第4話 ほんの少しの休憩のようなものです。
「この丘から見える景色はいい。とても絵になる。ああ、絵を描くのは趣味でね、時間がある時にいい場所を探して描いてるんだ。そんなに時間をかけるつもりはなかったんだけど、気がつかないうちに熱中してしまったらしい。ライラさんが目覚めた時のためにスープでもつくっておきたかったんだけどね」
まあよく喋るよく喋る。
おかげで、別れるタイミングを完全に逃してしまいました。
客観的な目線として、程よい長さのサラサラの茶髪だとか、澄んだ青い少しタレた目だとか、すらっとした佇まいでのハキハキとした喋りだとか、総合的に彼──フレットさんはイケメンだとか、ハンサムだとか、一般の女性方が好きそうな単語ががっつりあてはまるような人です。
ああ、でも悲しいかな。私はその特権、効かないんですよ。口説くなら他を当たってください。ほら、お近くの山に入れば飢えてそうな雌の動物がいっぱいいるんじゃないですか。というわけで、私もうお暇していいですか?
なんてことを考えながら、「へえ〜」とか「そうなんですか〜」などの適当な相槌を打っている私です。
「なんであんな所で倒れてたの?」とか聞かれる前にさっさと退散したいです。いやほんと。
最悪の場合、命の恩人をこの手にかけることも考えねばなりません。
私だってさすがにそんなことはあんまりしたくないので、なんとか別れを切り出せるような、話の合間を探します。
「そういえば、あんな所でなにしてたの?」
間に合いませんでした。
ああ──いい答えは一つも思い浮かびません。
私は何もかも諦めて、自分の手を見ます。
綺麗な手です。すべすべです。そして、覚悟を決めます。この手を、血に染める覚悟を──。
「……ああ、僕が知らないだけであの山ってなにか珍しいものでもあるの?そういえば、ライラさんのその格好商人だよね」
首の皮一枚で助かりました。フレットさんが。
ドルムト──私が最初にいた国から逃げ出した時の格好のままだったのが幸いしました。
中途半端に頭のまわる人でよかった。
そうですそうですあそこには商人の間にのみ伝わる伝説の秘宝が──!などと話を合わせようかと思いましたが、あまり妙な嘘をつくとボロが出るかもしれません。
ここは一つ、彼の勘違いを取り入れ、虚実をない混ぜにして辻褄を合わせることにしました。
なるべく矛盾のないよう、例え嘘だとばれても別段怪しまれないよう、うまく話をまとめ尚且つ全体的な流れを相手の記憶に残さないように──とまで考え、面倒くさくなったので、
「ええと、《それは貴方には関係ないことです》《よって興味はもたないように》」
暗示をかけることにしました。
「まあいいや。ところでライラさんはこれからどうするの?」
よし、あっさりかかってくれました。
それなら最初から私のことを忘れさせて、とっとと立ち去ればよかったですね。
ああ、でもその前にコルデへの行き方だけは聞いておきたいですね。結構近くまで来ている、とは思うのでもう正規の道を通ってもいいでしょう。
山をジャンプで移動はもうごめんです。楽しかったけど。
「これからコルデに向かうところなのですが、よければ方角だけでも教えて頂けませんか?」
「コルデ?ああ、それならほぼ目と鼻の先だよ。ここから南に進むと道があるんだ。別れ道になっている箇所があると思うから、そこにある立て札通りに進めばすぐだよ」
なるほど。随分と詳しく教えてくれました。
これでコルデにはたどり着けそうです。行ってどうするか、というところですが、それはまあ追々考えましょう。確かあの国には知り合いの魔女もいましたし──いえ、極力頼りたくはないのですが。
まあ、いいでしょう。ともあれ、フレットさんはこれでもう用済みです。
運がなかったですね。貴方が助けたのが普通の女の子であれば、このままラブロマンスの一つでも始まったのでしょうが、残念ながら私は魔女です。
魔女との出会いなんて、ない方がいい。本来あってはならないもの。助けてくれたことには感謝しますが、どうかその気持ちは受け取らず、これからの長い人としての生を生きてくださいっと。
「そうですか。色々とお世話になりました。ありがとうございました。では──」
「え?!もう行くの?!病み上がりでしょ?!まだもう少し休んでた方がいいよ!」
突然出された大声に、思わず魔術の行使を止めてしまいました。
「え、いや、この通りここまで歩いてこれるほど元気ですし、なにも問題はありませんよ」
「いやいやいや、そもそもコルデまでどうやって行くの?目の鼻の先って言ったけど歩くと二時間はかかるよ?荷物は?食料は?飲み物は?」
「えっといや、二時間程度なら飲まず食わずで……あ、そういえば結局昨日からなにも食べてない……」
「駄目じゃん!」
「た、多少の飲まず食わずは慣れてますから……」
「慣れちゃ駄目じゃないかなそれは。僕は一日でも食べないと多分死ぬ!」
どこかで聞いたようなセリフです。それもつい最近。
そうなんですよね、多少の飲まず食わずは大丈夫のはずなんですよね、私。結局あそこまでの疲労感や空腹感は魔術の連続行使が原因だったようです。反省。
そしてその後も、押し問答のようなやり取りが続きます。
「ですから、《私はもう大丈夫なんです》!」
「そもそも大丈夫ならあんな所で倒れたりしてないじゃないか!」
「効いてない?!」
「聞いてないってなんですか!僕はライラさんの心配をして──」
「いや、そうじゃなくてああもう──!」
長引きました。
