聖リリアンヌ女学院高等部料理研究部(仮)

柚木山不動

聖リリアンヌ女学院高等部料理研究部(仮)

 同じ料理研究部のまことさんと、夏休み明けに料理勝負をすることになってしまった。

 きっかけは研究部のみんなとの雑談中に夏休みの帰省中どのように過ごすのかを互いに披露しあっていたときだった。まこと先輩の御両親は二人とも北海道出身だそうで、やはり北海道で夏を過ごすそうな。

 こむちゃんにめぐみんは夏休みどうするの、どっか行くのと聞かれて思い出した。我が家では毎年母の実家である大分に帰省しているのだ。ちなみに父の実家、福岡県北九州市にはお盆の時期に顔を出している。JR日豊本線の特急ソニック(ハリネズミではない方)でつながっているので、さほど不便ではない。


 そうね、今年も大分かな。いつも母の実家に着いたら、祖母がとり天作ってくれるのよ。大分の名物とり天に、これまた大分の名物カボスを絞ってオン・ザ・ライスすると、パリパリの衣の食感と酸っぱいカボスの果汁を吸ってしんなりした食感とが両方味わえてお得感があるのよね。鶏肉の旨味溢れる肉汁たっぷりのあれを食べると、あぁふるさとに帰って来たんだなって気分になるわ。


 そう言うと、黒髪ロングでパッツン眼鏡のまこと先輩も乗ってきた。曰くお父上の地元稚内わっかないでホタテの味噌汁飲むと、ふるさとを実感するそうだ。あの辺りはホタテの稚貝を養殖して、ある程度大きくなったら海に放流するらしい。いわゆる資源管理ってヤツかな。でも生き物だから、なかには放流の時期が来てもそんなに大きく育ってない、小さい貝も出てくる。そういった、検査ではねられた小さいホタテを貝殻もろとも茹でて味噌を溶いていくらしい。まるでアサリの味噌汁みたいな作り方だ。ホタテから美味しい出汁が出てくるから、昆布や煮干しはいらないそうだ。


 すると、らのちゃんがどちらの料理も美味しそうだわと相づちを打つ。それを皮切りに部員のみんなが両方とも食べてみたいとわいわい言い出した。

 突然ガラガラッと部室の引き戸が開けられ、話は聞かせてもらいマーシタ!という高い声。そこには当料理研究部の顧問であり神出鬼没の異名を持つ年齢不詳の英語教師、アナスタシア・ピンフスカヤ先生が立っていた。背景に赤と黄色の後光めいた光が見えたような気がしたが、それは言うまでもなく気のせいである。しかしそのバストは豊満であった。

 彼女はお二人のふるさとを愛するお気持ち、大変尊いものデース…とか、是非そのふるさとの味を食べ比べてみたいものデースなどと語り始めた。要するに私にも食べさせろという面倒くさいアピールである。

 というわけで、夏休み明けの最初の活動日に二学期最初の部活動として料理勝負をセッティングされてしまった。明らかに先生が食べたいだけである。幸い、部室として使っているここ家庭科室には調理器具が揃っている。材料を購うのに潤沢な部費を使えるとあっては否やはない。

 ところが先生はついでにお二人には先ほど言っていた料理の他にもう一品、作っていただきマースなどと言い出した。なんたる強欲。とり天とホタテの味噌汁だけでは足らないというのか。イヤ、決してついでに他の郷土料理を食べたいということではなく、お二人の料理の腕前を図る絶好のチャンスだという意味で云々と理由をつけていたが、がっつり一食浮かせるつもりなのはバレバレである。

 なお、勝負と言うからには勝った方には何かいいことでもあるのかと聞けば、先生がより美味しいと感じた方にはご褒美を差し上げマショーという大変あてにならないお言葉。


 言いたいことを言いたい放題に行ったピンフスカヤ先生は、自分の仕事は終わったとばかりに夏休み明けが楽しみネーとかハラショーとか言いながら部室を踊るように出て行った。毎度のことながら、奇行が目立つお人だ。当校の教師でなければ、うっかり通報してしまいかねない。学外でも四六時中あんな感じで過ごしているのだろうか?

