第18話 これはこれで良かったのかもしれません。
「出来た──!」
嬉しそうに言うフレットさんとは対照的に、私は疲弊に満ちていました。
ずっと同じ体勢でいるというのは凄く疲れます。当たり前ですが。
「どう…かな…?」
おずおずと絵を見せてくるフレットさん。ですが、今私は固まった背中の筋を伸ばすために反り返っているので見えません。
「ライラさん?」
「あーはいはい、見ます見ます」
気恥しさも若干の嬉しさも、疲労に押しつぶされて消えてしまったので、私の態度はおざなりです。
そもそも、描かれている絵があの地獄絵でないという保証はどこにもありません。いやむしろその可能性の方が高い。
もし私の顔を題材にあの有様が展開されていたら──とりあえず絵は破り捨ててフレットさんは蹴りとばしましょう。
それぐらいならやってもいい権利が私にはあると、決意を固めて、静かに佇んでいるキャンバスへと体を運びます。
絵の横に背筋を伸ばして、やや固まりながら──どうやら緊張している様子のフレットさんを横目でチラリと見てからようやく、私の顔をモデルに描かれているはずの絵を──。
「うわあ──」
ドン引き──ではありません。自然ともれた感嘆の声です。
凄い美人がいました。ええもう自分で言っちゃいますよ、凄い美人がそこに描かれていました。
ええまさに絶世の美人といったところでしょう。
流れるような金色の髪と、翡翠の瞳は芸術性を高め、左目の下のホクロなども素敵なチャームポイントというやつですね。人物としても、絵としても、誰もが認める美しさでしょう。
そして、この絵にはモデルがいるんですよね。そう、私です。この美人は私です。
いやあ、テンション上がっちゃいますね、これ。
耐えしのいだかいはありますよ。
フレットさん、本当に絵上手なんですねえ。
「これ、持って帰ってもいいですか?」
「──もちろん!………はあぁよかったあ、気に入ってくれたあ」
そのままヘナヘナと床に崩れるフレットさん。安心しきったという感じです。
いや確かに、私今までフレットさんの絵に関しては否定的なことしか言ってませんでしたけど、こういう普通に綺麗と思える絵を描いてくれるのなら私だって部屋に飾りますとも。
「気に入りますよそりゃ。ここまで美人に描いてくれてるわけですし」
「ははは、それはきっとモデルがいいからだよ」
「……フレットさん、どうせ似たようなことを誰にでも言ってますよね……」
「ゔ……でも最近はライラさんにしか言ってないよ」
「……。まぁとりあえず、床じゃなくて椅子に座ってください」
立ち上がり安いように、フレットさんに向けて手を差し出します。
ありがとうと言って、フレットさんは私の手を掴み腰を上げます。
「のわっ──!」
そして、勢いがついた辺りで手を離してやりました。少々の衝撃と共に、フレットさんはまた床にへたり込みます。そのまま、苦笑いのような顔を浮かべていました。
「……なに?」
「……仕返し、です」
フレットさんは、なんの?とは聞かずに、今度は自力で立ち上がりました。そしてそのまま、飲み物を二人分用意して、お互いちゃんと椅子に座り直します。
「というかですねフレットさん、こういう普通の誰が見ても賞賛に値するような綺麗で上手な絵が描けるのなら、そっちを描いた方が人ウケは絶対いいですよ?」
話を聞く限り、あの地獄絵はフレットさんが周囲から感じる悪意のような違和感のぶつけ所として、お姉さんの助言もあって始めたもの。
それらと折り合いを付けることが出来ている今なら、別に無理して描き続ける必要はないと思うんです。
「あ〜それが……」
しかし、フレットさんは言葉を濁します。
「初めてなんだ。こう、今みたいにまともな絵を描くの」
「初めて?」
「うん、初めて。何度か描いたことあるみたいな言い方してたけど初めて。今までずっと、キミが悪夢だなんだと言ってるあの感じでしか描いてこなかったんだ」
「やっぱり……まだなにかあるんですか??」
フレットさんが周りから感じる違和感というのは、フレットさんにしかわからないもの。もしかすると、未だに拭いきれぬないものがあるのかもしれません。
「いや、ライラさん……まあ大方の人には不評なんだけど、僕自身はあのテイストが描いてるうちに段々好きになっちゃって。僕は世間一般が美しいと思うものよりも、ああいう少し歪だけどなににも勝る魂と極めて虚構に近い現実がのった──」
「ああはい、もう結構です。ありがとうございます」
つまり、ただ好きなだけだと。
あー、そう言えば初めて会った時も狂人のように熱弁してましたね。この人こういう所あるんでした。忘れてました。
「何度か普通の絵も描こうとしたけど、結局ああなっちゃうんだよね。あははははは」
なに笑ってんでしょうコイツ。
「というか、普通の絵も描けるって言ってたじゃないですか!」
「あー、ごめん。嘘」
嘘?!
