第15話 私、決めました。

「うっふふー。ラーイラ。ラーイラ。ラッイッラー」

「なんなんですかもう……」


 ついさっきまでピーピー泣き喚いていた女の子はどこに行ってしまったのでしょうか。

 今はやたら上機嫌の生き物が私の腰辺りにまとわりついています。


「ラーイラ、ラーイラ」


 先程から発しているコレは恐らく、鳴き声なのでしょう。

 あとどうでもいいですけど、さっきから貴方が顔を擦りつけているそこ、鼻水だらけですよ?

 というかこの白いワンピース結構気に入ってるんですけど、洗えば落ちるでしょうか。

 そして気がつけば、鳴き声を発するのをやめて、アリシアがじっとこちらを見ています。手は私の腰にまわしたまま顔だけを上げて。


「ほら、早く!早く!」


 そのまま小刻みに飛び跳ねながら、アリシアは私に何かを催促してきます。

 いや、その何かがなんなのかは流石にわかりますけど。

 もはや事ここに至って今更恥ずかしいだとか、そんな感情はないはずなのですが、どうにも。

 だってもう恥ずかしいことは散々やりましたからね。あるいはそのテンションのままなら簡単にやってのけることが出来たのでしょうが、アリシアが泣き止むのを待っているうちにその熱も冷めてしまい、冷静に現実を直視すると妙な後悔に押しつぶされてしまいそうです。

 けれどまあ、もう友達と言ってしまいました。色々と葛藤はありましたが、私達は友達です。名前の一つや二つ、いくらでも呼んであげましょう。


「──アリシア」

「うーんもう一回!」

「はぁ……アリシアアリシアアリシアアリシア」

「──うっふぅ!ライラ大好き!」

「大ッ──?!」


 アリシアのご機嫌っぷりは上限などないというように上がり続けており、私の腰に回したままの手にもギュッと力が入ります。いくら十歳の少女といえでも、感情のままに力を込められるとそれなりに痛いものですが、私はそれを気にすることも出来ないまま固まっていました。

 あまりにも私の人生に馴染みのない言葉を投げかけられたものですからつい。

 大好き──。あまりにもサラッと言われてしまいましたが、友達だと言い合ったりするのが私が知らないだけで、普通なんでしょうか。

 いや──そんなはずはありません。

 アリシアだってきっと、友達なんてものは初めてで、だから適切な距離感というものがわからず、率直な感情をそのまま言葉にして伝えているのでしょう。

 例えばこれがフレットさんだったら──いや、あの人普通に言ってきそうですね。特になにを意識するでもなく普通に。「え?僕ライラさんのこと好きだよ」とか。恐ろしい……。

 いえ、今フレットさんのことはどうでもいいんです。アリシアです、アリシア。

 彼女が率直な言葉を伝えてくれるのであれば、私も同じように伝えるべきでは?と。

 まあ私だって、友達は初めてみたいなものですし、この際だから言ってしまいましょう。


「私もアリシアのこと大──まあ、はい。──好ましく思っていますよ」

「うーん……でもやっぱりなにか……わたしの持ってるもの……そうだわ──!」


 気がつけば、アリシアはとっくに私の腰から手を離し離れた場所にいました。そしてそのままなにかを思案していた様子です。よって、折角の私のちょっとばかりの決意のこもったセリフはあえなく無視されてしまいました。

 怒りと自嘲が混じった表情の私とは遥か彼方に位置するような笑顔でこちらにパタパタとまた駆け寄ってくるアリシア。一番近くに来たところを狙って一発はたいてやろうかと少し思いました。

 アリシアはそのまま私の目の前までくると、今度は飛びついて来ることもなくそのまま自分の髪をを触り始めます。そしてそのまま、左右で止めて束ねている箇所の両方を外して、


