グッド・アールピージー・ライフ
桜山うす
第1話
総プレイ時間 70時間
ゲーム『デーヴィッド・スリング』
ヨトゥン静かなる平地
朽木レヒトが目を開くと、巨大ロボットの粘土でできたような滑らかなボディが、寒空の陽光を反射していた。
いつも霞がかっているヨトゥンの大地に、彼らの守護神「ゴリアテ」が横たわっている姿が浮かんでいた。
その雄大な姿を見るたび、レヒトは安堵感を覚える。
このロボットは、国土を防衛する最終兵器であり、同時に敵国を滅ぼす決戦兵器でもある。
ロボットが破壊されれば、その時点でこのチームの敗北が確定する。
今はその巨躯を休め、整備ロボットのなすがままになっている、AIで動く自律可動型の巨大ロボットだ。
その手前には、半透明のモニターが浮かんでいた。
『ただいま対戦相手を待っています……』の文字が投影されているのを確認して、レヒトはふたたび瞼を下ろした。
もう二度と……二度と、対戦相手など、現れなければ……いい。
レヒトは、なぜ人間がこの状況で殺し合いをしなければならないのか、理性的な解決が出来ないのか、理解できなかった。
レヒトが今いる世界は、第5世代コンピュータが生み出した仮想現実の世界。
2069年の高度なVRゲームの世界だ。
子供じみたパーティ用ビデオ・ゲームとはわけが違う。
最新の物理エンジンが生み出した過剰にリアルな異世界で、巨大ロボットを補助する兵士のひとりとなって、防衛と侵略を繰り返す。
この手のFPSゲームは、今も昔もアメリカが本場で、兵士育成用にも使われているものだ。
だが、珍しいことにこのゲームは、ドイツの大学が開発したものだった。
レヒトは詳しいことを知らないが、人間の思考を解析するニューラル・インターフェース技術を応用した『心理エンジン』をその大学が開発し、実験用に作られたものらしい。
ゴリアテを動かしているのは、ただのAIではない。
プレイヤーの思考、判断を学習し、プレイヤーとともに成長していくパートナーだ。
「ゴリアテ……俺たちはこのまま死ぬのか?」
「………………」
巨大ロボットは、瞳にうっすらとスモールライトを灯して、レヒトの言葉に反応を示してくれた。
だが、反応しただけだ。その疑問に明確な答えをくれるようなプログラムは備わっていなかった。
たとえば、溺れる夢を見たところで、夢で人間は窒息死したりしない。
それは賭けてもいい。
彼らにこの夢を見させているVRマシンに、人を窒息死させる機能はないはずだ。
……だが、それを証明して、他のプレイヤーたちを説得する術を、彼らプレイヤーは誰1人として持っていなかった。
なぜなら、ログアウトしたプレイヤーたちは、二度とこの世界に戻ってこなかったからだ。
レヒトは、やけにだるく、重く感じる腕を持ち上げて、2本の指を揃えて立てた。
しゅっと、顔の前で蠅を追い払うようにその指を振ると、目の前に半透明なホログラムのモニターが表示される。
視界に入ったドイツ語は、モーファードの機能によって機械翻訳され、日本語が浮かびあがった。
レヒトの目は、現在時刻を確認して、それからメニュー一覧をフリップしながら、上から下までその文字を撫でていった。
相変わらず、ログアウト・ボタンがない。
確かにあったはずだが、かれこれ、3日前から消えていた。
ログアウトするためには、まずログアウト・ボタンを押して、『
そうしなければ、業者に問い合わせメールを送ることも、自分たちに夢を見させているこの機械を解体してやることも、誰にもできなかった。
ヘルプ・ボタンならあったが、これを押しても、外の世界との連絡が取れたためしなどない。
……いったい、何が起こった?
