第2話

『攻略組』は、複数のギルドによって構成された巨大なレイドパーティだ。

 全員がレベル上限30で最強装備、おまけに半数はプロゲーマーだ。

 だが、彼らが半年をかけても、今回のアップデートで出現したボス、魔王を攻略することはできなかった。


「ボスの体力回復速度が異常で、計算上、ライフゲージを削りきることができないらしい」

「改造されているってことか?」

「どうせ運営の手抜かりだろ? しっかりしろよ」

「要するに、レベル上限が解放されるまで、攻略はできないってことか?」

「いったい誰がレベル上限を解放してくれるんだ?」


 捜索が空振りに終わって帰還したレニたちも、人混みにまじって『攻略組』の姿を見ていた。

 彼らの活躍を心待ちにしていたプレイヤーたちも、それぞれの顔に落胆の色を浮かべていた。

 レニのギルドでも古参のレイナは、ふん、と息をもらした。


「ゲームを攻略すれば消えてくれるようなウィルスを本気で期待していたのか? 呆れた連中だな」

「厳しいなぁ、レイナちゃんは」

「第一のログアウト不能事件の事は知っていても、第二のログアウト不能事件のことは知らない者が多い、呆れたものだ」

「まあまあ……第二のログアウト不能事件って?」


 レイナは、侍ジョブのアバターを持っていた。

 水着のようなビキニ・アーマーの上から、だんだら羽織をゆるく羽織っているだけで、豊満な身体が惜しげもなくさらされている。

 ぼさぼさの赤いロングヘアを頭上でまとめ上げ、いかにも武士といった貫禄である。

 実際の彼女も剣道の有段者であり、目つきは鋭い。


「身代金は1人300万円、世界各地のプレイヤーを同時に昏睡状態にすることができるというのを利用して、3000人を一気に誘拐する、前代未聞の誘拐事件だった」

「そんなこと……どうやってできたの?」

「第一のログアウト不能事件が有名になった直後だったから、割と単純にできる。ウィルスでログアウトができなくなった直後、警察のふりをした謎の集団が各プレイヤーの家を訪問して、出てきた家族に『ログアウト不能事件が発生したため、警察が身柄を保護する』と言ってまわっていたそうだ。救急車でリアルの体を連れ去って、そのまま行方をくらました」

「怖っ……けど、家族としては、警察にあずけなきゃって思うよね……」


 警察は、ログアウト不能事件の再発に備え、昏睡したプレイヤーを病院で受け入れる準備をしていると大々的に報道していたが、それを逆手に取ったのだ。

 世界各地に分散した100を超える数の廃病棟に人質を取っており、すべての施設を同時に制圧することは不可能だったため、全員の救出に1週間以上を要した。

 この間に、実際に身代金を支払ってしまった家族は多く、犯人が手に入れた金額は19億円に及んだという。

 この事件の主犯と思しき人物は逃走中で、いまだに捕まっていない。


 レニは、慌てて仲介に入った。


「『ひょっとしたら脱出できるかも』って希望を持って、みんなが団結してくれたじゃない? それだけでも意味があったわよ、これまで諍いなんてめったに起きなかったし」

「これまではな……ずっと人質達の希望の星で居続けてくれるなら私も容認してきた。だがこれでは、どう考えても逆効果だろう?」


 と、レイナは『攻略組』の惨状を顎でしめして、にべもなかった。

 彼女がこの事件に詳しいのには、とある事情があった。


「わっはははは! 見たことか、攻略組! お前達はしょせん、人質にすぎんのだ!」


 そこに、大勢の鎧武者の格好をした仲間を従えた、いかついアバターの男が現れた。

 尾塚令三、そして鎧武者たちの所属ギルドは、すべて『おつかレギオン』となっている。


 そう、第二のログアウト不能事件をふまえて、日本警察はネット捜査官をゲーム世界に潜伏させていたのだ。

 日本警察電子犯罪捜査課・ネット潜入捜査班、それが尾塚令三の肩書きである。


「もし、無事に脱出できたとしても、お前達の身体が犯人に取り押さえられていれば、そこから先はいったいどうするつもりだ? 下手に犯人を刺激すれば、何が起きるかわからん。お前達プレイヤーは脱出しようなどと無駄なあがきはせず、警察の助けを黙って待っていろ。貴様らには、けっきょくそれしかできんのだ! ぐわっはっはっは!」

