第3話

 フロストロルがぶるぶる凍える丘へとたどり着いたレニは、木々に囲まれた廃屋へと飛び込んでいった。


 ところどころ穴の空いたドアは、うす暗い屋内が見通せて、レニはまるで牢屋の格子戸を連想して嫌な気持ちになった。


 倒れていたのがレヒトだとは限らない、ひょっとすると人違いの可能性もある。

 身体で押すようにドアを開けて、そういえばこの前、レヒトと合図を取り決めていたことを思い出したレニは、慌てて外に出て行った。


 うっかり合図を忘れて、レヒトに襲われては困る。

 本当に戦時中からタイムスリップしてきたんじゃないか、というぐらい彼は危険に敏感なのだ。

 レヒトは死ぬ思いをしてきたのかもしれないが、レニもあんな恥ずかしい思いをするのはもう御免だった。


 ドアをノックすること、3回、5回、1回、1回。


 呼吸を整え、服の合わせ目をきっちり整えながら、じーっと中からレヒトが出てくるのを待った。

 だが、いつまで経っても出てくる気配がない。


「レヒト君……ウソ……遅かった……?」


 レニはドアを開いて、中の様子をうかがった。

 廃屋の中は、朽ちかけた材木などが積み上がっている以外、人の気配すらない。


 ひょっとして、レニのいない間に、本当にロストしてしまったのではないか。


 この前はレニの助けもあって、うまく『憲兵』から逃げきれた。

 だが、同じ幸運に2度もめぐまれるとは限らない。


 呆然と座り込んでいるレニの耳に、なにやら騒がしい音が聞こえてきた。

 剣と剣がぶつかり合う音に、数種類の動物の鳴き声を混ぜ合わせたというモンスターの鳴き声。


 どうやら、誰かが近くでモンスターと戦闘しているようだ。

 元気なことだ、という感覚で聞き流すレベルには、レニはこの世界に馴染んでしまっていた。

 この辺りのモンスターは経験値稼ぎに向かないし、動きも遅いので大抵は戦闘せずにスルーしていくものである。


 そのとき、見覚えのない少女が廃屋に飛び込んできた。


「た、助けてください……にゃ!」


 純白のフードを目深にかぶっていて、顔は分からない。

 けれどもピンク色に上気した頬に、小柄な体つきは、護ってあげたくなる愛らしさを備えていた。

 ひと目で少女のことを気に入ったレニは、ステータスを確認する。


 レベル12 ミウ プリースト

 所属ギルド『ライジング・フロンティア広報部(公式)』

 攻撃力 C

 生命力 B

 精神力 C

 防御力 CB

 魔法攻撃力 CC

 魔法防御力 BC

 ギフト 【動物語】【治癒スキル効果+20】【不死イモータル


「ミウ……ちゃんっ……」


 本物の公式マークを目にしたレニは、持っていたレヒトのための食料をその辺にばらまいて、その小さな手を握った。


 それはこのゲームのAIが動かしているノン・プレイヤー・キャラクター、通称NPCだ。

 だがそれはどんなNPCの中でも、出会えたことが奇跡に近い、とてつもないレア度を誇っていた。

 レア度で言えば、『デーヴィッド・スリングの亡霊』と良い勝負である。


「どどど、どう、したの! ミウちゃん! 泣きたければ、私の胸に飛び込んでくる!?」

「そっ、それは、必要ないにゅ……! ミウ様に飛び込んでもらいたければ、温水プールにでも転生してくるにゅ! とにかく、大変なのにゅ!」


 慌てた様子のミウ。

 レニは動揺しながらも、ミウを前にして有頂天になっていた。

 何を隠そう、レニの所属ギルドが『ミウちゃん大好き同盟』である。

 つまるところファンの集いだった。


 実はミウは、このゲームのシリーズを通して人気の高い、毒舌ネコミミ娘のサブ・ヒロインだった。

 その人気たるや、VRゲームに移植されるにあたって、メインヒロインを押しのけて広報へと昇格したほどである。


 ラジオや、動画配信サイトの公式チャンネルで広報を務める、いわゆるバーチャル・アイドルとなったのだ。


 そうか、彼女は普段、こんな風に変装しているのか。

 間近で見なければ、意外と気づかないものである。


 街中ですれちがうNPCのステータスなど、いちいち確認しない。

