第17話 瞬きぐらいはしてもいいですよね?

 初めて友達の家に泊まる。という体験を終え、私は帰路に着いていました。

 あの後あったことといえば、そうですね。アリシアが歌いました。ええ、私の前だけでなく、家族皆の前で。

 いつものように素晴らしい歌声を、とは残念ながらいきませんでしたけどね。アリシアが途中で泣いてしまったので。

 他の子供達も、マキナさんもですかね、つられて泣いてました。

 ここからは家族の問題、というやつでしょう。部外者──というのはちょっと違う気がしますが、まあそれでも私はもうこの辺りでいいだろうなと。そんな次第でお暇させて貰ったわけです。次は私のもう一人の友達も連れて歌を聞きに来ると約束して──。

 そしてもう一つ。そもそも私は昨日、今日とでこんなことになるなんて思っていませんでしたし、勿論アリシアの家に泊まるつもりなど全くありませんでした。

 遅くとも、数時間で帰るつもりでしたから。

 つまり私はなんの断りも入れずにお店をほっぽり出して悠々と朝帰りをしているというわけです。

 うーん、怒られ……はしないでしょうね。ガウドがそんなことを一々気にするとは思えませんし。

 けれど、例え気にしていなくとも口実にはなります。

 丸一日無断でサボったという口実さえあれば、普段なら断れる妙な要求や厄介な仕事も押し付けられてしまいます。というか、ここぞとばかりに私が嫌がりそうなことをやらせることでしょう。試作した変な薬を飲まされたりとか……。

 持ちつ持たれつなんて言っていましたが、自分が持っていた分の倍の量を、頃合いを見つけて相手に持たせるのがガウドという性悪魔女のやり方です。

 ああ、帰りたくない。けれど他にいくあても──ありましたね。

 フレットさんのところです。

 歌を聴きにいきましょうと誘わなければなりません。それに、少なからずアリシアのことについて相談に乗ってもらいましたから、無事友達になれたという報告とお礼です。

 ──なんというか、慣れました。フレットさんと出会ったばかりの頃ならきっと、お礼なんて言おうとするだけで抵抗感があったでしょうけど、今ではけして近くはない道のりをこうして特に戸惑うこともなく進んでいるわけですから。


 フレットさんの家のある山の麓まであと少し、という所でふと気が付きました。

 勢いのままここまでやってきましたが、あの人今普通に国の方にいる可能性もあるんですよね……。私やガウドの所はまあ昨日来たばかりなので多分ないとは思いますが、いつか言っていた仕事とかしているかもしれません。

 けれど、片道大体二時間。とても一旦戻ってみようとは思えません。

 しょうがない、もしいなかったら帰ってくるまで待ちましょう。鍵がかかっていたら家の外ででも──ああ、でもそんなことしたら帰ってきた時にやたら心配して謝られそうです。どこか見つかりにくい場所にいて、フレットさんが帰ってきたらさも今来たかのように演出するとしましょう。よし、そうしましょう。


 いつの間にか、フレットさんが家にいないの前提で考えていました。

 フレットさんの家の扉の前に立ちます。

 やっぱり、慣れましたね。扉の前にたっても、戸惑いの気持ちも、くすぐったいようなものもわいてきません。

 戸惑いの連続だった日々も、今ではすっかり普通になってしまいました。

 ドルムトを出たばかりの──フレットさんと出会ったばかりの頃の私といえば……いえ、やめましょう。今となってはとても恥ずかしい思い出のような気がします。なぜでしょう、フレットさんに出会ってから昨日までの記憶が圧倒的に恥ずかしいで埋め尽くされているような気がします。

 しかもほとんど自爆のようなもの──まあ、いいです。

 とりあえず鍵がかかっているか確認──さらっと開きました。


「ゔぁっ──!」


 部屋を見て、私は驚きの声を上げます。そこに、フレットさんがいたからです。……いや、いるでしょうけど。フレットさんの家なんですから。

 そしてフレットさんはというと、私の驚き声にもセルフツッコミにも気がつくことなく、黙々と絵を描いている様子。

 そのまま部屋の中をウロウロしたりしますが、気がつく様子はありません。凄い集中力ですね。

 その凄い集中力のもとに生成されているのは、例によって到底良さの理解出来ない、禍々しさ満点絵なわけですが。

 このままひと段落つくまで待つかとも思ったのですが、今のように周りを一切気にせず自分の世界へと入っているフレットさんを見ると、なんかこう、イタズラしたくなります。よし、しましょう。


