第4話
ライジング・フロンティアにおける兎曜日。
日本時間における午前5時から7時あたり。
まだ夜も明けきらぬ王都ソーディバードの広場に、このゲーム世界に閉じ込められたプレイヤーたちは続々と集まっていた。
今日は4月31日、リアル世界での月末は、アップデート日と決まっていた。
この日の午前5時に新データの配信が開始される。
レニたち『ミウちゃん大好き同盟』のギルドメンバーたちも、眠たげな目を擦って集合していた。
「おはよう。みんな眠そうね」
「うー、なんで管理者がいないゲームなのに、アップデートが定期的に行われるんだろう?」
「定説では、もう1年くらい前から内容が決められていて、配信予約がされているということだ」
天空の島の手前に、空を四角くくりぬいたようなウィンドウが浮かび、それと同時に、プレイヤーたちの快哉が上がった。
ウィンドウの中央に浮かび上がったのは、銀髪ネコミミ美少女、ミウである。
「皆の衆! にゅす! 退屈のあまり、お互いに殺し合いをはじめて殺伐としたデス・ゲームと化していないかにゃ? RF広報部のミウが、今月のアップデート内容を報告するにゃ!」
うおおおぉぉ。
プレイヤー達の怒号で、広場に地鳴りが響いた。
いまだにデス・ゲームと化していないのは、彼女がいるお陰だろう。
「みーうちゃーんッ!」
レニも、いつもの『ミウちゃん大好き同盟』のメンバーと共に、声を限りに叫んでいた。
バーチャルアイドルは服装のセンスもよく、彼女が身につけている装備は、その月の流行になるのだった。
「ふぁー、相変わらず、かわいい」
「あのコーデセンス、参考になるなぁ」
「けど、いまは課金アイテムなんてどうやっても手に入らないからね。職人のコピーアイテムが市場に流れるのを待つしかないのよねぇ」
「まかせときーや、ウチが徹夜で作ったるさかい」
「ふむ、任せたぞ、なにわ」
冬はサンタの格好をしていた。
だとすると、夏は当然水着でくるはずだ。
プレイヤー達の期待は日増しに高まっていた。
「みんな……ちょっと大事な話があるんだけど、いいかな?」
ギルドメンバーが全員あつまっているこの機会を利用して、レニは相談を持ちかけた。
これまでレヒトの事を、ギルドメンバーにどうどう報告すべきかで悩んでいたのだ。
もし彼がプログラム通りにしか動かないバグならば、危険人物のまままったく成長しなかっただろう。むやみに人を近づけていいものではない。
だが、この世界の人工知能は違う。
彼は少しずつ学習して、確実に人間らしくなってきている。
そして先日、彼のチート能力を発見して、これは黙っていられないことに気づいた。
彼のチート能力は、レベル制を超え、魔王を討伐できる可能性すら秘めているのだ。
トッププレイヤーたちが半年をかけてクリアできなかったこのゲームを、クリアする事が可能かもしれない。
「そうか……ゲームのバグを利用してゲームをクリアするということか」
「ええ、古いゲームだと、バグを利用してクリアした後、ゲームがフリーズするものがあるのよ」
「それってどんな昔のゲーム?」
「思ったんだけど、このままバグを進行させ続けて、サーバーに高負荷をかければ、サバ落ちが狙えるんじゃないかしら」
レニが提案したのは、サーバーを落とす、という技法だった。
モーファードは、定期的に本人確認の認証を行うため、通信途絶が一定時間すぎると強制シャットダウンする仕様になっている。
レニに次いでログアウト不能事件に詳しいレイナは、赤髪をぼりぼりとかいて思案していた。
「それは前代未聞だな、まったく予想がつかない」
「これまでの脱出不能事件では、なかったってことね?」
「今のサーバーは宇宙空間にあるからな、地震どころか台風の影響すらない」
レイナは、むぅ、と唸って真剣に考えていた。
可能性がない訳ではない。
「オヤジと同じ事を言いたくはないが……危険だと思う」
何もせずに鬱屈としているよりかは、脱出できるかも知れない、という希望を抱いた方がいい。
そういう判断から、レイナも『攻略組』を容認していたのだが。
彼女も尾塚令三と同じく、現実的な意見を持っていない訳ではなかった。
「……本当に攻略したとして、そのあとのリアル世界はどう攻略するつもりだ? 犯人と直接対決するのか?」
「ええ、そうよ。みんなもその覚悟を決めているはずよ」
