Lesson to others - 2
洋燈の灯りが室内を仄暗く照らし出している。
外から光の侵入を一切許さない重厚な壁に四方を囲まれた部屋には、外と繋がる扉が一つだけ。
木製の椅子に一人の軍人が身体を預けた。背中を丸め疲労感が滲む溜息を吐くと、壁を背に待機していた部下の一人が飲料水の入ったグラスを差し出す。
礼を告げ、喉を潤す。
「しぶといなあ、お前」
軍人の呆れた視線の先には、男がもう一人。
意識がないのか双眸を閉じている。浅い呼吸、痩けた頬。
両手首に枷が嵌められ、枷から伸びる鎖は天井に打ちつけられた装置へと繋がっている。
両腕を天井へと上げる姿勢で、全裸の男が吊るされていた。
爪先が僅かに床についてはいるが、意識を手放した状態では弛緩して身体を支える事が出来ていない。
身体中には人為的につけられた痣や傷の数々。
幾つも歯を抜かれ、爪を剥がされ、深く抉られた傷口からは今なお出血が続いている。
壁一面には、鋭利な刃が取り付けられた禍々しい道具が何種類も掛けられている。
壁だけではない。大型の道具から小型の装置まで、机の上に、天井から吊るすように。
一般に拷問具と呼ばれる道具の数々が、室内に並び、積まれている。
そこはまるで、拷問具を取り集めた保管庫のような部屋だった。
軍人が席を立ち、吊るされた男の正面へと移動する。
耳元で指を鳴らして意識がない事を確認すると、グラスに残っていた水を男の顔面に浴びせた。
突然冷水を被った衝撃と、水が傷口に触れて生じた刺激で男が意識を取り戻す。
瞼を開け、息を吐き出す。それだけの行為すら傷口に響くようで、顔を歪めた。
その様子を涼しい顔で見ていた軍人が口を開く。
「吐いて楽になっちゃえよ。口を動かせるだけの余力は残してあるだろ?必要な情報を聞き出すためとはいえ、俺だって良心が痛むんだぜ」
軍人がわざとらしく胸を抑え眉尻を下げると、男は血の混じった唾を軍人へと吐き掛けた。
軽やかにそれを避けた軍人は、踊るようなステップで男に向き直り、その顔面を殴り付ける。
続けざまに複数発。抜けてなくなった歯の隙間から漏れた血と鼻血が男の顔を汚していく。
「元気なのは良い事だけど、いつまでも反抗的な態度に付き合ってはあげられねえの。俺も結果出さなくちゃいけないからさあ」
軍人が部下へ指示を出すと、男が繋がれていた鎖が乱暴に緩められた。突如吊るされていた状態から解放され、バランスを崩した男は床に顔面を打ちつける。
起き上がろうにも長時間上げたままでいた男の両腕に感覚はなく、足腰にも力が入らない。俯せの状態から顔の角度を変えてみると、軍人が傍らにしゃがみこんだのが目に入った。男が軍人を睨み上げる。しかしその表情はすぐに固まった。
軍人の右手にはいつの間にか、グラスと入れ替わるように別の物が握られている事に気がついたからだ。
それはありふれた電動工具。
先端に長細いドリルビットが取り付けられ、それを高速回転させる事で金属にさえ穴を開ける事が出来る、電気ドリル。
「押さえといて」
軍人が軽い調子で部下に伝えると、部下が男の背部と腰部を両手で押さえつけた。電気ドリルに電源が入り甲高いモーター音が室内に反響する。
男はこの場所で、様々な道具で散々痛めつけられた。
だから男には軍人がそれを使って何をするつもりなのか容易に想像出来てしまう。
切っ先が男の横腹へと向けられる。
男にはその行動が、はったりなんかではないと理解出来てしまう。
無防備に晒された横腹に、ドリルビットの先端が躊躇なく押し当てられた。
絶叫。
鍛えられた身体であろうと所詮は肉。身を裂く痛覚の訴えなど無視してドリルの侵入をあっさりと許してしまう。
捩じれたドリルが高速で回転して身体の内側の肉を食い破るように突き進む。
男は目を見開き、喉が裂けるかのような大声をあげ続ける事しか出来ない。
感じた経験のない痛みから逃れようと男がもがくが、弱りきった男の体力では身体を押さえつける力には到底敵わない。
ドリルビットを全て挿入し終えると、軍人は電源と止めてゆっくりと引き抜いた。
身体に差し込まれた部分は赤く染まり、腹に空いた穴からは血液が零れ出す。
「話す気になった?」
軍人がにこりと笑い、問い掛ける。
男は強烈な痛みを受けた衝撃により、開きっぱなしの口から幽かに呻き声を漏らすばかりで、声を出せずにいる。
その様子を一瞥した軍人はわざとらしく肩を竦めた後、再び電気ドリルの電源を入れた。
モーター音が耳に届いた男の身体が強張ったが、軍人は気に留めず、先程とは位置をずらしてドリルを突き入れる。