最初からシステムの脆弱性を指摘する声はあった。
もとは大学が研究用に作ったゲームだったし、ゲームハードを作ったのもドイツで立ち上がったばかりのベンチャーで、ゲーム管理のノウハウがまるでなかったことにも、不安はあった。
何者かによる、ハッキングではなないのか、という可能性は、すぐに検討された。
そして次に、運営はいったいどうしてこの状態を放置しているのか、という疑問に突き当たった。
さらに疑惑は膨らみ、ひょっとすると、このゲームを開発した連中が企てたテロリズムなのではないか、という噂が広がった。
そんなバカな、という理性的な声もあった。
万が一、そんなテロを起こしたところで、プレイヤーの身にさほど危険が及ぶとは思わない。
そう判断されたために、こうして日本でも買うことができたのだ。
つまり、国からも販売許可が下りているのである。
だが、実際はどうだ。
死んだプレイヤーはこの世界から消滅して、そして二度と戻ってこなかった。
ハッキングと同時に世界大戦が勃発したのではないか。
だとしたら彼らはお互いに敵国の人間同士だ。
混乱したプレイヤーたちは、理性的な判断など出来る状態ではなかった。
このゲーム世界で死ねば、リアル世界でも死ぬ、という迷信まで生み出していた。
とにかく、レヒトは生き残らなければならなかった。
リアル世界にいる誰かが、このゲームを終わらせてくれるまで。
警察か、ゲームの運営か、それかここ数年連絡を取っていない実家の家族か、顔を合わせるのも気まずい彼女か、もう誰でもよかった。
そうして、ログイン開始から3日間。
すでに70時間、彼らは戦い続けていた。
「……もう核兵器でいいから……サーバーぶっとばしてくんないかな……」
レヒトは、リアル世界でも戦争が起こっていた方がましという精神状態にまで追い込まれていた。
耐えきれなかったのは、空腹だ。
人間の集中力が持続するのは、高度な知的作業で50分が限界だという。
もう血糖値すら下がり、脳がぼんやりとしてきていた。
あるとき、仲間プレイヤーの1人が、ふらふらと立ち上がった。
聖職者という職業は、このヨトゥンにはないが、名前をつけるならそんなイメージの服装をしていた。
アバターをカスタマイズしているのだ。
純白の、丈の長いローブに、胸には十字架が輝いている。
その仲間は、レヒトと同様に、いや、それ以上に力なく、ぐったりと壁にもたれかかっているプレイヤーの肩をゆすっていた。
もはや水袋のように横たわっている彼を、どうやら起こそうとしている。
しかし、そのプレイヤーは目をつぶったまま、とうとう起きることはなかった。
レヒトは、はっとした。
……ひょっとして、リアルの身体が先に死んだのではないか。
人間の脳は、死んでもしばらく電気信号を発し続けている。
ニューラル・インターフェースがそれを読み取り続けている間は、たとえリアルで死のうとログアウトすることはなかった。
聖職者は諦めた様子で、胸の前で十字を切っていた。
「ゲームは……人間によってのみゲームとなる」
ドイツ語でなにやらぶつぶつと呟いていたが、レヒトにその意味はよく分からなかった。
だが、最後の一言の意味だけは、はっきりと理解することが出来た。
「……アーメン」
その聖職者は、懐から銃を取り出すと、動かないプレイヤーに対して発砲した。
頭部に1発、胴体に2発。
計3発の銃弾に撃ち抜かれたそのプレイヤーは、手足を変な方向にねじ曲げて、人形のように大理石の床に横たわった。
――ちくしょう。
どうやら、ゲーム世界での死を迎えたらしい。
そのアバターは、ポリゴンの欠片になって散っていった。
――ちくしょう。こんなところで、死んでたまるか。
その聖職者は、慈悲を持って全員をログアウトさせようとしているのか。
1人を殺したら、次の1人と、仲間プレイヤーたちを次々と銃殺して回っていた。
このままでは、自分も神父に殺されてしまう。
仲間に殺されるなど、あってなるものか。
レヒトは、とっさに逃げようと立ち上がった。
だが、足が思うように動かない。
身体の動きが、異様に鈍い。
立ち上がろうとして、足をすべらせてしまった。
レヒトは、モーファードだけではなく、自分の身体にも異変が起こっていることに気づいた。
死ぬのか。
俺は、こんなところで。
死とは一体何だ。
この監獄から脱出することか。