「レニ、第二のログアウト不能事件では、犯人に誘拐されたプレイヤーたちが、一斉に病院から脱出した。あれは、誘拐されてから数日しか経っていなかったから戦えたんだ。私たちの場合は、何ヶ月もベッドで寝たきりだ。身体が弱って動けない可能性がある」
「それも不思議なのよね……犯人はいったいどうやって、何ヶ月も寝たきりのままの人質を、2万人以上も維持しているのかしら?」
ちなみに、第二のログアウト不能事件では、世界各地の病院に人質を分散して閉じ込めていたため、犯人グループの人手が足りなかった。
多くのプレイヤーが目覚めたとき、そばにいたのは、介護用ロボットだけだったという話だ。
だが、一部のプレイヤーは、犯人とエンカウントしている。
そのまま逃走用の人質として連れ去られた者もおり、多少の犠牲者が出ることは、覚悟しなくてはならない。
だが、それでも犯人に自分の身体をいいようにされているというのに、何もせず、のんびりゲームを楽しんでいることの方が異常なのだ。
「今月は新イベント、5月祭がはじまるにゅ! 新しい味覚が解放されるので、みんな色んな国を回って、楽しんでくるといいにゅ! ミウも屋台を見回るの楽しみしているにゃ! 迷子にならないよう、お手て繋いでくれる人募集―!」
レニは、ほにゃぁ、と顔を緩めた。
こんな状況でも、相変わらずミウは可愛い。
さすがこのゲームが誇るバーチャルアイドルである。
このゲームの未来に不安を感じて、亡霊捜しに行っていたことなど、つゆほども感じさせない。
「5月祭はフィールド上の獲得経験値が5倍になるわ。これを利用すれば、早いレベルアップも出来るかも知れない」
「それは無謀だな」
レイナは、軽くあくびをかみ殺していた。
「どれほど戦闘能力が高かろうと、レイドモンスターの討伐は単騎ではぜったいに不可能だ……知っているだろう、魔王の攻撃パターンのひとつにディアボロ・ブレスがある」
「ディアボロ・ブレス……攻撃範囲が40キロに及ぶ超広域AOEのことね」
「AOEって?」
「範囲攻撃(Area Of Effect)、というやつだ。40キロもあれば、たとえ魔王城の外まで逃げても届く」
「40キロって……どないやねん」
「魔王城の近くを偶然とおりかかったパーティがロストしたって噂ね」
「あの天空の島からここまでが、だいたい40キロの範囲だ。ディアボロ・ブレスが発動すれば、いまこの広場にいる全員が焼け死ぬ」
レイナが指さした天空の島を、他のメンバー達も見上げた。
高度1000メートルの高さにある島は、凄まじい遠さに見える。
「しかも、戦闘開始から3分が経過すると高確率で発動する。触れれば即死、逃げ場もない。要するに、レイドモンスターがよく持っている戦闘を強制終了させる技だ」
「うええ、なんかそれ、無理っぽくない?」
通常のプレイヤーならば、何度も再挑戦できる。
そうやって倒れても休みなく攻め続け、倒すのがレイドモンスターというものだ。
だがレッド・プレイヤーのレヒトは、そう何度もロストすることが許される身ではない。
いずれ『憲兵』に拿捕され、牢獄に連れ込まれてしまうだろう。
「もし再挑戦が出来たとしても、魔王の体力は24時間で完全回復する。だから多少レベルを上げたところで、1人でどうにかなるような話ではない」
「それでも……彼ならできるかもしれない」
「妙に信頼しているな?」
「ええ、いちど会ってみたらわかるわ……彼は、私たちの知らないゲームの世界を教えてくれるのよ」
RPGの常識をくつがえしてくれる、レヒトならば。
レニも知らない、新しいゲームを見せてくれそうな気がする。
レニの強い信頼は、どうあっても揺らがないようだった。
こうなると何を言っても聞かない彼女の正確をよく知っているレイナは、とうとう折れた。
「いちど会ってみないとな」
廃屋へ向かう途中、レニは振り返った。
ギルドメンバーたちは、黙って彼女の後ろについてきている。
気の置けない仲間達だったが、これから会わせるレヒトのことをどう思うかわからない。
なんせ、ネコミミすら知らない、モンスターと人間の区別さえつかない、かなりの変人だ。
「ちょっと、いや、かなり、変な人だけど、何かおかしな事を言っても、温かく見守ってあげてほしいの」
「そんなに?」
「戦争トラウマみたいなものなの。心に深い傷を負っているのよ」
「なるほど、レニはそういう男に弱いのか」
「そういう男に弱いって?」
