再会に、真実に。


 ――時の流れ。

 それはあっという間というより、あっけないといったほうが正確なように感じた。

 本当に。

 高校にいた期間なんて、あってないようなものといっていいんじゃないだろうか?

 中学校なんて、一週間通ったくらいの感覚しかない。

 記憶は薄れる。

 重要なこと以外、掠れて褪せて消えていく。

 でも言い換えれば、重要なことほど浮き彫りになる。


 ――楽悩。


 僕の人生は、この一言で変わってしまった。

 難しく考えず、楽しく楽に悩む。

 それが今の、僕の人生におけるモットー。

 心なしか、楽観主義者になってしまったようにも思うけれど。

 それでも今、僕はあの先生に出会えたことに感謝している。


「あぁ。白谷 正人さんで間違いないですね?」


 とある高校の正面玄関に入るや否や、一人の教師が僕へ訊ねてきた。


「はい、教育実習生の白谷 正人です。

 よろしくお願いします」


「話は伺っています。すぐに校長室へ……といいたいんですが、なにせ多忙なもので、今日はまだ学校へ来てないんです」


「そうなんですか……、少し早く来過ぎたかもしれませんね。

 すいません」


「いいえ、気にしないでください」


 教師はそういうと、僕を応接間へと通してくれた。

 通された客室は、ソファが向かい合うようにおかれていて、その真ん中には木でできたテーブルがあった。

 ソファに腰掛けてから、僕は言う。


「大きい学校ですね」


「そうですか?」


「はい、そう感じますね。

 はずかしながら、僕の母校は田舎の小さい高校だったものですから」


「あぁ、そうなんですか」


「はい。道に迷わないかな……、自信ないなぁ」


 まぁ、嘘なのだが。

 校内の地図はあらかじめ、頭に叩んできた。

 これといって話の種もなかったから言っただけの、気まぐれな発言だ。


「――それは、気まぐれかい?」


 瞬間、教師の声音が変わった。


「……えっ?」


 間抜けな声がでたけど、それどころではなかった。

 ハッとして顔を上げると、その顔には不適な笑みが浮かんでいた。


「……あの、もしや。 ……小林先生ですか?」


 教師は「えぇ、私が小林です」と言った。


「……え。 あの小林先生ですか?」


「いかにもそうだ、といったはずなんだけどね。

 ……どうしたんだい? 熊が鉛玉喰らった時のような表情をしているぞ少年」


 間違いなく……、間違いなく先生だった。


「お、お久しぶりです……先生」


「あぁ、久しぶりだな少年。元気でやっていたかい?」


「えぇ、もちろん。

 ――あの日のこと、いまだに覚えていますよ」


 自分でも、顔が綻ぶのが分かった。


「あぁ、そんな日もあったね。

 ……それで、どうだったんだい。 あんな助言で、いい成果は上げられたかな?」


 僕は笑って「それは、愚問というやつでは?」と、そう返した。


「おっとっとっとっと、そうだったね。

 私としたことが、とんでもない愚問だったね」


 業とらしい態度に、僕は答える。


「まったく、……本当に。

 とんでもない愚問ですよ」


「それはすまなかったね。 

 私はどう君に謝ったらいいのかな? 土下座でも、すればいいのかい?」


「まさか」

 そんな謝り方されても、困るだけだ。


「一つ。一つだけ質問に答えてください」


「一つだけでいいのかい?」


「はい、たった一つだけで結構です」


 僕は自分を指差して、先生に訊ねた。


「――今の僕は、何年生にみえますか?」


 瞬間、先生は少し抜けた表情をした。

 初めて見たそんな表情に、内心驚く。


「……どうしてそんなことを聞くんだい?」


「……あ、いえ。単純なことですよ」


 僕は言う。


「ただ先生とおんなじ景色を見てみたい、って。

 そう思っただけです」


 僕はあの日から、新しい人間ニュータイプになるとそう決めた。

 理由は、ただずるいとおもったから。

 先生がうらやましかったから。

 たったそれだけの、単純な理由だ。


「……これは、また一本とられたな」


 先生は笑顔で、少し困ったような表情を見せてくれた。

 そして。


「君はとっくに、私と同じところまできていた。ということだ」


 そういって楽しそうに、面白そうに笑った。




 その後しばらく、他愛の無い話をして時間をつぶしていた。


「……さて、そろそろ校長が来る時間だ」


「もうそんな時間ですか。分かりました」


 軽く荷物まとめて立ち上がり――そこで僕は、首をかしげた。


「ところで先生、どうしてスカートなんか履いているんです?

 それは……新しいファッションかなにかでしょうか?」


 刹那。

 驚愕の表情を貼り付けた先生に、僕は驚愕した。

 な、なにか触れてはいけないところに触れてしまったような――気がする

 だけどすぐに先生は、悪い笑みを浮かべた。


「あ、あの……先生?」


 そんな僕の反応に、先生はにんまりと口を歪めて言う。


「君は失礼なやつだなぁ」


「え? 僕、何かまずいこと言いましたか?」


「あぁ、言ったよ。限りないくらい失礼なことをね」


 言って続けた。


「これでも私は、二十九年間。


 ――女でいるつもりだからね」


「……すいませんでした」


 そのとき初めて、僕は先生が女性であることを知った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

陸上と哲学書 チョコレートマカロン @Bsk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