第5話 別に悪いことではありません。

「ない……一枚も……今までの絵が……」


 いまにも消えてしまいそうな声で言い、フレットさんはそのまま部屋の中央で立ち尽くしていました。

 私も部屋の有様を見渡しますが、一番初めにこの部屋を見た時となんら変わりはありませんでした。

 つまり、私が目覚めたときには全ての犯行は終わっていたということでしょう。ゾッとしませんね……自分の眠っていたすぐ隣の部屋で行われていた盗人行為。

 しかし、この部屋の有様が盗人行為の余波だとするならば、いくらなんでも演出過剰なほどの荒れっぷりです。

 絶対に盗み慣れている人間の仕業ではありません。慣れていない、もしくは初めてか。

 でも初めての盗みでわざわざ盗みますかね、あの絵を。あの到底常人には理解出来そうにない現世に引きずり出された地獄を。

 まあ、あんな絵ばかり描いてたら精神がどこかいっちゃいますよね普通。きっと中には普通の美しい絵もあったのでしょう。

 それを確認したところ


「いや……僕はああいう絵しか描いたことがない……」


 だそうです。犯人はどこの誰だか知りませんが、理解不能な人物であることだけは確かなようです。


「良かったじゃないですか、理解してくれる人いるみたいですよ。貴方の絵」

「はは……それは慰めてくれているのかい…?」


 目が虚ろです。

 どうやら失敗したようです。いえ、慰めようとしたんですよ。先程の楽しそうな様子と、あまりにも差が激しかったので。

 でもなれないことはするものではありませんね。やめです。


「とりあえず、他に盗まれているものがないか確認するべきでは?」

「え?あ、ああ、そうだね……」


 事態を前へと進める方向へチェンジ。

 これは上手くいったようで、フレットさんはよろよろした、おぼつかない足取りで家を散策し始めました。

 私はというと、ずっと突っ立っていました。別に出来ることとかありませんから。

 全てを終えた時、フレットさんは一回り老けたのかというようなほどの顔をしていました。

 金目のものも数点盗られていたようです。

 極めつけは、彼の一番大切なお守り的ななにかも盗られてしまっていたようで、今の擬似老化状態もそれが主な原因のようです。

 そんなに大切なものをなぜ他の有象無象と一緒に置いていいたんでしょうか。というのは今は言わない方がいいですね。そのまま死んでしまいそうですので。


 一応、奥の寝室も確認することになりました。

 特に荒らされた形跡もなく、いたって綺麗な部屋がそこにはありました。

 やはり犯行は、フレットさんが絵を描きに出かけ、この部屋で私が眠っている時に行われていたようです。

 しかしあれだけ盛大に荒らされていれば、その物音で起きそうなものなのですが、よっぽど疲れていたんですね。

 そんな呑気なことを考えている私とは対象的に、フレットさんは険しい表情をしています。なにか違和感を見つけたようなその目線の先、そこにはベッドのすぐ側、開け放しになっている窓が──!