なにわは、にまにましながら言った。
「こーんな町外れの廃屋に毎日毎日足しげく通って、チャットメッセージ送っても無視するし、ぜったい男とイチャイチャしてると思っとったわ。にしし」
「あー……彼の前でチャットメッセージを確認していると、内容をすごく気にするからやめたのよ。たぶん、まだ私の事を敵国のスパイか何かじゃないかと思っているみたいで……」
「筋金入りだな……」
このエピソードだけでドン引きされたということは、『憲兵』とガチバトルをして本気で倒そうとしていたり、チュートリアル妖精をキルしたりしていたことなどとても言えない。
これから協力し合う新たな仲間になるのだから、第一印象はなるべく良くしておかなければ。
格子戸のようなドアの隙間から中の様子をうかがうと、なにやらひそひそと話し声が聞こえてきた。
「にゅうぅ、レヒトぉ、どう? どう? ミウの尻尾、気持ちいい?」
「うむ、まるで本物のネコだな」
「ふにゅぅ、そんなに乱暴に扱っちゃいやにゃぁ、このあと収録があるにゃ、ミウの毛並みが乱れていたらマジ恥ずかしいにゃ」
「ウチで飼っていたネコを思い出した……もうちょっとで名前も思い出しそうなんだ」
「にゅふふ、みんなの憧れのアイドル、ミウ様にこんなことできるのはレヒトだけにゃぁ」
レニは全身を使ってドアを隠し、背後に迫っている友人達の方を振り返った。
やばい、やばい、やばい、やばい。
いまミウちゃん大好き同盟のメンバーをこの中に入れる訳にはいかない。
レヒトはレッド・プレイヤーなので、キルしても犯罪にはならない。
逆に全プレイヤーから賞賛されるだろう。
「あー……その、ちょっと、今は……ダメみたい」
「どうした?」
「……過去の事を振り返っている、みたいな、そんな感じ?」
「そうか……そっとしておいた方がよさそうだな」
レニはくるっと背を向け、食い入るように中の様子を観察した。
レヒトは、つい最近こなしたクエストで手に入れた木箱に腰掛けていて、その膝の上にネコのように丸まったミウちゃんを乗せていた。
全プレイヤーが羨望の眼差しを送っている銀色の毛並みをレヒトが撫でていて、気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らしている。
(レヒト君ったら……ッ! いつのまにミウちゃんと、あんなうらやまけしからん関係に……ッ!)
どうやら、2人の仲は急速に接近していたらしい。
おなじプログラム同士、通じ合うものがあったのだろう。
2人の恋路を応援する立場にあったはずのレニだったが、いまは全力で2人の邪魔をしなければならない。
なんというジレンマか。
レヒトにチャットメッセージを送ろうかと思ったが、ムダだ。
レヒトは視界を遮断する恐れがある通知を異様に気にしていて、常に非表示にしている。
なので、翌日になってようやく返事が来るといったありさまだ。きっと実生活のメールのやり取りもそんなものだろう。
仕方なく、ドアの前で、大声で中に呼びかけた。
「あー! げふん、げふん! あああー! ようやくついたー! レヒト君、いるかなー!?」
どんどんどん、とドアを叩く。
中にいるレヒトの気配が鋭く尖るのが、ドア越しにも分かった。
「にゅう? お邪魔虫のレニちゃんが来ちゃったにゃ?」
「しっ、静かに」
「どうしたにゃ? レニちゃんは敵じゃないにゃ?」
「いや、本当にレニならば合図をするはずだ」
しまった、またしても合図を忘れていた。
というか、ふつう声でわかるだろう。
どうしてこんな平和なゲーム世界で、レヒトの周囲だけ戦時中みたいな緊張状態が続いているのか。
合図をしようかどうか、レニは迷った。
この後の展開によっては、レヒトを暗殺しに来る可能性がある人たちがすぐ近くにいるので、合図を知られたくはない。
知られたら知られたで、こっそり変更すればいいのだろうが、危険は可能な限り排除したい。
「じつはー! 友達と一緒に来てるのー! 見られたくないものとかあったら、ちょっと隠して欲しいんだけどー!」
お願い、分かって、ミウちゃんをどこかに隠して、と念じながら、懸命に声を立てた。
ドア1枚を隔てた向こうに、レヒトが立つ気配を感じた。
ちゃきっ、という鍔なりの音が耳に届く。
初期装備のショートソードは、フロストロルとの戦いでボロボロになってしまったので、先日のクエスト報酬で新調したばかりの剣だ。
