ワールドサイドー4


「目標は十三番道路の路地には入った。追跡する。反対側の出口を塞いでおけ」

「了解」

 通信を切って、黒の帽子とコートを着た男二人組が路地に侵入する。

 昨夜、軍基地にいた機密事項が奪取されたと連絡が入り、目標の無傷での奪還と、逃亡者の処理が任務として課されていた。

 今回の作戦に当たっているのは、僅かに八人。極秘の重要作戦とのことであったが、実際は陸軍の失態が外部に漏れる前に事態を解決してしまいたいという上層部の意向だった。

 万全を期すのであれば陸軍全体を動員して、車道、港の封鎖。どこかに隠れていないかを虱潰しに探すべきだが、それは失態を政府や海空軍にも知られるところとなってしまう。そうなれば予算の削減や、何より陸軍の地位が落ちる。キャリアを積み重ねてきた陸軍上層部にとって、それは認められるところではなかった。

 実際、見つけてしまえば侵入者は一人だけ。対応は難しくないだろうと考えられた結論が本作戦となっているのだが、当の諜報員達は頭を抱えた。現在どこにいるのかもわからない、ただ近郊の車道は監視したので遠くまでは逃げていない。それだけの情報で二人の人間を探すのは骨が折れると思われた。

 そう思った矢先、首都のカフェで朝食を取っているところを見つけたと報告を受けた時、諜報員はあっけに取られると同時にほっとした。

 一人の人間から少女を救い出す。手段は問わない。その程度、容易いことだと。

「角を曲がった。ここで作戦を決行する。合図で飛びだして挟め。子供は撃つなよ……行け」

 懐から拳銃を取り出し、銃口に消音器を取り付ける。銃を構え、仲間が配置についたのを確認し飛び出した。視野に入った瞬間に撃つつもりで引き金に指をかけていた。

 しかし、そこにいたのは黒いコートに身を包んだ少女一人だった。周囲を見渡しても、奥の角から飛び出した仲間の姿以外確認することはできなかった。

「どこだ……探」

 続く言葉はない。男は死角となっていた、上空からの襲撃に気が付くことができなかった。首を深く裂かれ、跳ねる鮮やかな血はまるで噴水のよう。

 リチャードは着地は五階から落下した衝撃をものともせず、次の標的に襲い掛かる。武器は逆手に持ったナイフのみ。諜報員たちの対応は早く、三つの銃口がリチャードに狙いを定めた。身を隠すことはできない。

 前後から銃弾が放たれ、それと同時にリチャードは地面を蹴り、壁を走った。その速度はあまりに早く、人間のそれとはかけ離れていた。

「何――」

 ナイフを取り出して応戦する。その判断を下した時には、男の喉元は掻っ切られていた。膝から倒れ、路地に死体が重なる。

 残りは二人。諜報員はリチャードを倒せないことを悟った。最も重要な目標は、機密事項である少女を確保すること。男の処理は二の次だ。

「彼女を確保しろ。私が時間を稼ぐ」

 一人は暴れるアルを担ぎ上げ、リチャードとは逆側の角から逃げていく。残った一人はナイフと拳銃を構え、リチャードと正面から向き合った。

「流石の判断力ってところだな」

 リチャードは身を隠そうとはしなかった。むしろ時間をかけることを嫌い、即座に決着をつける方を選んだ。

 低い姿勢でリチャードが仕掛ける。二人の距離は縮まるが、先ほどの動きを見て近接戦闘では勝てないという判断から、諜報員は下がりながら銃を放つ。当たればそれで良し。外れようとも牽制として相手の勢いを削ぐことができる。時間を稼ぐことができれば、男の仕事の成果としては十分だった。

 それは正しい判断だった。それが、リチャードでなければ。

 リチャードは避けることなく、弾丸を全て身体で受け止めた。身体は弾に抉られるどころか、それを弾き返す。まるで鉄板を身体に仕込んでいるかのように。

 懐に侵入を許し、男は死を感じた。それでもリチャードの一振り目を交わしたのは、長く仕事を続けてきた勘によるものか。リチャードは一撃で仕留め損ねたことで意外そうな表情を浮かべたが、すぐに二歩目を踏み込み、ナイフで男の腹を突いた。

 最後の力を振り絞って、男はリチャードの腕を掴む。その力はこれから死にゆく者とは思えないほど強く、リチャードは戸惑った。せめて相打ちにと、ナイフをリチャードの横腹に突き刺す。だがそのナイフの刃ですら、リチャードの身体を貫くことはなかった。金属のぶつかり合う音が高く響き、ナイフの刃が欠ける。それを見届けると、心が折れたようにすっと力は抜けていった。男がリチャードにもたれかかり、耳元で呟いた。

「人間を……辞めたってのは……どんな、気持ち……だ?」

 リチャードはそれに答えず、ナイフを引き抜き、男を押しのける。

 三体の死体から血が溢れ、もともとは白かったであろう黒ずんだコンクリートの上にできる赤い血の溜まり場。リチャードはそれらには目もくれず、ナイフの血を払い、コートの裾で拭った。ナイフの刃は柄の中に収め、胸ポケットにしまう。アルを追い、角を曲がった。

