第7話 この人は相変わらずですね。
目の前に広がる光景を見て、すぐに私は、これは夢なのだと認識しました。
真っ白い世界。美しいとさえ表現出来てしまうような真っ白い世界に、私は立っていました。
そしてその私の目の前には、もう一人、女の子が立っていました。
その女の子は、恐らく私が一番知っている女の子で、一番知らない女の子。
歳は4歳になったばかりで、まだ少し短い金髪に、翡翠色をした目。その目がじっとこちらを凝視しています。
これはただの夢で、ただの虚像で、現実感など何もない、言うなれば私のただの妄想でしかありません。
私は目の前の女の子がどんな生活をしいて、どんな日々を送っていたのかなんてさっぱり分かりません。ただ知っている。その少女を、そしてその顛末を誰よりも知っている。
繰り返すように、これはただの夢です。目の前の少女など意識の欠片も本来はもうこの世にはないものです。ただの私のなにかの妄想。
そしてふと思い出しました。
そうです、私刺されちゃったんでした。
ということはこれは死の間際に見ている夢、ということになるんでしょうか。それならばこの荒唐無稽さにも納得がいくというものです。
「幸せ──?」
こちらを凝視していた女の子が、唐突に口を開きました。
挙句出たのが、幸せか、なんてあまりにも馬鹿馬鹿しい問いで、思わず笑ってしまいそうになります。
心の底から呆れたように、私は返します。
「そんなわけないでしょう。魔女がどうなって幸せになれっていうんですか」
「私の全部を奪ったのに──?」
目の前の妄想は睨みを強め、糾弾するような物言いでそう私に問います。
「私を恨むのは筋違いでは?私だって別に奪おうと思って奪ったわけではありませんよ。恨むなら運命でも恨んでてください」
「ライラは私──」
「──そうですね。確かに私は、ライラという少女の皮をかぶった別のなにかなのでしょうね」
「返して──」
「それは無理ですよ」
「じゃあどうしてあなたは幸せじゃないの──?」
そんな確かな憎悪と不確かな疑問を最後に、ただでさえ真っ白い世界は薄くなっていきます。
最後に見る夢がこんな夢だったことに軽い失望を覚えながら、私も感覚が曖昧になり視界が黒く染まりやがて糸が切れたかのように、全ての感覚を一斉に閉ざしました──。
まるで爽やかな朝を迎えたかのように、目覚めは訪れました。
そして徐々に五感が戻っていき、視覚、続いて聴覚と、外部の情報が私の内に入り込んできます。
「あら、目が覚めたのね」そんなズシンと沈んだような重たい声が聞こえてくるのと同時、明瞭になった視界の中で飛び込んできた映像は、世にもおぞましき髭面でした。
「ギャアアアア!」
「ごほぅ!?」
条件反射、はたまた防衛本能というべきか。自分でも驚くほどの悲鳴を上げ、眼前のおぞましき物体を思いっきり蹴飛ばしました。
その反動で寝かされていたベッドから落ちそうになりますが、それに逆らわず、むしろ乗るような感じで床をころげながら逃げ惑います。
三回転半ほど転げたところで体勢を整え、上半身を起こし自分の状態を確認し、
「いやああああああ!」
二度目の悲鳴を上げました。
「な、な、な、なんで私裸?!」
正確には下に一枚履いているのですが、それ以外はすっぽんぽん。あられもない姿で床にへたり込む私。目が覚めたばかりですが脳の処理が追いつかずまた卒倒しそうです。
とりあえずは手で胸を隠すという行為のみだけはなんとか実行でき、その状態のまま呆然としていると、視界の奥でソレは動き出しました。
「いったいわねぇ。久しぶりに会ったってのにいきなりなにすんのよアンタ」
顎をさすりながら、その男はその口調から連想されるものとはかけ離れた、ズシンと響くような声を出しました。
ええ、久しぶりです。四年ぶりの再会。できればそんな機会訪れることなく人生を終えたかった。
十年以上前に私を拾った男、闇の立役者、現代を生きる魔女の中で最も悪名だかく、そして自称最も長生きしている、髭ズラ、中途半端に長くて気持ち悪い髪、悪い人相、性別解離、悪趣味、理解不能の摩訶不思議──ガウドです。
「すごく失礼なこと思われてる気がするわ」
「いやそんなことどうでもいいんですよ!なんで貴方が?私どうして生きてるんですか?そもそも私どうしてここに?そもそもなんで裸?貴方一体私になにしたんですか?!」
「うるっさわいねえ、ぴーきゃらぴーきゃら。大体あたしはノーマルなのよ。女の裸なんかに興奮しないわよ」
「の、のーま……?」
いらぬことで頭の混乱は加速します。
「はぁ……アンタが生きてここに居るのはアタシが助けて治療したからよ。ナイフを抜いてなかったのは正解よ。あれがなかったら私が助ける前に失血死してたでしょうね」