「はい、これライラにあげる──!」


 そう言って、右の手のひらを差し出してきました。その手のひらの上には、お世辞にもいいとはいえない質素な髪留めが乗せられていました。


「これを、私に?」


 随分と間抜けな声が出てしまいました。

 ありったけの笑顔のまま、アリシアは続けます。


「うん!やっとちゃんと友達になれたんだもの。だからプレゼント!どう、嬉しい?」

「ええ、ありがとう、ございます」


 嬉しい──。自分でも驚く程に。正直金銭的価値は欠片も見受けられないこんな代物が、こんなにも嬉しい。だからもう一度、しっかりとアリシアの目を見て言います。


「とっても嬉しいです。ありがとうございます、アリシア」

「ライラー!」


 ボフンと、また小さい生き物が私の腰辺りに巻きついてきました。

 ついさっきまで綺麗に結ばれていた髪は宙に投げ出され、少しだけ靡いています。

 私はその髪を手ですくい、貰ったばかりの髪留めで、ちょちょいと纏め結びます。左右ではなく、今度は後ろに。

 するとアリシアは、「わわっ!」と私から飛び退いて、出来たばかりの後頭部の小さなしっぽを手で触りながら少し不服そうにしました。


「わたし、髪ぐらい自分で結べるもん」

「そうですか、それなら結んでください」


 アリシアの手に握られたもう一つの髪留めと、自分の髪を指差しながら私は言います。


「──うん!!」


 その元気のいい返事と同時、髪を結びやすいようにと私は地面に座ります。

 出来るというのは嘘ではないでしょうが、何分私の髪はアリシアのそれと比べて遥かに長いので、どうやら手間取っている様子。手付きは少し荒っぽく、時々引っ張られるような痛みが走りますが、今は特別に我慢してあげます。

 やがて、パチン──!という音、そしてアリシアのふぅ──。と息を吐く音が聞こえてきました。


「出来た──どう、ライラ!上手でしょ!」


 胸を張ってアリシアが言いますが、生憎今は鏡がないので出来栄えの有無を確認することは出来ませんが、きっとアリシアのよりはグンと長めのしっぽが生えてきていることでしょう。


「──の割には随分と時間が掛かりましたね」

「ち、違うの!ライラの髪とっても長いしとっても綺麗だから気をつかってたの!」

「何回か凄く痛かったんですけど……」

「うっ……ごめんなさい……」

「まあ、許してあげましょう」


 友達ですから──。

 立ち上がった弾みで、視界の隅に綺麗に束ねられた金髪が映りました。

 なんとなく気分が良くなって、その場で一回転をしてみたりします。そんな私を見て、アリシアも一回転。


「お揃いですね」

「うん!お揃い!」



 その後、さすがに今日は歌はやめにして帰るというアリシアを、私は送っていくことにしました。

 あんなことがあったのですから、まあ用心です。

 それに今日に限ったことではなく、今後のことも兼ねて。

 今私は、ガウドのワッペンを胸に付けています。このワッペンの効果の程は既に実証済み。ならばこれを付けている私とアリシアが一緒に行動している所を周囲の人間に見せれば、下手なことはされなくなるだろうという次第です。

 現に人通りの多いところに来ると、特に私はなにもしていないのに挨拶されたり、怯えられたり、道を開けられたり、なんだかとても気分がいいです。

 アリシアが何事かというような目をしてこちらを見てくるので、ワッペンのことは伏せてあたかも私の力というように堂々と歩いたりもしました。

 やがて居住区のような所にたどり着きました。しかし、そこは通り過ぎて、また人通りの少ない、ほんの少し外れたその場所にそれはありました。


「皆、ただいま!」


 アリシアがそう声をかけると、決して大きくはない掘っ建て小屋からわらわらと、アリシアよりも小さい子供達が五人、出てきました。

 そしてその後ろから、ゆっくりとした足取りで一人の老婆が出てきて、アリシアに微笑みかけて言いました。


「お帰りなさい、アリシア」



 アリシアの家庭事情を、私は数日前には彼女の口から聞いていました。

 彼女が家族と呼ぶそれらは、血の繋がりがあるわけではなく、弟妹と呼ぶ子供達は皆両親を無くした他人で、母と呼ぶその老婆は、そんな子供達を集めて育てているのだそう。

 つまりはアリシアも、ずっと前に両親を亡くしてから、彼女に育てられ暮らしているということです。


「お帰りお姉ちゃん!」「ただいまローテ」「アリ姉おかえりー」「あ、シルまた服汚して!洗ったげるから脱いで待ってて」


 アリシアの家族を、家族の前にいるアリシアを、私は初めて見ました。

 その姿は普段私が見る彼女とはとても異なっていて、なんだか寂しいような嬉しいような、そんな気持ちになりました。

 けれども家の中に入る直前、アリシアはこっちを振り向いて、私のよく知る顔になりました。


「ありがとうライラ!じゃあ、またね!」


 そう言って、アリシアは掘っ建て小屋の中へと入って行きました。

 役目も終わり私もさっさと帰ろうと思ったところで、先程の老婆──がこちらをじっと見ていることに気が付きました。


「私は──マキナといいます。もう聞いているでしょうが、あの子の──アリシアの親のようなことをやっておるものです」

「そう、ですか、私はアリシアの──」


 友達のと言おうとした所で、老婆はウンウンと嬉しそうに頷いて言います。


「ライラさん──でしょう?あの子がいつもいつもあなたのお話しをしているもので。あの子の歌、聴いてくださっているんでしょう。ほんとうに、ありがとう」

「え、あの、ちょっと」


 そのまま急に頭を深々と下げられ、私もどう対応すればいいかわからなくなりしどろもどろ。

 老婆は──マキナさんは頭を上げて構わず続けます。


「あの子はね、昔から歌が上手で。あの歌に私も、他の子供達も何度も元気づけられたものです。私のような年寄りでさえ思いました。あの子は天才だと、こんな所に居るような人間ではないと。けれどそう感じたのは私だけではなかったようで──」

