第6話
各国が5月祭で賑わいを見せる中。
レニたち『ミウちゃん大好き同盟』は、巨大レギオン『攻略組』と合同でレベリングにいそしんでいた。
RPGプレイヤーたちにとっては当たり前の行事だったが、これまでミニゲームばかりしていたアマネは他のプレイヤー達の間でおろおろしており、レヒトはレベル上げの概念がそもそもなかった。
この2人の重要人物を可能な限りレベルアップさせ、リスクを軽減しようというのが今回の趣旨であった。
「レヒト君、ところで君の連続攻撃ってどうやってるの? みんな知りたがってるんだけど」
「普通にやっているだけだ」
「その普通がみんなできないから知りたいのだけど」
「ふむ……たとえば、あそこに花が咲いているだろう?」
レヒトの指さす先には、植物系モンスター、マンドラゴンレイクがいた。
頭の上に大輪の花が咲いた、木彫りの人形のようなドラゴンである。
手足は茨のようにトゲトゲのついた触手でできており、触れただけでダメージがありそうだ。
「花が咲いているわね」
「うん、花が咲いとるわ」
「気をつけろ、触れただけで即死だからな」
「普通は即死じゃないけどね」
「やっぱりこの人、レベルの概念がないんやね……」
レヒトは、腰に提げていた剣を手に取ると、マンドラゴンレイクに向かって構えを取った。
『構え』はVR世界におけるショートカットのひとつである。
一定時間、特定のポーズをとり続けることで、手に持っている道具を『使う』などの便利なコマンドを呼び起こすことができる。
この状態から技名を唱えたり、特定の仕草をしたりすることによって、アバターは決まったスキルを発動させるのだ。
音声認識よりも間違いが少なく、誤作動による事故がおさえられることから、ゲーム以外の現場でも数多く『構え』が採用されていた。
「まず、右手で剣を構える。このときに重用なのが左手の位置だ。左手は常に顔のやや前に伸ばしておけ」
「よし左手ね……左手なんて使うの?」
「ああ、左手だ。メニューがだいたい顔のこのあたりに現れるので、攻撃と同時に素早くジョブを切り替えるように、あらかじめ手を広げておく」
本来、面倒なメニュー操作をしないですむためのショートカットなのだが、レヒトはあえて両方を使う。
レヒトは、目にもとまらぬ速さで指を動かし、魔法使いジョブへとジョブチェンジした。
しゅっと蠅を払う仕草すら見えない。
五指をかくかくと動かしただけで、メニューを開いて操作し、再び閉じたのだ。
すると、スキル使用後のリキャスト・タイムを示すメーターが、魔法使いジョブのものへと入れ替わる。
そのとき、レヒトはぴたりと剣を構えて止まった状態になっていた。
スキルを発動したときにはたらくモーションが、強制的に中断されたのだ。
レニは、あっと息をのんだ。
「そうか……技の途中でジョブが切り替わったら、スキル使用後の硬直時間がなくなるんだ」
「そう、そしてここで素早く魔法使いジョブのスキルを使い、そのモーション発動中に元の剣士ジョブへと戻る」
間に挟むのはなんでも良いが、レヒトがよく使うのは、効果の発動に0.3秒という、魔力増強スキルである。
すると、剣士ジョブのスキルメーターは満タンになっており、いつでも発動可能な状態へと戻っていた。
この間の操作は、1秒にも満たない。
実際は間に魔法使いのスキルを挟んでいるのだが、傍目には、連続で剣士の攻撃を繰り出しているように見えるのである。
「武器の切り替え速度はFPSの生命線だ、このくらいは普通にできなければ、話にならん」
「レヒト君は、RPGのターン制というのを知らないのね」
どうやらレヒトは戦闘中に、自然とこのバグ技に目覚めたらしかった。
こんな裏技があったとは、レニには盲点だった。
これは完全にゲームバランスの崩れる必殺技である。
「すごいわ、レヒト君。私が運営だったら、発見次第修正するバグね」
「んー? そうかなー? わからへんよー」
「どうして? 普通は残しておかないでしょ?」