 それはともかく、先生は聞き捨てならないことを言っていた。私がまこと先輩と料理で勝負ですって!?まことさんは二年生、今年高等部に入った私の一年先輩だ。三年生がいなかった料理研究部をとりまとめ、我々一年の有象無象を優しく指導してきた人格者だ。料理の腕前も部員の中で勝てる者はいない。

 そんな人と料理勝負だなんて無謀過ぎる…。勝てないまでも、見劣りしないものが作れれば良いんだけれど…。そう考え込んでいると、そのまことさんは思いがけない展開になってしまったけれど、勝負であればお互いベストを尽くしましょうねなどとにこやかだ。

 まことさんはにっこりと微笑み、緑のツヤが美しいロングの黒髪をなびかせて私に近づき握手を求めてきた。私もあわててスカートで手汗を拭って先輩の手を握り、まことさんの胸を借りるつもりで頑張りますと応える。緊張して顔がこわばってなかったかな?

 なお、まことさんのバストは豊満であった。


***


 と、まあ学校でそういうことがあったのよ。どうかなお母さん、私にもう一品大分名物の旨いものの作り方をちょちょっと教えてよ。できる限り簡単な奴。と言ったらお母さん怒るの怒らないの、料理研究部ったってあなたもっぱら食べる専門らしいじゃないの顧問の先生から聞いてるんですからねだの、必要になった時だけ聞きに来るんじゃなく普段からお手伝いしなさいだの、あなたの料理は段取りが出来てないだのと口うるさいことこの上ない。いちいちもっともなだけに余計腹もたつけど、ここはぐっと我慢して言うことを聞いておく。

 その日の夕御飯の準備中から始まり夕御飯を食べ終わるまで続いた相談という名のお説教の結果、帰省中の母の実家でおさんどんする羽目になってしまった。くそぅ、もう少し楽しておいしい料理をゲットするつもりだったのに。お母さんはおいしい料理を食べたければ手間を惜しむな、段取りができるようになれば自然と手を抜いてもいい部分がわかってくるからと完全にお見通しである。


 夏休みに入ったら、私とお母さんは着替えや身の回りの物を詰め込んだスーツケースを抱えて羽田から大分空港までの飛行機に乗る。お父さんは会社があるからお盆休みまで暫しの別れ、私とお母さんを搭乗口まで見送ってくれた。お母さんの言うことをよく聞いてお手伝いするんだよとか、日出のおじいちゃんおばあちゃんによろしくねとか、毎年のやり取りを終えると手荷物検査を終えていざ大分へ。

 一時間ちょっとの空の旅を終えるともう大分空港だ。飛行機を降りて荷物のスーツケースを受け取るためにベルトコンベアーの前で待ってると、巨大な寿司がこれまた巨大な皿に乗って回って来る。大分空港名物、さながら巨大回転寿司だ。荷物待ちの客が退屈しないようにと何年か前に始まった企画だ。いかにもツキッター映えしそうな光景なので、しぃるちゃんとかこういうの好きそうだよねと思いながらパシャリ。すかさず「SUSHI食べたい」とコメントを添えてツキッターにアップする。

 意外にも最初に反応したのはまことさんだった。「あら美味しそう。大きいから食べ甲斐ありそうね(*≧∀≦)人(≧∀≦*)♪」と若干天然めいた返信を送ってきた。かわいい人だ。

 しばらく待つと私たちのスーツケースが流れて来たので、それを取って到着口に行くといつものようにおじいちゃんが待っていた。やだ、頭の上で両手振ってる。そりゃ私だっていたいけな幼女だった時にはそんなおじいちゃんに全力チャージかましてたけど、JKとなった今では若干の気恥ずかしさがある。幼女だろうがJKだろうが、おじいちゃんから見れば同じ孫なんだろう。