「盗人はここから逃げたんだな……」


 なにか一つの謎を解いたように呟くフレットさん。

 ごめんなさい、そこから外に出たの私です。

 事のあらましを私が正直に伝えようとしたその時、フレットさんが鋭くこちらを睨みました。

 あー……ですよね。冷静に考えると絶対に違うとすぐにわかるものですが、一旦は私を疑う流れになりますよねこれ。なにしろ私ずっとこの部屋にいたんですから。

 さて、どうしましょう。一通りの弁明をする前に彼を落ち着かせなければなりません。成功するかどうかわかりませんが、洗脳で気を落ち着かせるか、それとも軽く燃やすか。

 あれこれ思案しているうちに、ガッと両肩を掴まれます。少し痛いぐらいの力、やはり明らかに冷静ではありません。


「ライラさん!盗人はどうやらこの部屋にも入ってたみたいだ!なにもされてないかい?!なにか盗られていないかい?!すぐに確認した方がいい!」

「え、ちょ、そういう?」


 ゆっさゆっさと身体を揺らされながら少し困惑。

 まさか心配されるとは思ってもみませんでした。

 というか痛い。


「ごめん!どうせ大丈夫だろうと鍵を開けっ放しで家を出た僕の責任だ!僕のだけならともかく君のものまで」

「いや、多分なにもされてませんし盗られてませんし、痛いですから!」

「えっ、ああ、ごめん!」


 ようやく解放されました。

 なんで他人の心配で取り乱すんですかこの人……。


「ごめん、つい……。でも本当に大丈夫?もしかしたら君の寝てる間にこの部屋に」

「大丈夫ですよ。実はあの窓は──」


 とまあ軽く私が起きてから外に出るまでのあらましを説明。途中の暇つぶしでやったあれこれは除いてですが。


「なるほど。じゃあ盗人はあの入り口の部屋だけを物色して、その後普通に扉から出ていったわけか。僕の絵をねえ……それも全部……全部かあ……」

「なんでちょっと嬉しそうなんですか……」


 さっきの私の励ましには不満そうだったくせに。


「いや、少し落ち着いて考えてみると、僕の絵に盗むまでして欲しがる価値があるのかあってね」

「そんな悲しい承認欲求持たない方がいいですよ。それに他にも色々盗られてたじゃないですか」

「そうなんだよ……いっそのこと絵だけだったら……いやいっそお金もそれで満足するならそれだけで良かったのになんでアレまで……」


 今度は一気に落ち込んだ表情になります。ちょっと面白い。


「アレってさっき言ってたお守りのことですよね?それほど大事なものだったんですか?」

「ほんとはペンダントなんだけどね。姉さんがくれたんだ。僕にとってはずっとお守りみたいなものだったんだよ」

「なんでそんな大切なものを他のものと一緒にして置いていたんですか……」

「普段は枕元に置いてるんだけど、ライラさんが寝てたでしょ?だから少し恥ずかしくてそれで……」


 なんという下らない……。それで盗られるペンダントも報われません。


「お姉さんから貰ったんでしたっけ。そういえばさっきもお姉さんがどうって言いかけてましたよね」

「……興味、ある?」

「いえ、別にないです」

「ないんだ……」


 今日あったばかりの人間の身の上話なんて、聞いて得することなんてありませんよ。

 でもフレットさんは、少し寂しそうな表情をしていました。


「……。話したいのなら聞きますが」

「うん、いや、別にそう大したことでもないし、よく考えたらもうほとんど言っちゃってるようなものだったなって」

「周りから腫れ物扱いされていたけれど、お姉さんだけが味方してくれてたんですよね」

「うん。さっきは悪意が見える。なんて大層な物言いをしたけど、そんな凄い能力でもなんでもないんだ。ただ少し絵の具が滲んでるような、そんな感覚が日常的にあるだけのただの違和感でしかないんだ」

「善人と悪人を見分けられる便利能力とかではなく?」

「全然全然。何も無いよ。今はなんでもない違和感だけど、子供の頃はそれが怖くて怖くてしょうがなかったんだ。成長するにつれて、そういうものだと段々わりきれて、周りとの不和も無くなっていったんだけどね。それでも、今僕がここに居るのは姉さんのおかげなんだ。最初に絵を描くように勧めてくれたのも、姉さんだしね」

「そんなお姉さんから貰った、大切なペンダント、ですか」

「うん。国を出る時に。頑張ってねって。それが盗られるだなんて、いよいよ間抜けだよ。アハハ」


 少しの間、沈黙がおります。

 その沈黙を息苦しく思ったのか、フレットさんはわざとらしく大げさに立ち上がります。


「話してるとお腹が空いてきたね。ありものだけど何か作るよ。こんなことがあったけど、とりあえず今日は泊まっていてくれて大丈夫だから。幸いこの部屋は綺麗だし。あ、その前にある程度向こうを片付けないと」


 部屋を出ていくフレットさんの背を眺めながら、私はその後ろをついて行くことはしませんでした。あの刺激的な匂いが苦手なので。画材の中のどれかが零れてるんでしょうかね。

 しばらくすると、扉越しに物音が聞こえてきました。

 しかし、あの荒れ具合からするとしばらくかかりそうですね。暇です。

 棚の本を一冊手に取り、読もうとしましたがやっぱりよくわからないので直ぐに戻しました。

 ぼーっと天井を眺めていても、特になんの想像力も働きません。

 仕方なく、重たい腰を上げて扉の方へ向かいます。

 今日は気まぐれが多い日だなと、そんなことを思いながら。



 夕食──鍋にお湯をはりそこに具材を適当にぶち込んだものを、二人で囲んで食べました。雑に見えて意外と美味しいものです。

 話も弾む、という程ではありませんが、フレットさんとそのお姉さんの思い出話を私は聞いていました。

 正直、私にとってはどうでもいいものばかりでしたが、それを話す彼は、なにか大切な宝物を大切に磨いているかのような、そのような感じでした。

 彼の今までも人生は辛い時期こそあれど人並みに、いえ、人並み以上にきっと幸福なのでしょう。そう思わせるほどに、そんなものを味わったことの無い私にもわかるぐらい、彼の話は温かいものでした。

 だからでしょうか?