何一つ代わり映えのしない、同じようなやり取りを何回もうだうだと。
こんなことを繰り返しているあいだにも、時だけはすぎていくのは些か不条理なのではないでしょうかと思うような、そんな時間でした。
そしてその無駄の結末は、フレットさんが軽食用にと持ってきていた、サンドイッチを抱えさせられた私がいるのでした。
いわゆる折衷案──?なんですかね、これ。なんか微妙に違う気もしますけど。
「それじゃあ、気をつけてね……」
「ええ、それでは……」
別れの挨拶も酷くぞんざいなものになってしまいました。これでようやく、この男ともおさらばです。
今まで味わったことのないような疲労感を背にのせ、いい匂いのするサンドイッチを腕に抱え、踵を返し歩き始めます。
あ──、そういえば記憶……まあ、いいでしょう。疲れましたし、下手に魔術を使って、もしまた倒れたりすれば目も当てられません。
ですからこのままでもいいでしょう。別段強く記憶に残るような出来事でもないでしょうし。このまま三日もすれば私のことなんて、自然と記憶から消滅しているはず。
ええ、ええ、それだけです。
「あ、ちょっと──!」
誰かに呼び止められました。誰に?決まっています、フレットさんです。
プツン──と、自分の中で何かが弾けるような音がしました。
「何か──?」とにこやかに、首だけで彼の方を振り返ります。きっと、ギギギギギというような音が響くような振り返り方だったと思います。
内から湧く、もううんざりだという感情が、身体を巡り、外へと放出される時には、それは"殺気"と呼べる別のものに変換されており、その原因たるフレットさんを怯えさせます。
私もにこやかに、とてもにこやかに、「次の発言次第で貴方の遺言が決まりますよ」という強い念を持って、彼を凝視します。
「い、いや、もう小言とかじゃないんだ。いや、ほんと、落ち着いて」
ここで呼び止めたことをなかったことにしようとしないあたりは、一定の評価を上げたいものです。
「……なんですか?」
「いや、大したことじゃないんだけどね」
じゃあ呼び止めないで欲しい。
「絵を、見てくれないかなって……」
「え?」
「絵」
「えー」
「そういうのいいから」
「……」
「わっ、ごめんなさい!いや折角会ったんだし、ちょっとでいいんだ、ほんと月並でいいから感想が聞きたいな〜なんて……ハハ」
あー、そういえば描いてましたね、絵。すっかり忘れていました。
思えば、あの異世界と称した部屋、散らばってたのは画材で、変色してた壁はペンキが付いてただけだったんですね。にしても汚いですけど。
はぁ……と深いため息をつきます。先程までの不毛なやりとりで、彼に対する妙な遠慮は消えていました。
仕方ないですねオーラを全身から放ちながら、また彼のいる方へと足を進めます。
「この丘から見える風景を描いたんだ。なにもないけれど、そこが逆に味があって絵になるんだ」
誰だってわかりますし、知りません。
ああ、面倒くさい。適当に「大胆かつ繊細ですね!凄いです!」とか言っておけばいいでしょう。
というか風景画ってなんなんでしょうね、それなら別に風景見てれば済む話では?と、私は思うわけです。
なんとも言えない、恥ずかしさと嬉しさが入り交じった、いえもう言ってしまいますが気持ち悪い表情をしたフレットさんを横目で見ながら通り過ぎ、お目当てでない絵を見ます。
……顔を上げて、モデルにしたと思われる風景を見ます。じっくり、5秒ほど。
そして、その目をまたゆっくり下に下げて絵を見ます。思わす目を擦ります。
また風景を見て、絵を見ます。
「いや、なんですかこれぇ?!」
「あー……やっぱりそういう反応になるかあ」
「なりますよそりゃ!」
この丘から見える景色は、それこそフレットさんの家以外見えるものはほとんどありませんが、視界に飛び込んでくる開放的な世界は、彼の言うように一種の味があるのかもしれません。
そして、この風景を見てフレットさんがこのキャンパスにしたためた絵。地獄でした。
下手という意味ではありません。むしろ、そういった芸術関係にはあまり関心のない私から見ても、上手いと言えるものでした。ただもう一度言うように、地獄でした。
確かにベースはあの風景ではあるのでしょうが、描かれている草木が死んで──いえ、ギリギリのところで生かされ、いっそ殺してあげた方が楽なのでは?と思うような、形容し難い何かに成り果てており、しばらく見つめていると様々な種類の悲鳴が聴こえてきそうでした。
世界を悪意と呼べる物質で塗りつぶすとこんなことになるのではないだろうかと思わせるような、芸術という枠に入れていいのかわからないような、そんな世界がそこにはありました。
狂気の製作者は語ります。
「僕はね、子供の頃からずっと、悪意が見えるんだ──。人だったり動物だったり物だったり、そこにある限り大小問わず発生する誰かへの、何かへの悪意のようなものが。見えるというのはこう、機能的なものじゃなくて、感覚的な表現なんだけどね。感じ取れると言った方がいいのかもしれない」
狂気の製作者の狂った語は続きます。
「子供の頃は悩んだよ。得体のしれない感覚が身体からまとわりついて離れなくてさ。得体の知れない何かに脅える僕を、周りは得体の知れないものとして扱った。でも一人だけ僕の味方をしてくれる人がいてね──姉さんだった。──いや、初対面のキミにこんな話はするべきじゃないね。ごめん」
そうして彼は、わざわざ見てくれてありがとうと笑顔で締めくくりました……怖い!