「レニが運営やったら、RPG初心者のレヒトきゅんのために残しておくんとちゃう?」
「あっ、そうか……いやいや、私はみんなに公平だからね?」
「この武器切り替えを応用すれば、さまざまな技を連続して発動することが出来る。例えば……こうだ」
レヒトは、マンドラゴンレイクに向かって飛びかかっていった。
左手から炎を放つと、怒り狂うマンドラゴンレイクの頭上に跳び上がり、そのまま鍛冶師、ついで付与師にジョブチェンジ。
鍛冶師になったのは、スキルによって剣の攻撃力を瞬間的に倍増するためだ。
そして付与師のスキルによって、剣に炎属性の攻撃力を付与した。
さらにジョブを重剣士へと変化させたレヒトは、超至近距離から剣術『バンカーブロー』を発動。
これは地面ごとえぐる強烈な振り下ろしにより、植物モンスターに絶大な攻撃力を与えるスキルだ。
「はぁぁぁぁッ!」
さらに数度のキャンセルを間に挟むことにより、地面に着地する前に3回『バンカーブロー』を発動。
地面についた後も2回『バンカーブロー』を発動。
もともとシステムが想定していない、凄まじい連続攻撃に、モンスターが耐えきれるはずもなかった。
マンドラゴンレイクの悲鳴も絶え間なく響き渡り、そうしてぐったりと横様に倒れてしまった。
レヒトは、もとの剣士ジョブへと戻り、背後にいるメンバーにむかって言った。
「さあ、やってみろ」
「レヒトきゅん、それフツーにやってるけど、フツーの人間には無理やわ」
どん引きされたレヒトは、理解できないといった風に目を丸くしていた。
レニは、おかしくてたまらない、と言った様子でコロコロ笑っていた。
「あら、アマネちゃん。お絵かきしてるの?」
「フローを考えてるところ」
「フロー?」
「これからしなきゃならないこと」
ギルドメンバーが連続攻撃に挑戦しているころ、アマネは物陰で静かに乱数調整のデータを収集していた。
魔法使い系のジョブは、戦闘職の中でもスキル制よりという立ち位置になっており、スキルの鍛錬だけでも戦闘力が上がるようになっている。
CAD系スキルを獲得したアマネは、画用紙にぐりぐりと落書きをして、これからの作業の全体像をまずは把握していた。
「モンスターの行動パターンをとにかく集めて、どういう式で『乱数の種』が組み込まれているか調べた……ミニゲームの場合は300キロバイトだったから、簡単だったけど」
腕を組んで、むーん、と唸った。
「ゲーム世界は入力値が複雑すぎるから、正直不可能かも……ミニゲームのバグを拡張していって、プログラムののぞき見をする方法を探した方がはやいかな?」
「それってどのくらいかかりそう?」
「当たって砕けるしかない」
「がんばれ」
母親のプログラムを借用したアマネだったが、彼女自身のハッキング技術もなかなか侮れないものがあった。
一行は五月祭の期間をフルに使って、魔王戦の準備を着々と進めていた。
そんな彼らの元に、不穏な影が忍び寄っていた。
レヒトは口を閉ざし、物陰の方へと目を向けた。
「ねぇ、レヒト君……ひゃぷっ」
「しっ」
レニの口をふさぎ、自らもじっと押し黙ったレヒト。
レヒトは、静かに剣を握りしめて、何かを警戒している。
彼の視線の向こうにあるものを、レニは感知することができなかった。
マップを見ても、何も映っていない。
「どうしたの? レヒト君」
「……他のプレイヤーが来る」
「プレイヤー?」
果たして、彼の言った通り、マップに大勢のプレイヤーたちが映った。
50名からなる巨大パーティが、彼らの元に近づいてくるみたいだ。
「すごい……どうしてわかったの?」
「勘だ。軽くなる」
レヒトのこの超人的な感覚は、長年ゲームを培ってきた者にのみ備わる感覚というべきものだろうか。
大勢のプレイヤーとエンカウントするとき、モーファードはその負荷に備えて、CPUの処理能力を事前に上げる。
そうすると処理が僅かに軽くなったように感じるのだ。
その微細な感覚は、FPSの世界チャンピオンたる彼ならではのものである。
