最終話 友達のつくりかた


 仏壇の前に正座し、お線香を1本焚いて鐘を優しく鳴らすと、私は両手を合わせて深く祈りを込めた。今までのことや、これからのこと…心の中で、彼女と沢山会話する。


「あらあら、朝早くから熱心ねぇ…」


 拝み終わって頭を上げた私の背中に、柔らかいしわがれ声がかかる。後ろを振り返ると、にこやかに微笑んでいる井川さんがいた。


「だって今日は特別な日だから…ね、サキ?」


 仏壇に飾られた遺影に笑いかける。遺影の隣にはくまのぬいぐるみが飾られていて、サキのそばに寄り添うように嬉しそうな笑みを浮かべていた。持ち帰ったときはボロボロだったけど、井川さんの丁寧な洗濯と補修でずいぶん綺麗になり、明るくなった印象を受ける。

 立ち上がった私はその場でくるり、とまわってみせた。スカートがふわりと舞う。


「それもわかるけど、はしゃぎすぎて遅刻しないようにね」


 よくお邪魔するようになってから、井川さんはお母さんみたいなことを言う様になった。


「わかってるよー」私は子供っぽく口をとがらせる。


「でもありがとう、可愛らしい制服姿を見せに来てくれて。…あの子も、きっと喜んでいるわ…」


 井川さんは目を細め、仏壇に飾られたサキの遺影を見ている。そんな様子を眺めつつ、視界の端に入った時計の針を見て、私は出かける時間が迫っていたことを知った。 


「…じゃあそろそろいくから、終わったらまた来るね」


 傍らに置いた学生鞄を持ち、玄関へ向かう。


「気をつけてね、麻弓ちゃん…」


 玄関先で手を振る井川さんに、私も全力で手を振り返した。


 山で起こった出来事が終わってから、もう4ヶ月以上が経つ。私は中学生になった。今日は4月1日、つまり入学式があるので初通学前に、井川さんとサキに制服姿を見せてから行くことにしていたのだ。

 あれから色んな出来事があった。登山戦隊のおじさん達の車に乗って、ふもとの病院に行き検査した結果、幸い擦り傷や軽い打ち身だけで済んでいた。一方同じ病院で先に入院していた浅山さんは全身包帯まみれのミイラ男状態になってしまい、最初顔を見せたときは申し分けなさすぎてベッドにしがみついて泣いてしまった。でもそんな私に、浅山さんは「俺も生きてるし、君も生きてる。それで充分じゃないか」といつもの白い歯を見せてニカッと笑いかけてくれた。

 面倒だった事が2つ。1つは私の失踪が大きめの誘拐事件として取り扱われていた事だ。報道番組や新聞では『初冬の山で1ヶ月!少女はどうやって生き抜いたのか』なんてタイトルで連日賑わい、家にも病院にもマスコミが取材に来たり、警察からもしつこく事情聴取を受けるハメになった。私は最初っからありのままを説明しただけなのに「冗談はいいから」と誰もまともに相手してくれない。そのくせしつこく聞いてくるもんだから、面倒になって最後の方は適当に受け答えしていた。

 2つ目は母が浅山さんの事を誘拐犯だと誤解してしまった事だ。病院で最初にあったとき、ゴミを見るような目つきでミイラ姿の浅山さんを見ていて怖かったのを覚えている。完全にとばっちりを受けてしまった浅山さんは、誘拐の容疑者として危うく拘置所送りになりそうだった所を、私が必死に弁護してなんとか阻止した。その後何度か病院で顔を合わせる内にだんだんと打ち解けていったようで、今では『娘のわがままに最後まで付き合ってくれた上に、大怪我させてしまった人』としてすっかり頭が上がらなくなっている。ちなみに浅山さん本人は脅威の回復力で3月には退院し、今では仕事も登山もバリバリこなしてるみたい。

 浅山さんの入院費用は、なんと全額井川さんが負担した。山で起こった事を話そうとくまのぬいぐるみを持って家にお邪魔したとき、浅山さんの話をしたら「サキのことで大変な目にあったんなら、親として責任はとらなきゃねぇ」と言っていた。詳しい金額は知らないけど、浅山さんも母もあごが外れるような金額を、なんのためらいもなく支払ったそうだ。

