第1話

「本当にこんなものでいいの?お母さん達、別にお金に困っているわけじゃないのよ?遠慮してない?」

「いいんだよ母さん、これがいい。これが一番いいんだ」

「本当に?これコンビニでも一番安い部類のお弁当なのよ?」

「うん。これなら食べられるんだ。おいしいよ」

 ぽろぽろと崩れそうになると下にあるタレの染みこんだご飯の塊を、上手いこと崩さないようして箸で挟んで口へ持っていくことを繰り返す。

「栄養が偏っちゃうわね」

「病院のご飯も頑張って食べるようにするから、きっと大丈夫だよ」

 本来は病院で出される病院食以外を口にしてはならないのだが、少しだけ病院のお目こぼしを頂いて別のものを食べている。

 二度目の入院での治療を始めてからしばらくして、薬の副作用による味覚障害と食欲不振でほとんどものが食べられなくなってしまった。病状に合わせて調理された病院食は、味の薄さもあって食欲が湧かず、一口食べるのがようやくだった。

 まともに食事をすることが出来なくなっていたそんな折、見舞いに来ていた母親が昼食に食べようとしていたコンビニの鶏そぼろ弁当が、たまたま気になり箸を付けたのが、僕の偏食の切っ掛けだった。最初は病院食に辟易していたので、病院のルールを破る悪戯半分の気持ちで始めたことだったが、僕の予想に反して不思議と何の不快感もなく食べることができたのだ。甘辛く濃く味付けをしてあるそぼろが僕の麻痺しかけている味覚に刺さった。一口、二口、しばらく忘れていた食欲という欲求が蘇ってきた。結局その時は母親のお昼ご飯を全て食べ尽くしてしまったのだった。味を感じると言う現象がここまで食欲を満足させるのか。健康であった時には到底感じることの出来なかった感覚であった。

 そんなこともあって、本来差し入れは禁止されているが、主治医の先生と僕を担当する看護師と話し合った結果、何も食べられないよりはだと言うことになり、加熱調理されたものであれば過剰にならない程度には、持ち込んで食べても良いということになった。

 あまりにも僕がお見舞いの品に、コンビニの鶏そぼろ弁当ばかりを要求するので、とうとう母親が呆れてしまったのだ。

「退院したら、毎日食べるつもりなの?」

「うーん、そうだなぁ。他に味が感じられるものがあったらそれも食べるよ。いったい何がどんな味をしているのかさっぱり分からないから色々試してみるつもりだよ」

「それならいいんだけどね……」

 母親としては育ち盛りの子供の栄養バランスを考えることについては、頭痛の種なのだろうなと思う。

 病気になる前は、あまり好き嫌いを言ったことはなかったが、病気の治療を行うようになってからは、食欲不振という大きな障壁を越えるような食事でないと、とてもではないがあれもこれもと、食べることが出来なくなってしまったのだ。味覚というものは、かくも食事という行為にとって、とても大事な推進装置であったのだと気付かされたのだ。

 そして、味を感じられたものがもう一つあった。

「まったく……お母さんには信じられないわ。ご飯と一緒にこんな物を飲むなんて」

 そう言って手渡されたのは、はちみつレモンだ。強烈な甘みと酸味、特に酸味の方が味覚を刺激してくれて、すっかり貧相になってしまった僕の味覚に、彩りを添えてくれたのだった。

「うん、甘酸っぱいのがいい。ごはんに梅干しとか甘酸っぱいものを食べるでしょう?そんなに変な組み合わせじゃないよ」

「理屈じゃそうだけど……」

「何事も試さないと。知らない事はまだまだ沢山あるんだからさ」

「全く誰に似たのやら」

 そう言って母さんはちょっと肩をすくめた。誰に似たって、そりゃ父さんと母さんだよ、と言おうと思ったが、あまりとりとめの無い話を続けるのもどうかなと思ったので、傍目からは奇妙に見える食事に集中することにした。食べること一つでも、それは挑戦であり闘いであった。色々と細かな試みをやらざるを得ない病気に、僕は冒されていたのだ。

 人生で二度目のこの入院で、ようやく僕の病気の正体が判明した。その病名は「慢性活動性EBウイルス感染」という、ウイルスが原因で起こる血液の病気であった。年間日本国内で20人ほどしか例がない、珍しい病気だという。英語の頭文字を取って「CAEBV」とも言われている。

 僕を診てくれる先生の話では、この病気を治す確かな方法はまだ確立されていない、との話だった。病状が改善する治療方法はいくつかあるが、必ず治るというわけではなく、病気の進行によっては、試験的な治療が必要になる場合があるという。前例がない治療が必要となった時は僕の協力が必要不可欠で、一緒に考えながら治療をしていこうとのことだった。

 だから僕自身が、病気との闘い方を考えていかなければいけなかったのだ。「考える」ことは好きだったが、まさか自分自身の体のことに対して、考えを巡らせなければいけない事態になるとは思っていなかった。正解があるかどうかもわからない問題で、もし回答を間違えたら最悪「死」に繋がる。

 そんな見えない正解を探し出そうとする些細な挑戦の一つが、いかに食事をしっかり取って栄養を摂取するのかだったのだ。

「それじゃあ、お母さんそろそろ仕事に戻るわね。午後も教室に行くのでしょう?」

「うん、今日は体調も良いし、午後の教室にも出るよ。母さんも仕事頑張ってね」

「頑張るのはアンタよ」

 そう言うと母さんは立ち上がり、座っていたパイプ椅子を折りたたんでベッドサイドの隅に片付けた。

「明日また来るからね。ちゃんと勉強しとくのよ」

 母さんは僕が健康だった頃と変わらない、努めて普通の口調で立ち去っていった。本当であれば心配で仕方が無いのだろうが、僕が気に病まないようにいつもの調子でいてくれたのだ。子供から見れば、バレバレなお芝居な面もあったが、こちらとしても普通でいてくれていた方が助かった。おかげで僕が変に気を回す必要が無かったし、僕のその態度を見て両親が気を回しすぎることもなくなるので、普通でいることはお互いが救われる良い関係性を保てる方法だ。だから母さんには、ただただ感謝しか無かった。

 母さんが立ち去るのを見送ってから、終わった昼食の片付けをした。使った箸や弁当ガラを、コンビニで買ってきた時に入れてもらったレジ袋で縛り、ゴミ箱に放り込む。一連の片付けを終えた僕は、治療の副作用でまだら模様になった頭を隠すためのニット帽をベッドサイドの引き出しから取り出し、一回目深に被ってから頭に馴染ませた。そして午後の院内教室で必要な物をトートバッグに押し込んでベッドから立ち上がった。時計を見るとまだ昼休みの時間だったが、早めに教室へ行くことにした。

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