嘘ときましたか……。まさかフレットさんが嘘をつくなんて……いや、嘘ぐらいつくでしょうけど。いい人というだけで、聖人というわけでもありませんし。
現にいま、フレットさんは私の糾弾に対して、少し申し訳なさそうにしながらも、だって正直に言うとモデルになってくれなかったでしょ?などと言い訳じみたことを言っています。その通りなんですけどね。
「というか、そんな嘘ついてまで私をモデルにしたかったんですか?」
「まあ……うん」
「うん?!」
どうしてそこまで?!と私が聞く前に、なぜだか少し後ろめたそうに、フレットさんは答えました。
「ライラさんなら、描ける気がして」
「……フレットさんって、時々意味わからないこと言いますよね」
いつも通りといえばいつも通り。なんだか締まらない感じでフレットさんと別れ、憂鬱な帰路へと着いていました。
アリシアとの約束のことですか?それならご安心を。フレットさんの家を出て、まあまあ早い段階で思い出したので急いで戻ってちゃんと取り付けてきましたよ。
話は問題もなく進み、明日二人でアリシアの所に行こうということになりました。
問題があるとすればこの後です。今の私の家は、あの景観から浮きまくっている紫の家。ガウドのいる場所です。
あー、なにを言われることやら。フレットさんを引き合いにだせばなんとかなりませんかね。ガウドも彼のことを気に入ってるようですし。
それとこれとは別問題。ええ、わかってますよ。
そうこうしてるうちに家の前です。着いてしまいました。逃げ出したい。
けれど、ここまで来たのならガウドにも気づかれていることでしょう。これ以上の先延ばしは悪手です。
とりあえずは、何事もなかったかのように、元気よく扉を開けて──
「ただいまでーす!」
………あれ?なにも反応がありません。
いないんでしょうか?いえ、ガウドの気配はします。
例の研究に没頭しているんでしょうか。
気配を辿り、研究部屋の方に向かいます。
「え……?」
そして、部屋に入るまでもなく。ガウドは見つかりました。
きっちりと施錠された部屋の扉の前で、ピクリとも動かないまま、片付け忘れたゴミのように倒れて。
「死ん……でる……?」
まさか。
そんなわけ。
あのガウドが。50年生きた魔女が、歴史に残る魔女災害を引き起こしたあの『氷結の魔女』が死んでいる?こんなありふれた瞬間に、こんなにも呆気なく。
魔女なんてものはなんの前触れもなく死ぬもの。それを私は忘れかけていた。それは否定しません。けれど、だからといって、あのガウドがこんな──。
いえ、今の私にすべきことは感傷に浸ることでも、現実から目を背けることではありません。
冷静に、何があったのかを把握しなければなりません。
まず、ガウドがなぜこのような状態になっているか──とかそんなことはまあどうでもいいですし、私の知ったことじゃありません。
死ぬならもうちょっと隅の、通行の邪魔にならないところで死んで欲しいものです。
「よっと」
ガウドの死体を跨ぎ、とりあえず自室に向かいます。
居間の壁を見渡すと、ガウドがフレットさんから買い取った絵が壁に飾られていました。何度見ても趣味が悪いの一言に尽きますが、当人にとってそれが価値のあるものならこうして飾りたいと思う気持ち、今ならわかります。
フレットさんが描いてくれた私の絵、どこに飾りましょうか。自室の一番いい所……うーん……。
「おかえり……不良娘」
思案していると、いきなり地の底から響くような声が聞こえてきました。もしかしなくてもガウドです。
「あら、生きてたんですね」
「見りゃわかんでしょうが……」
とりあえずお茶を入れて、ついでにお菓子も並べて、話を聞くことにしました。
「で、なんであんな場所で死んでたんですか?」
「生きてるわよ。それに言いたいことあるのはアタシの方なんだけど……まあいいわ。ほぼほぼ完成したのよ、死者蘇生の薬」
「は──?」
手に持っていたクッキーを床に落としました。
良かった、手に持ってたのがティーカップじゃなくて。この家の備品どれもこれも高そうで扱うのちょっと怖いんですよね。
「ほぼほぼね、ほぼほぼ。必要な材料も全部集めて調合し──」
「待って待って待ってください。次に行かないでください。私まだ頭の中ティーカップの段階にいますから」
「は?」
ふぅ──。冷静になりましょう。
ガウド、この男は半生をある研究に費やし出来ました。有名になりたいだとか、人の心に残りたいだとかいう極めてみみっちい欲のために。
