クロノスサイドー2

 しんしんと冷えこむ夜は、底のない沼のように、いつまでも続くように思われた。ロンドンの郊外の夜は街中よりも空気が澄んでいて、空の星もうっすらと見えている。本のページを繰る音とユニの息遣いが聞こえる他は、随分と静かなものだった。

 ユニと刻也は街の中を進む道中、黒塗りの車を一台失敬し、郊外へと足を向けた。近辺で最も高い建物を監視塔と仮に名付け、忍び込む。基地までを見渡せる部屋で、双眼鏡とこれもまた道中で仕入れたパンを片手に、見張りを交代で行っている。

「なあ、本当に爆発なんて起こるのか? 静かなもんだぞ?」

「それは間違いないわ。そうじゃないと、物語が始まらないもの」

 ユニは読んでいた本に栞を挟むと、刻也に片手を突き出す。一時間ごとにやってくる、見張りの交代の時間だった。

 刻也は双眼鏡を手渡すと、どっかりと床に座り込む。しかし役目がなくなると、手ぶらな刻也はすぐに暇を持て余した。腕時計に内蔵されていたデータも読み終わっている。そんな中、刻也は一つのことを思いついたが、仕事の邪魔になるかもと、確認を取った。

「質問、今してもいいか?」

「もちろんよ。もうしばらくは大丈夫だと思うし」

 そういいつつもユニは双眼鏡を覗いたままで、監視を怠ることはない。

「なら、お言葉に甘えて」

 刻也はどうしても聞きたかったことを、一番に聞くことにした。

「俺の存在は、どうなった? 父さんと母さんに、心配をかけているんじゃないか?」

 刻也の問いにユニは双眼鏡を下ろして、向き直る。二人の視線が、まっすぐ繋がった。

「両親のことは心配しなくても大丈夫。……隠しても仕方ないし、この際言ってしまうけれど。刻也、あなたという存在、それに刻也の存在を仄めかすものは全て、あの世界から消えてしまったわ」

「……誰も、俺のことを覚えていないってことか」

「覚えているどころか、そもそも存在していない。そういうことになっているのよ。あなたの存在は、あの世界の運命を変える可能性があったから」

「運命? まあ……そうか。なら、それはそれでいい」

「ショックじゃないの?」

 ユニは首を傾げる。

「もちろん、残念ではある。ただあの世界に、それほどの未練がない。そういうことなんだと思う」

 刻也の眼は遠くを見つめているようで、目の前を見つめているようでもあった。ただユニには、刻也の心の在りかが掴めなかった。

「気を遣わせたか?」

「少なからず。でも、そうして当然でしょ? あなたには選ぶ時間も、決意もないまま、ここに連れてきてしまったんだから」

「そうだな。ただ、もう気にしなくていい。あそこから連れ出してくれたと思えば、むしろ感謝するべきだ」

「そうね、でもあれは……この話はここで終わりにしましょう。切りがないもの。ほら、他に質問は?」

 パンっと手を打って、ユニは話題の変更を命じる。

「じゃあ、さっき言った、運命ってなんのことだ? そりゃ、単語としては理解しているけども」

「運命っていうのは、世界が決めた、絶対的に確定した未来のこと。どんな過程を経ようとも、必ずその結果に辿り着くということ。そして、それを変化させ、新しい運命を創ることが出来るのが私たち『クロノス』の持っている特権であり、同時に仕事でもあるの」

「今俺たちのやっていることも?」

「その一環ね。世界の中で、運命として決まっている瞬間がいくつかある。それを変えるかどうかは、私たちの裁量に委ねられている。もちろん、簡単じゃないわよ? 一つの世界が定めたことに、たった一人の人間が挑むんだもの」

 そう語りつつも、ユニの顔には本人の知らぬ間に楽し気な笑みが浮かべていた。

「私たちはこの世界にとってはただの異物で、ウイルスみたいなもの。だから世界は、私たちの存在を消すために力を尽くす。私たちはその力のことを、『世界の修復力』と呼んでいるわ」