それともこの監獄こそ地獄で、ここで永遠に生きることが死なのか。
はたまた、どこか別の監獄へと移動することが本当の死なのか。
やがて、神父の手にある銃は、動くことの出来ないレヒトへと向けられた。
そのとき、レヒトは理解した。
それは実に単純な真理だ。
このゲームがデス・ゲームになったのは、システムのせいではない。
――俺たちプレイヤーのせいだったのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
総プレイ時間 445時間
ゲーム『ライジング・フロンティア』
グランシュツルム王国 首都ソーディバード
「そう――そうしてゲーム世界に閉じ込められたプレイヤー達は、その命が尽きるまで、お互いに戦い続けた、という話よ……」
レニは、王都ソーディバードのカフェで、ギルドの仲間達とジュースを飲みながら、話し合っていた。
ここは国産初のVRゲーム『ライジング・フロンティア』。
本当の国産初のVRゲームはアダルト産業が開発していたのだが、不思議な権力が働いてその事実は教科書に載せられていない。
ギルドの仲間達は、20年前にVR世界で現実に起こったと言われる怪談話に、身をすくめて聞き入っていた。
レニのアバターは、黒髪に、銀色の鎧を身にまとった、戦乙女という言葉がぴったりくるものだ。
ぱっちりとした大きな目は、洋ゲーにはない愛らしさをたたえていた。
美男美女がめずらしくないこのゲームで、嫌がおうにもレニが注目を集めているのは、その背に生えた純白の翼のお陰である。
『天使』アバターと呼ばれている、非常にレアなアバターだ。
レニは、このゲーム世界に閉じ込められたプレイヤーの中でもトップランクのプレイヤーだった。
以前から交流の深かった女の子同士で結成されたギルド、『ミウちゃん大好き同盟』を立ち上げた彼女は、ギルドの中でもゲーム歴が最も長く、古今東西のRPGをやりこんできた、自称RPGプロである。
おまけに世話焼きで、20年前の出来事を知らないギルドの新人にも、分からない用語を逐一教えてあげていた。
「どうして、そんなに長い間ログアウトできなかったの? 誰かがゲームの電源を引っこ抜いてくれなかったの?」
「いろいろな偶然が重なったのよ。まず、これは確かにウィルスを使ったハッキング事件だったんだけど、ログアウトを不能にするような大がかりなものじゃなかったのよ」
「どういうこと?」
「20世紀のパソコンでよく見受けられた、ジョーク・ウィルスの1種だったの。ログアウト・ボタンの表示位置が、視界の外にずらされただけのイタズラだったのよ」
「へー、そんなのあったんだ……」
「それに引っかかるようなOSを使っていたっていうのも怖いけどね。犯人もこのゲームの熱狂的なファンで、まさかここまで大事になるとは思っていなかったって供述しているわ」
2089年、ニューラル・インターフェースが全盛となり、まもなく22世紀にも届こうという年だ。
100年前の旧式パソコンのことなど、知っている者の方が希だろう。
しかし、栃木のおじいちゃんにパソコンの手ほどきを受けたレニは、大抵のパソコンがウィルスを抱えていたそんな時代のことをよく知っていたのだった。
「運営は、すぐにメンテナンスを開始したから、ログアウトしたプレイヤーが再ログインすることはできなかったの。だけど、進行中のゲームを強制的に中断することまではしなかったの」
「だから……だれも警察に通報しなかったっていうこと?」
「そう、問題が明るみになったのは、50時間戦い続けてログアウトしたプレイヤーが昏睡状態になって、そのまま病院に運ばれてからだったの」
「50時間って……3日間も!?」
「最終的に、警察がサーバーを強制停止するまで90時間もかかった。その時もまだ戦い続けていたガチ勢がいたって伝説もあるわ……」
「ほぼ4日間ってことよね? ……4日間も水も食料もない状態で、ずっとゲームしてたってこと? トイレはどうするの?」
「トイレのことはご想像にお任せするわ。最近のボトラーは介護用ロボットを使ったりして、レベルが高いのよ?」
21世紀中葉、VR世界が一般に普及して以降、ログアウト不能事件は軽微なものならいくつも起きていた。
だが、死傷者が出た事件はこれまで2つしかない。
