或る毛虫と蝶の夢

藍沢 紗夜

或る毛虫と蝶の夢

 ある所に、醜い毛虫が居りました。

 全身が黒い毛で覆われた、蛾の幼虫です。


 毛虫にはある夢がありました。

 それは、あの花畑で舞う、翅の碧が綺麗な蝶々になることです。

 彼はそれが自分には出来ると信じていました。だって碧い蝶々の幼虫も、醜い芋虫でしたから。


 そんな蝶々の幼虫の中、からかわれながらも彼は同じ豆を食べました。ひたすらに、碧い蝶々の幼虫の真似をしたのです。

「あの醜い毛虫が、なんで僕たちとおんなじ豆を食べているんだろうね」

 そんな声が聞こえて、毛虫は振り返りました。

 芋虫たちの嘲笑う声。少し涙目になりながらも彼は、碧い蝶々になるためならと耐えたのでした。


 蛹になった毛虫と芋虫たち。毛虫は、わくわくして仕方がありませんでした。出来ることは全てやったんだ。きっと僕も、あの綺麗な蝶々になれるはずだ!


 そんな夢は、残念ながら叶いません。

 毛虫はどんなに頑張っても、蛾の子だから。


 芋虫たちより先に目覚めた彼は、どきどきしながら湖の鏡に映る自分の姿をそっと覗きました。

 そこに居たのは、醜い茶色をした、蛾の鏡像でした。


 彼は泣きながら、芋虫たちがまだ眠る場所を後にして、旅にでたのです。


 遠くに行きたい、と彼は思いました。

 どこまでも遠く遠く、飛び続けることに決めました。


 湖の辺りから、原っぱを抜け、森を抜け辿り着いたのは花畑でした。泣きたくなるほどに綺麗で仕方のない、花の香りが柔く包み込む世界でした。


 そこで彼が出会ったのは、白く可憐な蝶々。疲れ果てた蛾に、囁くような小さな声で語りかけます。

「こんにちは、蛾さん。どうなさったの?」

 白い蝶の無垢な瞳に、彼の目からは光の粒が落ちました。壊れた蛇口のように、抱えた哀しみを吐露します。

 白い蝶は黙ってその独白を聞いて、そして言ったのです。

「蝶々なんかにならなくていいのよ。だって、あなたのその茶色い翅、優しい色で、私好きだわ」

 それが、蛾に生まれた彼が初めて貰った好きという言葉でした。

 彼はありがとうを言おうとして、でも気持ちが溢れて何も言えませんでした。涙だけが溢れて止まらなくて、白い蝶は困った顔で、泣かなくていいのよ、と言います。

 違う、違うんだ、と彼は涙を拭って笑いました。

「生まれて初めて、幸せで涙が溢れて止まらないんだ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

或る毛虫と蝶の夢 藍沢 紗夜 @EdamameKoeda

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