「尾塚レギオン……」
「あいつ、どこから聞きつけてきやがった」
『攻略組』の面々は、苦い顔を彼らに向けていた。
その鎧武者のパーティの先頭にいるのは、血のように真っ赤な鎧に身を包んだ男であった。
レベル30【Max】 尾塚令三 サムライ
所属ギルド『おつかレギオン』
攻撃力 A+
生命力 B
精神力 A
ギフト 【剣攻撃+80防御-20】【先制】【必中】【クリティカル220%】【回避率150%】
これでもか、という前のめりなステータス。
防御のことなどまるで考えていない様子だ。
『攻略組』のメンバーは、彼らを真正面から出迎えた。
「最近、妙な噂を聞き及んだもんでな……どうやら『攻略組』が、今度はチーターを集めてゲームを攻略しようとしているらしい」
「だったらどうなの?」
「何度も同じ事を言わせるな、それは『犯人に対する挑発』と同じ行為だ。警察として、それを黙って見過ごす訳にはいかない」
犯人に捕まった人質として、何もせずに助けを待つべき、という考えのプレイヤー達は、尾塚以外にも多かった。
ログアウト不能事件がさほどめずらしくもなくなった現代、人々の不安や危機感は徐々に薄れ、もはやエレベーターに閉じ込められた感覚に近くなっている。
だが、ゲームを攻略したところで脱出できる、という保証もない。彼らの攻略を否定する必要は、特にないはずだ。
「我々は日本警察の者だ。このような事態に備えて、日本警察ではプレイヤーの隔離と安全確保、そして犯人の追跡を並行して行うシステムが構築されている。それを信じて待つ以外に、人質のすべきことはない」
「……ふざけやがって。半年かかってもゲームの電源を引っこ抜くことすら出来ない連中を、まだ信用しつづけろっていうのか?」
ぎりっと、歯を食いしばるレイナ。
父親に対する反感を、顔中にあらわにしていた。
レニは、レイナと彼の間に立って言った。
「私たちは、リアルの私たちの安全を確認したいの。これ以上、待つことで今の状況が改善するとは思いません。私たちは、このゲームを終わらせるつもりよ」
「第二のログアウト不能事件でも、脱出を試みて助かったのは一部の連中だけだった。もう一部の連中は、犯人の一味に連れ去られ、さらなる身の危険にさらされたんだぞ」
「たとえそれがどんな状況だろうと、私たちが見せられているのはただの幻想でしかないわ。それが現実なら、いますぐ現実と直面すべきだわ」
「現実か……」とつぶやいた尾塚令三は、小さくかぶりを振った。
「……2万8439人、うち脱落者が5000人。我々日本警察には、彼らの安全を確保する義務があるのだ。これが我々の直面すべき現実であり、唯一の真実だ」
「違う……それはただ逃げているだけよ」
「お前達の方こそ、耐え忍ぶことしかできない現実から逃げているだけではないか。ゲームを攻略すれば脱出できるなどという保証はどこにもないはずだ、ちがうか?」
「耐え忍ぶなら、私たちは6ヶ月間も耐え忍んだではないの……貴方たちは、もう6ヶ月間待てば脱出できると言っているの? この失われた6ヶ月の時間は、もう二度と取り戻せないのよ。これ以上何もせずに待っていれば、手遅れになることが増えていく一方よ」
半年間の生活で、多くのプレイヤーたちが何もせずに手をこまねいている現状に疑念を抱き始めていた。
一歩も引こうとしないレニに対し、尾塚令三はゆるゆる、と首を振った。
「見解の相違という奴だな……話し合いで解決するには、もう時間が経ちすぎたというわけか」
「ああ、多分な」
尾塚令三は、抜き身の太刀を構えると、真っ赤に燃えるような剣気を放った。
「貴様が我々日本警察を信用ならんと言うのなら……我々は全力を持って貴様らを押さえ込むまでだ……!」
尾塚令三だけではない、周囲の鎧武者たちも、それに同調するように攻撃的な剣気を放っていた。
熱波が真正面から吹き付けてきて、レヒトは目をすがめた。
「なんだ、あの赤い炎みたいなのは」