「ぐ……空気読めよ、おっさん……」


 レイナは、ぐぬぬ、と顔を赤くして、尾塚令三を睨みつけた。

 じつは彼女のリアルの名前は尾塚レイナ、尾塚令三の娘である。


 犯人は日本のゲームで一体誰がログインしていようがさして気にしなかったらしく、警察の捜査官とその娘が同時に巻き込まれるような珍事に相成ったのである。

 娘の方は一発で気づいたのだが、父親の方は気づいていない。


 唾を飛ばしてプレイヤーたちに脅しをかける「おつかレギオン」に、レニは眉をひそめていた。


「むー、なんかやな感じよね。いままで『攻略組』の活動があんまり進まなかったのは、『反攻略組』の工作のお陰ってこともあったのに」

「商人を脅しまわっていたって話だな……攻略組と取引をするとレッド・プレイヤーを雇い入れて無限キルをしかけてやるとか」

「無限キル……始まりの石版の前で、何度もキルするって奴ね」


 このゲームでは、アバターが死んでもログアウトできるとか、リアルの身体が死ぬ、ということはなかった。

 始まりの石版と呼ばれるスタート地点で復活するだけである。

 だが、キルされた場所に所持品の10パーセントをランダムで落としてしまう。

たとえどんなに重要なアイテムであろうと、お構いなしに落とす。

 何十回もキルを繰り返されるとアイテムがほとんど手元になくなり、さすがに精神的に堪える。


「悪いな、なんかしらけちまった。とりあえず、今日はこの辺で解散ってことでいいか?」

「そうね。また明日……言い換えると来週ね」

「じゃあ、また来週」


 ライジング・フロンティアの世界では、1日がリアル世界の3時間で経過する。

 彼女たちは会合を1日3時間と決めているので、来週とは21時間後ということだ。


 いくらゲーム世界とはいえ、リアルの体は7時間ぐらい休養を取らなければ生きていけない。

 もちろん、水も食料も定期的に摂取しなければ生きてゆけない。

 そこは度重なるログアウト不能事件に教訓を得た警察とか医療機関とかが、なんらかのバックアップを備えてくれているのだろう……というレイナの話を、レニは信じていた。


 だが、ここまで長期間に及ぶログアウト不能事件は、恐らく史上初ではなかろうか。

 髪はちゃんとトリートメントしてくれているのだろうか。

 サボテンのだぁちゃんの世話はちゃんとしてくれているのだろうか。

 レニは、ときおり不安に思うのだった。


「……今ごろリアルの体って、なにをしてるんだろう?」




 ソーディバードの街に、夕暮れが迫ってきた。

『攻略組』も『反攻略組』もその姿を消してしまうと、通りはNPCたちでにぎわうようになった。


 NPCとはノンプレイヤーキャラクター、レニ達プレイヤーが動かしているものとは別に、AIが動かしているキャラクターのことだ。


 プレイヤーの脳の電磁パルスを読み取るニューラル・インターフェースの技術が生まれてから、このAIはほぼ『完成形』と呼ばれる形になった。

 人間と見分けのつかないアンドロイドの頭脳として、世界各地のさまざまな現場で流用されている。

 モーファードはもともとそれを目的として開発された機器であった。


 電脳世界におけるプレイヤーとAIは、見分けがつかないどころか、完全に等価の存在だった。

 ゲーム世界で死んだプレイヤーは、そのままNPCになるという噂すら、生まれるようになった。


 そんなとき、群衆の中から、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。

 これもAIがあげたものか、プレイヤーがあげたものか。

 まったく区別はつかなかったし、そこに明確な違いなどない。


 とにかく、レニが振り返ると、群衆をかき分けて、血まみれのプレイヤーが駆けてくる所だった。