 なのでこうやってフードでネコミミを隠せば、誰にも気づかれないだろう。


「しーっ、にゃ! ミウ様がここにいることは、ないしょ!」

「はっ、はいッ!」

「スクショ禁止、ツイッターで拡散とかしちゃダメにゃ、ミウ様泣いちゃうにゃ!」

「しないわ、しないから泣かないで。というか、いつもだったら大勢のプレイヤーを引き連れちゃってるじゃない、今日は誰もいないの?」

「こ、今回は、お忍びだったにゃ……」


 どうやら、やむにやまれぬ事情があったのか。

 言いにくそうに顔を背けるミウ。

 なにかの変則的なイベントが発生したのだろうか、とレニはいぶかった。


 実はこのゲームのバーチャル・アイドルは、フィールドでたまに冒険しているところを見かける。

 こんな弱っちいステータスでよくも冒険できるものだと思うが、【不死イモータル】のギフトを持っているので、倒れることなくどんどん奥地へと進んでゆけるのだ。


 ただ、あんまり根気強くないので、何分も戦闘が続くようだったら諦めて逃げ出してしまうと聞いたことがある。

 他のプレイヤーたちと共同で戦闘している時も同様で、気がついたら消えているという。

 プレイヤーが一緒に逃げようとすると、マヒさせてエサにして逃げるという。

 その無慈悲さがまたたまらない。


「どうしたの? モンスターが出た系?」

「そうにゅ! こーんないっぱい! ミウ様の命を狙っているにゅ!」


 ともあれ、モンスターに追われているのだったら、助けてあげることもやぶさかではない。

 本来ならば戦闘はめんどうなので謝礼くらいもらいたいところなのだが、相手がミウちゃんならば、とレニは息巻いていた。


「任せて、ミウちゃん。この辺のモンスターだったら、レベル30の私には傷ひとつ付けられないから」

「あ、この辺のモンスターじゃないにゅ。ちょっとさっきまでアローラビットの森に潜っていたから、その最奥にいたモンスターもいるにゅ……」

「大差ないわ」


 廃屋から身を乗り出したレニが目の当たりにしたのは、お馴染みのフロストロルたち。

 ぱっと見ただけで50体はいた。

 いくらなんでも、多すぎだ。

 ひょっとして、ミウはこのフィールドにいたモンスターをあらかた牽引トレインしてきたのではなかろうか。


「だ、大丈夫にゃ? ちょっと道に迷ったから、いっぱいひっついてきたにゃ」

「大丈夫、大丈夫。心配いらないわ……あー、これがファンの試練ってやつね」


 ミウの手前、強がってみせたが、大丈夫だとは露ほども思わない。

 冷気を放つモンスターが密集しすぎて、丘の周辺は一面霜が降り、さらに雪まで降っていた。

 レニはその冷気だけで凍えそうになった。


 いざとなったら、ミウを抱えて逃げ出す準備をしておかなければ。

 転移クリスタルは、持っていたはずだ。


 課金でしか手に入らない貴重なアイテムで、ゲームがこの状況では下手をすると二度と手に入らないかもしれない。

 だが、ミウのためだ、ここは使わざるを得ない。


 フロストロルの一体が、どうやらこちらに目標エイムを定めたらしい。

 やってくる。こっちにやってくる。


 立ったまま凍死しているんじゃないか、というような、青紫色にぶくぶくと膨らんだ顔。

 ほとんど閉じかけの目をこちらに向け、ばりんっ、ぼりんっ、と氷を踏み割るような快音を足下から響かせながら、腹に溜まった脂肪を左右にゆすってやってくる。


 手に持っている冷凍コーラの瓶は、かっちんかっちんに冷えており、腰に差している巨大な冷凍バナナは、ブーメランとして使われる投擲武器だ。

 殴られたらさぞ冷たいだろう。

 どちらも釘が打てるほど強固だ。


 痛みの知覚レベルは極限まで下げているレニだったが、冷たさはそうでもなかった。

 シャーベットが大好きだから仕方がない。


 一撃も喰らってはならない、相手が攻撃範囲に入る前に、レニは先制をした。


「燃えなさい……灼眼ファイア・ブリンク!」


 レニが手をかざすと、フロストロルたちの中心に、大きな火の弾が形成された。