 お母さんにしてみても自分の父親が迎えに来てくれているのはやっぱり嬉しいらしい。お父さん元気してた?相変わらず畑仕事やってる?お母さんは?そう、今年は特別暑いんだから熱中症に気を付けてよねなどと話しながら車に向かう。おじいちゃんの運転で出発だ。お父さん今年で70だっけ、バカ言えまだ69だなどと言いながら運転するおじいちゃんはカクシャクとしたものだった。


 パッと視界がひらけたら、そこは眼下に青い夏の別府湾が広がる。対岸の別府市内からは温泉の湯気が雲のようにうっすら立ちのぼっている。

 畑に囲まれた純和風の家が見えてきた。お母さんの実家だ。銀色の日よけフードを被って畑で雑草取りしていたおばあちゃんがこちらに気づいた。腰を伸ばし手を振っている。おじいちゃんとは対照的に手首だけ左右に振っている。KAWAIIかわいい

 おつかれ、今年もよく来たねと出迎えられた。おじいちゃんが昨日釣ってきたアジとチヌをりゅうきゅうにしといたからお昼にしようという。チヌとはこっちの言葉でクロダイのこと、りゅうきゅうとは大分名物、魚の切り身をタレに漬け込んだものだ。基本は醤油・みりん・日本酒等に水を少量加えて煮立たせアルコールを飛ばし、粗熱あらねつを取ったら好きな魚の切り身を入れて冷蔵庫で冷やす。昔琉球りゅうきゅうと呼ばれていた沖縄の船乗りが持ち込んだという謂れがあるけど、ホントかどうか知らない。当の沖縄で魚の漬けって名物料理聞いたことないもんね。それはともかく、作る人によって薬味は様々なので、家庭の味ともいえる。漬けダレに隠し味の柚子胡椒とごま油を混ぜ込み、軽く挽いたいりごまをたっぷりかけるのがうちのおばあちゃん流である。さすがおばあちゃんは段取りがいい。すでに鯵の頭で取った出汁を冷やしてあるそうだから、すぐに冷やしだし茶漬けが食べられる。やったぜ。

 荷物を家に運び込んだら取るものもとりあえず台所に向かう。毎年来てるから勝手知ったる台所。おじいちゃんとおばあちゃんの茶碗、お母さんと私のも。そうこうしているとおばあちゃんがガスコンロにかけていた小さな土鍋を食卓に持って行く。蓋を取ると焚きあがったばかりのご飯の湯気がもわり。ご飯のにおいしみついてむせる。

 茶碗に軽くご飯をよそっていると、冷やし出汁を持ってきたおじいちゃんも食卓に着く。みんな揃っていただきまーすだ。

 りゅうきゅうを各自自分の好きなだけ白いご飯に乗せる。白いご飯がタレに染まっていく。出汁をかけてかきこむと、普通に刺身にしてもおいしいアジの切り身は、おばあちゃん特製のタレに漬かって一層おいしい。チヌの切り身も刺身だったら透き通った綺麗な白身なのに、タレに漬かって琥珀色。隠し味の柚子胡椒は風味が良すぎて若干隠しきれてないけど夏にぴったりの香りだ。ごま油といりごまの香りも出汁の味と相まって食欲を引き立てる。いやぁ、これを食べてると帰って来たって感じがするよねと言うとおじいちゃんもおばあちゃんもニコニコしている。

 うん、夏休み明けの料理勝負ではこのりゅうきゅうを出そう。そう心に決めた。


 お母さんの実家に着いて三日目の早朝。私はお母さんとの約束通り、朝ごはんの準備を始めていた。コンロこそガスを使っているけど、ご飯は土鍋で炊いている。今どきのガスコンロってごはんスイッチみたいなのがあって、炊き上がったらお知らせしてくれるから便利だ。