 レニは、ぎょっと目をむいた。


「ええ……」


 まるで何年も使ったかのようなボロボロの革の鎧。

 背中には巨剣クレイモア。


 アイコンが真っ赤に染まって、レッド・プレイヤーであることを示していた。


 名前を見ると、レベル1、レヒトと出た。


「ええええええええッ!」


 レニの悲鳴が仮想世界にこだました。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「くそっ、なんだあの衛兵は、まるでダメージが与えられない!」


 朽木レヒトは、悪態をつきながら群衆をかき分けて進んでいた。

 つい先ほどまでこの国の『憲兵』という名のNPCと戦っていたのだが、それがとんでもない強敵だったのだ。


 クレイモアで与えられるダメージはほぼゼロ。

 攻撃を与えても怯むどころか、どんどん数を増やしながら、彼の事を追いかけ続けてくる。


 ここは一体どこだ。

 メニューを開いてみても、聞いたことのない地名しか出てくれない。


 ヨトゥンからずいぶん遠くに来てしまったことだけは確かだ。

 近代兵器や超古代文明の名残すらない、ごくシンプルな中世ファンタジーの国のように見える。


 だが、さまざまな機能をもったクリスタルが生活に組み込まれ、火を生み出し、機械を動かしている。

 この国の連中は『光機』と呼んでいるらしい、形は違えど、これこそ、この国のオーバーテクノロジーの結晶に違いあるまい。


 となると、気になるのは、空に浮かぶ巨大な島。

 おそらくは、あれがヨトゥンの『ゴリアテ』、この国の保有する巨大破壊兵器であろう。


 ならば、国ひとつ破壊する対地破壊光線などを放射する潜在能力を秘めていても不思議ではあるまい。


「あの島をどうやって落とせばいい……ゴリアテがあれを回避して侵略するルートはないのか……」


 ひょっとすると、最新のアップデートによって登場した新しい国である可能性も捨てきれない。

 こんな国が登場したとなれば、すぐに戦略を練り直さなければならない。


 はやく、ヨトゥンに戻ってこのことを報告せねば。


 神父との激しい戦闘の最中に、レヒトの意識はぷっつり途切れてしまった。

 その間に何が起こったのか、ログアウト不能事件はいったいどうなったのか、彼はまったく覚えていない。


 NPCたちは、レヒトの姿を見るや、悲鳴を上げて道を空けた。

 偶然にも非戦闘員ばかりだったのを見て取って、レヒトはあえて群衆の中に身を投じたのだ。

 一斉に襲いかかってくればひとたまりもないだろうが、そうしなければ戦闘能力のずば抜けた『憲兵』をまくことは不可能だった。


 だが、レヒトが突っ込んでいっても避けることすらせず、道のど真ん中にぼーっと突っ立っていた一体がいて、レヒトは真正面からそれとぶつかってしまった。


「ひゃあぁッ!」

「うぐッ!?」


 黒髪のロングヘアをもったそのアバターともつれあい、レヒトは英雄の石畳の上に倒れ込んでしまった。


 ぽよにゅん!


 その拍子に、レヒトの両手はなにかとても柔らかく温かい感触のするものを掴んでしまった。

 自分が押し倒しているプレイヤーと真正面から視線をかわし、レヒトはしばらく見とれてしまった。


 それは、洋ゲーには存在しない類いの美しさだ。

 例えるなら、日本のバーチャルアイドルのような。

 いったい、このゲームに何があったというのだ。


 レヒトに押さえられているその愛らしいアバターの少女は、口を金魚のようにパクパクさせて、かろうじて動く両手を肩の高さまで持ち上げ、なにやらジェスチャーをはじめた。

 下を指さし、しきりに『ここで』を繰り返し、しゅっと手を払う仕草をして、『排撃』と訴えている。


(ここで排撃? 一体何をだ?)


