第8話 やっぱり、むず痒い。
やって来ました。麓の山小屋、フレットさんのご自宅です。
この扉をコンコンと叩けばフレットさんが出てきて、やあやあと事情を説明すればそこまで時間はかかること無く、この案件を終えることはできるのでしょう。しかし理屈と現実は違うもので、私はかれこれ数分間、扉の前で立ち尽くしていました。
いっそフレットさんの方から出てきてくれたら楽なんですが、気配なんて察せませんよね。人間ですもの。ライラ。
家の中から物音のようなものは聞こえてくるので、出かけている訳では無いようです。ですからとっとと終わらせればいい。いいんですが、なんかこう、むず痒いんですよね。
色々なことがあったせいか、ここにいたことがそこそこに前の出来事のように感じでしまうんです。でも、まだ一日前なんですよね。
そもそも私、五日前まではドルムトで普通に生活していました。ここのところの出来事、どう考えても五日分の分量では無い気がします。もっと段階を丁寧に踏んで数ヶ月のスパンで起こすべきではないでしょうか?
──思考が逸れました。
いやだってですよ、私はもう今生の別れというかそんなつもりでいたんです。それがまあたった一日で……どういうことなんでしょう……。
いえ、ちゃんと理解してはいるんです。全て私が自分で蒔いたものだということを。
もしかして私は、我が身可愛さに選択を失敗したのでしょうか?そもそもフレットさんを売るという手段はいつでも使えるカードなんですから、もう少し色々と別の可能性を探ってみてからで良かったのではないでしょうか?
なんであそこで迷わずあんな選択をしたんですかね、私。
そもそもガウドとのあれこれがなければペンダントはそっと扉の前にでも置いておくだけで良かったんです。こうして会う以上、それも直接渡さなければならないということに……。もう少し考えて行動しましょうよ、私。
なんて後悔も、今となっては遅すぎます。
これでやっぱり無理でしたなんてことになれば、今度はガウドに何されるかわかったものではありません。怪しい薬の実験台はもう勘弁です。
とまあうだうだと考えていても、埒もこの扉も開くことはありません。
怪しまれないような諸々の辻褄合わせはちゃんと考えているんです。この扉さえノックすれば、あとは流れでなんとかなるはず。なのになぜ、こんなにも躓いているのか。そもそも、なぜこんなことで悩んでいるのか。
『やっぱり、アンタ変わったわ』
昨日の会話で言われた何気ない一言が、脳の中で反芻されます。
少なくとも、ドルムトからガウドがいなくなった前と、いなくなった後の4年間、私自身は変わってなんていません。変わりようがありませんでした。
もし、何か変わったとするのなら、この五日間──そんな短い期間で何が変わるというんですかね。普通の人間ならそれもあるかもしれませんが、魔女が変わるだなんてあるんでしょうか。
現に、ガウドは四年前と変わった所は見当たりませんでした。 それこそ見た目が老けたぐらいのものです。
ああ、そうですね。こんなものは錯覚です。
そもそももう一度会うからなんなのでしょう。別にこれ以降関わりを持つわけでもありませんし。
チャチャッと終わらせてしまいましょう。無駄な時間でした。
コンコンと、軽快なノック音が鳴り、その直後バタバタの家の中から物音が聞こえ、十秒程度で扉は開かれました。
「は〜い……ってライラさん?!」
気だるそうな顔は一変、まるで死人でも見たような驚いた顔になっていました。まあそうでしょうとも。
「ど、どうも〜」
私もなんともいえないような苦笑いで応じます。
「一体どうしたの?忘れ物〜……はないか、何も持ってなかったし。と、とりあえず中に──」
あたふたしているフレットさんに続いて、私も家の中へと入ります。一日ぶりです。
入口から続く大部屋は、最初に見た荒れようはすっかり消えうせ、画材等もきちんと整理整頓され、ただのだだっ広い小綺麗な部屋へと変わっていました。
フレットさん、綺麗好きなんですね。特にその辺の美意識が薄い私でも、事細かにものの収納場所が考えられているのだと感じます。
例えば筆、キチンと背の高いものから順に並んでいます。こっそり順番入れ替えたら怒るでしょうか?