 続いてそれにむかって剣を横に薙ぎ払うと、まるで剣に切り払われたかのように火の弾は変形し、縦横に大きく伸びた。


 剣を振るうたびに、まるで誰かの瞳のように、火の弾が現れたり閉じられたりを繰り返していく。

 レベル30で解放される、魔法剣士の現段階における最上級スキルである。


 レニは15回の攻撃を終えると、剣を鞘に納めて様子をうかがった。

 氷系モンスターの弱点と言えば、炎系というのがお約束である。

 フロストロルもその例にもれない。

 炎にあてられたフロストロルたちは、ゆでだこのように全身を真っ赤に染め、ぐでんと横たわっていた。

 コーラの瓶は解凍され、気泡がぷくぷくと浮かんで見える。

 バナナも解凍されて、いかにも食べごろである。


 こうして解凍されると、食べ物を持ち歩くただの陽気な野人に見える。

 じつはヒュムトロルという、初期バージョンでこの辺りを歩いていた低級モンスターだったのだが、レベルにして10くらい能力が弱くなる。


「ミウちゃん、こんなの相手にしていられないわ。今のうちに逃げましょう」

「でも……にぅ……」


 ミウちゃんは、いやいや、と首を振った。


「もうひとり、巻き込んじゃった人がいるにゅ。その人、たぶんまだ戦っているにゅ」

「……なんというトラブルメーカー」

「お願い、助けてほしいにゅ!」

「………………」


 ぎゅっと手を握られて、レニは混乱と毒と興奮のステータス異常を同時に食らったような顔をした。

 平面世界でしか見たことがなかった憧れのミウちゃんが、甘い香りまでただよってくるぐらい間近にいて、おまけに手まで握ってくるのだ。

 うるうるした瞳で見上げられると、レニはいいえ、などと言えない。


 これがRPGだ。

 レニは心の中で決意を固めた。


「仕方ないわ。その可哀想な人、どっちにいるの?」

「あっちにゅ!」


 ミウちゃんが、レニの手をぐいぐい引っ張っていく。

 コーラを飲んですっかり戦う目的を見失ったヒュムトロルたちの群れをかきわけて、奥へと進んでいく。


 剣と剣がぶつかり合う音が聞こえてくる。

 そこにあったのは、レヒトの姿だった。

 互角に戦っている。


「うそでしょ……」


 レニは、目の前で繰り広げられている光景がにわかには信じられなかった。


 レベル1の剣士が、レベル30が解放されて初めて登場したこのモンスターを複数相手に戦えるわけがない。

 現に、レヒトが剣を振ったときに与えるダメージは、10から多くて30。

 体力3000を超える巨人族のフロストロルを倒すには、圧倒的に少なすぎる。


 数十体ものフロストロルを相手に、普通の人間なら無謀だと諦めるところだ。

 だが、レヒトは攻撃の手を休めない。

 ただの一瞬もひるまず、ひたすら剣を振るい続けていた。

 本当に人間なのかと疑いたくなるような、凄まじい集中力だ。


 ミウと同じ【不死イモータル】のギフトでも持っているのか、と思ったが、そうでもない。


 反射神経が桁違いなのだ。


 通常、RPGのスキルは連続では発動できない。

 リキャスト・タイムというのだが、1回使うと次に使えるようになるまで、スキルごとに決まった間隔があるのだ。


 剣士の場合、一度剣を振るう通常攻撃をすると、次に剣を振るえるようになるまで5秒ほど待機しなくてはならない。

 だが、レヒトはその常識をまるで無視して、矢継ぎ早に攻撃を繰り返している。


 移動速度も凄まじかった。

 フロストロルが攻撃のモーションに入るか入らないか、ギリギリのタイミングを見極め、凄まじい速度で退避する。


 基本的に低姿勢になり、地面に転がるような格好になっている。

 だが、彼は転がることなく、そのままの姿勢でなぜか横にスライドしてゆき、本来なら不可能な距離まで逃げてしまうのである。


 足元ですさまじい砂ぼこりを舞い上げながら、車のような超速移動。

 革の鎧を身にまとったレヒトのアバターが、まるでブレて見える。


 足下に広がる赤いサークル、攻撃範囲から脱出し、やすやすと攻撃を逃れてしまうのだ。


「なに、あれ……一体どうやっているの……?」


 自称RPGのプロのレニが、まったく理解できない動きをしている。