「あの鎧、アカゾナエの能力よ……剣士ジョブの仲間のステータスを上昇させるパーティ効果がある」
日本警察の念の入れようは、伊達ではない。
全員がレベル上限の、戦闘力ならば攻略組にも匹敵するパーティだ。
周囲のプレイヤーはみな身じろぎをして、後じさった。
「いけ、おつかレギオンッ!」
ごうっ、という風を切るような音と共に、鎧武者達が駆け出し、攻略組のパーティと真正面から衝突した。
各所で巻き起こった戦闘は、いずれも鎧武者たちの優勢となった。
同レベルとは言え、相手はこちらの事を調べ尽くした上で、戦略を練って戦いに挑んでいる。
いずれもレベル差以上の戦闘力を発揮し、見る間に攻略組を劣勢に追い込んでいた。
「ゲーセンで不良どもを補導し続けて10年、ネトゲの潜入捜査官を続けて10年。ここにいるギルメンのいずれも貴様らが生まれる前からゲームをやっていた猛者どもだ……お前らの勝てる可能性は、万に一つもない!」
「ま、まさか……あんたはあの伝説のネトゲプレイヤー、おつか師匠!?」
「おつか師匠、こんな所で会うなんて……!」
他のゲームでも、相当名の知れ渡ったプレイヤーだったのだろう。
尾塚令三は全身に畏敬の念を浴びながら、悠然とレヒトの元に歩み寄っていった。
「レヒト、貴様は一体なにものだ?」
目と鼻の先に立った尾塚令三は、いぶかしげに言った。
「貴様のアカウントだけは我々警察も掴めなかった。もし半年間なにもせず引きこもっていたニュービーなら、こいつら『攻略組』と関わるのだけはやめておけ」
「レヒト君……聞かないで」
すでに死者であるレヒトに、このゲームを攻略する理由はない。
レヒトがこの世界でなるべく長く生きながらえたいのなら、反攻略組の味方になるべきだった。
だが、レヒトは、小さく首を振った。
「おっさん、デス・ゲームを作るのはシステムじゃない、デス・ゲームを作るのは、そこに閉じ込められている人間だ」
「ほう? 知った口を聞くな」
「おっさんは、ログアウト不能事件のことを何もわかっちゃいない。……俺はこのゲームを終わらせなければならない。それは俺が人間だからだ」
尾塚令三とレヒトは、静かに対立していた。
お互いに剣気をまき散らしており、プレイヤー達は近づくだけで切れそうな気配に怯んでいた。
尾塚令三は、差し伸べていた手を下ろした。
『髭切丸』をすらりと抜き放つと、凍えるような光を放つ刃をレヒトに向けた。
「なるほど、貴様もあくまでゲームから脱出しようというのか……いいだろう、ならば全力で叩き潰すまでだ」
そのとき、横合いから何者かが尾塚令三に飛びかかっていった。
『攻略組』の1人が先生攻撃を仕掛けたのだ。
「レニ、お前達は逃げてくれ! こいつは俺が……!」
振りかぶられるバトルアックスを、だが、尾塚は一瞬も見ることもなく、瞬間的に回避した。
特殊な回避スキルが発動したのではない、バトルアックスの攻撃範囲から一瞬で離脱したのだ。
「あの動きは……! レヒト君と同じ……!」
レニも一度見たことがある。
一瞬にしてモンスターとの戦闘領域から離脱する、驚異的な歩法。
尾塚は、ただ逃げたのみならず、また次の一瞬には元の位置に戻っていた。
あたかも回避能力が発動したかのように、相手のバトルアックスは空を切り、その瞬間に狙いすましたかのように、尾塚は刃を振り上げた。
「『
一定確率で相手を装備もろとも破壊する、強烈な一撃。
攻略組のプレイヤーは枯れ葉のように宙を舞い、戦場の外へと飛ばされてしまった。
サムライの特性は、攻撃が当たればほぼ必殺。
だが、それは相手の攻撃が当たってもほぼ必殺であるというリスクを背負っているがゆえに許されているものだ。
あのステップは、そのリスクを帳消しにしてしまう。
明らかにゲームバランスを崩壊させるものであった。
「信じられない、技術で敵の攻撃を強制回避できるなんて……!」
「ふん、レヒステみたいな技術は練習すれば誰にでもできる」
「レヒ……ステ」