 ちなみに、FPSでは外国人プレイヤーといきなりチームを組んで協力し合うことになるのだから、ジェスチャーで対話するのはVRゲームにおける基本であった。

 デーヴィッド・スリングでは「これだけは覚えておいてね」という独自のジェスチャーが定められていて、NPCともそれで意思の疎通ができるのだった。


 いや、それ以前に、この少女は敵国のプレイヤーのはずだ。

 相手に意識を集中させると、レヒトの視界に文字の羅列が浮かんだ。

 それは相手のステータスだ。


 レベル30【Max】 レニ 魔法剣士ソードメイジ

 所属『ミウちゃん大好き同盟』

 攻撃力 B

 生命力 B

 精神力 A

 防御力 BB

 魔法攻撃 BA

 魔法防御力 BA

 ギフト 【剣攻撃力+180】【杖攻撃力+100】【魔法攻撃力+200】【魔法耐性+300】【ステータス異常回避150%】【第二スキルセット解放】【第三スキルセット解放】


(レベル30……ッ!?)


 驚異的なレベルの高さに、レヒトは当惑して飛び退いた。

 ぐるん、と前転しつつ距離を開け、腰に装備したショートソードに手をかけつつ、この驚異的なレベルのプレイヤーに目を向ける。


 ゲームがこの謎のアップデートを遂げてからも、レヒトは何人ものプレイヤーをキルしてきた。

 それでも自分の階梯レベルはまだ1だ。

 こいつは一体、何人キルしてこのレベルに到達したというのか。


 謎の世界でとつぜん現れたハイランク・プレイヤーに畏怖の念を向けていると、レニはなにやら自分の両胸に手を当てて、しばらくひっくり返された亀のように空を見ていた。

 翼をはためかせて、むくっと上体を起こし、何かを訴えかけようとするかのようにその目をレヒトに向ける。

 ジェスチャー。そうだ、ジェスチャーで対話をせねば。

 レヒトは、目の高さにあげた指をくるっとひねって、視線をなぞるように指を前方に突き出した。


(標的はどこだ?)


 レニにジェスチャーの意味は通じなかったらしい。

 困惑するように首をかしげて、両手で何かを押すようなしぐさをする。

 そしてその両手は、そのまま自分の両胸をおさえた。

 自分の胸をむぎゅぅー、と掴んでみせたり、わきわき、と指を動かしてみせたりした。

 どういう意味だ、としばらく判然としなかったレヒト。

 しばらく無言でジェスチャーの応酬を繰り返した末、「レヒトが彼女を押し倒した拍子に胸を触った」と訴えているのではないか、と思い当たった。

 ハイランクプレイヤーの作り込んだアバターに触れたがる者は多いが、過度な接触はもちろん不敬にあたる。

 先刻のなんだかよく分からない柔らかい感触を思い出したレヒトは、慌てて自分の両手をズボンでごしごしとぬぐった。


「す、すまない」

「なにそれ、汚い物でも触ったみたいじゃない、ありえなくない?」

「俺にどうしろというんだ」


 レニは、腕を組んで頬を膨らませていた。

 どうやら、お互いに日本人プレイヤーだったことを理解し、ようやく人心地ついたのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ゲームが違う?」


 街から離れ、『憲兵』の追ってこないエリアへと至ると、レニはこの謎のニュービーにそこから説明をすることになった。


「そう、これはFPSじゃないのよ、RPGなのよ」

「RPGとはなんだ」

「RPGから知らないの? こういうアバターになりきって、人やNPCと交流して、イベントをこなして進めていくゲームのことよ。だから出合い頭に他のプレイヤーをキルしちゃダメなの、分かる?」