 豆腐とわかめを刻んだら、かんたん出汁の素を投入したお鍋に入れてお味噌を溶かしたらスタンダードな味噌汁の完成だ。

 ピロリロとコンロから電子音が響く。ちょうどご飯も炊きあがったようだ。茶の間に味噌汁の鍋とご飯の土鍋を持って行くと、お母さんが食器を用意してくれていた。

 めぐみたちが帰ってきてからめぐみのご飯が食べられる、ありがたい、とおじいちゃんが言っている。その言い方が肩でも腰でも効いてくれるみたいにあんまりしみじみしていたので、思わずクスっと笑ってしまった。


 食べ終わった後、おじいちゃんは釣り竿担いで近所の波止に向かった。お昼のおかずを釣ってくるそうだ。たくさん釣ってきてねと送り出す。おばあちゃんは家の畑で雑草取りをするそうだ。キュウリやナスなんかの夏野菜の収穫はしないのと聞くと、今日取る分は涼しい朝方にもう取ったとのこと。さすが仕事が早い。

 お母さんはと言うと、普段二人暮らしのこの家の人口が二倍になったので食材の買い出しに行くそうだ。普段赤いコンパクトカーを運転しているお母さんが白い軽トラに乗ってるところは割と激レアなのでは。久しぶりのマニュアル車だわなどと言いながら、それでもちゃんと出発していった。事故りませんように。


 私は食べ終わった食器を洗って乾燥機に入れたらお昼まではお役御免だ。誰もいない茶の間でゆっくり冷えた麦茶を飲む。昨日は海岸まで遊びに行った。今の時期は大分の海とはいえ海水浴客がいっぱいだったので、海の家でイチゴ味のカキ氷だけ買って早々に退散した。

 私も水着持ってくればよかったなーとひとりごちたものの、そういえば今年はまだ水着買ってなかったことを思い出す。


 突然後頭部にガツンと衝撃を感じた。痛っと叫んで振り向くと、知らない男が茶の間に上がり込んでいた。おばあちゃんを呼ばなきゃ。そう思ったけど、とっさのことで大声が出ない。殴られたせいかめまいがする。さっきまで麦茶飲んでたのに喉が渇く。

 男は憎しみのこもった目で私をにらみつけている。お前さえいなければとかこれであいつはオレを無視できなくなるとか訳のわからないことを言っている。私を狙ってきたにしては武器らしきものは持ってない。誰だか知らんけどまともにやりあうのは危険だ。

 不意に男は飛びかかってきた。ねっとりとした男の指が私の首を絞めつける。気持ち悪い。たまらずしゃがむが男の指は離れない。

 息苦しい中で何とか振りほどこうと飛び上がったりしゃがんだりを繰り返す。気を失いかけながら飛び上がったその時、私の膝になんだかぐにゃりと柔らかい肉の感触が当たった。コリっとした感触もある。

 その瞬間男の雄たけびが聞こえ、私の首は解放された。ようやく息ができるようになった私が見たのは、股間を押さえてのたうち回る男の姿だった。わぁ痛そう。

 とにかくおばあちゃんに知らせなきゃ。縁側から裸足で飛び出した私は、男がおばあちゃんを先に手にかけてないことを祈りながら畑に走る。おばあちゃーんと叫ぶと、しゃがんで雑草取りしていたおばあちゃんがなーに?と立ち上がる。よかった。無事だ。

 変態がいる、不審者に襲われたと言うと、おばあちゃんは慌てず自分のスマホを取り出してこれで一一〇番しなと言う。そういえば襲われたときに動転して、スマホを置き忘れてきていた。警察に連絡してきてもらえることになったが、あれ絶対頭おかしい奴だから危ないよおばあちゃんも逃げようと言うと駐在さんが来るまで足止めしとかんとなぁと呑気なことを言う。そんなこと言ってないで逃げようよ。あいつ絶対頭おかしいから、おばあちゃんのことも殺そうとするよ!