「こいつはかつて、世界的なFPSプレイヤーだった朽木レヒトが、モーファードの移動補助システムを利用して編み出した技術……通称がレヒト・ステップだ! 貴様がこの技術を使いこなすことは把握済みだ、ならばレヒステ使い同士、決闘といこうじゃないか!」
「なに、俺が?」
レヒトはぽかんとしていた。
ちなみに、欧米ではバグステップと呼ばれていたもので、朽木レヒトが大会で使いはじめたことから日本国内でも知れ渡るようになったものだ。
20年前、SNSで拡散されたときに広まった誤情報がもとになっており、いまどきの若い子はそんな言い方をしない。
レイナは、恥ずかしそうに顔を隠していた。
「もうやめてくれ、40も過ぎて決闘とか……!」
しかし、決闘はどうあがこうと避けられそうにない。
尾塚令三が剣を高く掲げると、空に暗雲が立ちこめ、雲間から『碇』が降りてきた。
上空に見えない帆船でもあるのか、という巨大な碇だ。
「
「くくく、調査班が発見した、忍者の隠れ里で手に入る隠しスキルだ……ッ! 『攻略組』に教える義理もあるまい……ッ!」
『碇』は地面にずぶずぶと沈み込むと、やがて地下深くの何かに突き当たったかのようにゴツン、と動きを止めた。
そして、落ちてきたのとは逆向きに、凄まじい勢いで引き上げられ始めた。
このライジング・フロンティアの世界は、直径300キロのエリア内部にいくつか群れている浮遊島で構成されている。
その浮遊島の下方には、『忘却の海』と呼ばれる海が広がっていた。
『過去』も、『歴史』も、全てが沈む海を突き破って、何かがせりあがってくる。
「『忘却の海』より闘神『マリシテン』を召喚! これより、このフィールドにおける剣士ジョブは回避率98パーセント、攻撃力8倍、攻撃はすべてクリティカルヒットの能力を得る!」
やがて、『碇』によって引き上げられたのは、鎖でがんじがらめになった鎧武者である。
燃えるように赤い鎧に、無数の手を持ち、それぞれに武器を持っている。
一定時間、バトルフィールドの条件を変更することができる、召喚神であった。
剣士ジョブのクリティカルヒットは、攻撃力が7倍。
実質、56倍のダメージである。
一撃でも当たれば、レベル30の尾塚とレベル2のレヒトの性能差を埋めてあまりあるものだ。
「お互いに当たれば一撃必殺のデスマッチだ」
「異存はない」
レヒトは、両手を身体の前方に向ける『構え』を取った。
すると、彼の腕を中心とした八方向の空間に半透明の枠が浮かび上がる。
それぞれの枠に手を移動させることで、8パターンの行動を指定することができる。
剣士ジョブに搭載された8パターンのスキルは、すべてゲージが満タン、いつでも発動可能な状態になっていた。
剣士ジョブの『構え』の待機時間は0.8秒、さらにレヒトの装備した第三牙(サード・ファング)はその待機時間を0.2秒短縮させる。
言うまでもなく、連続スキルの扱いやすさを意識した装備である。
「俺も全力で行く、悪く思うな」
「10年早い」
足下にあった小石のオブジェクトが、両者の発する剣気ではじけ飛んだ。
地面が素早くえぐれ、物理エンジンが爆発なみの風圧を演算し、それらが真正面から衝突した。
「なんだ……あの速さ……!」
「バグステップ……けれど、レベルが違う!」
凄まじい速さでフィールドを移動するバグステップの正体は、歩行システムの高速切り替えである。
ニューラル・インターフェースは、人間が足を動かそうとする意識を読み取り、実際の足の代わりにアバターの足を動かす仕組みになっている。
だが、生まれつき足のない障害者は、この足を動かそうとする意識が生み出せない。
モーファードはそのために、特殊なコマンドで手足を動かすことができる設計になっているのだ。
その特殊コマンドには、『横転』や『前転』などの複雑な移動方法もデフォルトでセットされている。
これを選択し、即座に歩行システムを通常のモードへと切り替えると、『横転』や『前転』の速さで身体が移動している最中に、体の筋肉は完全に弛緩した状態にもどってしまう。