その中でも特別な意味を持って人々の心に残ったのが、世界初のログアウト不能事件として名高い『デーヴィッド・スリング事件』だ。
連続90時間のログアウト不能状態、934名が意識不明の重体のまま病院に運ばれ、18名がそのまま衰弱死した。
「この話は、まだ終わらないの。その18名の死亡者の怨念がこもった脳のデータは、すべて『心理エンジン』に記録されていて……」
「怨念て……急に科学レベルさがったなぁ」
「ゲーム会社が倒産して、今の会社にまるごと吸収されたから、そのデータは後継機のモーファードにも受け継がれている、という噂があるのよ」
「うええ、このゲーム、そんなの使ってるのぉ? 気持ち悪くないぃ?」
「だから、VRゲームでなにかバグが起きると、みんなこう言うようになったのよ。『デーヴィッド・スリングの亡霊』が出たって……」
レニは会話をひと区切りして、シャーベットをストローで吸った。
彼女の脳が知覚するのは、舌の上でざらつく冷たい氷に、ほのかなコーヒーの苦み。
『心理エンジン』は、VR世界をよりリアルに感じるためのこうした情報も生み出してくれる、なくてはならないものだった。
「なるほど、そういう事だったのね……変な噂だと思っていたけど」
「わかる、VR世界でバグとか起きるとめちゃくちゃ恐いもん、恐さのレベルが違う」
「そうそう、壁をすり抜けて人の手が出てきたりするのよね……」
「目の前のモンスターが突然ぐしゃっとモザイク状に分裂してさ……もし人だったら、トラウマになってた」
リリースされたばかりのウェブ・ゲームに、軽微なバグはつきものだ。
だが、ゲーム世界がリアルになればなるほど、バグが発生したときに感じる衝撃の度合いは大きくなる。
そうした恐怖を克服するために、人々はその現象に対して、なんらかのラベル付けを求めていた。
そのために、18人の死亡事故は格好の題材となったのだ。
「つまり……『デーヴィッド・スリングの亡霊』っていうのは、未確認のバグってこと? で、いいの?」
「そういう事ね……あり得ないもの。半年間もレベル1のままだなんて」
レニは、机の上に散らばった数枚の写真にそっと手を乗せた。
そこには、SNS上で拡散された、『デーヴィッド・スリングの亡霊』なる謎のプレイヤーが映っていた。
レベル1 レヒト
攻撃力 A
生命力 A
精神力 C
防御力 AA
魔法攻撃力 AC
魔法防御力 AC
ギフト 【剣攻撃力+20】【剣クリティカル率50%】【剣2回攻撃】【先制】【カウンター30%】【防御率25%】
写真は、巨大な剣、クレイモアを抱えてうずくまっているレベル1の剣士を、スクリーンショットで捉えたものだ。
基本設定をほとんどいじっていない、シンプルなアバターだ。
背格好はほとんど変わらないが、鋭い目をした、いかにも無愛想な顔つきをしている。
全身は傷だらけで、頭上のアイコンが鮮血のように真っ赤に染まっている。
アバターは初心者だが、MMORPGに古くからある禁忌のひとつ、PK(プレイヤー・キル)を犯したことを示している。
「しかもレベル30のトッププレイヤー5人をキルするなんて……レベル制RPGじゃ考えられない暴挙だわ」
「そう、だからこの謎のレッド・プレイヤーも……半年間ずーっとミニゲームやってたチーターか、あるいは何かのバグの可能性があるの」
「半年間ずーっとミニゲームやってたチーターだったら相当アレな人よ」
「馬車を運転している商人を脅して『俺をヨトゥンに連れて行け』だの『波動砲をよこせ』だの喚いていたって話ね……」
「えっ、カッコよくない?」
「えっ」
「えっ」
恐い物知らずのレニは、写真を見て目をキラキラさせていた。
「えっ、レニ、こんなのがいいの。ダメよ、恋しちゃ」
「アバターの見た目なんてみんな同じよ、中身は触れちゃダメな人だからね」
「少なくとも、公式のイベントではない、それは確実だ」
「はやく、正体を突き止めないと」
レニは、握りこぶしをぎゅっと引いて、小さく気合いを入れると、立ち上がった。
「とにかく、こんなことで攻略を滞らせてなるものですか。なんとしても、この亡霊の正体を突き止めるのよ」
レニは冒険者ギルドに立ち寄り、ロビーの壁に掲げられた地図を眺めながら、捜索する場所に見当をつけていた。
