クロノスサイドー4

「おかしいって何が? オクタ、敵の反応はある?」

 いったいこの場合、『敵』が何を指すのかは曖昧なものだが、オクタは淀みなく答える。

『いえ、付近にそれらしき存在は認められません。しかし——』

 ブツンという音と共に、オクタとの通信が途切れる。

「ちょっとオクタ⁈ オクタ! ……通信が切れるなんて、どういうことなの」

 ユニはノイズをまき散らすイヤホンを外し、見通しの良い拓けた場所に車を停止させて周囲の様子を伺う。

「さっき言っただろ? 生き物の気配が一切ないんだ。虫の鳴く音も、森に住む獣の眼光も。何もなかった。俺たち以外に生き物が存在しないような……どうした?」

 ユニの表情が険しくなり、気が付けば先ほど使ったばかりの大型拳銃がユニの手に収まっていた。

「油断してたわ。さっきの崩落で落ち着いたとばかり思っていたの」

「世界の修復力ってやつか」

「そう。一度運命を変えられたら、それに対応するために準備を始めるはずなのよ。それが今回は違う。諦めずに追いかけてきてる。こんなにしつこいのは久しぶりね」

「てことはなんだ。この異様に生き物がいないことや通信が突然切れたのは」

「今私たちが元の世界と切り離された、結界のようなものの中に連れ込まれたからよ」

 刻也の言葉を引き継ぎ、ユニが答えた。

「ほうら、噂をすれば」

 森の暗闇からぞろぞろと現れた人影。確かにそれらは人の形をしていたが、纏う気配は明らかに人外のそれだった。暗いながらも紅く、怪しく光る虚ろな瞳。ボロボロに破れ、泥に塗れ汚れ切った戦闘服。地獄の底から這いあがってきたような低く震える声を漏らし、ゆらゆらと進む死体のつわものども。

「ゾンビ……か? くそっ! ホラーは苦手だって言っただろ!」

「苦手なの?」

「喧しい!」

 そう言っている間にも、ゾンビの大群は二人の周囲を取り囲み、その輪の外周をじわじわと詰めている。

「今回はあなたにも手伝ってもらうわよ、刻也」

「怖くてぶるぶる震えてる俺に何をさせようって?」

 それは冗談ではあったが、顔が引きつっているのは間違いなかった。

「別にあれに立ち向かえ、なんて言わない。刻也には夫妻と、これを守ってもらう」

 ユニが懐から取り出し刻也に放り投げたのは、小さな拳銃と拳大の大きさの真っ白い箱。

「それ、爆弾よ」

「はあ⁈」

 刻也はわたわたとお手玉をしながらも、なんとか爆弾をつかみ取った。

「危ないな!」

「そんな簡単に爆発しないから大丈夫。刻也、あなたはそのスイッチを押して、起動するまで耐えなさい」

「耐えたら、どうなるんだ?」

「勝てるわ。世界に」

 なんとも現実味のない話だった。馬鹿げているとも言えた。それでも、刻也はユニの言葉に強く頷いた。自信に満ちた、ユニの笑顔につられて。

「んじゃ、やりますか」

「ええ、やりましょう」

 刻也は力をを込めて、箱の丸いスイッチを押し込む。箱に筋が入り、そこから幾本もの閃光が走る。それは暗闇を奥の方まで照らし、ゾンビたちを怯ませた。

 ユニは右手にブラスターを、左手にナイフを構え、車を飛び出して大群の中へと乗り込んでいく。すれ違いざまに一体の首をナイフで斬り飛ばし、向かってくる一体の頭に紅のエネルギーを打ち込み弾けさせる。背後から迫り噛みつかんとする牙を反転して蹴り砕く。ゾンビたちの隙間を抜けつつ走り回り、多くの注意を引き付ける。刻也のいる場所は言わば台風の眼であり、ユニは嵐の中で、それに逆らう一陣の風となっていた。

「刻也! あとどれくらいかしら!」 

 爆弾には横長のゲージがあり、それが満ちている分がパーセンテージで表示されている。

「あと四十パーセントだ!」

「了解! ……ったく、きりがないわね!」

 愚痴をこぼしながらも、ユニはゾンビたちの注意を一手に受け、刻也たちに近づくことを許さずにいた。

 しかし、取り囲む群れの圧力は弱まることを知らず、刻也も車上から手渡された拳銃で援護していたが、それでも限界はやってくる。輪はどんどんと小さくなり、ゾンビの魔手が車を捉えた。