その移動中にタイミングよく自分の意思で足を蹴りだすことによって、通常の倍以上の加速ができる、というものである。
この技術は初期から多くのプレイヤーが使っていたものだったが、使いこなすには相当な鍛錬が必要であり、さらに汎用性も高いため、公式も放置している。
朽木レヒトはミリ秒単位の高速でこれを繰り返すテクニックでFPSの世界を席巻したため、日本にも知れ渡ることになったのだ。
これはお互いにバグステップの使い手同士の戦い。
アバターの姿を目で捉えることが難しいほどの速さで、縦横無尽に駆け巡り、お互いにけん制し合っている。
レヒトがFPSの世界チャンピオンならば、尾塚はプロゲーマーだ。
お互いに負けられぬという意地があった。
「ぬえええぇぃ!」
「おおおおぉッ!」
尾塚が斧のように剣を肩に担ぎ、第2の構えをとった。
スキルが上級レベルになると、通常の構えの他に、第2の構えを設定する『スキルセット追加』が手に入るのだ。
リアルでも剣道と居合の達人である尾塚の一刀は、ただの接触でも相手を数メートル弾き飛ばす、恐ろしい威力を秘めている。
命中率が下がっているとはいえ、けっして触れてはならない。
レヒトは小さく息をつくと、横合いにあった木を切り払った。
キャラクターの後部に視点があるTPSとは違い、キャラクターと視点を共有するFPSにおいて、相手の視界を防ぐという攻撃方法は非常に有効だった。
特にVRゲーム化されてからは、正常なコントロールを失わせる手段として多くの戦術に取り入れられている。
木から吹き出した火花のように派手なライトエフェクトは、尾塚の視界を横切り、レヒトの姿をほんの一瞬隠した。
その隙に、レヒトは低姿勢で尾塚に接近する。
足下からその肩口まで、一本の剣で大雑把に切りつけた。
『回避』『回避』『回避』
バグ技を駆使した3連続攻撃。
レヒトの狙いは、すべて相手の急所に正確に当たっていた。
だが、システムによる攻撃判定は、すべて外れとなった。
「やるな、小僧!」
尾塚の反撃が来る。
とっさに回避しようとしたが、相手の懐に深く入り込みすぎていた。
尾塚の振りかぶった剣が、レヒトの肩にそのまま振り下ろされた。
『回避』
後頭部を根菜のように真っ二つに切り裂かれた、かと思ったが、尾塚の刀はレヒトの身体をすり抜けてゆき、穿ったのは地面だけだった。
回避率98パーセントは思ったよりも当たらなくなるようだ。
ならば、とレヒトはジョブを切り替えた。
右手には
双剣士のジョブを基本にして、攻撃の手数を増やす。
双剣士はサムライと違って戦闘の早期決着よりも、持久戦に向いていた。
攻撃によって相手の攻撃を一瞬遅らせる『ディレイ』が得意であり、集団戦においても重要な戦力となるほか、個人戦でも格下の相手は一切反撃させずに切り伏せる事が出来る。
尾塚は、にやりと笑った。
「手数を増やしてきたか……! 舐めるなよ……!」
尾塚も、武器を両手剣の『髭切丸』から『小太刀』と『脇差し』の二刀へと切り替えた。
サムライも装備を変更することで、擬似的に特性を『双剣士』へと寄せる事が出来る。
お互いの『構え』に要する待機時間は0.3秒。
スキルゲージが溜まって行く経過すら見えない。
気がつくと、バグステップで至近距離へと接近し、お互いに全力の攻撃スキルを発動させていた。
『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』『回避』
まるで一つのエンジンが音もなく駆動しているかのように、尾塚とレヒトは黙々と一撃必殺の攻撃を繰り出していた。
アマネは、手元のアイテム『羊皮紙』にプリントアウトされる赤い数式と、目の前で繰り広げられている戦闘を見比べていた。
「すごい……お互いにミリ秒単位で状況を判断して、行動を調整している……」
ついさっきプログラムを覗き見るシステムを作ったのだ。
