クロノスサイドー6
二人は再びオクタのナビゲートによって、店へ向かう。街角の小さなお店で、レンガ造りの外見はこの辺りでは珍しい建築物と言えた。昨夜のバーよりも小綺麗な店内だが、早朝なので客はまばらに座っている程度だ。席に座るとすぐにウェイトレスが注文を取りにきたので、メニューを開く。
「俺はトーストとコーヒーでいいかな。ユニはどうするんだ?」
「私は紅茶とトーストにするわ」
ウェイトレスはメニューを集め、一礼してウェイトレスは厨房へと帰っていった。
「ようやく一息つける……。随分長く感じたけど、ここにきてまだ一日と経ってないのか」
「そうね。あそこまでハードな世界の妨害は一つの世界の間にそうあるものじゃないから、少しはゆっくりできると思う」
「そういうもんか」
ウェイトレスがトーストとコーヒーをテーブルに並べ、ごゆっくりと言って去っていった。
「既に両親が基地から脱出していることを、博士やリチャードは知らないんだよな?」
頼んだトーストを齧りながら、刻也はふと気づいたことを口にした。
「そうね。タイムループした博士とリチャードが両親を助け出すことになるから、今の博士たちはこのことを知らないわ。ループの始まっていない今は他に助けられる人がいないから、それを私たちが肩代わりした、ということね」
刻也は分かったような分からないような顔で、なるほどなあと呟く。
「それで、今日はどうするんだ? 観光でもするか?」
ユニはじろっと刻也を睨む。
「観光って言ったら遊びになってしまうでしょ? 現地調査って名目で街を歩き回ろうかと思ってる」
「一緒じゃないか」
睨むことないだろと訴えるが、ユニは澄ました顔で紅茶のカップを口元に運ぶ。やけに上品なその動きが、カフェの中で浮いていた。刻也はつい注視してしまって、ユニの濡れた唇が艶やかに光っているのに見惚れてしまう。
「私の顔に何か付いてる?」
「い、いや、別に」
刻也はすぐに顔を背けた。顔の赤みを悟られまいと、残っていたコーヒーをぐっと飲み干す。刻也の感情にまで気が付いたのかは定かではないが、ユニはクスッと笑って紅茶を飲み切った。
「さて、そろそろ出ましょうか。時間は限られているもの」
会計を済ませ店のドアを開けると、ドアに取り付けられたベルを合図にしたかのように、大通りの喧騒が雪崩れ込む。仕事に向かう多くの人々が行き交い、スーツの上からそれぞれ好みのコートで身を包む。だが、彼らの顔を覆う黒いマスクはどれも一様で素気がなく、彼らの活力を吸い取っているようだった。
「俺たちもああいうの、付けた方がいいのかな」
刻也はなんとなく不安げに空の様子を伺う。曇った空の下、それでもわかる程、空気には黒い霞が掛かっている。それが全て有毒のものだと考えたとき、刻也は思わず口元を手で覆った。
「そんなにすぐに身体に害を及ぼすものではないわ。長くここに住んでいて、蓄積していくとまずいけれど」
そう言いつつも、ユニもあまりいい顔はしていない。
「オクタにこの世界でポピュラーな服も送ってもらえばよかったわ。マスクがないのも目立つけれど、やっぱりこの服は街中向きではないわよね」
コートの裾をひらひらと舞わせて、どうしようかしらと頭を悩ませる。
「なら、ここらで調達したらいいんじゃないか。近くに洋服を売っている店が、一件くらいはあるだろう」
そういって歩き出した曲がり角、手を繋いだ親子らしき二人とすれ違う。やけに気になって、刻也は振り返る。子供のやったことを親が叱っているようなそんな微笑ましい後ろ姿に、刻也は笑みを零す。刻也の隣を歩くユニもとても優しく、愛しそうな笑顔を浮かべ二人を見ていた。先ほどまで自分たちが朝食を取っていた店の中に二人が消えるまで、ユニはその場から動くことなく見送った。
「オクタ。お店、見つかった?」
「ここから五分ほど歩いたところにあります、ユニ姉さん。案内しますね」
辿り着いた洋服屋に二人が入ると、何があったか、綺麗に陳列されていただろう商品は見る影もなくぐちゃぐちゃと散らかっているのが二人の目に飛び込んだ。店主と思わしき年配の男性が、床に落ちた洋服を力なく集めながら片付けている。
「……ああ、お客様、いらっしゃいませ。散らかってしまっていて申し訳ありません。すぐに片づけますので」
ドアのベルで来客に気が付き、立ち上がって笑顔で刻也とユニに対応したが、朝から課せられた徒労にやるせなさが滲み出ている。
刻也は事情が気になり、店主に声をかけた。
「何かあったんですか? 泥棒とか?」
「いえ、お子様をお連れのお客様がいらっしゃいまして、その方がとてもお元気な方だったようで……お金は置いてありまして、無くなっている商品のお代としては十分だったのですが」
「なるほど……」
刻也は改めて店の惨状を見渡した。犯人である子供が自分の装いを確かめたのであろう、立ち鏡の前の空間だけが丸くぽっかりと穴が開いたように床が見えている。そこを中心に服は散らばり積み重なっていて、その表面には女子向けのものが目立っていた。
着る度に気に入らなければ次を着る、といったようにぽんぽんと投げて次の服を手に取り、手当たり次第に試着している様子が目に浮かぶようだった。
「それにしても、こんな状態で何が無くなっているかがわかるものなんですね」
「そちらのマネキンに着させていたものでしたから」
指し示されて入り口横のディスプレイを見ると、そこに設置されていた子供体型のマネキンは倒れ、服は脱がされて裸体を晒している。
「片づけ、お手伝いしますよ」