 レニは、天使アバターの翼をぱたぱたはためかせると、その場でくるりと一回転してみせた。

 レヒトは、不可解なものを見るように目をすがめていた。

 どうやら、彼にはRPGというものがイマイチ理解できないみたいだった。


「がーん! おいおい、君は日曜の深夜2時までゲームをやりこんでいた、選ばれしプレイヤーじゃなかったのかよ!」

「もう3日ぐらい徹夜していた記憶はあるんだが」

「3日徹夜してどうやったらレベル1のままでいられるのか、逆に聞きたいのだけど。というか、貴方もこのゲームの開始時に、妖精さんからチュートリアルを受けたでしょ?」

「妖精さん……とは?」

「ほらほら、運営のお知らせとかメールが来たら、キラキラっと光って現れる、かわいいー手のひらサイズの妖精さんよ。いたでしょ?」

「いただろうか……」

「えっ、ひょっとして、いなかったの?」


 レニは首を傾げて、手をひらひらと蝶のように羽ばたかせた。


「そんなはずないわよ。背中にトンボみたいな透明な羽が生えてて、いきなり視界に超接近してどアップであらわれたりして」

「……ああ」

「モンスターが出てくると頭こつんって顔にぶつけてきて、親密度があがると宿屋で寝るときなんかベッドにもそもそ入ってきて、もう超かわいいーこいつキスしてやろうかってなる、あのチュートリアル妖精よ?」

「ああ、あれか。うっとおしいのでキルした」

「キルしちゃだめなの……!」


 レニは、涙目になって両手をぶんぶんふった。

 どうやら、レヒトはチュートリアルの時点で躓いていたようだ。

 チュートリアルをスキップするプレイヤーがいるのはよく聞くが、これはかなり重傷である。


「もう、人を傷つけるゲームじゃないんだからね? 目が合ったぐらいで相手をキルしちゃだめよ?」

「こちらからキルしなければ、いつか相手にキルされるぞ?」

「だから……もー、そういうゲームじゃないんだってば、これは」

「どういうゲームだ」

「人類に害をなすモンスターを倒す、勧善懲悪のとっても健全な人類友好のゲームなの」

「モンスター?」

「ほら、あれよ」


 レニがびっと指をさす方向には、見上げるほど巨大なモンスター『フロストロル』がのっしのっしと歩いていた。


 全身が凍り付いた巨人のモンスターで、右手に持っている凍てついたコーラの瓶から、水蒸気がむわむわと立ち込めている。

 顔から何本ものツララが垂れさがっていて、歩くたびにそれらがボロボロ地面に落ち、周囲に冷気ダメージを振りまくのだった。


 レヒトは、奇妙なものを見るように目をすがめていた。


「……一体なんだ、あのクリーチャーは……」

「ああいうのが人類の敵、モンスターよ」

「モンスターとはなんなんだ? クリーチャーとは違うのか?」

「クリーチャーとの違いは分からないのだけど、モンスターは魔王が生命に似せて生み出したもので、この世界の至る所にはびこっているの。というか、RPGでは基礎中の基礎、もはや前提知識よ?」