直感で欲しいプログラムを作ってしまう、彼女のこの能力もチート級である。
隠された数式が、黙々と攻撃の成否をはじき出している。
当たらない。次の攻撃も当たらない。
だが、一瞬だけ異様に乱数が膨れ上がるのが見えた。
アマネは、とっさに叫んでいた。
「レヒト! 避けて! なにか来る!」
その声と同時に、レヒトは超人的な反射神経で攻撃を中断し、地面にかがみ込んでいた。
まるで神の声が聞こえているのではないかという、恐るべき勘のよさだ。
素早く歩行システムを切り替え、『横転』の地面に手をつくモーションから、『バク転』を2回発動する。
2回分の跳躍力で、頭上高くへと跳び上がった。
尾塚の小太刀が紫電をまとい、青白い旋風をまきちらしながら水平線をなぎ払う。
見た目にはかすってもいない攻撃だったが、ターン制RPGにその『常識』は通用しない。
攻撃範囲から離脱しきれていなかったレヒトは、遙か足下の攻撃にぶつかり、上空でぐるりと1回転した。
ライフゲージは一瞬で危険域へと降下。そのまま彼はロストし、ポリゴンの粉末になって消え失せた。
「レヒト……!」
レニは青ざめた。
レヒトがいた場所に散らばったのは、所持品の10パーセント。
ほとんどが武器だったが、中には青いクリスタルの結晶があった。
『転移クリスタル』だ。
いざという時、他の街に転移して逃げられるように渡しておいたものだった。
レニは、いそいで自分の所持品一覧を開くと、その中から『転移クリスタル』を選んで、手に持った。
『転移クリスタル』は、限定クエスト報酬でもらえる時をのぞけば、今ではほとんど手に入らない希少品だった。
レニのギルドにもこの2つしかない。
だが、今はそれを使ってでも、戻らねばならない時だ。
「転移、ソーディバード……ッ!」
レニが『転移クリスタル』を頭上に掲げると、青白い光がクリスタルから四方に放出され、彼女の体は足元から徐々に白く透明になっていった。
無人島の緑が色を失い、目に映るすべてがモノクロになると、その映像は人々でにぎわう街中へと切り替わる。
デコボコした英雄の石畳の上に降り立ったレニは、息つく間もなく『始まりの石板』へと急いだ。
天使アバターは、こういう時にこそ性能を発揮する。
翼をはためかせて空に舞い上がると、日差しで熱くなった屋根の上を横切って、市街地のマップを斜めに横断していった。
『始まりの石板』は屋根の上からでも見ることが出来た。
額に手をかざし、丘の方にじっと目をこらしてみたが、人の姿は見えない。
街のちょっとはずれの方に視線を向けると、『憲兵』がわらわらと500人くらい群れていた。
どうやら復活したレヒトは、『憲兵』の包囲網を突破したあと、周辺の『憲兵』を次々と引き寄せながら逃げているようだった。
「ムチャしないで、レヒト君……!」
『憲兵』たちの集会場のようになっている路地裏を見ると、行き止まりにレッド・プレイヤーのアイコンが見えた。
そのライフゲージも赤く染まっていて、危険域に達している。
彼の姿を見たレニは、思わず息をのんで立ちすくんだ。
レベル2のレヒトの攻撃力では、ダメージを1ポイント与えることもできないはずだ。
だが、彼はがむしゃらに戦い続けていた。
その目はギラギラと輝いていて、いままさに生死の境目にいる、死に物狂いの兵士のものだった。
あのとき、出会った直後の彼と同じ目をしていた。
今の彼はヨトゥンの兵士で、ゲームで死ねばリアルでも死ぬのだ。
あの世界に彼を戻してはならない。
レニは、上空からレヒトに飛びつくと、すぐ隣にあった城壁を飛び越え、市街地から脱出した。
もつれ合うように地面に倒れむと、横ざまに倒れたレヒトは、恐ろしく青ざめていた。
全身に汗をかいて、ぶるぶる震えている。
アバターがここまで克明に人間の感情を再現できるのが不思議なくらいだった。
「大丈夫、ここは戦場じゃないわ。レヒト。心配しなくていいのよ」
そのまま『憲兵』の出現範囲を逃れ、廃屋まで連れて行った。