用意された椅子に座りながらそんなことを考えいると、フレットさんがお茶を持ってきてくれました。美味しい。
「ところで、今日はどうしたの?」
ふふふ、きました。
その質問をされることは私の想定内です──!いや、当然なんですけどね。
それでも少し誇らしげになってもいいほど、私が用意した台詞は完璧でした。
ここに来るまでの道中何度も何度も構築、及び練習を繰り返した成果、お見せしましょう。
「泥棒騒ぎ、覚えてますか?」
「うん、そりゃね」
「実は私は、コルデに知り合いを訪ねに言っていたんです。そしてその知り合いが質屋のようなことをやっていまして」
「え──?まさか──」
ふふふ、いい食いつきです。
ちなみに、ガウドは質屋ではなく薬屋のようなものを表稼業としています。それはドルムトにいた頃と変わりはありません。
ただ今は、本人曰く、自分の悲願を達成するためその薬屋一本で生きているそうです。そしてこの一件でわかる通りそれは真っ赤な嘘です。
そう指摘すると、『こういうことは今はもうたまにしかやらないからノーカンよノーカン』と言っていました。それ以上深く突っ込まなかった私はきっと偉いと思います。
閑話休題。
「そのまさかです。あなたの絵とか他の取られたものとか、全部そこで換金されていましたよ」
実際に彼の家にあるのは絵だけなんですけど、その辺はまあ、もう既にどこかに流してしまったとか向こうが話を合わせてくれることでしょう。最低限ペンダントは私が持っているわけですし。
「それ本当──?!」
「わぎゃっ!?」
急に手を握られたせいで、変な声が出てしまいました。
フレットさんは感激のあまり、床に落ちた二人分のお茶には気がついていない様子。
というかフレットさんの方は、履いてるズボンに思いっきりかかってるんですが、熱くないんでしょうか?
「ほ、本当ですよ」
「おおお──ありがとうライラさん!」
ブンブンと繋がった二人の手が上下に揺られます。
まだ見つけたとしか言っていないのに、この喜びようは少し予想外で戸惑ってしまいます。
そしてこの人以外と力が強いので腕が普通に痛い。刺されるよりはマシですけどね。
まさに感激というような表情で、私の手を握り振り回すフレットさん。なすがままにされる私。
時間の経過というのは素晴らしいもので、どんなに熱くなっていても次第に冷めていってしまいます。上下に動く腕は次第にそのスピードを無くしていき、最終的には水平より少し下の位置で停止しました。
「あー、えーっと……ごめん……つい興奮して……」
「とりあえず床、片付けましょうか」
「え?床?あ、お茶が零れて──あっつい!かかってるじゃん!ライラさんは大丈夫?!かかってない?!」
「大丈夫です。人のことより自分の心配してください。とりあえずそのズボン早く脱いでくださ──いやここで脱がないでください!向こう、向こう行って!」
あぁ……疲れる……。
「いやあごめんごめん。でもライラさんにかからなくて良かったよ。その綺麗なワンピースに染みでもついたら」
「おべっかはいいですから……」
「いや、弁償代はすぐに払えそうにないなって……」
「ああ、なるほど……」
一応ガウドの家にあったものですし、彼のことだから確かに買うとなるとそこそこ高い品物のはずです。
「ああでも来た時は突然でびっくりして言えなかったけど、とても似合ってるよ」
「だからいいですって」
「お世辞じゃないんだけどなあ……」
幸いフレットさんの火傷は軽いもので、放っておいても問題ないくらいでした。
ひとまずズボンだけは履き替えてもらい、余計な話はここで終えて、本題再開です。
「それでですね、その知り合いに事情を話してですね、とりあえずコレは返してもらえましたよ。お姉さんから貰ったっていうペンダント、これですよね?」
なんだか長引かせるとむず痒くなってきそうなので、ここは勢いでパッとポケットからペンダントを取り出します。
取り出してから、また手とかいきなり掴まれるのではないかと少し身構えましたが、フレットさんはほうけたように固まっていました。
やがてゆっくりと手を伸ばし、ペンダントを私の手から受け取り、ぎゅっと胸に寄せて、少し涙声になりながら言いました。
「ありがとう、ライラさん──。本当に、ありがとう──」
フレットさんはしばらくの間、そのペンダントを強く、強く握りしめていました。
私にとってはただの静寂の時間ですが、彼にはきっと今色んな感情が渦巻いていて、それを噛み締めていることなんでしょう。
正直、私は驚きました。この売ったら高そうぐらいにしか思えないこのペンダントが、彼にとってはここまで大切なものだったということに。
「もう手に入らないかと思ってた……。これが僕の姉さんとの、家族との、唯一の繋がりだから」
やがてポツリと彼はそんなことを言いました。
「改めてありがとう、ライラさん。僕に返せるものがあるならなんでも言ってほしい。本当に、ありがとう」
「何言ってるんですか……先に私は命を助けられてるんですよ。それに比べたらちっぽけなものです」
「あはははは、ちっぽけなんかじゃないよ。これは僕の命ぐらいなものなんだから」
そう言ってフレットさんは柔らかく微笑みました。
「わかりませんよ、私には」
「うん、いいんだ。でも、ライラさんがしてくれたことはそれだけの価値があることだよ」
むず痒い──。
第一、フレットさんが助けたのは、本来助ける必要なんてない魔女の命で、本当は貴方の大切なものと釣り合う要素なんてないんですよ。
そんな言葉を飲み込みます。
その代わり、少し引っかかったことを質問しました。
「そのペンダントが唯一の繋がりって、そのお姉さんとはもう会えないんですか?」
少し無神経な気もしましたが、フレットさんは嫌な顔をする訳でもなく、ただ少し寂しそうに答えます。
「うん、僕はティアムトの出身だから。あの国は一度出ると二度と入ることは出来ないんだ。だから姉さんにも、ほかの家族にも、二度と会えない──」
「そういうことだったんですね。だからこんなにも──」
ん──?今、なんと?