「俺が散々見せられていたデジャヴは?」

「あれは刻也自身がタイムループしていることを確信してしまっていたから、というのもあるけど、あれだけ病んでいったのは影響があったからだと思う」

 刻也は納得したようになるほどと呟く。しかし、まだ納得のいかない部分もあるようで、刻也は再び口を開いた。

「運命ってのはわかったが、結局、『クロノス』は何が目的で世界干渉のようなことをやっているんだ? 他の世界を悪戯に改変していくことに、意味があるとは思えないぞ?」

 ユニはそうねえと腕を組み、首を傾げた。

「実は私にも分からないの。ここに行けという指令があって、私はそれに従うだけ。どの世界にも共通しているのは、当然だけどタイムループが可能な世界だということね」

「それって辛くないか? 自分のしていることに、意味がないかもしれないなんて」

 ユニは首を横に振った。

「私はね、物語が大好きなの。とりわけ、ハッピーエンドで終わる物語が。主人公たちは納得できる結末を経て、幸せに暮らしましたとさ。そんなありきたりな世界が、何よりも愛おしい。だから、私はこの仕事を気に入っているわ。肩入れした主人公を、私のこの手で助けてあげられる。刻也だって、物語が好きでしょう?」

 ユニは刻也の部屋にあった本が、丁寧に扱われていたのを思い出していた。

「ああ、もちろん好きさ。でもそれ以上に、その物語を創り出す『人間』ってものが素晴らしいと思うんだ。俺は自分が物語を消費するただの読み手であっても、同じ人間であることを誇りに思ってる」

「いいえ。刻也はもう、ただの読みリーダーじゃないわ。これからはあなたも創造者クリエーターの一人。あらゆる世界の、運命の創造者。わくわくしない?」

 ユニは瞳を夜空に浮かぶ星のように輝かせ、刻也に迫る。刻也は呆けた表情を浮かべたかと思うと、すぐに顔を赤らめて身を引いた。

「ま、まあ、運命についてはわかったよ。質問はまた、おいおいさせてもらうさ」

 誤魔化すように会話を切り上げて、刻也はユニの手から双眼鏡を奪い取った。ユニは目を丸くしたが、すぐにいつも通り微笑んで、ゆっくりと腰を下ろす。

 そうしてまた、部屋は静寂に包まれた。月が上った空の下、基地は白く照らし出され、暗闇の中に浮かび上がる。

「なあ、あれか? 倉庫の傍」

 刻也は双眼鏡を手渡し、大きなカートを押している男を指さす。

「分からないけれど、怪しいわね。荷物が爆弾の可能性はある。このまま監視を続けながら、私たちもいつでも動けるようにしておきましょう」

 ユニは本をローブの中に収め、裾についた埃を払う。刻也は倉庫の影に隠れていった男を見続けていた。

 ほどなくして、男の消えた場所から派手な爆音と炎が巻き上がる。それは狼煙の類であった。物語を始める、その合図。

「基地の近くに移動するわ」

 二人は部屋を飛び出し、最も近い基地の入り口の傍の廃材らしきものに隠れた。燃料に火が燃え移り、火の勢いは増しながら基地の一角を赤く染める。爆発音が響き、消火にあたっている兵士たちの焦った声が飛び交っていた。二人はそのどさくさに紛れ、基地の中に潜入する。