問題のプレイヤーが現れたのは、首都ソーディバードからアローラビットの森へと続く、なだらかな丘陵地帯のどこか、という話だった。
曖昧な情報に、レニは眉をしかめる。
この丘陵地帯は9平方キロメートルあり、歩いて横断しようとすると軽く1時間はかかる。
「AIが自動生成するミッションでも、もうちょっと分かりやすいヒントを用意してくれているのにね」
「もうここにはいない可能性だってあるのよね」
この丘陵地帯だけで、この日は8カ所のクエストが発生していた。
やはりバグが発生したエリアには、プレイヤーたちはなるべく近寄りたがらないらしい。
冒険者ギルドは、まるでホテルのような高級感あふれる建物になっていた。
ソーディバードは冒険者優遇政策を実施している国で、このギルドもプレイヤーたちの支払う国税で成立している。
内装のレベルが高いのは、それだけこの国のプレイヤーのレベルが高い、ということだ。
カウンターでホテルマンのようなギルド職員と話をしていたエルフが、依頼書を一枚手にひらひらさせながらやってきた。
「ちょーどいいクエストが出とるよー、商団の護衛。ソーディバードから森外れのミッツまでー。報酬300ジェム」
「受注しましょう」
「決断早いなぁ。報酬安すぎやと思えへん? 300ジェムやで。今話題のレッド・プレイヤーが出没する危険地帯やないの。もうちょっと値切ろうや」
「馬車に乗せてもらえるだけマシよ……馬車つきよね? 徒歩だったら考えるけど」
レニはメニューを開いて、視界に半透明のマップを表示させた。
クエストを受注すると、特殊なイベントを示す金色のアイコンがマップの上に表示される。
この視界マップは、ゲームを攻略するときは非常に便利なのだが、VR世界の風景を楽しみたいプレイヤーにとっては邪魔になるので、自由に非表示にできるものだ。
レニ達は冒険者ギルドを後にして、マップ上に示された場所へと向かう。
数多の英雄が踏みしめてボコボコになったという英雄の石畳を通り抜け、NPCで賑わう中央広場を抜け、川沿いに馬車らしきものが数台集まっているのが見え、どうやらそこのようだと見当をつけた。
この河は、雨期になると増水するので、堤防下にはだたっぴろい広場があった。
そこに、商人とおぼしくない、煤汚れた革装備を身につけた冒険者たちの顔触れがあった。
クエストを受注した先客がいたのか、と思ったが、見渡す限り、プレイヤーは1人もいない。全員がNPCだ。
「……やっぱり、バグが出ると、みんな怖がっちゃうのよねぇ……」
新しい仲間と出会えるかと思ったレニは、がっくり肩を落とした。
初期のMMORPGでは、『空中を歩けるバグ』など発見されたときにはお祭り騒ぎになって、毎日誰か1人は試しに空中を歩いていたとおじいちゃんに聞いていたのだが、もはや古き良き時代、といった感じである。
とりあえず、そこにいた商人らしき人物に声をかけてみた。
体格はやや太り気味だが、白髪のまじった灰色のヒゲを蓄えている。
いかにも戦闘には不向きなゆったりした衣服を身に着けていた。
「クエストを受注して来たのだけど」
「おお、ありがとうございます。お美しい方々が5人も。心強い限りでございます」
『心理エンジン』の生み出す
開発時には、プロの役者5000人から50時間ぶんの脳の思考パターンを抽出したということで、身振り手振りまでまるで生きているみたいだった。
「このクエスト、レッド・プレイヤーが出没する道を通るって知ってる?」
「はぁ、作用でございます。人殺しが現れたことは聞き及んでおります」
エルフが依頼書を持って、横から会話にしゃしゃり出てきた。
「その割にはぁ、300ジェムの報酬は安すぎやないの?」
「まあ、それでも構わないという冒険者は大勢いますからな。実際にこうして志願者が集まって来た訳ですし。集まらなければ値を上げる必要はありましょうが、集まるのに値を上げる必要はないでしょう」
にかっと、歯を剥いて笑う商人。
食えない人物だ。本当にNPCなのか。
「エルフ、私たちはお金が目的じゃないわ」
「むぅ~。なんや気に食わんなぁ」
すると、NPCだと思っていた冒険者達が、横から声を出した。
「おい、おっさん! カタいこと言わずにちょっとぐらい色つけてやれよ!」
「むっ、人の商談に横から口を挟まないでもらえますかな?」
レニが驚いている間に、そのままNPC同士の話し合いが始まった。
