クロノスサイドー8

 ユニと刻也がいるのは、一面に広がる草原の上。街から離れたこの場所は空気も透き通っていて、太陽の日差しも暖かい。通りがかりに見つけたこの場所で、二人は休憩にと横になっていた。首をちくちくと刺す草の感覚にこそばゆさを感じながらも、慣れてからはそれも心地よいものとなっていた。

「ユニ……俺さ、大事な事を聞き忘れてたんだよな」

「あら、何かしら?」

「次の運命の変更点っていうんだっけか、それが帝国にあるのは分かるんだ。リチャードの妹を救出しなきゃいけないからな……ふあ」

 両手を枕の代わりにして、足を組む。気持ちのいいそよ風と暖かい朗らかな陽気に、刻也の口から欠伸が漏れた。

「そこまでわかる。ただ……作戦決行が一年後ってのはどうなってるんだよ……」

 ロンドンの夜初日、つまり刻也が目覚めた日。監視塔で運命のリストを確認していた時、その年月を見て疑問を持つか持たないか、そんなときに動き出すことになって、すっかり忘れてしまっていた。

 雲が太陽を通り過ぎる。ユニは眩しそうに右眼を瞑り、太陽光を左手で遮った。そして刻也の欠伸がうつったのか、右手で口元を隠しながら、ふわあと小さく欠伸をした。

「一年なんていい方よ? 主人公の一生追うことだってあるんだから」

「……マジ?」

 と言うことは、本当に一年間、この世界で生きていかなければならないのか。いくら何でも長すぎる、と刻也は戦慄した。

「……なんて、冗談よ。そしたら私、今おばあちゃんになっちゃうじゃない」

「あ……」

 納得しかけて、刻也はユニの年齢を知らないことに気が付いた。年齢どころか、ほとんど何も知らない。次々に湧いてくる思いついた事を知りたいという欲求に駆られて、刻也は口を開こうとする。

「今何歳かなんて、女性に聞くのはナンセンスだと思うわ。ねえオクタ」

『その通りです、ユニ姉さん』

「ぐっ」

 ユニは刻也の思考を読んで、勝ち誇ったように笑った。立ち上がって服についた草を払い、刻也にも立つように促した。腕時計を外し、刻也へと時計盤を向けた。

「一度クロノスの支部へ戻るわよ。物語の時間を早送りして、十分な備えをしてから次の運命に立ち向かいましょう。じゃあオクタ、さっそくよろしくね」

『了解です。転送、開始します』

 腕時計からの光が自らを包み、全身に行き渡ったと思った瞬間、刻也は見知らぬ場所に立っていた。

「……もう終わったのか。ここが、クロノス?」

「の、支部みたいなものね。私とオクタの基地って言ってもいいけれど」

 二人がいるのは、真四角の灰色の部屋。窓はなく、二人の目の前にスライド式のドアが一つあるのみ。

「殺風景な場所だな」

 刻也は興味津々と部屋をぐるりと見たものの、あまりの物のなさに驚いた。

「ここは転送部屋だから。物は置かないようにしてるのよ。転移した時にそこに物があったら困るでしょ?」

「困るっていうか……」

 死ぬよね、と納得した。

 ウィンと小さな音がして、ドアがスライドする。そこには真紅の瞳に小麦色の肌、白髪をポニーテールにまとめた少女が一礼した。

「お二人ともお疲れ様です。刻也さんと直接会うのは初めて、ということになりますね」

 二人を導いたナビゲーター、オクタの姿がそこにはあった。黒を基調としたジャケットとズボン、ブーツを履いている。クロノスの制服だろう、どれもきりっとして整えられている。

「お二人とも、コートを脱いで奥でゆっくりしてください。お風呂でも食事でも睡眠でも、準備はできておりますので」

 一歩横に動き、二人を奥へと促す。

「ありがとう、私はお風呂にしようかしら」

 ユニはコートをオクタに預け、刻也はどうするのかと視線を送る。

「俺もまずは風呂かな。髪の毛ががさがさして気持ち悪くて」

 刻也もコートを脱いでオクタに渡しながら髪に手櫛を通そうとするが、すぐにひっかかってしまった。髪から手を抜くと、手が黒くなっている。刻也の胡桃色の髪は、うっすらと黒くなっていた。

「ロンドンの空気には蒸気機関から発生した塵がたくさん混ざっていますから、それが髪に付着してしまったのでしょう。お風呂は男性用を増設してもらったので、刻也さんも待たずに入れますよ。……ロンドンの安ホテルと違って」

 オクタの笑みの意味を理解している刻也は、苦笑いでやり過ごそうとする。ユニは二人が微笑みあっているのを見て仲良くなったのだと勘違いしたのか、うんうんと頷いた。

 転移部屋を出ると、そこはうって変わって物に溢れた場所になっていた。部屋の構造は転移部屋と同じだが、正面の壁はモニターで埋め尽くされ、多種多様な世界を映し出している。壁の中央には最も大きなモニターが置かれ、そこには潜水艇の中で眠っているアルとリチャードの姿があった。

 右側にはドアを挟んで大きな棚が二つ鎮座していて、重厚な背表紙の本や大小様々なぬいぐるみ、その他女の子らしい雑貨多く置かれている。

「アル博士とリチャードが休んでいる間は私が二人を見ておきますので。もちろん、既におおよその未来は決まっているので、大したことはないと思いますが」

「いつもごめんね? それじゃあ、私はお風呂に入ってくるから」

 ユニは機嫌よく鼻歌を歌いながら左側のドアに消えていく。刻也もそれに続こうとして、不穏な音に足を止める。

「すーはー、すーはー」

「……オクタ?」

 振り返るとユニのコートを顔に押し当て、鼻息荒く臭いを嗅いでいるオクタの姿があった。

「ああああ! ユニ姉さまの香り……! いつも華麗でお美しい、そしてお強いユニ姉さま…………何見てるんですか」

「その……隠さなくていいんですかね? っていうかいいのか、そんなことして」

 刻也はじとっとオクタを見つめる。責められたオクタは、その幼さの残る容姿相応な様子で、ふいっとそっぽを向いた。

「今更あなたに隠してどうするんですか。あなたがいなくなるのを待つ時間の方が惜しいというものです。さ、早くお風呂に行って、汚れを落としてきたらどうです?」

 暗に早く行けと言われて、刻也はすごすごとユニの跡を追い、左のドアへ進む。

 ドアを抜けると、そこは通路になっていて左右と奥に一つずつ扉があった。天井に埋め込まれた橙色のライトが三つ、等間隔で通路を照らしている以外に明かりはなく、少し薄暗い。

「さて、この中のどれかが男子風呂らしいが……」

 刻也はどの部屋がそれに該当するのか、聞いてはいなかった。そして、やたらめったらとドアを開けて中を確かめるということもできないでいた。

 ドアを開けた時、そこには素っ裸のユニがいるかもしれない。風呂の構造がわからない以上、そのリスクはある。もし刻也の瞳にユニの裸身が映ってしまったら。オクタという悪魔が刻也の記憶、命を奪い取るであろうことは簡単に予想がついた。

 間違いは許されない。三分の二の確立に賭けて、刻也は右手のドアを引こうする。

 しかし、刻也がドアにかけていた手を背後からぬるりと伸びてきた手が抑えつけ、万力のような力で捻り上げた。

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