クロノスサイドー5

 ゾンビの大群を片付け、街に入った刻也とユニは休む間もなく、目覚めた博士の両親への対応に追われた。フードで顔を隠していたので、両親は刻也やユニに怯え不振がり、事情を説明しても、本当は敵国に売り渡すつもりだろうという至極真っ当な疑念を抱かれ、暴れて逃げ出そうとした。ユニは小さく「ごめんなさい」と言ってリボルバーを引き抜き、二発発射。撃たれる苦しみを知っている刻也は、思わず手を合わせて、二人を哀れんだ。

 再び気絶した両親を担ぎ、密輸を行っている業者の下を訪ねる。業者の男は二人の要件を聞くと、何も聞かずに金額を提示した。自分たちを訪ねる人間は間違いなく訳ありで、理由など聞いても仕方ないとわかっていた。金を払い両親を預け、ユニは一仕事を終えほっとした表情を、刻也はようやく両親を担ぐ任務から解放されてやれやれと呟いた。

 リチャード達が逃げ込んでいる街はすぐ近くで、そこで休息しようと決めた。

「シャワーを浴びたい……」

 ユニは緊張感が緩んだのか、本音が漏れ、少しばかり猫背で歩く姿からも疲れが見えている。ゾンビとの戦いの後、服は相変わらず血塗れでコートは脱げば済むことであったが、顔や髪についた血液までは綺麗に拭き取れず、固まってごわごわし始めていた。両親がやけに怯えていたのはこの為かと、刻也は納得した。

 突如イヤホンから通信の立ち上げ音が鳴り、続いてお疲れ様ですとオクタの声が聞こえてきた。

『近くにホテルがあります。部屋の予約を取っておきました。そこでシャワーを浴びて、朝食をとってはいかがでしょう? 新しい制服一式もその間にそちらに届くと思います』

 オクタがユニの呟きからマップを調べ、検索結果を報告する。本当に気が付くサポーターだなと、刻也は関心した。

 オクタの案内で導かれたホテルは、四階建ての少し古めかしい様相だった。完成当初は白を基調として美しかったであろう外壁も、空気中に舞う煤によって斑模様になってしまっている。各部屋に設置された窓はどこも締め切られ、緑色のカーテンが引かれている。刻也は街の大通りに面して建てられているには、些か暗い印象を受けた。ホテルに入ると正面には受付のカウンターが見える。壁にはいくつかの絵が掛けられ、入り口の手前左側には小さな丸テーブルに椅子が二つ向かい合うように並べられている。所謂ロビーだが、刻也の知っているホテルという場所はもっと豪華な場所で、かなりの違和感を感じた。

 カウンターの従業員は朝一番という時間帯とこちらのあまり綺麗とは言えない、血塗れという物騒な姿を怪しむ様子を見せながらも、ユニが予約していると伝えお金を握らせると途端に笑顔で予約した部屋に案内した。

「こちらのお部屋です。ごゆっくりどうぞ」

 案内されたのは二階の一室で、ユニが入っていくのを見届けて、刻也は次の部屋に案内されるのを待った。

「どうされましたか?」

 部屋に入らない刻也を見て、従業員は怪訝な表情を浮かべる。

「いや、もう一室の方に案内してもらえるのかと」

「予約は一部屋のみとなっていましたよ?」

「はい?」

 そんなはずはないと抗議しようとすると、イヤホンから再びオクタの声が聞こえてきた。

『その従業員の方の言っていることはあっていますよ。私は一部屋しか予約していません』

「いやだって、それじゃあ俺とユニが同じ部屋になっちゃうだろ?」

「何をしてるの? 早く入ってきなさい」

 半開きのドアからユニが顔を出す。既に服を脱ぎ始めていたようでシャツの襟が肩からずり落ちていて、ブラジャーの紐が見えてしまっていた。

「分かったから! 中に入るから!」

 刻也は部屋の中に飛ぶようにして入り、焦ってドアを閉める。はーっとため息を吐いて部屋に通じる廊下を進もうとして、まだユニが前にいるのを見て背を向ける。

「ユニ、先にシャワー浴びていいよ」

「そう? じゃあ遠慮なく入らせてもらうわね」

 ユニは機嫌よく鼻歌を歌いながら服を脱ぎ、陶器のように白く、滑らかな肌が惜しげもなく晒される。顔にはまだ擦った血の跡が残り、それは美貌と合わせて背徳的な危うさを感じさせる。

