綻び

 シノは帰宅するなり、テーブルの上に鞄を放ると、すぐまた外に出た。

 もう満月の塔の灯りはかなり弱まり、周囲は薄暗くなっている。もうじき戒厳時刻なのだ。

 戒厳時刻とは、この街の法令の一つ、戒厳令が発動する時間のことだ。戒厳令は、満月の塔の球体の灯りが消えている間、外に出てはならないという法令で、違反すればただちに守護者が来て、自宅に連れ戻され、後に刑罰が課されるらしい。

「らしい」というのは、シノ自身が違反をしたことがないので、実際はどうなるのか知らないからだ。

 そもそも、街の人々は皆、物心つく前から法令順守することを第一に、と言い聞かされて育つのだ。そこに反抗する者もいないわけではないが、基本的に破ろうと思うことはない。必要を感じないからだ。

 だいたい、満月の塔の灯りが消えてしまえば、暗いし寒いし、外に出ても良いことなど何もない。

 さて、もうすぐ戒厳時刻だ。その前に、仕事の前の材料集めをしなくてはならない。シノは愛用のカゴを手に、硝子森の方へと駆け出して行った。

 シノは両親を三年前に亡くし、以来ずっと一人で生活してきた。

 親を亡くした学院の生徒には、卒業までの間、食べる為の最低限の援助が与えられる。だが、本当に最低限な為、多くの子供たちは自力で働き、収入を得ている。

 アヤもシノと同じ境遇だ。

 平民の成人男女の平均寿命は、貴族より短く、平民の孤児はたくさんいる。

 シノの仕事は、硝子森での硝子拾いと、その硝子を溶接して、アクセサリーや雑貨を作り売ることだ。

 光に透かすとキラキラと光る、半透明で様々な色をした木々は、満月の塔の周囲の大樹や、街中にある植物とは違い、無機質な質感で、固く、衝撃に弱く、脆い。人々はこの樹を「硝子」と呼んだ。年長者の中には「不毛の樹」と呼ぶ者もいるが、シノにとっては不毛だなんてとんでもない。宝の樹だ。

 この硝子の樹でできた森――通称「硝子森」は、街の外周をぐるりと囲っている。その硝子の樹達の輪が、一部分だけ内側に向かって、広がっている場所が、今シノがいる場所だ。

 シノの家は、中心街からもさほど離れていないが、外周の硝子森にもすぐ行けるという立地だった。

 シノは大急ぎで、手当たり次第に硝子の樹の枝の破片を拾った。硝子の樹は、枝が一定の長さに達すると、根本から自然に折れて、地面に落ちる。落ちた時に衝撃で、枝はバラバラに壊れてしまう。その時の何とも儚く響く音が、シノはちょっとだけ好きだった。

 大小様々な破片を拾い、そろそろ帰ろうかと思った時、少し奥の方から枝が落ちる音がした。

 もう少しだけなら大丈夫か。

 シノはかなり薄暗くなってきた球体の方を見上げて、一瞬悩んでから走り出した。走ればきっと間にあうと思ったのだ。

 カシャカシャと小さな枝を踏んだ音がした。少しだけ森の奥に行き、一際大きな枝を見つける。カゴに入りきらないほど大きなものだ。シノは満面の笑みを浮かべて拾い上げた。なかなか大きな欠片には出会えないのだ。

 さて、急いで帰ろうと顔を上げた時、硝子の木々の間に見える砂嵐の向こうに、何かが見えた。

 街の外周を円形にぐるりと囲んでいる硝子森の、さらに外側には、砂嵐が吹き荒れている。

 まるで街を護るかのように、止まったり弱まったりすることなく、いつもいつも一定方向に強い風が吹いていて、硝子の樹の破片が、細かい砂粒になるまで削れたものを巻き込み、視界ゼロの高濃度の砂嵐を作り上げている。

 当然、砂嵐の中に人が立つことはできないし、ましてや通り抜けることなどできるわけがない。

 誰にも言ったことはないが、シノは幼い頃、興味本位で、拾った硝子の枝を嵐の中に放り込んだことがある。放り込まれた枝は、強風と砂粒にさらされて、一瞬にして粉々になった。

 幼かったシノは、驚きと共に、何だかすごくいけないことをしたような気がして、強い不安に襲われ、一晩中、母にしがみついて泣いたのを覚えている。

 その砂嵐が、僅かに弱まっているような気がしたのだ。しかも、その向こうには何かがうっすら見えている。

 ――何だろう。

 シノは必死に目を凝らした。何か大きくて四角いものが見える。取っ手のようなものも見える。まるで扉のようだ。

 そう思った時、頭上からけたたましいぐらいの鐘の音が響いた。街中のあちこちにある鐘が、一斉に鳴っているのだ。

 シノは慌てて家に向かって走り出した。

 この鐘の音が鳴り止んだ時から戒厳時刻となる。

 鐘の音が止むと同時、家の扉をくぐり、シノはほっと胸を撫で下ろした。

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