背中を撫でると、少しずつレヒトの震えは収まっていった。
極限状態の人間の脳を、90時間に及んでキャプチャーしたゴースト。
それは朽木レヒトという青年のほんの一部の、さらに虚像に過ぎないのかもしれない。
けれども、今はこうして慰めてあげなければならないような気がしていた。
「……どうしてお前は、俺みたいな亡霊にそこまでしてくれるんだ」
レヒトは、ようやくまともに声を出した。
レニは、彼の肩の上に顎を乗せて、翼で包み込んだ。
「私じゃ、バグステップはできないから……」
「鍛錬すればできる」
「ううん、私、4歳の頃から車椅子を使ってて、自分の足で歩いたことがないんだ。だから、歩行システムの切り替えが無理なの。自分の意思で足を動かすことができないのよ」
「重い病気なのか」
「ずっとそういうものだって割り切ってたから、そういわれても実感はわかない。RPGばっかりやってた。ゲームで人生のすべてを学んだ感じ」
「……羨ましいな、それは」
「でしょう。レヒト君ならそう言うと思っていたわ。けど私ね、このゲームが終わったら、しばらくゲーム断ちしてリアルで生きていこうと思うの」
「そうか……」
レニが笑うと、純白の羽毛がふわりと宙を舞った。
ほんのりとした熱量をおびたそれらは、押し固められた陽光のように、レヒトの手に当たって消えた。
「私はリアルの世界で生きていられる時間が、人よりちょっと少ないらしいの。だから半年も失ってしまったのは、だいぶんもったいない事をしたと思う」
「そうか」
「だから私の代わりに、ゲームの世界でずっと生き続けてくれる人を探していたのよ……レヒト君、貴方なら、それが可能かもしれないと思うの」
「俺なら……?」
「聞いてくれる? レヒト君」
廃屋の中に、やがて月明かりが差し込んだ。
お互いに密着したまま、ぽつりぽつりと自分の事を話していると、不意にドアの外からなにわの声が聞こえてきた。
「どん、どん、ど~ん! レヒトくん~! いる~!?」
レニは、急に顔を朱色にして、レヒトと床で寝そべっていた体勢から座りなおした。
すき間が多い廃屋のドアをにらみつけると、なにわと尾塚の2人が知らぬ顔をして現れた。
無言で整列して、お互いに向かい合い、妙な間が生まれていた。
「大丈夫? 2人とも、ロストしなかった?」
「ウチはへーきやったで。みんなが血相変えて守ってくれる、お姫様やさかい!」
「確かに、なにわの安全は第一だからな」
レニは、髪の毛を手ぐしで直しながら、わざと明るい声で言った。
「ああ、レヒト君も覚えておいた方がいいわ、なにわちゃんはウチの『倉庫』なのよ」
「『倉庫』?」
このゲームにはアイテム所持上限があり、その上限を突破するのに課金する必要がある。
この問題に対して、荷物持ち係、すなわち『倉庫』を連れていくことで、アイテム所持制限を気にせずに探索を進め、効率化をはかるギルドが多かった。
「ちなみに、ウチはアイテム上限50を突破して5000やから、一度にドロップするアイテムが500個やねん。それを拾ってくるだけでギルドメンバー全員で何往復もする必要があるねん」
「なるほど……それはなんとしても死守しなければならないな」
なにわのレベルがいまだに低いのは、うかつに戦闘に参加させられないため、という理由もあるのだった。
レイナは、無念そうに目を伏せた。
「『倉庫』は無事に守ることが出来た。だが我々はアイテムよりももっと大切なものを失ってしまった」
「?」
「それはレニ、お前という友だ」
「!」
「せやせや、チャット何回も送ったのにぃ」
レニは、隣のレヒトの顔色と、先ほど無視していたチャットメッセージの着信を交互に見やった。
レニの顔は、ヒュムトロルのように真っ赤になってしまった。
「さっきは、それどころじゃなかったというか……お願い、信じて」
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