 気がつけば私の口からは、自分の全く意識しないところで極々自然と、呼吸とほぼ同じような意識の下で、


「羨ましいですね……」


 そんな言葉が、小さく漏れていました。


「なにか言った?」

「いいえ。ただの気の迷いです」


 その後もつつがなく夕食は進み。

 これもまた、場に当てられたというか、気の迷いの一種なのでしょう。こんなことを言ってしまいました。


「その盗られたというペンダント。私が取り返してきましょうか?」


 これには自分でもびっくり。

 いつのまにか自分が善の心にでも目覚めたのでしょうか?

 けれど、当然と言えば当然ですが、本気とは思われませんでした。


「ライラさんが?あっははは、気持ちだけ貰っておくよ」


 しかしその小馬鹿にしたともとれる返答は、少しムッとしました。


「いえ、こう見えて私強いですよ。商人ですから一通りの護身術は身につけていますので」


 護身どころかやろうと思えば一地区ぐらいなら壊滅出来ますけど。


「あ〜なるほどね。でもあんな山の麓で倒れてたんだからあんまり役に立たないんじゃないかな」


 さらにムッ。


「そうですかねえ。でも私、貴方より背は高いですよ」


 フレットさんの動きが一瞬止まりました。


「あー……そういえばそうだね。でも僕は別に身長が低いわけじゃないよ。まあ中の下の位置にはいるいる。これはあれだよ。むしろ、ライラさんが大きすぎるんじゃないかな」


 ムッを超えてカチン。

 いえ、別に気にしてる訳ではないんですよ。背が低いか高いかならば後者の方が色々と有利ですから。例えば初対面の少し荒々しい男性にいきなり「おい、そこのデカ女!」などと言われても別段なにも思いません。魔女ですし。

 むしろ身長だ高いのは美徳です美徳。

 長い金髪、翠の眼、豊満なスタイル、そこに長身というカテゴリが加わることのなにがどう欠点足り得るんですかね?


「そういえばさっき片付けてる最中に、そこの戸棚に頭ぶつけて」

「《犬になれ》」


 ふう、これだけよく食べたのも、思えばいつ以来でしょう。お腹いっぱいです。

 随分と長い足止めを食らったような気もしましたが、この際です。もう今日はここで眠ってしまって、明日の朝出立するとしましょう。


「それでは、おやすみなさい」


 両手足を床について、みっともなく舌を出している可哀相な男性にそう声をかけて、奥の寝室へと向かいます。


「バウッ!」


 どうやら挨拶を返してくれたようです。うーん、絵面が気持ち悪い。

 遠慮なくベッドに転び目を閉じます。扉越しになにか動物が動き回っている音が聞こえますが、まあ明け方には元に戻っていることでしょう。

 疲れはありますが、いくらかの愉快さのようなものに溶けつつ、眠りへと落ちていきました。



 翌朝。よく晴れた気持ちのいい朝でした。

「昨日の夜からの記憶が曖昧」「変な夢を見た」「寝たはずなんだけど全く寝てない気がする」などなどのフレットさんの主張を軽くいなしつつも、旅支度を勧めます。そもそも支度するような荷物は元々持っていなかったのですが、念の為念の為と、フレットさんがあれこれ持たせてくださいました。ありがた迷惑とはこういう時のためにある言葉だと思います。


「それではフレットさん。色々とお世話になりました」


 含みをもたせたお礼。


「うん、気をつけて。コルデにいるのなら、また会えるかもしれない」


 なにもない純粋な返答。


「はぁ……」

「なんでため息?!」

「いえ、最後まで貴方はいい人だったなあと思っただけですよ」

「顔と表情があってない気がする……」

「女の子には色々あるんですよ」

「そう……なの……?」


 とまあ、最後までこんな会話だったわけですよ。

 私が魔女だと知ったら、この人はどうするんでしょう?

 きっと、助けはしなかったでしょうね。

 別に罪悪感があるわけではありませんが、それでも少し考えてしまいます。

 きっともう、会うことはないし、会わない方がいいのでしょう。

 魔女という存在する悪は、いつだって何かを不幸にしてきたし、これからもするのでしょう。

 それに……ええと、やめです。別れに際して心持ちだけでも少し悲壮さを出そうとしましたが、無理ですね。

 今は彼にとっては、ただのフレットとライラの別れです。それっぽくまとめるとしましょう。


「それではフレットさん、またお会いしましょう!」


 いかにも少女らしい笑顔を浮かべた後、私はしばらくの旅路へとつきます。

 ひとまずはコルデに向かい、その後はどうしましょうか?

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