「くそ! くそ! あとちょっとだってのに!」

 爆弾のゲージを横目に、刻也は悪態をつく。

「刻也! ……もう! どきなさい!」

 刻也の下に戻ろうとするユニの先にゾンビたちが立ちはだかり、その物量でユニの動きを抑え込んだ。

 一度捕まれば最後、一体を打ち抜こうとすぐに次の一体が迫る。腕を掴まれ、車から引きずり降ろされて、身体中を喰い破られる。

 そんな絶望的な未来がちらついた瞬間、戦場を割るような声が刻也を震わせた。

「車! 走らせて!」

 はっとなり、座席に腰を落とす。運転の仕方もわからない。それでもキーを回しエンジンをかける。車に張り付くゾンビに慄きながらも、刻也は全力でアクセルを踏みこんだ。

 悲鳴のような音を上げて、タイヤの回転数は急速に上がっていく。無我夢中で、その先に何があるかなど考えず突き進む。ゾンビたちを跳ね飛ばす鈍い音、タイヤに巻き込んだゾンビがぐちゃりと潰れる音が絶え間なく続く。フロントガラスに血と肉の飛沫が飛び散り、進めば進むほど刻也の視界は赤く染まっていった。

 そして、時はやってきた。

 聞き慣れないアラームは、助手席の爆弾のゲージが満ちて上部が開いたことを示し、そこから銃口らしきものが押し上げられる。

「ボタンを押して!」

 遥か後方からの声に従って、刻也は再びスイッチを押し込んだ。

 銃口から一本の紅い線が空高く伸びあがり、傘のように広がっていく。それは空を覆い隠し、紅い天は地上の景色と相まって、絵に描かれるような地獄を思わせた。やがて紅い空は一房ずつ落下を始め、雨のように降り注ぐ。その光はゾンビたちの身体を貫き、その場に串刺しにしてみせた。地面が揺れ、危険を感じた刻也はブレーキを踏み込む。悲鳴のような音とともにタイヤの回転は止まり、車は横滑りしながら停止した。強い衝撃身に体を晒した刻也は、痛みに耐えながらなんとか立ち上がる。

「爆弾……ねえ」

 刻也はそれ以上の破壊力であろう殺戮兵器に恐怖を覚えながら、同時に頼もしく感じていた。これだけの力があれば、世界と戦うのも可能だと。

 戦場は一瞬にして静まり返り、残されたのは見渡す限りの死体の山。もともと死んでいるが、動かなくなった死体はただの死体。凄惨な光景と死肉の焼ける臭いに吐き気を催しながら、忘れていたことに気が付いた。

「……ユニは?」

「ここよ」

 振り返れば、ゆっくりと歩いてくるユニの姿があった。身体の前面は返り血で、背面は大量殺戮による血飛沫で、どちらも真っ赤に染まっていた。鮮やかだった桔梗色の髪は赤との斑模様になり、毛先からは紅いものが滴り落ちている。血をぬぐった跡が生々しく顔に残り、薄く線を引いていた。

 その様はまさに戦姫というに相応しく、刻也はそんな彼女に見惚れ、憧れた。しかし、

「まさか私を置いていっちゃうとは思わなかったわ」

「あ……」

 高揚しかけた気分から一転、身が凍ったようだった。無我夢中だったとはいえ、仲間を敵の真ん中に放置して、自分可愛さに車を出してしまった。それがどれだけ卑怯で、下劣な行為か。考えたくもない。

「……なんてね。冗談よ。むしろ助かったわ。刻也を守るために敵を引き付けないといけないのが大変だったから」

「それは、その……悪い」

「だから気にしないでってば。あなたはあなたで、これを守り切ったじゃない。充分な成果なんだから、誇りなさいな」

 ユニはぽんぽんと箱型に戻ったそれを叩き、刻也に優しく微笑みかけた。

「私たちの勝ちよ」

 天が割れ、地面が揺れ、空気が歪む。二人を囲んでいた結界が解かれ、夜明けの風が火照った二人の身体を冷ましていく。

 四人の乗った車は朝日を鈍く反射しながら、街への道をゆっくりと走り出した。

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