通り命懸けで止めていた人こそがアンダさんです。
ささやかではあるものの、アリシアの初舞台をなんとか死守せんとそれはそれは奮闘していたようです。疲労困憊の状態で「たすけてくれ……」と何度か私に泣きついてきました。結局、その疲労がたたって熱で寝込んでしまいましたが……。
大丈夫ですよ、アンダさん。あなたの頑張りは私の目の前にあるごくごく普通の、円形のステージの右と左に三段ほどの階段、そして控えめに花飾りが設置されてあるものになりましたよ。ありがとう、アンダさん。安らかに、アンダさん。
「よう。そろそろ皆集まってくる時間だけど、向こうの準備は大丈夫なのか?」
天に祈りを捧げている私に、アンダさんが声をかけてきました。生きてたんですね。
「……失礼なこと考えてないか?」
「いえ、全然。それより熱は大丈夫なんですか?」
「治した。気合いで」
どうにかなるもんなんでしょうか。
「オレのことはいいんだよ。アリシアさんの準備は?お前の担当だろ?大丈夫なんだよな?オレもう緊張で手が震えて……」
なんで貴方が……とは思いましたが口には出しません。気持ちはわからないでもないですから。
ここは頑張ってくれたアンダさんのためにも、ビシッと親指を立てて、バッチリです!!と言いたいところなんですが、あいにくそれはかないません。
「わかりません……」
「わかりません?!」
アンダさんは声を張り上げましたが、顔は死にかけています。不安なのもそうでしょうけど、やっぱりまだ体調戻ってないんじゃないでしょうか。
「だって……アリシアが私を除け者にするんですもん……。だからその辺もガウドとフレットさんがちゃんとやってくれてるはずですよ……いいてですよねえ、友達沢山いて」
「急に拗ねるなよ……。──てことはお前この三週間なにしてたの?!」
「えっと……貴方の弱音とか聞いてましたね」
「あー……その節はどうも」
「いえいえ」
弱い所をつつかれたら、弱い所をつつき返す。常識です。思ったよりもなにもやってませんでした私。ほら、でも、店番頑張ってましたから。お客さんがあんまりこないという所は置いておいて。
アンダさんと言葉を交わしてるうちに、私達以外にも何人かがベンチに座っていました。
今回、聴衆も全員貧民街の人達を寄せ集めたので、なんというか、色合いが汚い。
アリシアの晴れやかな舞台に、悪い意味で不釣り合いです。そして勿論、ほとんどの人は無理矢理招集されたも同然なので、不機嫌を顔の筋肉いっぱいにつかって表してくれています。汚い顔がさらに汚い。
けれど、何人かは思うところがあったのか、快く応じてくれた人もいました。
アンダさんのこともありますし、もしかすると、私と出会わなくっても時間が経てばアリシアは──。
いいえ、そんなことを考えても意味はありません。可能性がどうであれ、私が出会ったんですから。アンダさんが声をかける勇気のない骨無しだったことに感謝しないとですね。と、アンダさんの顔を見ようとしましたが、私の視界の中に彼はうつりませんでした。
辺りを見渡すと、三列に並んだベンチの一番後ろで誰かと話しているようでした。
話している相手は──一緒にアリシアを襲っていたあの声の野太いチンピラです。
なにかよからぬやり取りでも繰り広げられているのではと心配になり、二人に近づきます。
「すいません……なんかこんなことになっちゃって……怒って……ます……よね?」
「ああ──これが怒ってないってんならてめぇの目はガラス玉かなんかだな」
「うっ……。でもオレ、決めたんです。あの連中に脅されたからじゃなくて、自分の意思でちゃんと。だからもう、アンタに文句言われる筋合いは一つもない」
「──言わねえよ。──なあ、俺といて、楽しかったか?」
「…………いいえ。でも、感謝はしてます。誰よりも。俺が今まで生きてこれたのはアンタのおかげで、それだけは間違いないから……」
「はっ……あのガキといいてめぇといいイライラしかしねえ──失せろ」