「そういえば、この埋め込まれてる宝石さ、エメラルドっていうんだけど、ライラさんの瞳の色と同じでとっても綺麗──」
「いや今なんて言いました?!」
「ライラさんの瞳の色と同じでとっても綺麗」
「使い古されたボケはいいですから!!」
ティアムト出身?!あの完全独立正体不明国の?!一度出ると二度と入れない?!色々となんですかそれ!
「ティ、ティアムト出身てそれ一体どういう……」
「あー、やっぱりそれ気になる?」
「気になりますよ!あの国どんな国とか色々と!」
「あーうん、それがさあ、どんな国とかわからないんだよね」
「どいうことですか?!出身なんですよね?!」
「あの国を出る時に色々と記憶を消されるんだよ。だから言いたくても何も言えないんだ。ティアムト出身っていうと誰でも今のライラさんみたいな反応されて、その度に少し面倒だからあまり人と関わらないようにこんな所に住んでるんだけどね」
そんな理由でこんなところ住んでたんですかこの人……。
そもそも記憶を消すって……そんなことが、できるの魔女ぐらいしか思い浮かびません。ティアムト、一体どういう国なんでしょう……。矢継ぎ早に出された情報が、あまりにもいきなりで私は少し混乱していました。
そして、ティアムトに関する一切の疑問を今ここでは一旦置いておくとして、この人をガウドに──あの変なもの好きに会わせて果たして大丈夫なんでしょうか。
ろくなことにならない香りが鼻をつまんでも臭ってきそうです……。
「まあまあ、というわけで僕にあの国のことを聞かれても詳しいことはなにもわからないんだよ。家族や友人との思い出とかは全然問題なく喋れるんだけどね」
「は、はあ……そうなんですか……」
まだ頭が混乱しているせいで、気の抜けた返答になってしまいました。
しかし、明確になった事実が一つ──フレットさんとガウドを会わせてはならない。
私のやるべきことはやりました。
説得を試みましたが本人が嫌がったと説明すれば、まあ向こうも渋々納得はしてくれるでしょう。
その代わり、私の今後の生活の保証は一切なくなりますが、まあまだ尽くせる手はいっぱいあることでしょうし、問題は多分ありません。
この二人を会わせてしまうよりは、きっとマシです。フレットさんがというのも勿論あるのですが、むしろ"私"に多大な負担がかかる気がしてなりません。
「あ、ところでライラさん。僕に出来ることがあったらなんでも、なんで言っておいてアレだけど、一つお願いがあるんだ」
「な、なんですか?」
「さっきその質屋をやっているっていう知り合いさ、僕の絵も一緒に買い取ってたんだよね」
「ええ、そうですが……」
これは……まさか……。
「つまりそれって、僕の絵に魅力を感じた貰えたってことで、いいのかな?」
「さ、さぁ〜どうでしょう……。金になったのはアクセサリー類だけで絵の方は一銭の価値もなかったかもしれませんし……」
これはいけない。駄目な方向に運命がねじ曲がっていってしまっています。
「一銭の価値も……。いや、とりあえずさ、知り合いなら一度会わせてくれないかな?その人に」
かくて運命の歯車は、残酷に、無慈悲に、廻り続けるのでした。主に私にとって都合の悪い方向に。
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