その剣の刃面が、鏡のようにきらっ、きらっ、と屋内の闇で光るのが見えた。
……どうやら、剣を鏡のように使って外の様子を映し、こちらをうかがっているらしい。
市街地戦に投入された軍人のテクニックである。
RPGの世界で剣をそんな風に使う奴なんて見たことない。
つくづくFPSの世界で生きているプレイヤーだった。
異様に警戒心をあらわにしているのが手に取るように分かった。
「い、今から部屋に入るからー! いいかなー!?」
「いいぞ」
レニは、ぎょっと目をむいた。
入っていいと言われたが、まだミウが部屋のど真ん中で木箱に座ったままだ。
肌寒い場所なので、毛布にくるまっていて、こっちの様子をじーっとうかがっている。
「ほ、本当に!? いいの? 友達とかが一緒に入っちゃうのよ!? いいの!?」
「ああ、いつでもいいぞ」
ああ、間違いない。
この人、こっちが入っていった瞬間に切り捨てるつもりだ。
ぜんぜん信じていない。
「その、あれとか隠してくれないかしら!」
「あれとは?」
「部屋の中にあれがあると思うんだけど! ミではじまって、ウで終わるあれとか!」
「ミではじまって、ウで終わるあれ?」
レヒトは部屋の中を振り返り、ミウと目を合わせた。
ミウは、はっと気づいたような顔をして、いそいそ、と木箱の中に隠れていった。
箱の中に入っているミウ超可愛い。
「ミニミ銃のことか?」
「なにそれミニミ銃? なんか可愛い名前だけど銃なの!?」
「うつ伏せになった体勢からでも楽に射撃ができるよう、三脚がついた機関銃だ。分かってるさ、お前の天敵だよな?」
「人を飛び魔みたいに言わないで! いきなり切りかかってこないでね! 約束だからね! PKはもう絶対しないって、約束したよね!」
「撃たないから入ってこいよ、レニ。どうせお前なら、また合図を忘れてくるだろうなと思っていたところだ」
レヒトは、自分からドアを開けてレニを迎え入れた。
レニは顔を真っ赤にして、悔しさのあまり窒息しかかっていた。
「~~ッ! うきぃ~~ッ! ふぐぅぅ~~~ッ!」
ギルドメンバーたちは、「レニの方がよっぽど面白いわ」と苦笑するのだった。
レヒトを匿っているこの廃屋にNPCでないプレイヤーを連れてきたのは、思えばこれがはじめてである。
椅子代わりに使っている木箱も人数分はないし、10人も入ればいっぱいになってしまう。
なのでギルドメンバーの中でも主要なメンバー、レイナとなにわだけを連れてきていた。
ミウちゃん大好き同盟の中でも、スチーム時代からの古株である。
今は男女含めて50名を越す大型ギルドになってしまったが、あの頃はチャットルームにこの3人だけ、というただのファンクラブだった。
「うわー! なんかむっちゃ楽しい! 秘密基地みたい!」
なにわは、廃屋をきょろきょろと見渡して、どこか楽しげだ。
エルフ耳をみょんみょん、と振って、彼女のレーダーを鋭敏に働かせていた。
レイナは鋭い目で、じっとレヒトのことを観察していた。
警察関係者を家族に持つ彼女のことなので、人間観察に関しては人並み外れた才覚を持っているみたいだった。
「レヒト君、紹介するわ。こっちの金髪のエルフがなにわちゃん。RPGはこのゲームが初めての初心者だから、レヒトよりちょっと先輩みたいな人よ」
「初心者にしてはアバターがよくカスタマイズされているな」
「レイヤーなのよ」
「レイヤー?」
「そう、コスプレイヤーなの」
レベル6 なにわの美少女エルフ
所属ギルド『ミウちゃん大好き同盟』
攻撃力 C
生命力 B
精神力 A
ギフト 【CAD系スキル能力】【鍛冶成功率+50%】【裁縫成功率+50%】【素材の知識】【採集の知識】
なにわの美少女エルフのアバターは、10人が10人とも振り返るような美貌を持っていた。
透き通るような瞳に、すっと整った顔立ち。笑顔は輝いて見えるといったような、絶世の美女だ。
服装も通常では手に入らないような凝った物になっている。
その月のイベントガチャで手に入る限定アイテムは、必ず身につけており、さらにCAD系スキルによって外装をアレンジしていた。
そしてコピー製品を作って市場で売っているという。
装備がいい代わりにレベルが極端に低いのも、レイヤーの特性である。