 チーター。

 レニの脳裏に、その言葉が浮かんだ。

 RPGのレベル制を根本から否定し、30倍ものレベル差をものともしないのもうなずける。

 だが、コンピュータに接続できない状態で、一体どうやってチートができるというのか。


 攻撃を受け続けたフロストロルの体力を示していたゲージが、とうとう緑色の生命力をすべて吐き出し、空になった。


 フロストロルは、あくびのような間延びした絶叫をあげ、氷像のように凍り付くと、背後にごろん、ごろん、と転がった。


 ついに、倒してしまった。

 レベル1のままで、上級モンスターを。

 そうだ、チーターなら、勝てるかも知れないではないか。

 あの『魔王』にも。


 レヒトは、激しい戦闘でボロボロになったショートソードを振るうと、鞘に収める仕草をした。

 彼のレベルは、この戦闘で一気に10以上あがっていてもおかしくない。


 だが、彼は飢餓状態だった。

 飢餓状態のペナルティのひとつとして、獲得経験値がゼロになる、というのがある。

 これは生産職系ジョブのポーションがゲーム終盤になるとまったく使われなくなるのを避けるためで、レベル上限が解放されるたびにポーションの需要があがるようにしたものである。


 レヒトはこれまで一度もポーションを使っていないのだろう。

 ゆえに、彼はレベル1のままだった。

 超もったいない。


「とんでもないプレイヤーがいたのね……」

「にゅ?」


 このゲームを攻略する方法を見つけたかもしれないレニは、戦慄を覚えていた。


 とりあえず、彼にたらふく食べさせることからだ。

 すべてはそこから始まる。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 廃屋に戻ったレニは、持てる女子力を余さず駆使してお掃除を開始した。

 メンテナンスのスキルは、次のスキルを発動するときに発生するリキャスト・タイムを減らす効果がある。

 戦闘職でもわりと重宝するものだったが、レヒトの連続技ほどの効果はない。


「にぅ、ミウ様をこんなところに連れ込んで、どうするつもりにゃ」

「とりあえず、そこに適当に座って、料理作る」


 バーチャル・アイドルのミウちゃんと話し合いをするのに、こんな場所はさすがにないだろう、と思ったのだが。

 もう一人の重要人物であるレッド・プレイヤーのレヒトは、街に入ることが出来ない体質である。やむにやまれず、であった。


 蠅を振り払う仕草をして、視界に現れたメニューからステータスを選択。

 あらわれた自分のステータスからジョブを指でタップすると、選択可能な80種のジョブ一覧が浮かび上がる。


 レニはRPGのやりこみ要素はとことんまでやりこむ主義であった。

 とにかく、料理スキルを持った料理人へとジョブを変更すると、さっそく調理を開始した。


 ヒュムトロルの解凍バナナからバナナ味のスパゲッティを生み出し、お気に入りのミートソースを絡めてバジルを添え、3人前用意する。

 飢餓状態のレヒトの皿には3玉ぶん入れておいた。

 レヒトはじーっと皿に目を落として、それからレニに聞いた。


「俺の分が多すぎないか?」

「いいから、食べなさい」

「まだ体力が9割以上あるのだが」

「なんであれだけ戦って1回の攻撃も当たっていないのよ」

「敵の攻撃が1回当たればそこでお終いだからだ」

「いい、これはFPSじゃないのよ、RPGなんだから戦闘は体力の削りあいが基本なの、ちゃんと食べなさい」

「どうしてゲーム世界でものを食べる必要がある?」


 レヒトは、いまいち理解できないような顔をしながらも、いちおうスパゲッティを口に運んでいた。


「レベルアップに関係するからよ。肉は戦闘力、炭水化物は生命力、野菜は精神力の成長に関係するわ」

「面倒だな……RPGは」

「もともとRPGにはステータス振り分けってあって、もっと面倒だったのよ。レベルアップの度にこまごました数字が視界に現れると、気分を害する人が多いらしいわ。だからレベルアップ関連は食事のときにまとめてできるようになったみたい」