「それで、この後はどうするんだ?」

 物陰に隠れた刻也は声を潜める。ユニはといえば、大胆にも見張り台に登り、周囲の様子を双眼鏡で覗いていた。

「おかしいわね……。そろそろ二人がここを脱出する頃合いなんだけど……来たわ!」

 ユニの視線の先では、アル博士を担いだ男が屋根の上を疾走している。それを追うロンドンの兵が幾人か、狙撃しようとしている兵士も見える。

「手伝わなくても、彼らはうまくやってくれる。私たちは今のうちに、未来の運命を変えてしまいましょう」

「未来の?」

「レミニアル・マキシード博士の両親を救いに行くのよ。リストは確認したでしょう? 彼らが殺される運命なんて、私は認めないわ」

「……そうだな」

 彼女の意思が、静かに、揺るぎなく籠められた言葉に、刻也は気圧された。

 見張り台から音もなく飛び降りたユニに、刻也は問う。

「二人の居場所は?」

「わからないわ。だから、ナビゲートしてもらいましょう。オクタ、聞こえてる?」

『もちろんです。すぐにデータを送ります』

 イヤホンから短いノイズが聞こえた後、腕時計から一人の女性のARが浮かび上がり、透き通った声がイヤホンから届けられた。

 二人が腕時計を起動させると、刻也とユニの現在地と、マキシード夫妻と思われる二つの赤い点が、示された地図が宙に浮かび上がった。

『そうだ、あなたとはこれが初めてのお仕事ですね。私、ユニ姉さんのサポートを務めさせて頂いています、オクタと申します』

 白い髪が丁寧なお辞儀と共に肩から流れ落ちる。真紅の瞳に小麦色の肌を持つ少女は、ユニよりも少し幼い容姿で、しかし、胸元はユニ以上に大きく膨らんでいる。見えている姿はユニ達と同じ制服だが、ロングコートとは違い、寧ろ少し丈が短い、がっちりと型のついたジャケットだった。

「初めまして、黒木刻也……って、知ってるよな。姉さんなんて呼んでいたが、二人は姉妹なのか?」

「いいえ。私が勝手に、そう呼ばせて頂いているだけです。ユニ姉さんは私の理想、目指す人間像そのものなので」

「私もオクタも、構成員になる前の記憶がなくてね。家族がいたのかどうかもわからないのよ」

 割り切っているのだろうが、それでもどこか、ユニの声には寂寥が滲んでいる。

「俺は記憶があるだけ、幸せってことか」

「はいはい、今はこっちに集中しましょう。いつまでもゆっくりしていたら見つかっちゃうわ。できるだけ戦闘は避けていきたい。急ぎましょう」

 影と影の間を縫うように動き、二人が捕らえられている建物へとたどり着いたが、入り口には二人の兵士が控えている。

「オクタ、中に兵士は?」

『一階に四人、二階に三人、計七人です。夫妻は二階、廊下突き当りの部屋に捕らえられています』

 打てば響く答えが、オクタから二人に届けられる。気付けば、既に建物内部の構造データまで送ってきていた。

「潜入するのか? スパイみたいに」

「残念だけれど、あんまり時間はかけられないわ。オクタのおかげでレミニアル博士を見失うことはなくても、追いつけなくなる可能性はある。ちょっと強引に、正面突破で行きましょう」