「スチーム時代からこのゲームの服とか自作して街を歩いてたんやで! けど、今ならたった100円のガチャでおしゃれな服を手に入れ放題なんや。もー、むっちゃガチャしまくったわー!」
ふはー、と息を巻く美少女エルフ。
コスプレイヤーは、RPGがVRゲーム化されることで、かなり一般的になったプレイスタイルのひとつとなった。
クエストやイベントなどは特にこなさず、キャラメイキングや毎月の限定アイテムでアバターを飾り立てることを楽しむのだ。
運営側もガチャに力を入れて推奨しており、スタート地点も戦闘をまったくしなくていい職人系の国メイジャエイプ、商人系の国AKドッグなどを用意し、冒険者の国ソーディバードとはイベントもストーリー進行も独立させていた。
「なるほど、それはぜんぶ課金アイテムというわけか」
「なにわちゃんは、他のギルドから勧誘を受けていたこともあったわね。いまはリアルマネーが使えないから、課金アイテムを手に入れられる人材は貴重なのよ」
「せやねー、ウチだけっぽいねー。友達も、さすがに半年もクレジットはもたへんいうとったわー」
「いったい、どのくらい課金したんだ?」
「ふふん、そこは乙女の秘密や」
「それで、隣の赤い髪の女サムライが、レイナちゃん。同人誌即売会で、なにわちゃんと意気投合した」
レイナは、胸の前で腕を組んだまま、じっとレヒトを観察している。
組まれた腕や顔などの褐色の肌は、つややかな光沢を浮かばせていた。
レベル30【Max】 レイナ サムライ
所属ギルド『ミウちゃん大好き同盟』
攻撃力 A+
生命力 C
精神力 B
ギフト 【剣攻撃クリティカル+120%】【防御スキル無効化】【先制】【必中】【必殺率+180%】
「サムライというのは強いのか?」
「当たれば大きいが、撃たれ弱いという感じだ」
「盾が装備できないのよね。リアルでもサムライは盾を装備していなかったって聞くわ。強いか弱いかで言うと、微妙? なところ」
「ただ、勝つにしろ負けるにしろ、勝負が短時間で終わるので、経験値稼ぎのコスパが非常にいい。イベントをさくさく進めたいのなら理にかなったジョブだ」
「同人誌の取材に来ているから、ストーリーとかは、ぱぱっと確認したいのよね、レイナちゃんは」
レヒトは、むむっと眉根を寄せた。
「経験値稼ぎとは?」
「モンスターをちまちま倒して、経験値を稼ぐことよ」
「なぜそんな事をする?」
「あ、そうか。経験値稼ぎってFPSじゃ必要ないんだ。ほら、この前、ご飯食べてたら、レヒト君もレベルアップしたでしょ? ぱぱぱーんって」
「……ぱぱぱーん?」
ますます眉根を潜めてしまうレヒト。
基本的に通知はすべて非表示にするタイプなので、レベルアップにも気づかないらしい。
そこまで言って、レニは、レヒトのステータスの変化にようやく気づいた。
レヒト レベル2
所属 なし
「あーッ! すごーい! レベル上がったんだ、うわぁー! おめでとうー!」
「……む? うむ」
一時は飢餓状態だったのが、レニの献身的な手当のお陰で、まともに経験値を得られるようになっていたのだ。
ようやくNPCからプレイヤーらしくなってきた。
チュートリアル妖精の苦労がようやく分かった気がする。
「というか、レヒト君ってば、どうしてまだレベル2なの? たくさんクエストこなしてきたでしょう?」
「不要な戦闘は可能な限り避けていくのが常識だろう? 見つけ次第モンスターに喧嘩をふっかけていく方がどうかしている」
「ぐぬぬ……」
「あまあまやね、あの2人」
「うむ、あまあまだな」
ギルドメンバー達は、そんな2人を温かく見守っていた。
だが、それを快く思わない人物もその場にはいた。
ガタッ。
部屋の隅の木箱から、なにか物音がした。
反射的にレニが目を向けると、銀色の毛に包まれたネコミミが、ひょこっと木箱から顔を覗かせ、こっちをじーっと見ている。
唇をかみしめ、今にも泣きそうな顔でレニを睨みつけていた。
ギルドメンバーの死角になっていたため、彼女たちはまだ気づいていない様子だったが、レニはぎくっとした。
「レヒト君、ちょっと」
「ん? ああ、あれか」
レヒトは、ハンドサインで『ミニミ銃』を示した。
レニの語彙に、また新たなFPS用語が増えてしまった。
レニは、他の2人に気づかれないよう、多少なり覚えたハンドサインでレヒトと対話した。
(私が囮になる、レヒト君は、『ミニミ銃』を外に連れ出して)
(了解した)
(グッドラック)
