ワールドサイドー1

 ロンドン軍基地は、郊外の開けた場所にあった。

 その一室。軍より『アル』と名付けられた幼女、レミニアル・マキシード博士は、基地の『中庭』という名の部屋の中から、ガラスの天井越しに暮れていく空を見上げていた。我儘を言って作ってもらったこの場所を、彼女はとても気に入っている。

 英国は現在、ヨーロッパ大陸の広大な面積を所有するグリートリヒ帝国との全面戦争に向け着々と準備を進めていて、アルの発明は帝国との戦争を勝利に導くための鍵となっている。

 英国軍に家族ごと召集されたのは、二年前。家が工場をやっていた影響もあったか、アルは齢七つにして最新式の蒸気機関に手を加え、より効率の良いものに作り変えてしまった。軍はその噂を聞きつけアルを確保し、アルの存在について口止めを行った。

 軍は科学者としてアルを育て上げるつもりでいた。そんな思惑をよそに、アルは次々と新しい発明品を絶え間なく作り出した。天才発明家としてアルは正式に軍の所属となり、その両親はアルと共に軍基地内で働きながら、いざという時の人質として自由を奪われ、囚われの身となっている。しかしこの二年、軍の心配とは裏腹に、アルは思いつく限り、軍からの要望に応え続けていた。

『グリートリヒ帝国で、強化人間の発明に成功したとの情報が——』

『嘗てない降水量の増加により、作物の収穫量に甚大な——』

 緑に囲まれた部屋の中のベンチの上に置かれたラジオが、喧しく鳴っている。

 アルは土いじりをした小さな手を、裾をずるずると地に擦ってしまうほどぶかぶかの白衣で拭き、ラジオのスイッチを切った。仕事を始める時間が迫ってきているのだ。ぎりぎりまで部屋にいると、衛兵が中庭にやってきて、仕事場に戻るようにと催促する。アルは衛兵の試すような視線が嫌いで、彼らと顔を合わせることで朝の楽しい気分が壊れないように、いつも自分から部屋に戻る。中庭の隣の部屋が、彼女の仕事場だ。

 この二年間を、彼女は発明に費やした。頭に浮かんでくる設計図のようなものをただひたすら紙に起こし、その通りに作り上げる。別に自分がその道具を使いたいとか、発明による名誉が欲しいとかではなく、暇つぶしに近いものだった。軍に召集される前は、近所の歳の近い相手と外で遊びもしたが、今ではそれも叶わない。

 仕事場の中は監視が付いていない。アルが激しくそれを嫌がったからだ。軍としては常に監視していたかっただろうが、今までの従順さや貢献度を無視することも出来ず、彼女の要求を渋々呑むことにした。

 アルは仕事場に入るや否や、突然服をすべて脱いで、一糸纏わぬ姿になった。そしてそのまま自分の身体を観察し、全身を隈なく触り始める。

「ふむ、問題なし、かの。……成長もない」

 独り言をぶつぶつとつぶやきながらアルは脱ぎ捨てた衣類を部屋の隅に追いやり、タンスから引っ張り出した新しい白衣も変わらず大きすぎたが、アルはそれを素肌にそのまま身に着けた。全身を包み込ませるがための、大人用サイズだった。

「やはりこのザラザラとした感覚は癖になるの……」

 納得したようにうんうんと一人頷いて、アルは机に向かう。軍が用意しているものはほとんどが子供用で、椅子も机も、アルが無理なく使えるように配慮されていた。白衣の袖を折って、アルは机に向かう。大きな用紙を広げて、片手にペンを持ち、その先を紙に引っ付けた。

「…………むむむ」

 しかしどれほど待とうとも、腕を組み、頭を掻き、背もたれに身を預けてうなだれようとも、ペンの先から何かが出てくることはない。

「……なんにも思いつかん。部屋から出て遊びたいのじゃ!」

 足をバタバタさせて駄々をこねようとも、言葉を返す者はいなかった。窓の一つすらない密室の中は、防音防弾。外で何が起こっているか、彼女にはわからない。唯一の入り口であるドアには、外から鍵がかけられている。誰にも邪魔されず、発明に必要なものは全て用意されていて最高の製作環境であるこの部屋も、アルにはただの監獄のように感じられた。

 アルは机を離れて、全身を映し出す大きな鏡の前に立つ。

 自らを見つめ返す深い翠色の目はぱちっと大きく、髪は部屋を照らす橙色の灯りを反射して、金色に煌く。それは毎朝母親に編んでもらい、丁寧な三つ編みに仕上がっている。アルにとって、母親に甘えられるその時間は、何にも代え難い。

 アルは鏡の側の棚から、小さなガスマスクを引っ張り出す。英国国民全員に支給されたものだ。鼻と口を覆うタイプで、外出する際には装着することが推奨されている。

 アルは外出する機会が無くなった今でも、毎日これを身につけていた。マスクの端に穴を開けて紐を通し、ネックレスのように首から下げられるようになっている。

 突然、ドアが開く。アルはその場で飛び上がった。

 アルに用があるときは部屋に入る前にチャイムを鳴らす決まりになっていた。防音の部屋の中からは、外部の様子を確かめる術はないからだ。ドアの前には、いつも自分を監視していた衛兵が立っている。