「老い先短い私が、お金持ってても仕方ないから」と笑う井川さんの顔は、すっきりしたような…でも、少し寂しそうな感じがしていた。

 だから私は、思い切って母に相談したのだ。井川さんの家の近くに引っ越すことを。最初は断られたけど、浅山さんの入院費を支払う際に顔を会わせたのをきっかけに、母を連れて井川さんの家に遊びに行くことが増え、母に井川さんの人柄の良さや孤独が伝わったのか、小学校を卒業してすぐ後に引っ越しすることが叶った。もしかしたら母自身も仕事漬けで忙しい毎日を送っていたから、ゆっくり話せる友人が欲しかったのかも知れない。

 山奥の寂れた神社は、現在は全面立ち入り禁止となっているが、霊能者や山の管理者なんかの調査が進んで、いつか改築されたらお祭りや初詣で人が賑わうような神社に生まれ変わる…かもしれない。と言っていたのは浅山さん所属の登山グループの誰かだ。もしそうなったら、カクマやサキも明るい雰囲気で楽しめるかも?…祠のお札だけは、剥がされないことを祈るしか無いけどね。

 …そんな感じであっという間に過ぎた4ヶ月。夏から秋にかけての不思議な出来事に比べると平凡で退屈気味な毎日だったけど、これが平和って事なんだろうな。って思うことにしてる。

 ちなみに私が引っ越したことは、小学校の同級生には誰も教えてない。あいつらってば1ヶ月失踪した上に、TVでもそこそこ報道されてしまった私を、ますます部外者扱いして腫れ物を扱うようなそっけない態度になることが増えた。とくに久しぶりに登校したときなんか私を遠巻きに眺めてひそひそ話をするような子ばかりで、とても居心地が悪かった。井川さんとか浅山さんとか年上の人で仲良くなった人は増えたけど、相変わらず私は同世代の友達を作るのが下手くそで、学校生活は不満だらけだった。

 もしかしたら私は私自身の環境を変えたくて、引っ越しを提案したのかも知れない。前の小学校は中学校が隣にあって、私立を受験する子以外は、まるまる同じメンバーがそのまま同じクラスの中学生になる。実質小学7年生。ド田舎だから同じ地区に別の学校は無いので、よその学校の子が入ってくるには、私みたいに転校してくるしか可能性が無い。つまりあそこで中学生になってたら、後3年は気まずい思いをしなければいけなかった。

 引っ越した場所は前いたところよりは数段栄えていて、若い子の数も多い。これから通うことになる中学校は、同じ地区にある3つの小学校の子が一緒くたなるので、前の小学校の全校生徒の数を、1つの学年だけで上回るほど大規模な物になる。これだけ人がいれば、友達になれる子もきっといるだろう。そんな淡い期待を胸に、中学校の門をくぐった。


 下駄箱置き場前に掲示されていたクラス表を見て、私の名前を探す。…1年B組、出席番号13番か。事前に貰った校内地図と先生達の案内を頼りに教室へ向かう。

 中学校って何もかもが大きく感じられる。廊下、窓ガラス、扉…天井もずいぶん高い。前の小学校が小さくてみすぼらしすぎたせいかもしれないけど、歩いているだけでなんだか気持ちが昂ぶってくる。ここにいる人たちは、みんな初対面だ。今度こそ仲良くなれると良いな…。そう考えている内に、1年B組の教室前まで来た。開けっ放しになっている扉を通り、中に入ると既に15人くらいの同級生が席に着いていた。既にグループを作って話をしている子もいる。そんな人たちを横目に、私は窓側から2列目の最後方の席に座る。机の端に置かれた、自分の名前が書かれた花付きの名札を制服の左胸につけた。

 3つの学校が一緒になっているとはいえ、殆どの子には前の学校からの知り合いがいるのは当たり前なんだけど、その光景を見て一気に不安感が高まる。もしかしたら、またはみ出し者にされるかも知れない。疑い始めたらもう駄目だ。私は眉間にしわを寄せて、渡されたプリントを無駄にじっくり読み込むか、教室の装飾をぼんやり眺める事しか出来なくなる。