「えいっ」

「ひっ?!っうぁぁあああああ!」

「ぶっ──いぎゃぁああああ!?」

「あああぁ──ってライラさん!?うわ、ごめん!」

「ゔぇ、げっほげっ!口の中にはいっ…げぇ」

「あああと、とりあえず風呂沸かすから入って!先に口の中ゆすいで!いやでもその前に服脱いで!」


 結果、惨事が起きました──。


「あのー……一応僕の服置いてるから。サイズが合わないかもしれないけどこれしかなくて……ごめん」

「ありがとうございます……。そこに置いておいてください。今絶対に入ってこないでくださいよ?」

「入らないよ?!」


 わかってますけど、一応の釘さしです。

 お風呂を借りて裸というのもありますし、身体に色々ある傷跡とか見られたくありませんから。……いや、面倒なことになるとかそういう意味でですよ。他意はないですよ。ないですとも。


 フレットさんが用意してくれた服は確かにきついですが、着れないということはありませんでした。ただちょっとパツパツしてるのでこれで外を出歩きたくはありませんが。


「この前の泥棒騒ぎでちょっと神経過敏になってて、てっきり襲われたのかと思ったんだ……」


 私を見るなりフレットさんは言い訳を始めました。

 ちょっとしたいたずら心で後ろからフレットさんの服に手をつっこんでみた代償は、まさかの思いっきりペンキをぶっかけられるというものでした。もう着れませんね……あの服。