「にゅ、初期バージョンは味覚の再現が難しかったから、何かを食べるときの味気なさを誤魔化すためだったって、開発陣が公式チャンネルでもらしてたにゃ」

「しーよ、ミウちゃん、いま、レヒトを教育しているんだから」


 レヒトは文句を言いつつも、もぐもぐとスパゲッティを咀嚼していた。

 レニは、じーっとその様子を観察していた。


「美味しい? レヒト」

「バナナの味がする」

「バナナから作ったからね」

「にゅ?」


 食い入るようにレヒトを観察していたレニの横顔を、ミウがじーっと見ていた。


「2人、仲がいいにゃ?」


 ようやくその視線の意味に気づいて、レニははっと肩をふるわせた。

 レニは、顔の前で手をぶんぶん、ぶんぶん、と振って、真顔で否定した。


 あらぬ誤解を招いてしまったが、レヒトとレニの仲はプラトニックだ。

 レヒトよりも、いまはミウの方に気をそそられる。


 それにしても、ミウである。

 なんという美しい造形のアバターだろう。

 バーチャル世界において、平面世界の彼女の美しさを完璧に再現している。


 食事の席でフードを取ったミウちゃんは、なでつけられたような白髪に、ネコミミをぴょこん、と生やしていた。

 きっと手触りも最高に違いないが、相手はペットではない、アイドルだ。

 気安く手をだして、ツイッターとかで名前を晒されたくない。

 この前、晒されたギルドメンバーをギルドから追放したばかりだ。

 レニには、ギルマスとしての吟爾がある。

 レニはぎゅっと手を握りしめて堪えた。


「そういえば、どうしてミウちゃんは単独ソロで冒険してたの?」

「にゅ」


 ミウちゃんは、フォークを皿の箸にちょこっと置いた。

 小食のキャラクターは、生長量も非常に少ない。

 彼女の貧弱なステータスは、そのためでもあった。

 ふきふき、とナプキンで口を拭いて、きゅっと凜々しく口元を結んだ。


「『デーヴィッド・スリングの亡霊』が現れたって聞いたにゅ」


 てっきり何かの隠しイベントか、と思っていたレニは、それが思い違いだったことをはっきりと理解した。

 公式に作られたイベントが、『デーヴィッド・スリングの亡霊』などという都市伝説と関連しているはずがない。


 これは、ミウのAIが噂話を聞いて、自分で判断して起こしたイベントだ。


「ミウは『心理エンジン』から生まれたバーチャル・アイドルにゃ。亡霊は要するに『心理エンジン』の根源とか、バグみたいなものにゅ。……そんなのがあるなんて聞いたら、気になるに決まってるにゃ?」

「そうか……そういう事だったのね」


 人工知能とは、仮想空間に生み出された人造の脳だ。

 それは、少しずつだが成長し続けていて、この仮想世界に起こっている異変をそれぞれに感じ取っている。

 プレイヤーの会話の端々を耳にし、『外の世界』の存在に想像を巡らせることもあるのだ。


「『デーヴィッド・スリング』のゲームのことは、ミウもウィキでかじった程度だけど知ってるにゃ」

「情報ソースがウィキってところがミウちゃんらしいわ」

「あのゲームみたいに『サービス終了』するんじゃないかって、世界が消滅するんじゃないかって……広報部のみんな怖がってるにゃ」

「……ひょっとして、このゲームのNPCは、みんなそんなことを考えてたりするの?」

「にゅ、本当にリアル世界を理解しているのは、ミウみたいな、外の端末とアクセスしたことのあるNPCだけにゅ。街にいるような普通のNPCは、リアル世界のことを知る方法がない、神様の世界とか、そういう存在として認知してはいるにゃ」