 そんなやり取りをしていると男に気付かれた。股間を押さえながら男がひょこひょことこちらに向かってくる。せめて目つぶしに使えないかと畑の土を握りしめたが、さすがおじいちゃんとおばあちゃんが丹精込めて耕し、肥料も惜しまず土づくりしてきた畑だ。ぎゅっと握るとしっかり固まる。目つぶしには砂っぽい方がいいんだけど。

 おばあちゃんは男に向かって歩いていった。ババア邪魔するなと男が叫ぶ。おばあちゃんはめぐちゃん、駐在さんのところに行きなと言う。そんな、こんないきり立ったわけわかんない男の前におばあちゃんを置いて逃げられるわけないじゃんか。おばあちゃん殺されちゃうよ。

 男はおばあちゃんに殴りかかった。掴んだらさっきの私みたいに反撃されるかもしれないと思ったのかもしれない。次の瞬間、おばあちゃんがクルリとその身をひるがえしたかと思うと、男は宙を舞い畑の外に吹っ飛んでいた。

 えっ?何?何が起こったの?男は敷地の外のアスファルトまで転がっていた。気を失っているようだ。道の向こうから駐在さんが自転車に乗ってのんびりとやって来るのが見えた。


 後から聞いてみれば何のことはない。おばあちゃんは若い頃、合気道の師範代をやっていたそうだ。とにかくメチャメチャ強かったらしい。ある時オシャレして街まで出かけたらおばあちゃんが強いことを知らないチャラい男たちに絡まれたので面倒くさいから全員投げ飛ばしてやろうと思ったとき(ここが修羅の発想)、通りがかった男の人が割って入って助けてくれた、それがおじいちゃんとのなれそめなのよと頬を赤らめて語ってくれたが、おじいちゃんが実質助けたのは果たしておばあちゃんだったのか相手の男たちだったのか。

 それはそれとして私を襲った男は無事警察に連れていかれ、私に対する暴行容疑で起訴された。どうやらまことさんに付きまとうストーカーだったらしい。なんでまことさんのストーカーが私に危害を加えたのかという理由は、まことさんがツキッターでレスつけたり♡つけたりしていた相手のなかでたまたま目に付いたからだそうだ。まことさんに落ち度があったわけでもなんでもない。私が大分空港のベルトコンベアーの写真をアップしたから、わざわざ飛行機で大分までやってきて大分空港周辺の民家を探していたらしい。その昏い情熱の意味が分からない。私に何かがあればまことさんは自分のしわざだと気づくはずだ、オレを無視したことを後悔させてやるつもりだった、まことはオレんちでトイレを借りたから気がある、徹夜組なめんななどと供述しているらしい。あまりの支離滅裂さに聞いているだけでこちらの頭がおかしくなりそうだ。

 要するにまことさんへの当てつけで私を手にかけようとしたのだコイツは。冗談じゃない。


 さっそくまことさんにストーカーが捕まったことを伝えると、めぐちゃんのご実家って大分でしょ、え、なんでめぐちゃんのところに行ってるのソイツ、意味わかんないとのこと。私だってわかんない。わかりたくもない。

 この男にはまことさんも困っていて、最近裁判所から接近禁止命令を出してもらったばかりだったという。ターゲットに近づけないものだから周辺の人間に狙いを移したということか。

 まことさんからは私のストーカーがめぐちゃんにご迷惑をとかすっごい謝られたけど、まことさんが悪くないのは百も承知です、気にしないでくださいと返すとメチャメチャ感謝された。どうやらこのストーカー、既にまことさんの他のご友人にも迷惑かけてたらしく、なかにはトラブルを恐れてまことさんから離れていった元友人もいるそうだ。これまでは直接暴行におよぶことがなかったため、警察も手を出しかねていたらしい。今回捕まったことで余罪も追及するらしい。私も首を絞められた甲斐があった…のか?