 ユニはそういってコートをはためかせ、腰から白銀に輝くリボルバーを引き抜いた。

「それって……」

 うっすらと覚えがあったのか、刻也は苦い顔を創った。

「殺す必要はないし、何よりこっちの方が確実に無力化できる。頭に当てないといけないのが少々やっかいだけど——」

『ユニ姉さんの腕前なら、何の問題もないですよ』

 ユニは褒めるオクタの言葉に謙遜するでもなく、いつも通りの微笑みを浮かべる。

「さて、刻也もついてきなさい。それとも残る?」

 笑みを挑発的なものに変え、刻也の解を問う。

「行くよ。ここまで来たんだからさ」

「なら、すぐに行きましょう。ほかの兵士がやってきたら面倒だもの」

 いうが早いか、ユニは物陰を飛び出す。狙いを定める時間も惜しいとばかりに放たれた二発の弾は、驚き銃を取ろうとする兵士の頭を音もなく打ち抜き、昏倒させた。

 手招きで倒れている二人の傍に刻也を呼ぶ。

「この二人を移動させましょう。こんなところで倒れていたら、流石に目立ちすぎる」

 刻也は同情の表情を浮かべながら、二人を担いで先ほどまで自分たちが隠れていた場所に放り込む。

「あの二人、見た目より随分と軽かったな」

 不思議そうな顔で肩に手を当てながら腕をぐるぐると回した。

「そう? そんなことより、乗り込みましょう。刻也は私の後についてきて」

 ユニは私語厳禁と唇に人差し指を立てる。刻也はそれを見て、小さく笑った。

「な、何よ?」

 ユニが刻也に詰め寄る。

「あいや、子供っぽくて、ちょっとおかしかっただけだ」

「……あのねえ」

 呆れ半分恥ずかしさ半分といった様子で、ほんのりと頬を紅く染めながらため息をついた。

「馬鹿言ってないで、行くわよ」

 改めてリボルバーを構えながらドアに手をかけ、ゆっくりと開く。兵士が倒れた時に小さくない音がしたはずだが、駆け付ける者はいないようだった。

 侵入し、通路を進む。ユニは隠れている間で建物の構造を把握していたようで、警戒で足を止める他は、迷いなく進んでいく。

「お前ら——」

 時折二人の姿を見つけた兵士が叫ぼうとするが、それも叶わず、銃弾が放たれることもない。それはユニの反応速度と機械のような射撃の精密さを物語っていた。

 四人の兵士の意識を奪い、二階のドアの鍵を手に入れ、目的地にたどり着く。ずしりと重いドアを押し開けると、夫妻は兵士がきたと思ったのか少し怯えた様子だった。

「失礼、あなたたちを救いに来ました。それでは良い夢を」

 刻也を撃った時と同じように、あまりにも突然で、容赦のない処置。何の説明もなくいきなり気絶させられた二人は、どんな気分だっただろう。

「あのさ、一つ聞きたいんだけど」

「何?」

「ユニはさ、その銃の効果、味わったことある?」

「ないわよ? 敵に武器を奪われたりなんかしないもの」

「なら、一度試してみるといいよ。すんごい気持ち悪くなるから」

「へえ、どれくらい?」

「まず、胃の中のものがせりあがってくるような気配がして、そのあと鼻の中に虫でも入ってるのかって感覚がくる。最後は脳が絞られたような感じがして……そこからは覚えてないな」

「……本当に?」

「本当に」

 その時の感覚を思い出したのか、刻也の顔色が悪くなっていくのを見て、ユニは自分の手に収まっている銃をなんだか不気味に思い始め、しかし敵陣の中で武器を手放すわけにもいかず、葛藤の末に自分を納得させた。必要なのだから仕方ない、と。

「ほら、二人を抱えて。ここから脱出するわよ」

「俺を連れてきたのはこのためか……。ていうか、連れ出すならわざわざ二人を気絶させる必要あったのか? 自分で歩いてもらった方がいろいろとスムーズだ」

 刻也は不平を述べながらも、二人を両脇に抱えている。

「私たちは、できる限りこの世界の人間に接触したらいけないのよ。どうしても関らないといけないときは、顔を隠すか、こうして気絶させるしかない。運命を書き換えるときは、それが『何人なんぴとでも遂行できる』という可能性を残しておくべきなの。後々のタイムループと、世界の修復力にとって都合のいいように」

「……なるほどな」

 刻也の返事、その声色は納得には程遠いものでも、ユニはこれ以上取り合う気もないようで、既に脱出へと気持ちを走らせていた。その帰り道もなんということはなく、行きと同じような展開が続き、建物内にいた兵は全滅となった。

「なんだか拍子抜けだな……もっと銃弾が雨あられのように飛び交うことになるかと思ってた」

「そうならないようにわざわざこれを使ってるの。気持ち悪くても死なないんだし、勘弁してよね」

 ふくれっ面を隠しもせず、精神干渉系粒子銃をホルスターに収める。

「さあ、あとは基地から脱出して——何かしら?」

 頭上から、ギシギシと建物が軋む音がし始め、それは段々と大きくなっていく。

「伏せて!」

 ユニの叫びとほとんど同時だった。

 突如建物内を轟音が暴れまわり、地震のごとく揺れ、衝撃が走る。天井が崩れ、瓦礫となった二階の床が二人の頭上に降り注いだ。

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