冒険者がうなだれる商人の肩に腕をまわし、なにわの方を振り返って、OKサインを送っていた。
「うおぉー! やってみるもんやなぁ!」
「本当に人間みたいね」
商団の馬車は、ぜんぶで16あった。
そのうちひとつをレニ達が貸し切るように乗り込んで、身を寄せ合っていると、そのうち馬車が動き始めた。
サスペンションもゴムタイヤもない馬車は、ゴトゴト、というより、ガツッ、ゴダンッ、と鋭い衝撃が走る。
おまけにクッションもなく、床の上にじか座りなので、エルフはすぐにお尻が痛くなってしょうがなかった。
「この辺はリアルにせんでもよかったのに……」
「これから冒険に行くって感じがするじゃない?」
「すみませんね、なるべく平坦な道を選んで行きますから」
ごとごとと揺られ、一同は丘陵地帯を進んでいった。
3キロメートル×3キロメートルの巨大な仮想空間の中にすっぽりと収まる乾いた大地に、木立やら群れなす動物やら、時期によっては遊牧民のテントなどが建っていることがある。
エルフは、幌の途中につけられたのぞき窓をひょっこり覗いてみたりして、落ち着きがない。
愛らしいエルフ耳がぴょこぴょこと動いて、まるで小動物のようだった。
「ほぇー、ほぇー、広いなぁ。こんなに広いもんだったの」
「このフィールドは特に広く感じるわよね」
「標的が出てくるまで、しばらく何も出てきそうにないな、どうする?」
「隠れているって可能性もあるし、むしろ隠れている可能性の方が高いんじゃないかしら?」
「んー、ほな、歌でも歌っとろうか?」
エルフは、どこからともなくギターを取り出すと、じゃららん、とかき鳴らした。
「あら、ギターなんてアイテムあったんだ」
「いいや、なかったよー。なかったから、友達と一緒に作ってん。生産職のCAD系スキルっちゅうのを使って」
「そんなことしてたの?」
「半年間もずーっと同じBGMばっかり聞いていたら、楽器くらい自分で作りたくなっちゃうわよね」
「確か、エルフの友達って、プロのミュージシャンなんだったっけ?」
「えーっ! そうなんだ、凄い! ねぇ、何か歌って!」
友達がプロのミュージシャンだったというエルフの歌の実力はさておき。
いつも同じBGMばかり流れていた旅路に、エルフのかき鳴らすギターの音が流れはじめ、幌馬車の旅は愉快なものになった。
ログアウト・ボタンが消えてしまったのは、日本時間における日曜日の深夜2時ごろだった。
どうしてプレイヤーの数が少ない時間帯を狙ったのか、色々と推察がされていたのだが。
レニの聞いたなかでは、「ニューヨークにおける土曜日の昼12時を狙った、世界同時サイバー・テロだったのでは?」という説がいちばん理にかなっていた。
モーファードは、全世界で4000万台を売り上げている米国の大手ゲームメーカーのハードだ。
日本でのシェアはその1割に満たない。
ゆえに、犯人の目的がより多くの人々をゲーム世界に閉じ込めようとすることなら、必然的に日本ではこの時間帯になる。
幸か不幸か、日本でこの時間帯にログインしていたプレイヤーの数は、極端にすくなかった。
2万人。
それがライジング・フロンティアにおける、人質の総数だった。
世界同時サイバー・テロだとしたら、いったいいくつの世界に何万人が閉じ込められているのか、誰にも予想がつかなかった。
そう、人々は突然のログアウト不能事件に対しても、かなり理性的なふるまいが出来るようになっていた。
いくつもの犠牲を糧に、成長したのだ。
だというのに、「ゲームをクリアすれば脱出できる」とは、一体誰が言い始めたのだろう。
「『攻略組』だ! 『攻略組』が戻ってきたぞ!」
メイン・ストーリーの攻略を推し進めていた『攻略組』メンバーは、みな一様に青白い顔を浮かべて、幽霊のようにふらふらと町中を歩いていた。
NPCの村人達や、プレイヤーの冒険者たちは、彼らの姿を遠巻きに眺めていた。
5000人の敗退者達がぞろぞろと始まりの石版からソーディバードの石畳を歩いてゆく様は、まるで葬儀の列のようだった。
その沈鬱な空気を感じながら、プレイヤー達は、口々に噂話をしていた。
「倒せなかったんだって?」
「『倒せなかった』んじゃない、『倒せない』らしい」
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