チラリと、アンダさんと目が合いました。そのままアンダさんは、罰が悪そうに、私を避けてさっきまで座っていた所に戻っていきました。
目尻に涙が浮かんでいたようにも見えますが、まあ私には関係ないことです。彼にもまた、彼のこれまでの人生がある。そういうことでしょう。
このまま席に戻るのも少し気まずいので、アリシアの様子を見に行くことにしました。
準備に使っているアリシアの家にいく道すがら、道を塞がんばかりの巨漢が目の前から歩いてきました。
「嫌なものを見ました……」
「はっ倒すわよアンタ」
軽い言葉のジャブ。
ガウドの後ろにいたフレットさんはすっかり慣れた様子で笑っています。
けれど、肝心のアリシアの姿が見当たりません。
その代わり、ガウドの太い足の内側に、細い足が二本。
「ほら、大丈夫よ。早く見せたげなさい」
ガウドが自分の背中に語りかけています。
「そうですよ、アリシア。そんな所にへばりついていたら悪いものが身体に入ってきますよ。早く出てきてください」
「うっ……うーっ……」
ガウドの背中にくっついたまままごつくアリシアを、フレットさんが優しく引き剥がします。
一旦引き剥がされて諦めが付いたのか、顔を赤らめて、視線を外しながら、ようやくアリシアが私の前に出てきました。
「わあ──綺麗……」
アリシアが何かを聞いてくる前に、その感想は自然に口から出ていました。
元々が、歌声に見合うくらいにはとても可愛らしい女の子です。髪色と同じ、サイズピッタリのドレス。恐らく、ガウドがわざわざ作ってくれたのでしょう。
格好一つでこんなにも変わるものなんですね。髪を結んでいる髪留めが、少しボロっちいですが、それには何も言いません。
「髪留めも変えようって言ったんだけどね、そこは変えないのって聞かなくてね。愛されてるわね、ライラ」
お喋りのせいで、アリシアの顔がますます赤くなります。
「そうですかー。でも愛されてるなら、なんでここまで除け者にされてるんですかねー私」
それが可愛くって、ちょっと意地悪をしてみました。まあ、本音も入ってますけど。
「ふぇ……あ……いや……それは違くて……」
予想以上に慌てています。
もう少し見ていたい気もしますが、本番に障りがでても困りますからね。この辺にしときましょうか。
「いじめてるわ」
「いじめてるね」
「最低よあの女」
「アリシアちゃん可哀想……」
野次は無視して、優しくアリシアの頭を撫でます。
「冗談ですよ。ちゃんとわかってますから。いい歌は出来ましたか?」
「──うん!」
いつも見ている、花が咲いたような笑顔。この顔が見れればもう安心です。きっと、成功するに違いありません。
「じゃ、僕達はここまでで」
「そうね、あとはアンタが連れてってやんなさい」
粋なことを……。
こうするように言われていたのでしょうか、それとも自分で考えたんでしょうか、アリシアは手を差し出して、お辞儀をして言います。
「私を、連れて行ってください──!」
棒読み気味なのは、目をつぶりましょう。
私は何も言いません。その代わり、差し出された手を取って歩き始めます。
不安定で、気を緩めれば転んでしまいそうな道を女の子が、綺麗な服が汚れないように気を使いながら、狭い歩幅で歩いています。
でもそんな道はあっという間に終わって、女の子は私の手から離れて、飛びたつように、たった三段の階段を上っていきました。
ステージの中央にたつアリシア。事ここにきて邪魔をしようなんて輩はおらず、場はただ静寂に包まれています。
私の座る横で、アンダさんが震えながら手を合わせて祈っています。
それを見た一番前の席の人達──アリシアの弟妹達も手を合わせて祈っていました。
全く……一番前の席でそんなことされたら逆に緊張するでしょうに。
だから私は、祈ることなんてせずに、まっすぐにアリシアを見つめます。
大丈夫、私がいますからと。祈る子供達の横で、マキナさんもじっとアリシアを見ていました。
