愛が遺したもの

「知ってるか? ジウ」

 ユキは立ち止まらず、振り返りもせず言った。

「戒厳時刻の戒厳令ってのはさ、どこか屋内――つまり屋根の下なら、自宅じゃなくても違反にはならないんだ」

「は? 何を急に。知ってるよ」

 戒厳令は、満月の塔の灯が落ちている間、屋外に出てはならないというものだ。だから、友人宅や飲食店に泊まることは問題ない。一般常識だ。

「ここさ、このトンネル。一応屋根があって、それなりの距離あるだろ。だから、ここも屋内って扱いになるらしいんだ」

「は?」

 確かに、入り口にあった屋敷の庭など、とうに出ているだろう距離を歩いている。しかし、守護者に見つかるようなこともなく来ている。だが、たまたまじゃないのか、ともジウは思った。

「このトンネルはさ、さっきのお屋敷の庭師だった男が作ったんだ。男には、愛する人がいたんだけど、貧しい暮らしをしていて、後継ぎに恵まれず悩んでいた、あの屋敷の女主人に、金と引き換えに三人目の夫として身売りしたんだ」

 何だか気の滅入る話だとジウは思った。ユキは相変わらず振り向きもせずに続ける。

「それでも、男は愛する人と別れなかった。屋敷の庭の端から、すぐ裏手の小さな家までの間にこのトンネルを作って、女主人が休んだ後にこのトンネルを通って、愛する人に会いに行った」

 ジウはユキが何故こんな話をするのか解らず、少しイライラしたが、何だか口をはさむ気にはなれず、黙って聞いていた。

「女主人も気付いていたろうさ。けど、後取りの為に無理矢理夫にした負い目もあったろうし、正直、女主人も疲れていたんだと思う。ずっとそれを黙認してた」

 トンネルの出口らしきものが、先にぼんやり見えてきた。

「そして、月日が経ち、女主人は子供に恵まれないまま病気になり、本当に愛していた一人目の夫と二人で、貴族の位を返上して没落の道を選んだ。庭師は、実は愛する人との間に一人の男の子を授かっていた。そして、女主人が没落した後、解放されて、貧しくも三人家族で幸せに過ごした。晴れて夫婦になった二人が、共に寿命を全うして亡くなるまでの数年間だったけどね」

 出口の向こうに、小さな家が見えた。トンネルを出てすぐ目の前に裏口の扉があった。窓から灯りが漏れている。人が住んでいるらしい。

「そして遺された子供は、今も元気に暮らしてるってワケさ」

 そう言いながら、ユキが扉を叩いた。

 すると、少しして扉が開き、中から出てきたのはまたしても見慣れた顔だった。

「ユキ? また父さんの道、通ってきたの?」

 事も無げにそう言ったのは、シノだった。ユキの後ろにジウの姿を見つけ、驚いたようだ。

「あ、ジウじゃん! どしたの?」

「入れてくれるか?」

 ユキが聞くと、シノは慌てて「おうおう」と言いながら横にどき、室内へと招き入れてくれた。

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