 事件のことを聞いていてもたってもいられずに仕事を早々に切り上げたお父さんがやって来たのは翌日朝一の便だった。空港までおじいちゃんに連れてきてもらって待ってたら、お父さんは周りをきょろきょろ見回しながら到着ゲートにやって来た。私を見つけると、めぐみーっと叫びながら年甲斐もなく駆け出した。やだ恥ずかしい。

 私を抱きしめて良かった、本当に良かったとおんおん泣くお父さんに周囲の人たちは何事があったのかと目を向ける。やだ恥ずかしい(二回目)。

 お父さんにしてみれば、自分のいないところで娘が命の危機にあったというのは相当堪えたことだろう。抱きしめたくなる気持ちはわかる。でももうそろそろ離してくれてもいいんじゃないかな。


 そんな事件もありつつ夏休みは無情に過ぎていき、夏休み明けの料理勝負の日がやって来た。

 私はとり天とりゅうきゅう、まことさんはホタテの味噌汁と鮭のホイル焼き。

 まことさんは「もう一品」に鮭のホイル焼きを選んだのだ。でもまだ9月の頭。鮭と言えば秋。時期はちょっと早いんじゃないのかな?

 きっとまことさんなりの考えがあるんだろう。まことさんの鮭、早く食べてみたいなぁ。


 ピンフスカヤ先生の合図で調理が始まる。私はまず手早く米を研ぎ、大きな土鍋でご飯を炊き始める。まことさんも電気釜をセットしている。まずは互角。

 鶏のモモ肉とムネ肉を一口大に切り、酒・醤油・おろしにんにく・おろししょうがと塩コショウで下味をつけ、小麦粉と片栗粉に水と卵を加えて作った衣をまとわせる。

 温めておいた油の鍋に水を一滴ピッと振るとパチパチと爆ぜるいい音。頃合いだ。鶏肉を少しづつ投入していく。あまり一度にたくさん入れると油の温度が下がっちゃうからね。

 こんがりきつね色に揚がってくると、油のパチパチという音も軽くなっていく。この調子だ。今日は部員みんなが食べられるよう大量に用意したからね。どんどん揚げていくよ。お皿に揚がったばかりのとり天が積み重なっていく。


 まことさんの方はというと、ホイル焼きの野菜を手早く切ると、味噌汁の準備をしていた。お湯ではなく水を入れた鍋にガラガラと小さなホタテを貝ごと投入。水からゆでるのか…あれは冷凍かな。どうやら稚貝が出回る時期と言うのが春先らしい。時期が半年違うんだからそりゃ冷凍品しかないよね。

 まことさんは灰汁をとりつつ、もう鮭の準備にかかっている。あれは…なんだ?ちらりと見えた切断面、すごく脂がのってる。普通の鮭じゃない。これは隠し玉だな。絶対旨い。確信めいた予感がする。


 こちらはとり天を全部揚げ終わった。カボスは旬のものが手に入ったから、各自の小皿に半分にカットしたものを配っていく。あとはりゅうきゅうだ。あらかじめタレに漬け込んでおいたものがこちらになりまーす。うんうん、漬けダレに一晩漬かってイイ感じの琥珀色になってる。一昨日おじいちゃんが釣った大物のチヌが昨日届いたのだ。間に合って良かった…。

 出汁の用意も出来て完成でーすと言うと、まことさんの方も私も完成でーすと答える。

 先生が、両者そこまで!実食!と言ってる。早い早い。


 先生の前に料理が並ぶ。まず最初に手を付けるのは…ホタテの味噌汁だ!何と言っても香りがいいよね。うん、うんうんと言いながらホタテの稚貝にしゃぶりついている。あれ絶対美味しいよね。

 次は…とり天だ。最初は何もつけずにぱくり。もぐもぐ。ん~~~っと言いながらご飯をかきこむ。あのペースで全部食べるのだろうか。次はとり天の上からカボスを絞りかけたものをぱくり。おぉ、目が見開いとる。旨そうに食べている。

 次はりゅうきゅうに手を伸ばした。そうそう、そうやってご飯の上に乗せるんですよ。出汁は熱いのと冷たいの、どちらがいいですか?熱いのですね。それじゃ出汁をかけて、そうそう琥珀色が白っぽく変わっていくでしょ。はいどうぞ。…もう食べたんですか?先生早くない?もうちょっとゆっくり食べたほうがいいですよ。はいお代わり。