「なんやなんや、2人で秘密の会話しはじめたで」
「チャットを使えばいいのに、わざわざ私たちに見せつけているとしか思えんな」
「みんな、見て欲しいものがあるんだけど!」
手短に作戦会議を終えると、レニはわざと明るい顔をして、チラシを数枚、テーブルの上に広げた。
「これがクエストの依頼書よ。ぜんぶレヒト君がこなしたやつ」
「………………」
「なに? 私の顔になにかついてる?」
「仕方ない、見てやろうか」
「せやね」
討伐対象となるモンスターの写真に、おおまかな出現範囲などが書かれている。
攻略したクエストの隅には、「Conquest!」の赤いスタンプが押されていた。
リアル世界では、ホログラムを利用したホロウィンドウのデバイスが溢れているのだが、バーチャルの世界では、こういう古びた紙の媒体を模したものがとても好まれるのだった。
「このレベルで、これだけのクエストをこなしたとなれば、なるほど、これからレベル上げをしていけば、一体どうなるかわからんな」
「でしょ?」
「うーん、ウチにはようわからんなぁ、クエストは出す側やから。これってすごいのん?」
「推奨レベルって項目があるでしょう。最大で推奨レベル18の依頼でも軽くこなせちゃうのよ、レヒト君は」
「ほほぅ? レベル2でそれはすごい。どうしてまだレベル2なのかが不思議だ」
「ぜんぜん戦ってくれないのよね……」
つくづく、RPGのレベル制を無視してくれるプレイヤーである。
レニがみなの注意を引き付けている間に、レヒトは木箱からミウの首根っこを掴んで引っ張り上げていた。
まるでネコみたいな扱いだが、ミウは大人しくしていた。
もう本当に惚れてしまった女の子みたいだ。
レヒトはネコを飼っているらしい、慣れた様子で廃屋の外まで送り出してきて、そのまま戻ってきた。
「ところで、一体何の用事で来たんだ? また新しいクエストでも持って来たのか?」
「クエストの話よ、レヒト君。このゲームの最終クエスト」
「うむ、言いえて妙だな」
レイナは、うん、と頷いた。
「君に魔王を討伐してもらいたい」
レイナは、魔王のステータスが書かれた紙をテーブルの上に置いた。
モンスター図鑑から魔王の項目だけを印刷したものだ。
まだ討伐がされていないため、謎の部分が多く、ステータス欄には空白が広がっている。
「レイド・ボスというのはなんだ?」
「何万人ものプレイヤーが交代で挑戦して、少しずつライフを削っていくモンスターの事よ」
「レベル最大のプレイヤーが、5000人で複数のレイド・パーティを組んで挑戦したが、全滅した。推奨レベルは不明だが、40か50は必要ではないかと言われている」
「ありえへんのよね、いまのレベル上限が30やから。どうやったら強いモンスターを倒せるの?」
「簡単だ、相手の攻撃に当たらなければいい」
「いや、魔王は回避不可能攻撃を持っている。一定時間が経過すると、外で待機しているプレイヤー達も含め、強制的に排除される」
ひと通り話を聞き終わったレヒトは、ふむ、と唸った。
それを聞いた彼は、このボスを倒す唯一の方法を導き出した。
「だったら『乱数調整』は試してみたのか?」
レイナは、ぴくり、と眉を動かした。
なにわは、首を傾げていた。
「『乱数調整』って、なに?」
「ゲームにおけるランダム要素をコントロールするハッキング技術だ。魔王の行動はランダムで発動するので、もし成功すれば、ディアボロ・ブレスを封じることができる」
「えーっ! もしそれが出来たら、倒せるかも知れんっちゅうことか!」
「まったく、VR世界で乱数調整をやってみよう、なんて思いつくプレイヤーがいるとはな……」
レイナは、受け入れがたい様子で首をふっていた。
一般のプレイヤーにとってチート行為は、悪として認識されているものだ。
なにせ運営が迷惑行為として通報を受け付けており、出入り禁止などの対処を取っている状況だ。
だが、彼女たちとレヒトは、くぐってきた修羅場の数が違う。
VRゲームの世界にも、いわゆるチーターはいた。
パラメーターをいじって銃弾の威力をあげ、千里眼で相手の位置を把握する。
ゲームバランスを無視した戦い方をするチーターとの戦いは、まさに生きるか死ぬかの戦いだった。
「いい……」
だが、レニのチーターに対する認識は、ここにいる誰とも違っていた。
なぜなら彼女は、おじいちゃんに昔のゲームの手ほどきを受けてきた。