 これじゃ駄目なのはわかってるのに、誰かに話しかけたいし、話しかけて欲しい。なのに、体が動いてくれない。このままじゃまた楽しくない学校生活になっちゃう。なんとかしなきゃってわかっているのに、いざ同級生を前にするとつい緊張しちゃってどうしても声が出ない。

(ああ、私は駄目だな…。環境を変えても結局一緒じゃん…)

 色んな事を諦めて机につっぷしようとしていたその時、教室に入って私の隣…窓側の最後方に座った女の子に、思わず目を奪われた。

 小柄で華奢なその子は、窓の向こうが見えそうなくらい透明感がある色素の薄い肌をしていて、前髪が鼻の頭くらいまで無造作に垂れ下がり、髪の間から覗く大きな瞳がまっすぐ前を見ている。小さな口は真一文字に結ばれていて、まさに絵に描いたような無表情。高級な人形みたいで感情が一切読み取れない。でもかなり可愛い子だ。

 ……その外見に、私は見覚えがあった。


「…………サキ?」


 思わず声に出してしまった。そうなってしまうほど、その子の見た目はサキにとてもよく似ている。自分の方を見て間抜け面してる私に気づいたのか、女の子も私の方を見た。


「ねえ、サキなんでしょ?」


 私はそのまま話しかける。生まれ変わったのか、あるいは今までのことは夢で、あの子は公園で出会った時からずっと生きていて、案外地元の学校に普通に通っていた唯の子供だったのかもしれない。そんな根拠の無い想像を膨らませていると、女の子は首をかしげた。


「誰と勘違いしているのか知らないけど…私はそんな名前じゃないわ。川崎美帆っていうの」


 ……………そりゃそうだよね。サキが同じ学校にいるなんて、そんなわけないよ。


「あ…ああ、ごめんなさい。ちょっと前によく似た子と遊んだもんだから、ダブっちゃって…」


 冷静になった私は、なんだかとても恥ずかしくなって、ボソボソと俯きがちに答える。


「そう…ずいぶん仲良しだったのね。あなたはなんていう名前?」


「篠原麻弓…です…」


「そう、よろしくね」


 にこやかに笑いかける美帆に、ぎこちない笑顔で答える。沈黙が2人を包み、気まずい空気に耐えられなくなって前だけを見ることにした。せっかく友達を作るチャンスなのに、ふいにするのか、私の馬鹿。


「…麻弓ちゃんってさあ」


 黒板を睨む私に、美帆が話しかけてきた。おどおどと目線だけをそちらへ向ける。


「普通にしてれば可愛いのに、なんでそんな怖い顔してるの?」


「そ…そうかな?」目が泳いだ。


「気づいてないの?話してるときは問題ないんだけど、1人で黙ってるとき凄い顔してるよ。最初に声かけられてなかったら、怖くて私からは絶対無理だったよ」


 そう言いながらはにかむ美帆を見て、私はやっと気づいた。今までのクラスメイト達は、私が無自覚に発する負のオーラに近付けずにいたんだ。誰も私と関わりを持とうとしてくれないって勝手に嫌な気分になっていたけど、遠ざけていたのは他でもない私自身だったんだ。今更気づくなんて…本当に馬鹿。

 私が美帆をサキと見間違えて無意識に声をかけてなければ、自分の顔について気づくことも無く、孤独な学生生活をまた送るハメになっていただろう………サキがあの世から応援してくれている。そんな気がした。


「ねえ、うちどの辺なの?」美帆が明るい口調で私に話しかけてくる。


「商店街の向こう。歩いて15分くらい」私は商店街の方を指さしながら答える。


「ホント?私の家もそっちなんだ!」


 ……嬉しそうに満面の笑みを浮かべる美帆は、よく見たらサキとは全然似ていなかった。


「よ、良かったらさ…放課後、遊ばない?」勇気を振り絞って誘ってみる。


「全然いいよ!」……やっぱり違うなー、サキはこんなにキラキラとした笑い方はしない。


 でも最後の最後で、あの子は美帆と巡り合わせてくれた。

 これからは自分の良くないところにも気をつけて、色んな人に声をかけるし、声かけられるよう頑張らなきゃ。そしていずれは友達100人…いや、サキの分も含めて、出来るだけいっぱい作りたいな。


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友達100人できるかな? 沙飯ゆきます @500yenOJISAN

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