掠れた呻き声しか漏らせなかった男の喉が、息を吹き返したかのような声量で金切声をあげた。
先程と同様に、ドリルビットが肉体に埋まれば引き抜いて、問い掛ける。
返事がなければ再び穿って問い掛けて、また返事がなければ再び穿って問い掛ける。
「もしかしてさァ、軍は情報を引き出したい筈だから殺せないと思ってる?残念だけど、そんなに甘くないのだよ。お前の代わりはいくらでもいる。嘘だと思うならご自由に。俺は親切だからちゃんと予告してあげる。これが、最後の質問」
男のこめかみに、冷たいドリルビットの先端が触れる。
「答えて頂戴。俺達の仲間の監禁場所は何処?」
場にそぐわない笑顔で、もう何十回と繰り返した問いを口にする。
電源が入れば頭蓋骨を貫通してそのまま脳を破壊するのだろう。
それでも。
「我々は、軍に屈服したりしない」
「ふーん。覚悟は決まってるのね。立派な志ですこと。なら、もう死んでいいよ」
軍人は呆れたように呟く。
死を前にしてなお、情報を与えるものかと男は口を真一文字にきつく結び、目を瞑った。
男が覚悟を決める。
しかし、ドリルビットは男のこめかみに突き刺さる事はなかった。
扉をノックする音が聞こえると、軍人はぱっと電気ドリルをこめから離し、そちらへと向かったからだ。
重い音を立てながら扉が開く。
そろりと男が瞼を開けると、軍人は外にいる仲間となにやら言葉を交わしているようだった。全身を支配する痛みにより、聞き耳を立てる余裕はなく、会話の内容は分からない。
しかしすぐに会話の内容は男の耳へと届けられた。
軍人が笑顔で振り返り、男に告げる。
「喜べ!母子共に健康だってよ!良かったな、パパさん!」
何を言っているのか、暫く男には理解出来なかった。
確かに家内は身籠っていて、出産予定日が近かった筈だ。
ここに閉じ込められてからの具体的な数字は見当もつかないが、その間に産まれていても不思議ではない。
しかし何故今その話題がここに届けられるのだろうか。
遠く、幼い赤ん坊の泣き声が聞こえるような気がする。その声はどんどん近くなる。
軍人に連れられ、一人の女性が扉を抜けて室内へと立ち入った。
啜り泣く声と、震える足。
その両腕にはシーツにくるんだ赤ん坊が抱かれているのだろう。泣き声が途絶える事なく室内に木霊している。
連れて来られたのは、男の妻と生まれたばかりの赤ん坊だった。
軍人が乱暴に女性の髪を掴んで膝をつかせる。小さい悲鳴。
「やめろ!!」
男が怒鳴り声をあげる。腹部に開いた幾つもの穴の事など忘れ、軍人に食いつきそうな勢いで身を起そうとしたが、すぐに部下に押さえつけられ動きを封じられてしまう。
「それは貴方の態度次第だよ、パパさん」
妻のこめかみに電気ドリルの切っ先が押し当てられた。
男の喚き声と、赤ん坊の泣き声と、女性の許しを懇願する声が混ざり合う。
「我々は軍に屈服したりしない、だっけぇ?よく見てなよ。そのお高いプライドが家族を殺すとこをさぁ!」
室内に木霊する不協和音を声高々に切り裂いて、軍人は電気ドリルのスイッチに指をかけた。
◇
軍本部。
白を基調とした廊下を、一人の軍人が駆けて行く。大きく腕を振り元気よく廊下を走る男に対して、すれ違う軍人達はその光景に慣れてしまっているのか見向きもしない。
やがて目的地である部屋-執務室に辿り着いた男は、ノックもせずに扉を開け放った。
「サク様!」
まるで飼い主の名前を呼ぶ人懐っこい犬のような笑顔で部屋にいるであろう人物の名前を呼ぶ。
しかし、そこで急ブレーキ。軍人は室内へと足を踏み入れる事は出来なかった。
扉を開けた瞬間、喉元に刀の切っ先が前面から向けられたからだ。
刀を握る男が威圧的に睨みつけている。軍服を身に纏う彼もまた軍人だが、仲間であろうと相手の出方次第で躊躇なく首を刎ねる、そんな迷いのなさが刃先から滲み出ていた。
「護衛のお仕事お疲れ様。サク様いる?」
眼光に怯まず、おどけたように両手を頭上に上げて見せるが刀は降ろされない。
「騒がしいぞ」
執務室の奥から子供の声が飛ぶ。
小さな体躯に合わない大人用の椅子に腰かけ、デスクに積まれた書類の山に埋もれるように顔を覗かせていたのは咲夜だった。
咲夜が仲間の首筋に刀を向ける男の背中に、「おい」と短く声を掛ける。返事はないが、男は黙って刀を鞘に収めた。
解放された軍人はほっと息を吐いて咲夜の元へと駆け寄る。
デスクを挟んだ咲夜の真正面まで来ると足を揃え、背筋を伸ばし、姿勢を正す。