『はあ……いつでもどこでも、やはりユニ姉さんはお美しい……はあ、はあ……』

 イヤホンから聞こえてくる吐息と声に我慢ができなくなり、刻也はぼそりと答えた。

「そんなに美しいなら、ぜひ拝みたいものだね」

 突如音声が途切れ、刻也の右耳は恐ろしいほどの静寂に包まれる。

『………………………聞こえてました?』

「うーん、いや、やっぱり聞いてないかなーなんて」

 乾いた笑いが刻也の口から洩れていく。さきほどの部屋の前でのやり取りから、通信は繋がれたままになっていた。幸い通信は刻也だけに繋がっていたので、最悪の事態は避けることができているだろう。

『……あの……このことは内密に……』

 オクタの弱々しい声は小さな小動物を連想させた。刻也は突然むくむくと湧き上がってきた嗜虐心に従い、小声でオクタに語り掛ける。

「へー、尊敬するお姉さんに秘密なんて、いいのかなあ」

『な、何ですか。私を脅すつもりですか!』

 バンっとデスクを拳で叩く音が刻也の耳に届く。

『それならこちらにも考えがあります!』

「へえ。何かな?』

『さっきまで刻也さんが考えていたことをユニ姉さんに報告します』

「なんっ⁉」

 予想外の反撃に、刻也は狼狽える。

「い、いやいや、人の考えてることなんてわかるわけないよ」

『私はお二人のサポーターです。たいそこには当然体調のチェックも含まれています。その中に、脳波のチェックなるものがありましてね……』

「……まさか」

 そこから導かれる答えが見えて、刻也は戦慄する。

『脳波のパターンであなたがユニ姉さんに欲情を抱いていたことは分かっているんです!』

「な!」

「刻也、どうかした?」

 ユニが刻也の大声に反応する。

「な、なんでもない」

「そう?」

 ならいいんだけどとユニは再び服を脱ぎ続け、刻也はそれを強く意識してしまう。

 背後から聞こえる衣擦れの音や衣服が肌を滑り地面に落ちる音で、刻也は熱が顔に上がってくるのを感じた。

『刻也さん、何を想像しているんですか? 頭の中が大変なことになっていますよ?』

 立場逆転と言わんばかりに、オクタの声音が昂っていく。オクタの本性を目の前にして、刻也はひたすらに耐えていた。何かを言い返そうにも、次にユニに怪しまれオクタとの会話に気付かれてしまえば、お互いに破滅してしまう。ユニが早くシャワールームに行くようにと、刻也は祈り続けた。

 そうして、願いは通じた。

「じゃあ、お先に失礼するわね」

「ゆっくりどうぞ。ゆっくりな」

 ユニがシャワールームに入ったのを音で察して、刻也の全身に張っていた力が溜息となって抜けていた。部屋の奥に進み、コートを脱いで椅子に腰かける。

「とりあえず、不戦条約を結ぼうじゃないか。いがみ合ったところで利益はないだろ?」

『そうですね。お互いに墓場まで持っていくとしましょう』

 刻也とオクタは世界の壁を挟みつつがっちりと硬い握手を交わし、お互いの不可侵を誓う。

 しかし、終焉を迎えるかと思われた二人の火花散る関係は、オクタの続けた言葉によって再び燃え上がる。

『一つ言っておきます。ユニ姉さんに恋慕の情を抱いてはいけません。これはあなたの為に言うことであり、警告です』

「……いや別に、好きなんかじゃないし」

 刻也の目が泳ぐ。

『今そうでなくても、これからあなたはユニ姉さんと行動を共にして行くわけですから、その過程でユニ姉さんの男らしさに惚れるなと言っているんです』

 刻也の腕時計が自動で起動し、オクタはAR状態で姿を現し、刻也に迫る。ただの立体映像であるというのに、その目から光が失われているのがわかる。

『ユニ姉さんに近づくことは許しません。なぜユニ姉さんがあなたを選んだのかはわかりませんが、調子に乗らないことです』

 オクタの顔がぐいっと迫ってきて刻也は思わず後退しようとする。しかし椅子に座った状態では大して逃げることもできなかった。それが映像だと分かっていてもその余りの情報量の多さから、本当にそこにオクタがいて、その体温まで感じ取れるかのように錯覚してしまうほどであった。

