第2話 楽しかったんです。

 言うまでもないことですが、人は食べないと死にます。ええ、本当に言うまでもないことです。

 人間も魔女も関係なく、空腹という死神は平等に訪れます。

 生き物というものは、食べ物を食べることによって栄養を得て、身体の内から外からと動かし生命活動を維持していくものです。それが絶たれてしまった以上、死あるのみ。

 ああ──、身体中の力が抜けていきます、思考が乱れていきます。

 思えば今まで沢山悪いことをしてきました。こんな死に方になってしまうのも、当然の報いというものなのでしょう。

 薄れゆく意識の中、これまでの出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡りました。


 生まれ育った国からすたこらさっさと逃げ出した私は、次の目的地へと歩みを進め始めていました。

 これからどこに向かおうかという問題はすぐに解決しました。というか選択肢がありません。

 三つある大国のうち一つからはたった今追い出され、もう一つは一切の外界との交流を断っている完全独立国らしく、聞くところによると国全体が大きな外壁で囲まれているのだとか。流石にそんなところにいくのは怖いので却下。

 となると残りは一つ、コルデという国に向かうことにしました。

 しかしいくつか問題が。

 問題その1。

 長い見回りの旅に出た三人の衛兵さん達ですが、結構早い段階で洗脳が解けてしまったようで、魔女の存在は瞬く間に街に拡がり、結局私は大急ぎで国から逃げ出したため、食料等の荷物は全くといっていいほど所持していません。

 問題その2。

 国と国との間には陸路が整備されているのですが、まあまあ人通りが多く、今の私の身の上としては面倒を避けるため、人に会いたくはありません。

 問題その3。

 は、別にありません。


 ああ、まさに絶望的です。

 こんな問題を抱えての国から国への大移動。普通の人ならば遠回りな自殺をしていると思われても仕方がありません。そう、普通の人なら。

 そう!普通の!人なら!

 ……ふう。ここまで前振りすればもうおわかりでしょう。なんと、実は私にとって普通の人の問題は問題にはなり得ないのです。だって私、魔女ですから。

 魔女の知能と特権を使えばなんのその。

 まず、人と会わないためにはどうすればいい?答えは簡単、人と絶対に会わないようなところを通ればいいんです。例えば空を飛べない限りは通ることのできない山岳地帯とか。

 え?じゃあ私は空を飛べるのかって?

 ふふふ、先程も言ったように、私は怪しげな術を扱い、人々から畏怖され唾棄される魔女です。

 いやまあ、空は飛べないんですけどね。

 でも針の先程でも足場があればそこに乗ることぐらいは余裕で出来ます。

 その力で険しい山々や岩々を、これまた魔女特権の大ジャンプで飛び移りながら安全かつ、スピーディーに通ることが出来ます。まあ便利。

 そして食料問題ですが、山岳地帯を一直線に突っ切れば陸路を通るよりも遥かに早いスピードで目的地に着くことが出来るので、途中休憩を挟まなくとも大丈夫。よってこれも解決。

 むしろ手荷物がない分より身軽です。

 行くべき方角さえわかっていればなんの心配もない優雅な旅になることでしょう。

 さあ、レッツゴー!