「助け……?貴方が?私を?」
「流れよ流れ。懐かしい気配が人の家の前をうろちょろしてると思ったら途端に走り出すから何事かと思えば……随分と変わったわねアンタ。四年でそんなにがめつくなってるなんてびっくりしたわ」
「がめつくって、私別に……いっつ──」
段々と脳の感覚が戻ってくると同時、右手に激痛が走りました。
知らない間に握り固めていたその手を開くと、ガランと音を立ててなにかが床に落ちました。
「あれ……これ……」
それは翡翠色の宝石が嵌められたペンダント──フレットさんの大切な物でした。
「剥がそうとしたんだけどね、アンタずっとそれ握りしめて離さなかったのよ。全く──確かに売ればそれなりの金額は得られるでしょうけどね、それで命失ったら元も子もないわよ。ほら、手、出しなさい」
そう言って側までやってきたガウドに、私は素直に右の手のひらを差し出します。
私の手のひらに、ガウドは同じように手をかざして、なにか霧のようなものを出しています。
それが私の手のひらに当たるとひんやりと気持ちよく、真っ赤だった手のひらに白味が戻っていき、スーッと痛みが消えていきました。
「……貴方の主な魔術って、氷とかじゃありませんでした?回復魔術なんていつできるようになったんです?」
「これも氷とかの応用よ。長く生きてるとね、色んなことに応用が利くようになるのよ──はい、終わり」
「ありがとうございます……」
ガウドは私の手を離すと、私の身体を上から下へとゆっくりと眺め始め、私は自然に防御体制へと移ります。
「な、なんですか?」
少し警戒しながら問いかける私に、呆れ顔で「だから女にそっちの興味はないわよ」といいその呆れ顔のまま続けて言います。
「傷跡、多いわね」
私も自分の身体に少し視線を向けます。
そこには、この主にこの4年間で出来た、これまでの苦労を象徴するかのような傷跡がいくつもあり、そしてお腹あたり、刺されたところです。そこにちょうど真新しい傷跡も出来ていました。
「そうですね。貴方がいなくなってからの四年、色々大変でしたよ。服着てたらわからない箇所ばかりだから別に問題はありませんよ」
「そう、随分とたくましくなったのね。でもそれは慢心にも繋がりかねないわよ。これに懲りたらいくら高価なものでも深追いはしないことね」
「だから違いますよ、このペンダントはそういうのではないんです」
「え──?じゃあなんで?」
ガウドは心底わからないというような顔をしています。まあ、そうでしょうね。私だってなんでと聞かれたってわかりませんよ。
ほんと、なんでなんでしょうね。
「そんなことよりも、私がどうしてこの国に来たのかとか、そういうことに興味を持ってください。そして良ければ衣食住諸々融通してください」
「やっぱりがめつくなってるじゃないの……。まあいいわ、まずは話を聞かせて。そしてその前に、服、着てらっゃい」
数日間着っぱなしだった商人服とはおさらばして、白いワンピースへとチェンジ。
悪くないセンスなのが腹立ちます。
「いいじゃない、似合ってる似合ってる」
満足そうに部屋の中央に立って頷くガヴド。
テーブル、イス、壁紙などなど。外から見るとなにやら浮いた印象を受けるこの家ですが、内装はなんというか、オシャレ!の一言につきます。
なにやら商売でもやってるのでしょう、カウンター(これまたオシャレ)も部屋には見受けられます。
そして、出来ればスルーしたい。スルーしたかったんですが、もう仕方ありません。目に入って入ってしょうがないんです。
壁に掛けられた数枚のおぞましい絵。似たテイストの絵を私はつい最近見たばかりです。
この国に来る前からとっくにピンと来てました。ええ、この男が盗人事件の全ての黒幕です。思えば色々おかしいんです。
何故あんな盗みも素人のゴロツキが、わざわざあんな場所にある家のあんな絵を盗む必要があったのか。
つまるところ彼は依頼され、もとい利用されたのでしょう。貧民街の生活から抜け出したいという欲を。このガウドという悪趣味な魔女に。
ああ、確かにこの男が好きそうです、こういうの。
良かったですね、フレットさん。理解してくれる人、結構近くにいましたよ。
言うまでもないことかもしれませんが、ゴロツキの盗んだ他のものが換金されなかったのは、この男の趣味の範疇では無いからです。むしろ一緒に換金されてれば、少なくとも刺されることはなかったんですけどね。
「ああ、この絵?素敵でしょ?たまたま見つけて言い値で買ったのよ」
素敵とは到底思えませんし、さらっと嘘を吐きやがりました。