それが、死者蘇生の薬。説明の必要もありませんが、つまり死んだ人間を生き返らせることの出来る薬です。
「それが完成した──と……?」
「完成はしてないわ、完成一歩手前よ」
にしてもですよ。にしても。
確かに、最近は調子がいいとは聞いていました。聞いていましたけど、まさかこの短期間で完成まで行くとは思いもしませんでした。
ガウドがこう言う以上、それは本当に完成間近にあるのでしょうが、にわかには信じきれません。
「一歩手前……なんですか?材料が足りない、とかですか?」
「いいえ、さっきも言ったでしょう。材料も全部集めて、調合したわよ。けれど問題は仕上げよ」
「仕上げ……あ──」
仕上げ。
その言葉を聞いて思い当たりました。
普段売っている薬の他に、誰かの手に渡らないよう厳重に保管されている薬がいくつかあります。
それらの薬は、まずは普通の薬と同じように、作られる種類にあった製法を用いて作られます。
しかし、一工程だけ、仕上げの時に、言うなれば魔女だけが出来る手法を用います。
例えば私なら火を、ガウドなら氷を出すことが出来ますが、その出力を最低限にまで抑えた時に、微弱な魔術の残滓のような、特になんの効果もない気のようなものが出ます。
それらを仕上げに薬に混ぜると、そんなものを使ったりしたら一発魔女判定な不思議効果を生み出すことの出来る薬の完成──というわけです。
例えば、身体が動物になったりするものだったり、運動能力の著しい向上、または低下を引き起こすものだったりと、とりあえず飲めばろくなことにはなりません。ええ、実体験です。
「つまり、その魔術の残滓的なあれが足りない、ということですか?」
「足りないってことはないのよ。けど、馬鹿げてるわ。ざっと見積もったところ、必要な量はそうね──魔女丸々一人分。死ぬまで注ぎ続けてやっと一個完成よ」
そう言って、ガウドは天井を仰ぎます。
「ほんと、馬鹿げてるわ。完成すれば、例えそれが魔女であっても、認めざるを得ない偉業よ。なのにその為に自分が死ぬんじゃ本末転倒じゃない。ねぇライラ、アンタ代わりに──」
「喜んで拒否します」
「チッ、でしょうね。あーほんっと、なんなのかしら……」
ガウドの視線は上に向いたままです。けれど、今彼がなにを見ているのかは、私にはわかりません。
「ほんと…なんだったのかしら……アタシの人生は……」
そのガウドらしからぬ小さい呟きを、私は聞こえないフリをして、お茶をすすりました。
私とガウドは気兼ねなく会話を交わせる間柄でしょう。けれど、せいぜい私がガウドと関わったのは、彼の人生の十分の一ほど。私が言える言葉は、何もありません。
けれど、このまま黙っていたら、本当に今すぐにでもガウドが目の前から消えてしまいそうな気がして、私は言いました。
「……これから、どうするんですか?」
するとガウドは、顔をこちらに向けて、若干虚ろになった目で私を見ました。
「これから……これからねえ。そうね、飽きたしいっそ死んでやるのもいいわね。幸いこの場所には一滴飲むだけでも安らかに死ねる薬だってあるわよ。──けど、アンタがいるわね」
「え、それどういう意味ですか?」
「いやねえ、変な意味じゃないわよ。ただこの先生きてても目的なんて見つかりそうもないし、だから仕事ほっぽって朝──どころか昼帰りをする馬鹿のために骨をおってやろうかってね」
そう言うガウドはなぜか、途端に老けたようにも見えました。けれど、どこか穏やかでもありました。
目の前の事態を飲み込むように、カップをくちにやりますが、とっくに中身は無くなっていました。
「アンタ、なんかやりたいことあるんでしょ?アタシに出来ることなら手伝うわよ」
「ええ、いやまあ、それはありがたいんですけど……えー、どうしたらいいんでしょうこれ……」
「ふふっ、そうね。まずは──よいしょっと、このどこの誰が誰を描いたか皆目見当もつかない絵の説明でもしたら?」
「あっ、ちょっと!?」
私が防ぐよりも先に、絵はガウドに奪われてしまいました。
「うーん、この辺りに飾るのがいいんじゃない?」
「いいわけないでしょう!?このおぞましい空間に並べないでください!というか返して下さいよ。傷つけたら許しませんからね!」
「なによ、いっつもフレットの絵のこと好き放題けなしてたくせして」
「それとこれは別です!!」
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