「分かった、分かったから。そもそも、そこまで言うなら最初から二部屋予約してくれれば良かっただろ」

 押し戻したくても刻也の両手は映像をすり抜けるばかりで、オクタとの距離は一向に変わらない。

「ま、まあ確かにそれは私の失態ですが、まさかここまで――」

 オクタははっと何かに気が付いた様子で飛びのく。そして、何事もなかったかのように柔らかな笑みを浮かべ、刻也の隣にすっと立った。

 すると、すぐにシャワールームのドアが開き、ユニが姿を現した。

「お待たせ。オクタと話してたの? 仲良くなれた?」

「……まあ、一応ね」

 刻也は椅子にぐったりともたれかかり、天井を見上げていた。

「そういえばオクタ、替えの服ってもう届いてるかしら? 見当たらなくて」

「ええ、既にご用意してありますよ」

 オクタが何か操作するような挙動を見せると、ベッドの上にユニと刻也用のタオルや下着、続いてクロノスの制服一式が現れた。

「ありがとう」

 刻也は気が付いていた。でユニは服が見当たらないといってシャワー室を出てきている。つまり、今のユニは――裸なのである。男がいるにも関わらず、ユニはお構いなしに部屋を闊歩する。

 気づいてしまって、刻也は自然と興奮しそうになったが、すっとオクタが寄ってきて、耳打ちする。

「分かっていますよね……?」

 凍える声は、刻也の心を瞬間冷凍させる。刻也は首を上方向で固定し、考えるのを辞めようとした。

「次、刻也シャワー浴びてきたら?」

「へ?」

 刻也は二人の視線を感じていた。単純に風呂に入らないのかという疑問の視線と分かっていますよねという氷の視線。オクタはずっと笑顔だが、刻也を見るときの瞳は死んだようになり、ユニの方を見つめるときには輝いて、じゅるると垂れそうな涎を我慢している。そんな中、刻也はなんとかして解決案を捻りだした。

「とりあえず、ユニは服を着てくれないか? なんていうか……その、目のやり場に困るんだよ」

「目のやり場? ……ああ、そういうことね。気にしなくていいわ」

 ユニはにっこりと微笑んでタオルと手に取って、髪を流れる雫を丁寧に拭き取り始めた。そういうことじゃないんだけどなあと呟く刻也は、全身から冷や汗を掻いている。隣に立つオクタからの見えない圧力がどんどんと強くなるのを感じていた。刻也は引き攣った笑いを浮かべ、次なる手を考えようとしたとき。

「……何か忘れているような気がするわね」

 ユニは手を止めて、焦点を宙に置く。その瞳には古いホテルの室内が映っていたが、意識は遥か遠くにあった。

「任務か?」

「運命に関する時点が次に訪れるのはもう少し先のはずですが……」

 オクタはARから消え去り、データベースの検索に向かう。

 刻也は圧力から解放されたことでほっと力を抜いたが、すぐにイヤホン越しにオクタが囁く。

「お二人の行動は、全て録画されているので、悪しからず」

 ぶつんと通信がきれ、刻也は待っているだけではどうにもならないことを悟った。まずはこの姿勢を解除することに決めた。

「とりあえず、服を着てくれるか? じゃないと、俺が動けそうにない」

「……え? ええ、わかったわ。さっきも言ったけれど、気にしなくてもいいのよ?」

 ユニは上品に口元を右手で隠してを、柔らかく笑った。刻也はユニが着替えたのを確認して、ようやく首をまっすぐに戻して立ち上がる。用意された自分の着替えを持ってシャワー室に入り、服を脱いでシャワーを浴びる。そこで思い当たる。ユニだって、シャワー室で着替えてくれれば問題なく、気苦労もなかったのに、と。

 シャワー室を出てきた刻也に、ユニは眉をひそめる。

「やけに疲れた顔してるわね。何かあった?」

「いや、なんでもないさ」

 汚れた身体を洗い流せた爽快感よりも、これからも待っているであろうユニの男気による気苦労の数々に思いを馳せ、刻也はシャワー室で頭を抱えていたのだった。

「俺のことよりさ、例の件、思い出せたのか?」

 刻也は話題を変えるため、仕事の話を持ち出す。ユニは腕を組んでうーんと唸りながら首を傾ける。

「なかなか思い出せなくて……忘れるってことは大したことでもないと思うのだけれど」

 ユニは申し訳なさそうに苦笑した。

「そのうち思い出すさ。なんなら一度食事にしないか? 少し腹も減ったしな」

「そうね。そうしましょう。腹が減っては戦はできぬ、だったかしら?」

「そうそう。ことわざなんて、よく知ってるな」

 刻也自身は純粋な感嘆から述べただけだったが、それを聞いたユニの動作は不自然に固まった。

「……仕事の前にその世界のこと、少しだけど、勉強するから」

 ユニの表情が陰り、どこか言葉を選んでいるような歯切れの悪さが目立つ。刻也は違和感を感じてそれを問おうとするが、それを阻むようにオクタからの通信が入る。

「検索したところ、近くに朝から営業しているお店がありました。お店までのルートをお送りしますね」

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