けれど、目は合いません。ここにいる誰よりも高い視点で、アリシアはまっすぐ前だけを見つめています。
静寂の中に、大きく息を吸い込む音が響き渡りました──。
そこからの時間は、ただ、ただ、歌声が満ちていました。
こんな景色を望んだいた人、望んでいなかった人、望めなかった人、誰もがたった一人の、十歳の女の子に意識を捧げています。いつかアリシアの歌を聴いて、それに異を唱えた人でさえ。
いつもアリシアが歌っていたのは、誰もが、私でさえ聴いたことがあるようなありふれた民謡で。
どれほど優れていても、それはとても上手な歌でしかありませんでした。
けれど、今アリシアが歌っているものは違います。
借り物なんかじゃなくて、彼女が必死に考えて、探して、見つけて、紡いだ想いです。そこにはきっと、力が宿る──。
魔術なんて歪んだ力じゃなくて、ただひたむきに、誰かの心動かす力が──。
胸が熱い。
アリシアと出会って二月と経っていません。決して長い付き合いではないのでしょう。
けれど、こんなにも溢れてくる。感謝が、思い出が、想いが。
凄い、凄いですよアリシア。貴方はとても強い。やっぱり、私がいなくても、貴方はいつか同じ場所に立てたんでしょう。
だから、その背中を押して、手を引けたことがなにより嬉しい。貴方がこれから歩む人生の中に私がいたことが誇らしい──。
お礼を言うのは、私の方ですよ。
接し方を掴めなかった私に話をしてくれてありがとう。友達になってくれてありがとう。家に呼んでくれてありがとう。花を見せてくれてありがとう。この歌を聴かせてくれてありがとう──。
ここにいる三十人余りの何人がわかるのでしょう。
小さな身体から響いて、周りに広がって、魂ごと揺さぶられるこの歌──。
──ああ、これはきっと、
「私の歌だ──」
歌を作ろう──。そう決めた時から、アリシアはきっと、私のことを歌にするつもりだったんでしょう。通りで、私に何も教えてくれなかったわけです。
私はずっと、アリシアには貰ってばかりだと思っていました。今だって、最高の贈り物を貰っている真っ最中です。
けれど、こんな素敵な贈り物をして貰えるぐらいには、私はあの子に何かをあげることが出来ていたんでしょう。ああ、本当に、よかった──。
永遠を感じさせらるような時間。しかしそれは、呆気ないほどに、ゆっくりと、吸い込まれるように終わっていきます。
最後までありったけの想いを吐き出して、吐き出しきって、また場には余韻という静寂に包まれました。
そしてそれは、アリシアが一礼を終える頃には爆発して、拍手の音が辺りに広がりました。
あのアリシアを襲っていたチンピラですら、ぶっきらぼうに両の手のひらを叩きつけていました。
操り人形の音が切れたように、アリシアがステージの中央にたったまま、膝から崩れ落ちました。
「ゔっ……い゛っ……ああっあ゛あ゛ああぁぁあ!!」
そしてそのまま、三十人余りの拍手の音、その音に負けないぐらい大声で泣き始めてしまいました。
「お゛い……行っでやれよ……お前のやくめだろ゛……」
「うわ、ひっどい顔」
「っせえ!なぐだろこんなの……!なんでお前泣いてないんだよ!ほんとに人かよっ……!」
魔女です。そしてひどい言われようです。
そして、わざわざ言われなくてもわかってますよ。
私はそのまま立ち上がり、舞台に上がって、泣きじゃくっている女の子を力強く抱きしめました。
「もう、泣き虫ですね貴方は……そんなんじゃこの先やっていけませんよ…… 」
「だっで……!えぅっ……!」
「大丈夫です、大丈夫ですよ。しっかり届きましたから。ありがとう、アリシア」
拍手がすっかり止んだ後も、小さな歌手は私の腕の中で泣きじゃくっていました。
けれど、さっきまでの歌声が嘘のようなその泣き声は、決して不愉快なものではありませんでした。
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