ユニは店主にそう申し出て、膝を床について服を取ってたたみ始めた。
「そんな、有難いお話ですが、お客様にそのようなことは」
「いいんです。私がやりたいんです。やらせてください」
店主の止める言葉があっても、ユニは手を動かし続けた。とても丁寧に、手際良く、美しく商品が扱われているのを見て、店主はそれ以上止めようとはしなかった。ありがとうございますと言って、自分も片づけを始める。刻也も見様見真似ながら二人に続く。
刻也は作業をしながら、ちらとユニの横顔を伺った。
「なんだか、嬉しそうだな」
ユニは親子連れを見送った時と同じ顔をしていた。
「ええ。私は今、とても幸福だもの。大袈裟に言うなら、生き甲斐を感じてる」
「生き甲斐?」
ユニは手を止めて、刻也の正面に向き直る。
「私はパッピーエンドが大好きなの。終わりだけじゃなくて、私は、私が主人公と定めた人たちにできる限り幸せな時間を過ごして欲しい。気が付いたかしら? さっきすれ違った二人は、博士とリチャードだったのよ。ここに来たのも、きっと二人だわ。博士はきっと、こんなにたくさんの衣服に囲まれたことがなかったんじゃないかしら。とても嬉しくて、年相応に我慢せずはしゃいで、その結果こうなってしまった。もしそうなら、私もとても嬉しい。後片付けくらい、なんてことないわ」
想いを語るユニの瞳は太陽を反射する海のように輝き、刻也はその美しさと深さに溺れてしまいそうだと思った。
終わりの見えなかった作業も三人がかりの奮闘によってなんとか終わりが見え始めた頃。ユニが再び、視線を宙に彷徨わせていた。
「ユニ? どうした?」
「……用事を思い出したわ。ごめんなさい、私たちはそろそろ行かなくてはなりません」
ユニは最後に手にもっていた服をたたみ、店主に手渡す。
「本当にありがとうございました。片づけで今日一日かかってしまうかと思っていたのですが、お二人のおかげで昼頃には終わりそうです。お礼といってはなんですが、何かお求めになりたい品がございましたら、差し上げたいと思いますが」
洋服を棚に戻した店主は、お好きなものをどうぞ、とユニを店内に留まるよう導く。
「うーん、そうですね……。では、せっかくなのでお言葉に甘えさせて頂きたいと思います」
ユニは少し店の奥に置かれていた青交じりの紫色をした毛糸のマフラーを躊躇なく選び、首に巻き付けた。
「このマフラー、一目見たときから気に入っていたんです」
「よくお似合いですよ。お連れの方もどうぞ、ご自由にお選びください」
「いいんですか? ……じゃあ、これを頂きます」
月明りのない夜のような深い黒色をし、大きなフードがついたカジュアルなデザインのコート。刻也はクロノスの制服コートを脱ぎ、代わりにお店のコートに袖を通す。
ユニと刻也は速足で店を後にする。店の面していた大通りを少し歩いたところで、ユニは突然右に曲がり路地へと足を踏み入れた。後方を歩いていた刻也は慌ててその背中を追う。
「どうしたんだ?」
「ホテルで言ったでしょう? 何か忘れている気がするって。思い出したの」
ユニはそのまま建物に取り付けられている南京錠で封鎖された螺旋階段の入り口の鍵を壊し、一段飛ばしで登り始める。
「もうすぐこの街で戦闘が始まるは、リチャードがこのロンドンの諜報員と戦うのだけれど、そのときに博士が連れ去られてしまう可能性があるわ」
「でも、それは運命じゃないんだろ? 今回どんな結末になるかはわからないんじゃないか?」
刻也はユニを追い螺旋階段を登る。建物の屋上に辿り着くと、ユニは屋上の縁に立ち、下の様子を伺っていた。
「そう、だからこそ、今回はそれを私たちにとって都合のいいように変えてしまおうということよ。運命への過程が苛酷になるほど、私たちも苦労しないといけないことが多くてね……だから少し物語に干渉して、楽させてもらおうってことよ」
「なるほど……ちなみに、今回考えられる最も面倒な展開は?」
「あくまで予想だけど、もう一度博士を基地から連れ出さなくちゃならなくなるわね。昨日より間違いなく警備が強化されているでしょう」
刻也は興味本位で軽い調子で聞いたのだが、返答するユニの口調は刻也の想像よりも暗い。何より、昨日以上に厳しい未来が待っているかもしれないと聞いて、刻也は身の縮む思いだった。
「それで、具体的にはどうするんだ? 博士が連れ去られるのをその場で防ぐとか?」
「今から行ったんじゃ間に合わない。だから、博士を連れて逃げる奴を倒す。それが一番確実だわ。その為には逃げる男を見つけなくちゃいけない。手分けして探しましょう」
『私も探してみます。発見次第ご連絡しますね』
ユニと刻也は二手に分かれ、捜索を始める。ユニはビルの上を渡りながら道路を見下ろし、街の中を駆け巡る。
その背中を見送りながら、刻也はほえーと嘆息していた。スパイ映画の主人公のように背の高い建物を、その麗しい長髪を風に靡かせながら華麗に飛び移り、四方を探索しながら移動を続けている様はやはり現実離れしていた。
『刻也さんは行かないんですか?』
右耳のイヤホンからオクタの急かす声が刻也の耳に届く。
「俺はまあ……無理だな。上がってきてなんだけど、降りるとしようかな……あれは?」
螺旋階段に足を向けようとしたところで、刻也は下の大通りを歩く一人の男に目を付ける。
『どうかしましたか?』
「オクタ、あの男ちょっと怪しくないか?」
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