「神経過敏のなり方間違えてませんか?鍵ぐらい閉めといてくださいよ。というか私入ってきて声も出しましたよ」

「え、えぇー……」


 全く気が付かなかったという表情。全然神経過敏じゃないじゃないですか。


「とりあえず……服は弁償します……」

「いえ、いいですよ。元々変なことした私が悪いので」

「いやでもだからってペンキ投げつけるのはやりすぎだったから」

「いえ、そもそも私が勝手に上がり込んで──」


 このまましばらく押し問答が続きました。

 こんなことをしに来たわけじゃないんですが、予定狂いっぱなしです。


「そんなことよりっ、今日はフレットさんにお話があってきたんですよ」


 終わる気配がなかったので、強引に話題を次に移します。


「何度か相談にのってもらっていたアリシアの件ですが、無事友達になることができました」

「おぉ──!あれだけ面倒臭いこと言ってたのにできたんだ。おめでとう!」

「えぇ、フレットさんの作戦が上手くいきましたよ」

「へぇ、僕のさくせ……え?やったの?嘘でしょ?」


 自分から言い出したくせに引いてます。あんなに素晴らしいこと思いついた風をだしていたのに。


「いやなんというか、たまたま似た状況になったってだけですよ。そしたらそれがうまくきっかけになったんです」

「ああ、そう……良かった。あの時はノリで言ったけど後々考えると変なこと言ったなあって」

「言う前に気がついて下さいよ……」

「うんごめん。でもライラさんなら本気でやりかねなかったらちょっとびっくりしたよ」

「どういう意味ですかそれ?」

「あはははは──待って、馬鹿にしてるわけじゃないからペンキ置いて。ごめんなさい」


 まったくもう。

 なんだか最近フレットさんからの評価が少し残念なことになっているような気がします。

 友達だってつくれちゃうんですから、私は。


 ふと視線の先、フレットさんが熱中して描いていた絵があります。が、さっきのフレットさんがぶちまけたペンキが飛んで駄目になってしまっています。

 元はと言えば事の発端は私なので少し申し訳なくなりました。


「どうかしたの?」

「いや、せっかく描いてた絵が──」

「ああ、そんなことなら気にしないで。やることないから描いてただけだし、なんならまた描けばいいから」


 とてつもなく集中していた姿とは裏腹に、あっけらかんと応えます。


「そういうものなんですか……。なんかフレットさんにとって絵って特別なものなのかなと思ってました」

「うーん……特別では確かにあるけど、でも執着する程ではないよ。小さい頃は不安と違和感のぶつけ所だったけど、その必要がなくなった今はただの道楽みたいなものだから」


 そういえばこの禍々しい絵は、フレットさんが世界から感じる違和感を描いてるんでしたっけ。

 その辺の感覚はよく理解出来ませんが、ふとずっと思っていた小さな疑問が大きくなっていきました。


「フレットさんって、まともな絵は描けないんですか?」

「描けるよ」


 描けるんかい。

 一歩踏み込んだ質問をしたつもりだったのですが、物凄くあっさり返されました。


「え?描けるんですか?」

「うん。何も考えずに描いたらいつもの絵になるけど、ちゃんとまとも……って言い方はなんかモヤっとするけどまあ、描けるよ」


 なるほど……というか何も考えずに描いたらあんな文字通り地獄絵図になるんですね。怖い。

 でもフレットさんのまともな絵……見たい。


「ライラさんなら、描ける気がする……」

「え?なにか言いました?」

「うん、えっと……ライラさん。モデルになってくれない?」



 モデル……もでる……私が?絵の?フレットさんの?

 なんでしょうかこれ、とんだ急展開。

 絵のモデルってなにすればいいんでしょう。そういえば人物をモデルにした絵ってやたら裸が多いですけど、つまりそれって……いやいやそんなわけない。混乱してますね、落ち着け私。


「えっと……それって……服は着たまま……ですよね?」

「え?うん、勿論そうだけど……なんで?」

「いえ、なんでもありません。忘れてください」

「あぁ──確かにあるね、そういうの。僕もあんまり詳しくないんだけどなんでなんだろ。デッサンの練習とかになるのかな?」

「掘り下げないでくださいってば!」


 しかもよくわからない言葉まで使って。

 しかしまあ、服を着たままなら別に──


「ああ、いや、やっぱりだめです」

「え、どうして?」

「だって今私変な服着てるじゃないですか。せっかく描いて貰うのなら、もう少しちゃんとしたもの着てるの方が……」

「うん……でもそれ僕の服なんだけど……」

「あ……。すいません……」

「こっちこそ……なんか、ごめん」


 生暖かいような、微妙な空気が流れて行きます。

 沈黙が、痛い。


「あ、そうだ。顔、顔だけならどうかな?」

「ええ、それなら大丈夫です。ありがとうございます。アハハ」


 無事、落とし所を見つけることができました。変な空気は微妙に払拭出来ていませんが、そそくさと準備に取り掛かります。

 といっても、フレットさんは既に画材は傍に用意してありますし、用意された長方形の台のようなものに私が腰掛るだけで、準備は終わりました。


「じゃあ、よろしく……」

「え、えぇ……お願いします……」


 いざ始めという時、私もフレットさんも緊張しています。

 私は今座って顔をフレットさんの方に向けているわけで、フレットさんも私の顔を見ているわけで、目が合い続けています。

 はやく描き始めて下さいフレットさん。私の顔を見つめ続けるだけでは絵は完成しませんよ。

 私が限界を超えて逃げ出す前にはやく描いた方がいいですよ。


「……」

「…………」


 今更ながら、別に横顔でも良かったのではないでしょうか。けれどそれを今更言い出すのは逆に恥ずかしい。

 段々と耐えられなくなってきて、視線を泳がせたりもしますが、


「動かないで」


 いつの間にかスイッチが入っていたらしいフレットさんから注意が飛んできます。

 なんなんですか、最初はフレットさんだって照れてたじゃないですか。なんというか、ずるい。凄くずるい。

 フレットさんの目は、私を見ているというよりも、品定めをしているという感じになっています。

 ああ、なぜ私だけこんな思いをしなければならないのか。そしてまだそんなに時間は経っていませんが、同じ体制でいるの結構しんどい。


「綺麗だな……」

「ひゃいっ?!」


 フレットさんはいきなり呟いたかと思うと、そのまま筆を走らせ、たまに私をじっと見つめては筆を走らせる。それを繰り返していました。

 私はというと、絵が描きあがるまでの間、気持ち的にも体力的にもグングンと疲弊していきました。


「動かないで」

「すいません……」

「喋らないで」

「……」


 ともあれ、今回のことで、私は絵のモデルは二度とやらないと強く強く誓うのでした。あぁ、はやく終わらないかな……。


「動かないで」

「……」

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