「ひゃっほー!」


 楽しい。


「ここからあの岩までひとっ飛びで……流石に厳しいかも……。いいえ、いけます、私なら!とーう!」


 とても楽しい。


 自由に跳ね回ることの出来る私にとって、入り込んだ山岳地帯はまるでアスレチックでした。

 単なる移動とばかり考えていましたが、これはハマります。

 他者の目を一切気にしなくていい開放感、飛び移っていく事に移り変わる雄大な景色、全身を撫でては去っていく心地の良い風。

 味わったことの無い新鮮な感覚の数々は、次第に楽しいという一つの感情へと収束していきました。

 目的を忘れ、すっかり私はこのアスレチックの虜になっていました。

 我にかえったのは、辺りも薄暗くなり、自分の現在位置さえ全くわからない状況にまでなった時でした。

 呆然としました。呆然とするだけでは事態は何一つ解決しないとわかっていても、呆然とし続けるしかありませんでした。

 状況の悪さもそうなのですが、なにより自分が、


『自分が昔から使えた能力を広々とした所で使ってみたらすごく楽しかった』


 という理由だけでここまで我を忘れるアホだと知ったからです。

 風が気持ちよかったです、景色が綺麗でした、空を飛ぶ鳥と同じ目線になったときは快感でした。

 風がガサガサと周りの木を揺らす度、私の深刻度ゲージが上がっていきました。

 つい先程まで自分が浮かべていたであろう満面の笑みは、とても引きつったものになっています。

 トドメにグゥ〜というお腹の音が私の繊細な心を砕きました。

 ポケットにたまたま入っていたクッキーを頬張りますが、逆にそれが空腹を加速させました。そして、パサパサとした食感が喉の乾きにも響きます。というかむしろそちらの方が深刻です。

 不思議なもので、跳ね回っている時は空腹も喉の乾きも疲労も感じなかったのに、今となってはそれらが一気に襲いかかってきており、私の身体は地獄と化していました。

 ガックリと地面に膝をつきます。そういえばここまで連続で魔術を使ったことはありませんでした。魔術って、疲れるんですね……。

 生まれて大体16年、初めての発見です。これは知り合いの魔女にも教えないと──!

 ……そんなことを言っている場合ではありません。

 動かないことにはDEAD END一直線なのでとりあえず動くことにしました。徒歩で。

 獣道ではありますが、歩ける所に降り立っていたのが不幸中の幸いでしょう。モロ山の中ですが。

 魔術に関しては、これ以上使うと不味いことになりそうな気がして使うに使えません。

 一回ぐらいは大ジャンプでも出来そうですが、空中で力尽きそのまま地面に──なんて目も当てられませんから。

 喉が乾きました。

 お腹が空きました。

 聞いた話によると、人は飲み食いせずに数日は生きれるそうですが、そんな嘘っぱちを最初に言い出したのは一体誰なんでしょう?

 一日と経っていないはずですが、最早生きる未来が見えません。きっと、食べ物に困ったことのない人間の妄言なのでしょう。

 ここは一体どこなのか、そもそも私は登っているのか下っているのか。

 夜目を光らせて木に止まっている鳥を焼いて食べようというサバイバル発想に至りましたが、疲労困憊の私の手のひらから放たれた炎は弱々しく、鳥さんは優雅に避けてどこかに飛んでいき、結果疲労が増しただけでした。




「あの鳥許すまじ!」


 鳥への怒りが爆発し、走馬灯終了&覚醒。

 どうやらしばらく気を失っていたようで、暗かったはずの空には太陽が登っています。

 よろよろとではありますが、なんとか立ち上がることができました。服は泥だらけ、密かに自慢だった長いブロンドの髪は最早見る影もありません。そして当然ですが、疲労はとれておらず、むしろ身体の気だるさは昨日よりも上がっています。

 起き上がれた時間もつかの間、現状を確認すると共に、また地面にぶっ倒れました。

 そういえば私、女の子なんですよ……。どうなんでしょう、いくら魔女と言えど女の子的にこの死に方は。


「ああ、もう土でもいいですかね……」


 ご馳走は目の前に、それこそ文字通り山のようにありました。

 そういえば、酒屋の残飯をこっそり食べて生きながらえたこともありましたね。それに比べれば土なんてなんと自然的で食べ物らしいのでしょう。

 今まで空腹で悩んでいた自分が一気に馬鹿らしくなってしまいました。救いはすぐ自分のすぐ側にあったのです。それでは、頂きます。


「ちょ、ちょっと君大丈夫?」


 その一声は、人間どころか、生物をやめる寸前の私を現実に戻しました。

 土まみれの顔を上げると、そこにはいかにも頼りなさそうな顔をした男の人がこちらを覗き込んでおり、もう一度「大丈夫?」とふざけたことを抜かしやがりました。ぶっ倒れて土を食おうとしていた人間の一体どこに大丈夫の要素があるというのでしょう?

 勿論そんなことは言わずに、極めて謙虚に、本心から、藁にもすがる思いで私は言います。


「大丈夫でないので、どうかお助け下さい」

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