「レディの部屋に入るときはノックをせんか!」

 アルは涙目になりながら、白衣の前を両手でがっちりと閉めている。男はいつもの試すような表情で、だが、得体のしれない雰囲気纏っている。アルは警戒の度合いを引き上げた。

「基地内で爆発が起きました。事故か外部の者の仕業かはまだ判明していませんが、あなたをここから逃がすよう命令を受けています」

「爆発?」

 ドアから聞こえてくる音は確かにいつもより騒がしく、何か異常が起きていることは確かなようだった。

「さあ、行きましょう」

 男はアルの手を掴み、無理矢理引っ張っていこうとする。

「お主、本当にそんな命令が出ているのか⁈ わしをここから連れ出すなど、本気なのか?」

「……なあ博士さん。ここにいて楽しいか?」

 アルは男の言葉に顔を上げ、その顔をまじまじと見つめた。歳は二十ほど。鋭い赤目に両サイドを刈り込んだ黒髪、すっと通った鼻筋。顔を縫ったいくつもの跡が、痛々しく残っている。

 アルは俯いて、小さく答えた。

「……楽しくは、ないの」

「なら、ここから出るべきだろう。今なら逃げだしても、お前の両親が咎められることはない」

 そういって男は軽々とアルを抱き上げ、肩の上に担ぎあげた。アルはなすがまま、抵抗することもなくおとなしくしている。

「あいつだ!」

「博士を救出しろ!」

 通りがかった二人のロンドンの兵が男を見つけ、身柄を取り押さえようと迫る。男は逃げ場がないと悟ると、アルを盾のように身体の前に立たせ、銃を突きつけた。

「動くな!」

 中庭で向き合った男たちの距離は硬直する。

「そのまま下がり、銃を捨てろ。少しでもおかしな動きを見せれば——」

 銃を天に向け、二発三発と放つ。弾は天井を突き破り、男とアルの周りにはガラスの破片が雨のように飛び散った。

 二人の兵は悔し気に後ずさり、手に持った銃剣付き単発銃を足元に転がした。

 それを見届けると男は腰のホルダーから銃を引き抜き、もう一度屋上に向けて引き金を引いた。空気を裂く音とともに、フック付きのワイヤーが放たれ、屋根上の出っ張りに引っかかる。男がアルを脇に抱えもう一度引き金を引くと、ワイヤーが高速で巻き取られ、男の身体を引き上げた。

 男は屋根に着地すると、振り返ることなく走り始める。アルを人質に取っている以上、ロンドンの兵士は簡単に銃を撃つことができない。もしアルが死んでしまえば、英国は帝国との戦争に勝利できなくなるだろう。それが躊躇いを生み、引き金を引く指を固めてしまう。男はそれをよく理解していた。

 男は走り、ときにワイヤーを用いて登りながら、ロンドン基地の上を駆け巡る。

 軍の兵達は男の姿を探し、見つけつつも手を出すことはできない。そこで基地の周囲に兵を配備し、逃がさないという目的に切り替えたようだった。兵達が慌ててた様子で各自の配置に走り出す。

「思っていたよりも早いか」

 男は舌打ちをしながら、一度足を止め進路を変えた。駐車場に降り立ち、アルを並んでいる一台の助手席に放り投げる。アルは打った頭を押さえながら抗議の声を上げる。

「痛いではないか! 人質も兼ねているのだから、もっと丁重に扱わんか!」

「それどころじゃないんでな」

 男は頭の中に叩き込んだ基地の地図を開きながら、現在地から最も近い出口を思い出した。

「口を閉じてろ。舌を噛むぞ」

 車の鍵穴にはすでに鍵が刺さっていた。男は鍵を回し、エンジンをかけ、ギアを上げる。アクセルを踏み込み、ジープは急激に速度を上げた。派手にスキール音をかき鳴らしながら、基地の中を駆け抜ける。

 遠くから発砲音がいくつも聞こえてくる。運転手やタイヤを射抜こうとする弾丸が横殴りの雨のように迫った。多くは車体に弾かれ、金属音がまるで金管楽器のような音を奏でる。広い駐車場を駆け抜け、物資搬入用の大型車が出入りする門が迫ってくる。だが、その門は既に閉じ始めてしまっていた。

「掴まってろ!」

 男はさらにアクセルを踏み込み、加速する。男は入り口近くにあった運搬用のスロープに片側の車輪を乗り上げ、片輪走行で門に突入した。

 アルの悲鳴と、車体が閉じてきた門を擦る金属音が喧しく響く。バランスを崩しながらもその衝撃に耐えた車は、門の向こう側へと抜けだした。二人はそのまま、闇の中へと姿を消したのだった。

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