「それで、それを妬んだ他の住人に嫌がらせされるようになった──と」

「はい、その通りです。けれどもあの子は本当に強い。嫌がらせにも負けず、むしろそれまで以上に彼女は歌を皆の前で歌い続けました──。けれど、その嫌がらせが私達に向けられるようになった途端に、あの子はポツリと歌うのをやめてしまったんです」


 初めてあった時、アリシアは言っていました。家族が嫌がらせを受けるから人前では歌えないのだと。

 彼女はきっと、自分が掴める幸福よりも大事なのでしょう、この老婆が、あの子供達が、家族が。

 けれどもだからといって、歌うことはやめたくなかった。


「だから彼女はあんな場所で一人で歌っていた──」

「ええ、そうです。私達は何度も言いました。気にすることは無いと。けれども聞き分けのいいあの子もそこだけは頑なでした。あの子が私達を大切に思ってくれているのはとても嬉しい。けれどそれ以上に辛くもあるんですよ私は──」

「……」

「あの子は優しい。だから私では、あの子をこの無意味な濁流から拾い上げることは出来ない──。ねえ、ライラさん──あの子を、アリシアのことを、どうかよろしくお願いします」


 そう言って、マキナさんはまた深く頭を下げました。

『よろしくお願いします』

 この一言に一体どれだけの意味が含まれているのかは想像に難くありまさん。そして私にその意味の全てを受け止める言われはあるのか──。

 けれども、大切な友達の母親を前にして、私が言えることはたった一つでした。


「任せて下さい。私、あの子の友達ですから」



 話も終わり、今度こそ帰ろうと、マキナと掘っ建て小屋に背を向けた時──


「ライラー!」

「ぐぇっ──?!」


 扉を突き破るかの勢いでアリシアが飛び出してきて、一纏まりになって掴みやすくなったであろう私の髪を引っ張ってきました。


「痛い──!」

「痛いのは私もですよ。髪引っ張るのやめてくださいってずっと言ってるじゃないですか」


 マキナさんはまだすぐそこで私たちのことを見ていましたが関係ありません。容赦なくチョップ。


「ごめんなさい……でも違うの!もしライラがここに来ることがあったら見せたいものがあったの!行こ!」


 そう言ってアリシアは、私に返答の時間を与えぬままに、今度は私の手を引っ張ってずんずんと歩いていきます。

 背後からはマキナさんの、「ご飯作って待っとるからね」という声が聞こえてきました。



「これは──」


 手を引かれるまま、十分ほどでしょうか?

 歩いた先にある光景を見て、私は息をのみました

 そこにあったのは、決して広くはないですが、それでもこんな場所にあるには不釣り合いと言っていいほど綺麗な、花畑でした。


「どう、ライラ?綺麗でしょ!」

「えぇ、凄いですね──」


 でもなんでわざわざこんな場所に──?と言おうとして思い出しました。

 それはいつか交わされた会話。お互いの好きなものの話になった時です。

 アリシアは勿論のこと歌と答え、私は特にこれといったものはなかったのですが、ここでないと答えるのもどうかと思い、「うーん、お花ですかね」と言ったのでした。

 ドルムトにいてまだガウドの所で生活していた時のこと──というか今もですが、ガウドの家にインテリアとして花が飾られていたのを綺麗だなと思い、それがなんとなく印象に残っていたせいでそう答えたんでした。


「わたし、お花にはあんまり興味がなかったんだけど、ライラが好きって言ってたからお母さんに聞いて教えて貰ったの!わたしも色んな色があってとっても素敵だと思うの!ね!」

「えぇ、私もそう思います──。ありがとう、アリシア」

「うへ、うへへへへへ」


 白、赤、黄、青。それらが密集して出来ているこの鮮やかさは、確かにいいものです。私はもしかしたら本当に花が好きなのかもしれないと思うほどに。


『アリシアのことを、どうかよろしくお願いします』


 先程のマキナの言葉が脳内で反復されます。

 えぇ、わかってますよ。わざわざ言われなくても。こんなにもいい子で、こんなにもいい友達、是非ともよろしくされてあげますとも。

 アリシアの顔を見やります。

 私は魔女です──。けれど、ガウドの言うとうり、それを一々気にしていてもしょうがないのかもしれません。だって私は今こんなにも──。


「ねえ、アリシア。私、決めました」

「──?なにが?」

「貴方のために出来ることを、全力でやろうと思います!」


 それが素敵な髪留めと、素敵な景色への、私からの精一杯の返礼です。

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