かつてのゲームは通信などできず、個人的な楽しみのためだけに存在するオモチャだったのだ。
手動で簡単にできるバグ技の宝庫であり、レニはそれらを楽しんでいたものだった。
レニは、目をキラキラ輝かせて、レヒトの手をがっちり掴んだ。
「いい! それ最高だわ! レヒト君! やっちゃいましょう!」
「うわー、また良い感じになりはじめたわ、この2人……」
「うむ、もう満腹だな。薄い本が書けそうだ」
そのとき、不意に外からててて、と足音が聞こえてきた。
開いたドアに寄りかかるようにして、ミウが中をのぞき込んでいた。
「む? NPCか?」
「おお、可愛い子が来たなぁ。おいで、おいで」
「あれ? この子、ミウちゃんに似てへん?」
「言われてみれば」
レイナとなにわは、すぐそれに気づいてしまった。
レヒトとレニは、お互いを肘でつつきあった。
「レヒト、ミニミ銃が……」
「分かってる」
すっかりミニミ銃の通称で通ってしまったが、ステータスを見られたら一発で身元がバレてしまう。
2人が気づかない事を祈るしかない。
じわっと、ミウの目に涙が浮かんだ。
「みんな……ゲームを終わらせちゃうにゅ……?」
レヒトの命にかかわる最悪の対面は免れたものの、緊張は拭えなかった。
そうだった。
レニは、小さく息をのんだ。
彼女は、ミウは、この世界でしか生きられない存在ではないか。
チートを使ってこのゲームを無理やり終わらせることに、抵抗を覚えないはずはない。
「大丈夫、ミウちゃんは、みんなの憧れのアイドルだもの。ぜったいに他のゲームに移植されるわ」
「けど、そうしたら……レヒトはどうなるにゅ? レヒトも、ミウといっしょじゃなきゃ嫌にゅ」
そこにいたプレイヤーたちは、みな一斉にレヒトの方を見た。
デーヴィッド・スリングの亡霊。
ニューラル・インターフェースが産んだゴースト。
彼にはすでに、リアルの身体すらない。
もし、このゲームをクリアしたとして、レヒトは一体どうなるのだろう。
ミウは、レヒトの胸にすがって、服を引っ張った。
「レヒトがこのゲームを攻略する理由なんてどこにもないにゅ! レヒトはもうNPCなのにゅ! ずーっとミウと一緒にこのゲームにいるにゅ! お願いにゅ!」
レニは、自分がなんと身勝手なことを考えていたかを思い知った。
そうだ、彼にゲームを攻略して貰おうというのは、いま生きている人間の都合を押し付けているだけでしかない。
レヒトはただ消滅するだけで、なんのメリットもないではないか。
この世界に住んでいるNPCたちに、このゲームを攻略する理由など、ひとつもない。
レニの不安をよそに、レヒトの手は、ミウの柔らかい銀色の耳を撫でた。
ぴくっと震えた獣耳は、そのままレヒトの手にすりよるように傾いた。
「ミニミ銃、ようやくネコの名前を思い出した。トカレフっていうんだ」
「にぅ? フカヒレ?」
「トカレフだ。白と黒のぶちで、目つきの悪い奴だったよ。俺が大事な試合をやっている最中に、キーボードの上に乗っかって、エサをねだってくるんだ。そんなとき、俺は守らなきゃいけない現実の世界のことを思い出すんだよ」
レヒトは、鼻から深く息を漏らした。
「デーヴィッド・スリングに閉じ込められたとき、俺はトカレフが電源を引っこ抜いてくれるものだと信じていた。念を送っていた。飼い主と飼い猫はベストパートナーだと信じていた。けど、あいつには結局それができなかったんだ」
「……可哀想にゅ」
「もし元の世界に戻ったら、あいつのことを探してやって欲しいんだ……たぶん、俺が現実世界に対してできるのは、それくらいしかないだろう。できるか?」
ミウは、目をゴシゴシぬぐって、頷いた。
レヒトは、ふむ、と息をついて、レニの方を向いた。
その眼差しは、ひどく落ち着いているものだった。
「俺はもう死んでいるのかもしれないが、死んでしまったものはもうどうしようもないだろう。攻略したら消滅してしまうのかもしれない。けれど、ネコよりかは役に立つはずだ。よろしく頼む」
レイナは、テーブルの上に資料をばっと広げた。
「日本警察の連中がやり取りしている資料を取ってきた」
「うっは、さすが、ボスのお嬢様やね」
警察の資料は、機能性重視の事務的なコピー用紙で、右上をダブルクリップでとめてあるものだった。
レイナが持って来たのは、このゲーム内にいるプレイヤーの中でも、かつてチート行為に手を染めた事があるとおぼしきプレイヤーの資料だった。