「……ひょっとして、この世界は俺がやっていたのとはまったく違うゲームの世界なんじゃないか?」

「そう! そうよ! よくぞそこに気づいた! ああ、ようやくわかってくれた! さすがだねレヒト君ッ!」


 今にも飛び跳ねそうなほど嬉しそうに、両手を広げてはしゃぐレニ。

 バンザイをしたままレヒトとハイタッチを交わした。


「ここは、全世界のRPGファンが待望していた、国産初のVR・MMO・RPG『ライジング・フロンティア』の世界よ!」


『ライジング・フロンティア』シリーズは、スチームで無料配布され、瞬く間に大ヒットを飛ばしたウェブ・ブラウザ・ゲームである。

 のちに大手ゲームメーカーから世界観を同じくしたMMO・RPGのサービスが開始され、今作の開発へと至った。

 深夜の2時でなければ、プレイヤーは2万人では足りなかったはずだ。


「『ライジング・フロンティア』? 聞いたことがあるような……」

「でしょう! ゲーマーなら、当然だよね!」

「難しそうなので、やったことはなかったが」

「RPGが難しそうとかファッションオタクみたいなこと言わないで。ねえ、レヒト君、君がいたゲームって、ひょっとして……『デーヴィッド・スリング』だったりしない?」


 レニは、とうとう聞きたかったことを聞いてみた。

 世界初のログアウト不能事件が発生し、デス・ゲームと化した伝説のFPSゲームの名を。

 まさか、本当に彼は『心理エンジン』に残された記憶だというのか。

 唐突な彼女の質問に、レヒトは、青い顔をしてうなずいた。


「どうして俺が違うゲームの世界にいるのかは分からないが……そうか、モンスターとやらが世界中にはびこっているということは……俺たち人類の戦争は敗北に終わったということなんだな……」

「……本当にゲームを知らない人は、違うゲーム同士で時系列が繋がっているって考えるものなのね。斬新だわ……」

「どうやら、相当陰鬱なゲームのようだな、ライジング・フロンティアとやらは」

「陰鬱じゃありません! 確かに人類は魔王に負けちゃったとかそういう設定だけど、その中でも懸命に生きようと頑張っているっていう、そういうゲームなのよ。そういうポジティブなところに焦点を当てていこうよ」