 最後は鮭のホイル焼きですね…。あの脂の乗り、普通の鮭ではないでしょうがなんなんですかね…うわ、ホイルを開けたら味噌の香ばしい匂いが広がる。エノキ、ニンジン、タマネギといった定番の野菜の上にあの鮭の切り身が乗っかっている。先生は迷わず鮭の身をほぐし、味噌と野菜でくるんでontheライス。&お口にシュウウウウウウ!匂いを嗅いでるだけでおいしいのがわかる。まことさんにこの鮭は一体何なんですかと聞くと時知らずだという。なにっ時知らずだと…知っているのか雷電などとしぃるちゃんとらのちゃんが男塾ごっこしている。うむ、前に聞いたことがある…旬とされる秋ではなく、春から夏にかけて取れる鮭はイクラや白子に栄養を取られる前なので、身の美味しさが半端ないらしい。その中には鮭児けいじといって全身トロ状態という冗談のような奴があるという。かのニコラス・ケイジの芸名もこれを食べたニコラスが感動し、自分も俳優として大成するように願いを込めてケイジと付けたという逸話はあまりにも有名である…出典:民明書房刊「試される大地のうまいもの大全集」より。


 などと与太話を繰り広げていると、ピンフスカヤ先生が食べ終わった。果たしてどちらがよりおいしいと思わせたのか…勝負の結果はどちらなのか。

 かたずをのんで見守っていると先生はオホンと咳払いをして、皆さんもどうぞ食べてみてください、お二人とも甲乙つけがたい、素晴らしいデースと言う。一同がっくりと力が抜けるものの、三々五々大皿に手を伸ばす。私もさっきからおなかが減ってしょうがなかったので、まずは自分の作ったとり天から。

 うん、衣はさっくり。中はしっとり。肉汁たっぷり。これならお母さんも合格と言ってくれる出来だろう。カボスをかけてもう一口。うん、酸味が効いてていい。すごくいい。油物を食べてるのに口の中がさわやかになる。

 りゅうきゅうの出来も確かめよう。ご飯を軽くよそった上に2、3切れ乗せて、熱い出汁をかけると熱で切り身は白く色が変わり、身もちりちりと表面が縮んでいく。お茶漬けの要領でふうふう吹きながらかきこむと柚子胡椒の香りが一層引き立つ。コレよコレ。冷たい出汁もいいけど、熱い出汁も捨てがたい。


 いよいよまことさんの料理だ。ホタテの味噌汁からいただく。一口飲むと口の中にホタテの出汁が広がる。味噌は米味噌、塩分控えめでホタテの味を引き立てている。これはおいしい。なるほど自慢したくなる。ほっとする味だ。

 時知らずのホイル焼きもいただく。これは…味噌汁の味噌と同じで塩分控えめの米味噌ですねと言うと、まことさんはそうなのよと嬉しそうに答える。この味噌は北海道の冷涼な気候に合わせて作られた北海道味噌だという。地元の食材を地元の調味料でというのはよくわかる。私もりゅうきゅうに使った醤油は大分の蔵元のものだもんね。

 ホイル焼きのお味はと言うと、ほぐれた鮭の身が口の中でとろけて野菜と味噌が一体となってこれは…最高やな!

 これは私の負けです、参りましたとまことさんに言うと、そんなことないわ、めぐちゃんのとり天もサクサクしてしっとりしてジューシーですごくおいしかった、りゅうきゅうっていうのもとてもおいしいから、ほら真っ先にみんなが食べ切っちゃったじゃないと指さす先を見ると、りゅうきゅうを入れていたボウルはすでに空っぽになっていた。あぁ!作った本人が2、3切れしか食べてないのに!量が少なかったのかな?今度作るときはもっとたくさん用意しなきゃ。

 それじゃあ今回は引き分けってことでいいわねと笑うまことさんの笑顔に、私はなんだか救われたような気分になるのだった。

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聖リリアンヌ女学院高等部料理研究部(仮) 柚木山不動 @funnunofudou

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