 路地を出ると、そこは大通り人ごみに紛れた二人を見つけることは絶望的だった。

 リチャードは舌打ちをして、街の中を走り出す。リチャードが手ぶらで帝国に帰ったところで、もう一度イギリスに送り返されるか、処罰される可能性が高かった。リチャードには、軍人として働き続けなければならない理由がある。なんとしてでも、アルを連れて帰らねばならなかった。

 人目を気にすることもなく、ひたすらに走る。英国に潜伏している仲間はいるが、頼ることはできない。これはリチャードに課された初の任務であり、テストでもあるからだ。一人の力でどこまでやれるか。むしろ仲間はリチャードを監視していると言っても良かった。

 街を走り回っても見つけることはできない。相手も熟練した諜報員であり、一度逃げてしまえば、見つかるようなミスは犯さない。それでも、探すしかなかった。警備の強化された軍基地に辿り着かれてしまったら、二度とアルを奪取することはできない。

 軍基地の前に先回りし、アルの回収されているだろう車を強襲することを検討し始めた時、リチャードは通りが慌ただしい雰囲気に変わっていくのに気が付いた。何事だろうと、正面から歩いてくる二人組の男の話に聞き耳を立てる。

「凄い人だかりだったな……男が幼女の上に覆いかぶさっていると聞こえたが……」

「変態さんは昼間っからお盛んってやつかね」

「お前な……誰が聞いてるかわからないんだから、言葉には気をつけた方がいいぞ」

 全くその通りだと思いながら、リチャードはコートの襟を正し、息を深く吐き出す。そして、男たちが歩いてきた方向へと駆け出した。話題の人ごみはすぐに見えてきて、リチャードは迷わず近づいて行った。人だかりを掻き分け、その輪の中心に辿り着いた。仰向けに倒れている男が一人と男をどかして立ち上がろうとしている少女が一人。それを手伝う少年が一人。黒いコートを纏い、フードを深く被っていて顔は見えない。

 アルを連れて、すぐにこの街を離れなければならない。何があったのかはわからないが、こんな幸運を逃すわけにはいかなかった。

「あなたがこの子を助けてくださったんですか?」

 リチャードは野次馬の輪から一歩進み出る。

「え、あ、いや。えーと、そうですね」

 少年はおどおどと慌てた様子でちらちらと上空を気にしているようだった。警察などではないようだ。

「久しぶりに街に出てきて、この子とはぐれてしまったんです。ありがとうございました」

 リチャードは自分が親と名乗り出ることで、アルを連れて行こうとする。それが自然であり、この場で最も早く事態を収めることができると判断した。

「え? ……あー、そうでしたか」

 少年は相変わらず上空の様子を伺いながら話している。リチャードは不審に思った。この少年が、英国の軍人であった場合。仲間と何かを相談しているのかもしれない。英国側の人間が、ここでリチャードを泳がせて帝国側の諜報員を一網打尽にしようと考えた可能性は考えられる。だが、それはあまりに危険が伴うし、失敗した時に失ってしまうものの方が遥かに価値が高い。ここでアルを渡すならばただの通りすがりの少年だろうと、リチャードはそう考えた。

「見つかってよかったです。……二人とも、良い一日を」

 少年はアルの頭を撫でてリチャードの下へと歩ませた。アルはたたっとリチャードに駆け寄り、手を握る。リチャードが自分との関係を親子だと偽ったことを考えての行動だった。その状況把握能力に流石だなと、リチャードは関心した。

「本当にありがとうございました」

 なぜ英国の諜報員が街の中で気絶していたのかはわからないが、僥倖というしかなかった。お礼は少年に言ったというよりは、都合のいいときにだけ現れてくれた神様に向けてといえた。

 人ごみを抜けて、街の外れに来たところで、リチャードはアルの手を離した。

「良かったのか。本当に」

「何がじゃ?」

 アルはリチャードの問いの意図を読めず、首を傾げる。

「さっきのいざこざが、お前が基地に戻ることのできる、両親の下に帰る最後のチャンスだった。本当に良かったのか?」

 アルが拒否しようと、リチャードは帝国にアルを連れていくつもりだった。それでも、やはり罪悪感は残っただろう。軍に所属していようと、天才発明家であろうと、小さな一人の女の子であることに変わりはない。アルの姿に、帝国に置いてきた妹の姿が重なって、リチャードの心は揺れていた。

「そうじゃの……確かに基地を出てきてしまったのは半分勢いであって、よく考えたものではなかったな」

 アルはリチャードを見上げ、離された手を自分から握った。

「それでも、外の世界を見てみたいという気持ちは間違いなく、わしの中にある。それは、基地の中の生活では得られなかったものじゃ。……わしは知らないものを見て、触れて、嗅いで、聞いて、味わってみたい。そのためならば、敵国のスパイすら利用してやろうぞ」

 アルはそう言って、にぱっと笑った。幼い純粋な笑顔が、リチャードの心に刺さる。アルを待ち受けている世界は決して、彼女に優しいものではないと知っていたから。

 幼い彼女の体温は高く、繋いだ手から伝わる熱で、彼の中の正義が溶けていくような気がした。これは仕事だという、言い訳じみた使命感で重い脚を動かして、リチャードは仲間の待つ船の場所へと歩き出した。

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