 それはたとえだったが、そう考えると非常に分かりやすいたとえだった。

 実際にこのゲームが『サービス終了』してしまえば、彼らはこの世界ごと、みな消滅してしまうのだが。

 そんな話を聞いても、もうすぐ神様が世界を終わらせるかもしれないという予言でしかない。


 予言は予言でしかない。

 信じようが信じまいが、みんな自分の日常を普通に過ごしているだけなのだ。


 ふと見ると、レヒトが鋭い眼差しをミウに送っていた。

 彼の手はスパゲッティを口と皿の中間に持ち上げたまま、硬直していた。


 なにかを考えている。

 彼の頭の中で、いったいなにが起こっているのか、レニには想像もつかなかった。


 その視線を追ってみると、どうやらミウの頭上にあるネコミミに注がれているみたいだった。

 ネコミミに興味があるのだろうか。

 いや、レヒトの思考パターンはデスゲームの最中に採集されたものだ。

 嫌な予感がした。


 やがて、おもむろにレヒトは立ち上がって、ミウに向かってショートソードの柄に手をかけた。

 レニはその手をがっちりと掴んで、攻撃を阻止した。

 首をぶんぶん左右に振って、レヒトを席に落ち着けさせる。


「モンスターが……」

「レヒト君、あなた、あの子のどこを見てモンスターと判断しているの?」

「モンスターと同じ耳が生えているではないか」

「獣人くらい街にフツーにいるでしょ……って、そういえば街に入られないんだったわ、なんて面倒くさいのかしら、とにかくモンスターじゃないから」

「なに、モンスターではないというのか」


 まさかケモミミも知らないとは思わなかった。

 レニの方がRPGの常識をことごとく打ち崩される気分だった。


「それで?」

「にゅ」

「ミウちゃんはその『デーヴィッド・スリングの亡霊』が見つかったら、どうするつもりなの?」

「……どうするつもりもないにゅ。ちょっと、気になるなーって」


 口を尖らせて、じゃっかん頬を赤らめている。

 どうやら、レヒトがその亡霊である、というのは気づいていないらしい。


 レニは、はっとした。

 レヒトはバーチャル・アイドルのミウとおなじ、プログラム上の存在だ。


 だったらあれである、いわゆるお似合いという奴ではないか?


 2人をくっつけてみたらどうだろう。

 もしミウちゃんがレヒトと付き合うような展開になれば、自分はミウちゃんの恋人の恩人、というつながりになるのでは。

 あわよくば、フレンド登録もしてくれるかもしれない。


「けど、恐いなー、とは思わないの? デーヴィッド・スリングって、銃で撃ち合いをするゲームなのよ?」

「ミウはそういうゲームのことはあんまり知らないけれど、18人の亡霊は、向こうの世界では英雄なのにゃ」


 レヒトは首を傾げた。


「英雄……?」

「あ、レヒト君は知らないの?」


 レニもようやく思い出したが、デス・ゲームからの生還者の中には、死亡した18人を英雄として尊敬する人たちがいた。

 圧倒的なゲームテクニックでデス・ゲームを生き抜いた彼らは、他のプレイヤーをロストさせることで、実質的にその命を救っている。


「要するに、命の恩人なのよね」

「恩人だって?」


 レヒトの声音が固くなった。

 ぞわっと背筋が寒くなるのを感じて、レニは身じろぎした。


 彼の視線は相変わらず陰鬱だったが、さきほどとは打って変わって、はっきりと怒りの感情が伝わってきた。


 知らなかった。

 レニはこのゲーム世界で『殺気』を放てるプレイヤーがいることを、初めて知った。


「違う……『ゲームをクリアすれば脱出できる』なんて馬鹿な考えをまともに信じる奴らが、他の連中に戦争を仕掛けて来たんだ……俺たちは生き延びるために、殺される前に殺すしかなかった」


 レニは、ぎゅっと心臓を掴まれたような心地になった。

『ゲームをクリアすれば脱出できる』という幻想。


 ログアウト不能事件の事を、彼女は理解しているつもりで、まるで理解していなかった。

 つい先ほどまで、その幻想を抱くことが罪悪になるとは、彼女はみじんも思っていなかったのだ。


「レヒト君……」

「英雄だと? 俺たちは自分が生きるために殺した。死に物狂いで生き延びて、やっと頂上に上り詰めたと思ったら、そこには何もなかった。ほんとうに空っぽで、俺たちは緩やかに死を待つだけだった。そのうち神父が仲間を次々と銃殺しはじめて、気がつけば俺は、仲間同士で殺し合いをしていた。……あのゲームが一体なんだったのか、経験した奴にしか分からない。ウィキで調べたくらいで、知ったような気になるな」


 レヒトの目は、こみあげてくる激情から赤くなっていた。

 彼がこの世界に来て、真っ先に行ったのはプレイヤー・キルだ。

 彼の心は、いまだにあのゲームに閉じ込められている。


 ミウは、ぽかんと口を開けていたかと思うと、いきなり素っ頓狂な声をあげた。


「にゅぁぁ~ッ! 『朽木レヒト』にゃぁぁぁ~!」


 尻尾をぴんっと立てて突進してゆき、両手をむぎゅう、と握りこみ、ぶんぶん上下に振った。

 レニは、大きく目をむいた。


「あの……その手、おっぱいに当たってませんか?」

「日本最年少で『デーヴィッド・スリング』世界大会に進出したFPSプレイヤーにゃぁぁぁ! 予選から動画ぜんぶ見たにゃぁ! すごかったにゃぁ! リアルの方も超カッコよかったにゃぁ!」

「にゃあにゃあ喚くな……撃つぞ」

「ふにゃぁぁ! すげないのがまたカッコいいにゃぁ!」


 なんだ、なんなんだ、こいつは。

 デフォルトの剣士プレイヤーのくせに、ミウをすっかり虜にしてしまっていた。

 ネコになったように、すりすりとすり寄ってくるミウを、レヒトは煩わしそうにはねのけていた。

 レニは、ぐぬぬ、とこぶしを握り締めていた。


 見せてやりたい。……ミウちゃんがどんなに素晴らしいキャラだったか、全作見せてやりたい。


 しかし、ゲーム世界に閉じ込められた彼女には、それは不可能なのだった。

 レニはがっくりと肩を落とした。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「いい? レヒト、もういちどおさらいするわよ。あれはモンスター?」

「モンスターだ」

「簡単よね。じゃあ、あれは?」

「プレイヤーだ」

「正解。じゃあ、倒さなきゃいけないのはどっち?」

「モンスターの方だ」

「正解ーッ! よーやく分かってくれたじゃない! やれば出来るわ、レヒト君!」


 レニは、レヒトの髪がぐしゃぐしゃになるぐらい頭をなで回した。


 2人がいるのは、天空を浮遊する島だった。

 せっかくレニに連れてきてもらったレヒトはなぜか、この島のあちこちをクレイモアで殴りつけ、どうやったら破壊できるのかと算段をめぐらせていた。


 レニは詳しいことは聞かないことにして、基礎レクチャーをすることにしたのだ。


 神殿の跡地に腰掛けたレヒトとレニは、丘陵地帯を見晴らしながら、点在するアバターがモンスターかプレイヤーかを見分ける訓練をしていた。


「遠くても、キャラクターの頭の上にダイヤ型のアイコンが浮かんで見えるでしょう、その色で敵か味方かを判別するといいわ」

「……非表示にしていた」

「これからは表示にしておきなさい……なに、嫌そうな顔をして」

「余計なもので視界が遮られると、遠距離からの狙撃に対して反応が遅れる恐れがある」

「表示にしておきなさい、命令よ」


 だいぶんRPGの世界に馴染んできたとはいえ、相変わらず頭の中がFPSのレヒトに、レニは苦笑をもらすのだった。


 レヒトの頭上に浮かんでいるアイコンは、真っ赤なままだ。

 レッド・プレイヤーの肩書は消えてくれない。

 それはレヒトがデス・ゲームで背負った業と同じく、これから一生背負っていかなくてはならないものだった。


「さーて、ようやくモンスターと人が見分けられるようになったから、次の段階にいくわね」

「なあ、このゲームはいったい、いつぐらいから面白くなるんだ?」

「あはは、それよねー」


 チュートリアルの段階から抜け出すことはできない。

 RPGの楽しみの大部分は、戦闘ではない、プレイヤーやNPCとの交流、イベントである。


 本当はRPGが楽しいものだと教えてあげたい。

 この世界はまだまだ広い、こんなものではないのだ。


「じゃあ、街でいくつかクエストを見繕ってこようか」

「クエストというのは?」

「町の人たちの困りごとよ。モンスターを退治して欲しいとか、こういうアイテムが欲しいとか。解決してあげると、その働きに見合った報酬がもらえるの。それがこのゲームにおける主なお仕事なのよ」

「ふむ……ようは暗殺と簒奪だな」

「討伐と採集っていうのよ、レヒト君」


 レニもそういう反応を予測して、モンスターと戦う必要のない、平和的な依頼はないかと探した。

 だが、そういったものは店の手伝いとか、畑の仕事とか、人探しとか、配達とか、少なからず人と関わらなければならない仕事ばかりだ。

 悲しい事に、戦闘職でレッド・プレイヤーのレヒトには、『暗殺』と『簒奪』以外の仕事が選べないのだった。


「働いて、ちゃんとお金を稼ぐのよ。自分で稼いだお金で、必要なものを買うの」

「それはひょっとすると当たり前のことではないのか?」

「当たり前のことよ。当たり前のことをゲームの世界でするのがRPGなのよ」

「お前はRPGの話ばっかりだな」


 いつか、街の人々がレヒトに理解を示してくれればいいのだが。

 この街の人々は、レッド・プレイヤーを見ただけで悲鳴をあげてしまう。

 どんなに人工知能が発達したとはいえ、NPCがプログラムに逆らえるとは思わなかった。

 けれども、この閉鎖された世界で、彼らが少しずつ変化しているのなら。


「あ、そういえば、お腹すいてない?」

「いや……あ、すまん、満腹度か、半分くらいだ」

「だったらお菓子でも食べようか。レヒト君って味覚は弱くしてたりする?」

「味覚は最大にしている。空気の味で雨が降りそうだと分かることがある」

「へー、FPSゲームって、そういう余計な感覚はぜんぶ遮断しているんだと思ってた……」

「視覚と聴覚以外の感覚を遮断しているプレイヤーもいる。そうすれば、ブラウザゲームと同じ感覚で操作に集中できるからだ。だが他の五感も周辺の情報をもたらしてくれる重要な要素だ。けっきょくはプレイヤーごとのバランスに落ち着く」

「すごい、プロっぽい……」


 レニは、ようやく自分が彼のゲームの事をまるで聞いていなかったことに気づいた。

 そうだ……自分の事ばかりだ。


「レヒト君は、好きだったの? FPS」

「………………」


 レヒトは、黙り込んでしまった。

 むむむ、と眉を寄せている。

 その顔は何事か思い出そうと、熟考しているようである。


「よく分からない。物心ついた頃にはもう銃を握っていた気がする」

「レヒト君って、日本人よね?」

「そうなんだろうか? 昔の事はあまりよく思い出せない……家族で水族館に行ったとき、魚に向かって銃を撃ちまくっていたのはどうしてか覚えている」

「あ、可愛い」


 そのとき、レニははっとした。

 はじめて目の前の男の子を可愛いと感じたのだ。


 裏表のない性格の彼女は、感情による表情の変化もちょっと高めに設定してある。

 顔がかっかと熱い。

 思ったことを何でも言ってきたさばさばした性格が、今はあだとなった。


 これは一体、何かのイベントが発生したのだろうか。

 過去にプレイしてきた幾千のRPGの中で、該当するイベントはある。

 あれしかない。


 だが、どうしてこんなタイミングで自分の身にそれが起こるのだろうか。

 ミウと彼をくっつけて、あわよくばそのおこぼれに預かろうとしているのに。


「どうした? またいきなり飛ぶのか?」

「ひゃわッ!?」


 レヒトが手をつないできて、レニは島の神殿の柱の上へ飛んで逃げてしまった。

鳥が毛繕いをするみたいに、翼で顔を隠しているのを、レヒトはいぶかし気に見ていた。


 前回、空を飛んだ時に手をつないでいたはずだ。

 アバター同士なので、ためらいはなかった。

 だが、理性ではそう判断していても、そこにまったく別種の物を感じていた。


「あ、あ、あのですね、レヒト君」

「なんだ」


 レニは深呼吸をすーはー繰り返して、気分を鎮めることに努めた。

 落ち着け、これはゲームのイベントに過ぎない。

 一過性の、なにかはよく分からないが、けれども重大なイベントの一つだ。


 きりっと表情を改め、首をぐるりとまわし、レヒトへと視線を定める。


「レヒト君、人を飛び魔みたいに言わないでくれるかしら?」

「飛び魔とはなんだ、フォートナイトか」

「フォートナイトって?」

「昔のブラウザゲームのひとつでTPSだ」

「TPSってFPSとは違うの?」

「似たようなものだ。ジャンプすると銃弾がかわしやすいので、みんなとにかくぴょんぴょんジャンプしている」

「………………」


 またひとつ、レニの知らないFPSの豆知識がふえてしまった。

 だが、それも悪い気はしないのだった。

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