なんでしょうか、実はかなりやばい人だったんでしょうかこの人……。
『奇抜なものを生み出す人間ほど、一見奇抜とは遠く離れた装いをしてるものよ。フフ、面白いわ』
そんな知り合いの、何気ない一言を思い出していました。
また妙なことを言っているとしか思っていませんでしたが、案外真理だったのかもしれません。
「今の話、どの辺までが本当なんですか?」
「全部本当だよ……って言っても確かに信じにくいよね。まあ誰に話しても概ねそんな感じだよ。一時期は絵でお金を稼ぐことも考えたけど、誰にもウケなくてね、こうしてひっそりと趣味で描いてるんだ」
「まああの絵ですからね……」
「あはは、厳しいな」
全部、本当。
確かに、信じ難い話ではありますが、嘘を言っている風ではありませんでした。なにより、そんな嘘をつく必要性がありません。本気でそう思い込んでいる危ない人、というのなら話は別ですが。
でも仮に、彼が本当にそういった悪意のようなものを感じ取れるのであれば、そうしたことで周りから腫れ物扱いを受けてきたというのなら、それはまるで──いえ、やめましょう。私には関係の無いことです。
「最後に一つだけ……いいかな?」
「なんですか……?」
絵のモデルになってくれとか言われたら速攻逃げましょう。
「お腹空いちゃって……。それ、分けてもらえないかな?」
そこからはまた少し、無駄な時間が続きます。
私が「分けるもないにも、元々貴方のものじゃないですか。別に私はこれは必要ありませんので全部どうぞ」というような失言をしてしまったことが原因で。
結局、なんでそうなったのかはわかりませんが、丘の上、二人でサンドイッチを食べることになりました。
フレットさんの手作りだというそれは、実の所かなり美味しく、過半数以上を食べてしまいました。
時折交わされる会話は、良くいえば他愛ない、悪くいえば生産性のない会話でしたが、いつぶりかの穏やかな時間は、ほんの少しだけ、山を跳ね回っていたあの時と同じ気持ちが胸の中に湧いたのでした。
「折角だし、一緒に戻ろう」
という、なにが折角なのかはわからない提案にのり、私達は丘を降りて行きました。
「……日が落ちてきたね。ライラさん、夜に出歩くのは危ないよ。出発は朝にして今日は僕の家に泊まるといい」
「フレットさん一人暮らしですよね?私のようなうら若き女の子を家に連れ込んで、どういう魂胆ですか?」
「なっ──?!違うよ!純粋に心配だからだよ!キミは奥の部屋で寝ればいいだろう、あそこには内側から鍵がかけられるようになってるからね!僕は手前の部屋で寝る!なんなら外で寝る!」
「手前の部屋ってあの散らかった部屋ですか……?眠れるんですかあんなところで」
「散らかって──?まあまあの頻度で掃除してるから全体的に綺麗なはずだけど……」
フレットさんの美意識に少し引きつつ、ここで断ってもまた無駄な時間が増えるだけだと考え、ここはお言葉に甘える素振りをみせ、夜中に窓から抜け出せばいいという算段を建てました。これ以上面倒なことはごめんです。
「それじゃあ……お言葉に甘えさせて頂きます。部屋の扉を壊して入ってきたりしませんよね……?」
「悪いことじゃないけど警戒心が強いよ。これでも僕死にかけてたキミを助けたんだからね?」
少し不満げにそう言って、フレットさんは家の扉を開け──固まりました。
「フレットさん?どうしました?」
「い………る……」
「え?」
「家が荒らされてる!」
「えー……」
面倒なことに、なってしまいました。
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