「そうか、負けたのか……ヨトゥンは……俺のチームは……」

「めっちゃ悔しそうにしてるー! あー! いいから! レヒト君、飛ぼう!」


 白魚のような指を広げて、レヒトに手を差し伸べたレニ。

 唐突な申し出に、レヒトは一瞬ためらっていた。


「飛ぼう! あの島まで!」


 空に浮かんでいる巨大な島を指さして、もう一度、レニは言った。

 なぜかレヒトはその巨大な島を恐れているのが、レニには分かった。


 レニが純白の翼をわっさわっさとはためかせて、飛ぶ準備を万端にしているのを見ると、レヒトはその手を掴んだ。


 天使は種族特性レイス・アビリティとして、『重力制御』を持っている。

『物理エンジン』が演算している重力を限定的に書き換え、本来ならば持ち上がらない重量物でも宙に浮かせることができた。


 レニの周囲に小さな石の破片が浮かび上がり、ぞわっと、レヒトの腕の中を血が逆流する感覚があった。

 足元に目を向けると、ほんの僅かだったが、地面から離れて宙に浮かんでいる。


「お前は……一体、何者なんだ……」


 奇怪な妖術にでもかけられたかのようなレヒト。

 レニは翼を懸命にはためかせ、ゆっくりとだが、そのまま空に向かって上昇していった。


 周囲の木よりも高くのぼり、あてどもなく周辺をうろついているフロストロルが遠目に見える。


 天空の島の巨大な影が、ゆっくりと近づいてくる。

 空一面に絵にかいたような雲が走り、夕焼けが繊細な色合いでそれらを赤く染めていた。


 レヒトは、しばらくの間、呆然とその風景を眺めていた。

 その空には『ただいま対戦相手を待機しています』の文字はなかった。


 レヒトはようやく理解した。

 そうだ、戦いは終わったのだ。


 むーん、と唸っていたレニは、やがて、いきなりがくっと力を抜いた。


「あ、やっぱダメだ」

「ダメとは?」


 レヒトとレニは、昇ってきた道を真っ逆さまに地面に落ちていった。

 舌を噛んだり筋肉がひきつったりむせかえったり、といった苦しみの要素が排除された綺麗な衝撃が身体に走った。

 墜落した2人の頭上に、緑色のメーターが現れ、体力がじゃっかん削られたことを示していた。


「痛ぇ」

「あはは」


 レニは、ほつれた髪を払いのけると、レヒトに微笑みかけた。


「レヒト君、これがRPGよ」


 彼女はまるで子供のように、無邪気に彼の目をのぞき込んでいた。


「どう、楽しい?」


 そうだ、ゲームとは本来、楽しいものだったはずだ。

 レヒトは、その単純な真実を思い出したのだった。


「そうか、ゲームで勝つことが仕事みたいになってたな……俺はプロだったから」


 FPSはeスポーツとして、プロリーグを開催していたりする。

 日本でもスポーツ選手のように事務所に所属するプロもいるのだった。


「えっ……プロ……ゲームのプロなんて、いるんだ?」


 レニは絶句した。

 ちなみに、RPGにプロ制度は存在しないのだった。残念なことに。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 それから、レニの日常のルーティーンにレヒトが加わった。

 ギルドメンバーとの会合中、レニはそわそわして時間を気にしていた。


「――ということで、周辺の遊牧民NPCに聞き込みをしたところ、例のレベル1のレッド・プレイヤーは、空腹で倒れていたそうだ」

「はいはーい。空腹って、何も食べてなかったってこと? 空腹でロストするなんて聞いたことないんだけど?」


 このゲームでは、空腹が直接の原因となって死亡ロストすることはない。

 ただ体力の回復が遅くなるなど、さまざまなペナルティが課せられる。

 高い所から飛び降りる、などのちょっとした事故でロストしてしまうことがあった。


「直接の死因は判別できないが、空腹と言った方が分かりやすいだろう。レベル1だったのも納得がいく、このゲームではいくら戦闘をしても飢餓状態だと経験値を得られないからな」


 やばい、とレニは直感していた。

 どうやら、あのときのダメージが後々まで響いてしまったらしい。


「けど、ロストしたって、始まりの石板の前から再スタートするんでしょ? また現れるんじゃないの?」

「可能性はある。だが、レッド・プレイヤーの場合は『憲兵』に囲まれた状態からの再スタートになる」

「万が一、『憲兵』から逃げ延びても、空腹状態なのは変わらないから、またすぐにロストして追いかけっこよ」

「そうなる。どんどんアイテムをドロップしていくので、そのうち『憲兵』に捕まってしまうだろう」

「レッド・プレイヤーが『憲兵』に捕まったら、どうなるの?」

「王城に連れてゆかれ、牢屋に幽閉される。実質垢バンと変わらない」

「垢バンってなに? なあ、レニちゃん、なんやそわそわしとるけど、どしたん?」


 メンバーたちの会話も、レニの耳には右から左だった。

 視界の隅に表示させたデジタル時計をじーっと見つめ、それが15時をさした瞬間、がたっと椅子を蹴って立ち上がった。


「時間よ! 今日はもう解散! はい、おつかれー!」


 いきなり解散を告げられたメンバーは、きょとんとした目をレニに向けていた。


「レニ、いつもとノリが違うぞ」

「どうしたの? 何かあったの?」

「な、な、な、なんでもありません! ありませんでありまするよー!」


 レニは、椅子に躓きながら、ギルドハウスから出て行った。

 その慌てぶりを、誰もが訝しんでいた。


 レニは、商店街でパンと水を1ダースずつ買い込み、アイテムボックスに収容する手間も惜しんで、両手でそれらを抱えたまま街はずれへと駆けていった。


「ウソでしょ、飢餓状態だったなんて……! 平気で歩いてたじゃない!」


 きっと視界に『空腹状態です』の警告が現れていても、レヒトのことだ、気にも留めていなかったのだろう。


 モーファードでは、不快な感覚、たとえば空腹感や苦痛などはリアルに再現しないよう、デフォルトで設定されていた。

 だが、RPGの常識が通用しないレヒトにとって、それらは警告の意味で必要だったかもしれない。


 とにかく、何か食べさせなければ。

 今のレヒトはどんどん体力が減少していく状態だ。


「死んでちゃダメだからね、レヒト君!」

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