「はあ〜……なぜわからないのかわからないわ。この絵を構成するのは清々しくも生々しい悪意よ。これを描ける人間はそういない。それどころか唯一無二かもしれないわ。これは才能とかそんなもので表せるものではないわ。例えるならそう、運命──。まるで遥から」
「もういいですから!」
ああ、フレットさんごめんなさい。貴方の絵はこんな悪趣味魔女の手に渡ったことが運の尽き。諦めてくださいと、心の中で謝罪をしこの件には決着を付けることにしました。
ここから先の会話で私の今後の生活が決まるんです。今考えるのは自分のことのみ。
そして私は、自分がドルムトをなぜ追われることになり、なぜかのコルデにやってきたのかというあらましを、フレットさんのことは伏せつつ、巧みな話術であたかも私がこうなったのは貴方のせいでもあるというふうに印象操作をしつつ、これは私の手助けをしなくてはいけないのでは?と思うような雰囲気作りにも余念なく、説明しました。
そして、本来の説明にかかる時間の倍を費やした結果は──
「残念だけど嫌よ。自分でなんとかしなさい」
ご覧の通りです。
「普通なら魔女同士なんて関わらないのが普通よ。まあアンタとなら今更だから、この国にいるならある程度の関わりはそりゃあ持つけどね。それでも持ちつ持たれつよ。確かに、アンタが今まで大変だったのはアタシのせいもあるんでしょけどね、それなら命を救ったでしょ?これでチャラよ。命よ命、何にも変えられないでしょう?」
正論……!ですがこの男がいうとなにもかもが間違っているように聞こえるのは気のせいでしょうか?
ですが今ここである程度の安定を手にいられるのなら、逃す理由はありません。
「そう……ですか……持ちつ持たれつ……」
「ええ、そうよ。まあでももし限界が来たならまたここに来なさい。その時はとっておきの──」
「ありますよ──私。あなたに持たせるもの」
「へえ──、聞かせて貰おうじゃない」
テーブルを隔てたその空間、二人の魔女が妖しく笑います。
ああ──ごめんなさい。フレットさん。今の私は本当の自分のことしか考えていません。
「その絵を描いた人物を私は知っていますよ!」
「………そう」
あれ?反応薄くないですか?なんで?
「そんなことならアタシも知ってるわよ……」
「え?そうなんですか?」
「たまに仕事で来てる山の麓に住んでる男の子でしょ?よく客に絵を見せて引かれてるじゃない」
「あー……そうですか……」
完全敗北。
というかそりゃそうです。どこの誰のものかわからなければ盗みの依頼も出せませんよねえ……。
落胆する私を見て、ガウドは心底愉快そうにしています。
「アタシに駆け引きなんてまだまだね。本人を連れてこれるんならまだしも、知ってるだけじゃあカードの一枚にもなりはしないわよ」
「ですよね〜って今なんて言いましたか?!」
「え?カードの一枚にも」
「連れてこれるなら──!なんなんです?」
どうやら今度は私が愉快そうにする番のようです。
「………連れてこれるの?」
「ええ、その証拠にあの絵が盗品だと私は知っていますよ」
「なるほどね──色々合点が言ったわ。詳しく聞かせてもらおうじゃない」
こうして私は本格的にフレットさんを売ることとなってしまいました。
挙句この後、結局伏せたエピソードもまるっと喋る羽目になりました。もちろん、ペンダントのことも。
「へぇ〜アンタがねえ……」
「なんですか、小言は聞きませんよ。第一私が一番よくわかってないんですから」
「やっぱり、アンタ変わったわ」
「具体的にはどんな風に?」
「そうね、身長が伸びたわね」
「ぐっ……別に悪いことではないでしょうそれは」
「あと体付きも良くなったわよ」
「ただの変態オヤジ発言じゃないですかそれ!」
「オヤジじゃないわ、オカマよ」
「どうでもいいしどっちでもいい!」
「よくないわ。それはよくないわよ。いい、そもそもオカマというのはね」
「聞くつもりもないし聞きたくもない話を勝手に始めないでください」
とまあこんな風に、最終的には少し締まらない感じで数年ぶりの知り合いとの会合は終わりを迎えるのでした。
そして翌日、フレットさんをこの男の元に連れてくるという条件で、私の今後の融通をきかせて貰えることになりました。フレットさんには再三申し訳ないですが、ひとまず私の目的は達成されました。万歳。
これからもう一度、あの山小屋に、フレットさんの所に行かなければならないんですか。
私自身もう会わないつもりでいましたが、こんなに早く再会とは……。
ああでも結局、取り返した以上ペンダントも返さなければならなかったわけで──。
奇妙に連鎖する運命を呪いつつ、私は来たばかりの国を一旦後にするのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます