第11話 友達……。
「いいえ、ただ通りかかっただけですので」
キラキラと目を輝かせる少女の質問に、私は素っ気なく答えて立ち去ります。
歌を聴きに来たのか?と問われれば、答えはまあどちらかというと『ハイ』なのですが、そう答えるのはこの場合間違いです。
もしハイと答えようものならば、きっと少女は日が暮れるまで私に歌を聴かせようとしてくることでしょう。
確かに、一度しっかりと聴いて見たい。そんな風に思う歌ではありましたが……。私今お仕事中なので。
また機会があればと心で思いながら、この場を後に──
「ちょっとお姉さん待って──!」
「うぇっ──ぎゃっ!」
途端に痛みとともに身体の重心が後ろへと傾き、よろける私。
……このガキ、あろうことか私を呼び止める為に髪を引っ張りやがったのです。
「あっ……ご、ごめんなさい……」
私の顔を見て、何かを感じ取ったのか、途端に顔を曇らせて謝る少女。素直に謝罪出来るというのはいいことです。許しませんけど。
一歩一歩と、怯える少女に近づいて行きます。
少女は後ず去ろうとしますが、直ぐに背後の壁へと行き当たり、逃げ場を無くしてしまいます。
「あの……ごめんなさい……つい長かったから」
「言い残すことはそれだけですか?」
ジリジリと、少女と私の間の距離は無くなっていきます。
怯える少女と、それに迫る
さすがに私も大人しくしていたいので、魔術の使用は控えたいですし。
ですので少し、大人としての真っ当な教育的指導をこの少女に施すだけです。
「お、お姉さんの髪とっても綺麗だよね!」
無駄です。そんな妄言に易々と籠絡されるほど私は単純ではありません。
「声も綺麗だし、む、胸も大きくてスタイルも抜群!」
無駄です。
「あととても美人さん!私も成長したらお姉さんみたいになりたいな〜」
……。
「あとは〜えっとぉ……足も細くていだだだだだだだ!」
ほっぺを軽く抓り、教育的指導終了。
初めからこの程度で済ますつもりでしたよ?子供相手ですし。
「うぅ……痛い……酷いせっかく沢山褒めたのに……」
「酷いはこっちのセリフですよ。髪は女の命だって習いませんでした?」
「習ってない……」
いやまあ、私も習ってませんけど。
「とりあえず、もうあんなことやっちゃ駄目ですよ。次やったら抓ったほっぺたをそのまま引きちぎりますからね」
そう言って、今度こそこの場を立ち去ろうとしますが──
「お姉さん待ってってば──!」
「のぎぁや?!」
さっきのやり取りは一体なんだったのか。
また髪を引っ張られよろける私。
まさか二回目があるとは思っていなかったので、変な悲鳴を上げてしまいました。
「……」
「ひぎゃいひぎゃい!ごへんなはいごへんなはい!!」
また少女のほっぺを抓ります。今度は強めに。
たっぷり十秒抓ってから手を離してやると、ほっぺを擦りながら、今度は痛みからか泣いていました。
「うっ…ぐずっ……」
「自業自得ですよ。反省してください」
とりあえずは、少女が泣き終わるまでは待つことにしました。下手に帰ろうとしてまた引っ張られるのも嫌なので。
とはいっても、待つというほど時間もかけずに少女は泣きやみました。
「で?なんでわざわざ私の綺麗な髪まで引っ張って何の用ですか」
さすがに二回も呼び止められたので、一応聞きます。
「だって……お姉さんが私の歌を聴きに来てくれたのに帰ろうとするから……」
「いや、たまたま通りがかっただけだって言ったじゃないですか……」
子供の脳というものは、自分の都合のいいように物事を書き換えがちです。
「嘘!」
急に少女は声を張り上げて叫びました。
いきなり発言を嘘と断定され、私も少し困惑を顔に浮かべています。
「だってこんな所人が通りがかるはずないわ。わたし、そういう場所を選んで歌ってるもの!」
なぜそういう場所を選んで?とか、なんでそんな自信満々で?とか聞きたいことはありましたが、そこは我慢。
しかし、この少女の発言は的を得てはいます。
タダでさえ人通りの少ない通りのさらに奥まった場所。それも貧民街。そんな場所通りがかる人なんているわけありませんよね。
「ぐっ……!違いますよ。そこの通りを歩いていたら、たまたま歌声のようなものが聞こえて来たので気になって来てみただけですよ」
「わたしの歌が気になってここに来たのならそれは聴きに来たっていうことでしょ?!」
「ぐっ……!」
もはや打つ手のないように思います。
しかし、ここで引けば、こんな少女に言い負けたということになってしまいます。それは悔しいので嫌です。
「ふぅ……。わかりました。貴方年はいくつですか?」
「ふふ、十歳よ!」
得意げな顔で言う少女に、私も得意げな顔をして返します。
「私はそうですね……十六歳です!どうですか!」
「すごいわ!お姉さんって感じ!」
それが一体どういう感じなのかはよくわかりませんが、悪い気はしません。
そして、その得意顔のまま私は続けます。
「つまり私の方が圧倒的に年上ということです。つまり、年上だから私の方が偉い。私の方が正しい。私はべつに貴方の歌を聴くためにここに来たわけではないんですよ!」
「え……」
少女の表情と、空気が凍りつきました。
そうなってからようやく、私の今の自分の発言の情けなさ具合に気がつくことが出来ました。
得意げな顔を維持したまま、私も固まっています。
少女は生まれて初めてとんでもないものに出会ったというような顔をして、私を見つめています。
鉛のような重たさの沈黙が私達を、というか主に私を襲い、今この場面をガウドにでも見られていたら、きっとしばらくは笑って動けなくなってるだろうなあとか、フレットさんなら微妙に辛い優しい目でこちらを見てくるんだろうなあとか、現実逃避気味にそんなことをしばらく考えていました。
なんとも言えない気まずさは、時間の経過と共に恥ずかしさへと変わり、段々と自分の顔が赤くなっていくのを感じます。
「えっと……お姉さん……大丈夫?」
それは今日で一番、私の心をえぐり、そして一番腹の立つ発言でした──。
気を取り直して、というか気を持ち直して、私は少女と話をします。
「結局、お姉さんはわたしの歌を聴きに来てくれたってことでいいのよね?」
「時間がないので一曲だけですよ、一曲だけ。私も忙しいんです」
もう色々と面倒になったので、会話の順序をすっ飛ばして妥協案を出します。
ただ、その言葉に少女は満足したようで、「うへへ、うへ、うへへへ」と少し危なく笑っていました。
「そんなに嬉しいんですか?」
「当たり前!だって、私の歌を聴きに来てくれた人なんて初めてだもの。きっとお姉さんは見た目と同じで心も綺麗な人なんだわ!」
「いいから、歌うなら早く歌ってください」
「照れてる……」
「うるさいですよ」
全く、子供というのは無駄に口数が多くて困ります。仮にも魔女に心が綺麗だなんて、人を見る目はあまりまりませんね、この子。
「私もね、貧相な身なりだけど自分で自分のこと悪くないと思ってるのよ。それに歌は誰にも負けないって自負してるわ!だから六年後にはお姉さんを超えるかもしれないのよ!」
「はいはい、そうだといいですね。歌わないなら行きますね、さようなら」
「ああ、待ってお姉さん!」
ハッキリと、触れられている感触。
「……なんでまた髪の毛を掴んでるんですか?もう一回泣かされたいんですか?」
「あ……ごめんなさい……。で、でも、お姉さんの髪ほんと綺麗で!つい触りたくなっちゃうの!ほんとよ!」
触るのと掴んで引っ張るのは、大分違うような気がしますが。
しかし、髪の毛に関しては密かな自慢でもあるので褒められるのは悪い気はしません。
「売ったら高そうだし……」
「なんて言いました?!」
こんな所にいる以上、彼女も貧民街の住民。
急いで、彼女の手を髪から引き剥がします。
「今から歌う歌のお代として先っぽだけでも……」
「帰ります!」
「ああごめんなさいごめんなさい!冗談冗談だから帰らないで!」
「ああ、もう、だから引っ張らないで下さいって!」
ようやく落ち着き、私は観客よろしく地面に三角座り。座ってから、この服って汚しても怒られないんでしょうかと不安になりましたが、もう遅いので気にしないことにします。
そして、そういえば名前も聞いていない目の前に立つ少女は、緊張を解くように、深呼吸をして、そのあとに深く一礼をしました。
数拍の静寂の後、少女の歌が、誰もいない貧民街の奥地に響きました。
それは、全ての意識がそれに持っていかれるのが当然というような──まるで洗脳の魔術でも使われたかのように、心に響く歌でした。
歌詞は恐らく、極々ありふれた民謡。なんの演奏もなく、ついさっきまでのキャンキャンしたような声から一変した"歌声"だけが、私の全身を掴んで離さないのです。