「ざっと1000人ぶんはありそうだな……」
「他のゲームで発見されたお遊びのようなバグ技に手を出した者も中には含まれているので、このゲームでは不正行為をしていない可能性もある」
「ふえっ、他のゲームの事も調べとるのん?」
「ああ、事件があってから動いていては遅いのでな」
日本警察は、捜査対象となるゲーム上の全プレイヤーのアカウントを割り出し、リアル世界での通信記録から個人情報、クレジットの購入履歴、他のゲームのプレイ履歴まで収集していた。
ハッカーと対立する機会の多い警察ほどハッキング技術に詳しい者もいない。
「ところで、乱数調整って、どういう裏技なん?」
「たとえばゲーム中のサイコロの目はランダムで出てくるが、どんなプログラムも完璧にランダムな数字を出すことができない。複雑で一見ランダムに見える数式を使った疑似乱数というものが使われている。いわゆる『乱数の種』というやつで、その数式を解析すれば、プログラムの選択を自在に操作することができる、それが乱数調整だ」
「あうう、聞かんかったらよかった。ようわからんけど、なんでそんな頭使ってまでゲームで勝とうとするんやろ?」
「それがハッカー文化というものだ」
なにわは頭を抱えていたが、ゲームによっては乱数調整からシステムのもっと奥深いところに介入し、未発見のバグ技を編み出すものもある。
現代でも、ただでさえ多くのバグが実装後に発見され、アップデートによって修正されている状況だ、通常のプレイで発見されないこの手のバグは、いくらでも発見される可能性がある。
「むろん、コンピュータが必要なので、いくらチーターでもゲーム世界に閉じ込められた状態でチート行為はできない。モーファードにコンピュータを人間だと思い込ませれば可能だが、ニューラル・インターフェースの生体認証セキュリティは非常に精巧で、こいつを突破できた事例は今のところ確認されていない」
「外に出んと使えんのやったら、意味がなくない?」
「いや」それに対しては、レヒトが言った。「乱数調整は、手動でもできる場合がある。『状況再現』というプレイ技術だ」
レニは、肩をすくめた。
「レヒト君、ちょっと昔のゲームでもそんなことが出来るのは、コンピュータ並みの指先を持っているプレイヤーぐらいだったわよ……VR世界ではほとんど不可能じゃないかしら」
「やってみないと分からないだろう」
レヒトの眼差しは真剣そのものだった。
FPSゲームの世界チャンピオンになるためには、ミリ秒単位の判断力とコントローラ操作技術が必要になる。
ひょっとすると彼の謎の戦闘技術にも、乱数調整が関与している可能性はあった。
「ともかく、半年もゲーム世界に閉じ込められているんだ……このリストにいるチーターも何かヒントぐらいは掴んでいるかもしれない。片っ端からあたってみよう」
ギルドメンバー達との話し合いが進むなか、レニはこっそり廃屋を抜け出していった。
暗闇のなにもない方向を見つめながら、ミウはしょんぼりと座り込んでいた。
なで肩がさらに下がり、尻尾にも元気が見受けられなかった。
「ミウ、ダメじゃない、アイドルが落ち込んでちゃ」
「にう」
レニは、その小柄な身体を後ろから包み込むように抱きしめた。
モーファードが記憶を再構築し、作り物だとは思えない、確かなぬくもりを感じさせる。
晒されるかもしれないという不安はあったが、そうせざるを得なかった。
少なくとも彼女がこのゲームに閉じ込められている間は、彼女もミウもデータ上の、等しい存在なのだ。
「みんな、このゲームを終わらせるつもりにゅ?」
「そうね。それが正しい姿だと思っている」
「どうすればいいにゅ?」
いままで彼女を慕ってきたプレイヤーたち。
彼らに裏切られて、いったいどうすれば良いのか、彼女には見当もつかないのだろう。
もし自分がNPCとして生まれたら、いたたまれなくなっていたかもしれない。
けれども、現実世界に生きているレニにはどうすればいいのか、ある程度の道筋が見えていた。
「私がなんとかするわ。私、外に出たらね、やりたいことがあるの」
「にう?」
「裏技でも、バグ技でもないけれど……きっと、あなたを幸せにできるはずよ」
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