たった一曲、それも2分程度。それは、彼女の持つ力を示すのには、充分すぎる時間でした。
「すごい──」
その呟きは、ほとんど反射からでたものです。
「え?ふ、ふふふん!そうでしょうそうでしょう!私の歌は凄いのよ!うひっ、うっひへへへへへ」
まるで褒められ慣れていないというような反応を、彼女は見せました。
「な、なんでこんな所で歌ってるんですか?!」
思わず、私はそう言って少女に詰め寄ります。
「もっと人のいる所で歌いましょうよ!そしたら私の髪の毛に頼らなくたって貧民街から抜け出せるぐらいの金額稼げますよ!」
興奮気味にまくし立てる私に、少し困ったような顔を少女は返します。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、それじゃ駄目なの。私が歌うとね、皆嫌がって、私や私の家族を虐めるの。でも歌うのは大好きで、だからこうして人のいないところで歌ってるのよ」
「嫌がるって……」
貧民街の住人の貧相な感性では、この歌の良さがわからないのでしょうか?いいえ、わかる。わかるからこそ、嫌がるのでしょう。
この歌が、ある程度人の目に触れれば、彼女はきっと成功する。貧民どころか富裕層にまで上り詰めることも可能かも知れません。
だから、面白くない。濁流の中にいる人間は、濁流から人間が這い上がるのを許さない。だからなにがなんでも足を引っ張ろうとする。つまりはそういうことなんだしょう。
非常に勿体ないことだとは思いますが、仕方の無いことです。
「だから、お姉さんが聴きに来てくれて、聴いてくれて、今日はとっても嬉しかったわ!ありがとう!」
とても明るい表情でそう言った後、少し恥ずかしげに、少女は言いました。
「それで……その……また聴きに来てくれるかしら?」
「うーん、どうでしょう。この辺りにやってきたのは本当に今日たまたまなんですよね。次いつ来るかわからないですし、約束は出来ません」
その問いに、今度は正直に答えます。
また聴けるのなら聴きたい歌ではありますが、普段は店番もありますし、それに、いくら今は普通の生活を送っているからといって、それがずっと続くとは限りません。私が魔女である以上、あまり下手な交流は増やさない方がいいのです。お互いのために。寂しそうな彼女には悪いですが。
すると突然、何かを思いついたように少女にパッと顔を上げます。
「つまり、ここに来る理由があればまた聴いてくれるのよね?!」
「え?いや、まあ、どうなんでしょう……」
「いい方法があるわ!私達、友達になりましょう!友達が友達に会いに行くなんてそれ自体が理由のようなものでしょう!」
「とも……だち……」
そんなわけないのですが、『友達』という言葉をまるで初めて耳にしたかのように、反芻してしまいます。
日々世界に溢れていても、私には点で馴染めがなかったその言葉に呆然とする私を気に求めずに、少女は話を進めます。
「お姉さん、名前は?」
「え──?あ、ああ、ライラですけど……」
「名前もとっても素敵じゃない!お姉さ──いえ、友達だから名前呼びでもいいわよね!わたしはアリシアっていうの!是非名前で読んでね、じゃあまたねライラ──!」
言いたいことだけ言って、嵐のように少女──アリシアは去っていきました。
「あ、そうだ……。仕入れの品、取りに行かないと」
結局、随分と時間を食ってしまい、取り引きの相手には遅いと文句を言われつつ、無事品物ゲット。品物は、なんてことないその市でも普通に買えるものばかり。本当に安く買い叩くためにわざわざ私をこんな所までこさせたようですあの男は。
「友達……」
帰り道、なんとなしに言葉が口から零れました。
ようやく家に帰ることが出来ましたが、「遅い!」の一言から始まりガウドのお説教がしばらく続いて来ました。
「ああ、疲れた……」
残りの店番、夕食時の追加と言わんばかりのガウドの小言も終わり、ようやく眠れるというその時に頭の中をグルグルと、『友達』というなんでもないような言葉が駆け巡り邪魔をします。
「アリシア……」
ぽつりと呟いたその名前を忘れるように、私は布団を頭まで被り目を瞑りました。
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