にっと歯を見せて笑い、右手の人差し指と中指を立ててV字を作り、ピースサインを咲夜へと向けた。
「良いお報せ!捕らえたレジスタンス、監禁場所を吐きましたよん」
「そう。お疲れ様」
「得意分野ですので、いつでもお任せ下さい!それと、ちゃーんと殺してませんので、御安心を。衰弱しちゃいるが、今軍医が診てくれてる。持ち堪えると思いますよ」
「…そう」
「俺達が裁くのは有罪者。いくらレジスタンス相手とはいえ、罪の証拠のない相手は殺さない。全て、貴方の方針通りに」
ジャックが謳いあげる。
罪を犯した者を処刑して、再犯を抑制する。それは、平和を保つための、シンプルなシステム。
「行ってもらえるか?」
「ん、現場にって事ですか?」
「他に何処だと言うんだ。レジスタンス相手なら、お前が一番場数を踏んでるだろう」
「確かにそうだけど…ちなみに、優先すべきお望みは?」
「捕虜の奪還」
「仲間の身を案じるだなんて、サク様ったら優しい…!」
「茶化すな」
「本心ですって!でもなー、ハッキリ言って、もう殺されちゃってると思いますよ」
仲間はもう殺されているという憶測をジャックはあっけらかんと口にする。
「アイツらの要求は貴方が設けた処刑制度の撤廃です。今回奪還出来たって、奴らはまた新しい軍人を捕らえるだけ。あいつらにとって俺達は害悪。幾らでも補充可能で減って損なし。なんて都合の良い貴方への脅迫材料なんでしょ!ホラ、生かしとく理由なんて、見当たらないでしょ?寧ろどんどん殺して、サク様に見せつける方が効果的でしょ?」
「……」
「サク様。俺が叶えるべき、貴方のお望みは?」
再び投げかけられた問いに対して、咲夜は迷う事なく答える。
「奪還」
「あはは、一度決めたらやっぱりぶれませんね。サク様のそういうとこすき」
「……」
「そんな冷たい視線を向けないで!傷ついちゃう!」
「さっさと仕事してくれる」
「んふふ、了解ですよ!サク様の意向が分かった事だし。貴方の期待に応えられるよう、精一杯努力いたしますよ!」
◇
住宅街を進みながら、ブライアンが肩越しにユキを見る。
「ユキ、今日はついてきても何も面白いもんはねえぞ」
「ん?留守番してた方が良いか?」
「別にそういうんじゃねえけどよ。話、聞きに行くだけだからさ」
「ついてく!」
「そ。好きにしろ」
「うん!」
その日、自警団に相談がしたいという連絡が入った。
教会の神父宛ではなく直接自警団へ連絡を寄こしたのだ、穏やかな相談内容ではない事が窺えた。
各々出払っていた昼間、ちょうど時間が空いていたブライアンが向かう運びになったのだ。
遊びに来ていたユキを連れて。
聞いた住所へと辿り着き、ブライアンが戸口をノックする。
暫くして、僅かに戸が開いた。
外の様子をそっと窺うように、婦人が戸口の隙間から顔を覗かせる。どこか緊張した面持ちを浮かべていたが、ブライアンの姿を見れば安堵したように戸を開けた。
「自警団さん、いらっしゃい。どうぞ中へ」
陽の光に照らされた婦人の顔は目の下部に隈が出来ていて、顔色は悪く、疲弊しているのが一目瞭然だった。
心配そうにユキが婦人を見つめていると、視線に気付いた婦人の口許が緩む。
「あら、天使様もご一緒?」
「え、えっと、はじめまして!」
「ふふ、そうだったわね。はじめまして。貴方の事はよく知っているから、つい挨拶が後になってしまったわ。今日は、自警団さんのお仕事のお手伝い?」
「え、っと。そうだ。そうなんだけど…お邪魔、かな?」
「いいえ。天使様が楽しめるようなものはないけれど、お茶菓子なら出せるから、どうぞ気軽にあがっていってね」
「うん!ありがとう!」
婦人に先導され、客間へ。
すると既にソファに腰かける姿があった。婦人の身内だろうか。
人の気配に気が付いたのか、ソファに座っていた人物が振り返る。ユキは初めて見る顔だったが、どうやらブライアンは面識があるらしく、目を瞬かせる。
「ジャック…」
「ブライアン!」
ジャックと呼ばれた人物が立ち上がる。
その装いを一目見て、ユキの表情が固まった。
男は紅い腕章を左腕に巻き、黒衣-軍服に身を包んでいる。
軍事組織。
それはこの街を、国を統べる頂点であり、犯罪者を根絶させるために処刑制度を敷いた組織。畏怖の象徴。
目の前の彼は、それに属する人間なのだろう。
世界平和を掲げてはいる。
目に見えて犯罪の件数は減った。
街に晒された遺体の数々がユキの脳裏に蘇る。
「…ブライアンの、知り合いか?」
そっとブライアンの背に隠れるように移動したユキが問いかける。
その声には若干怯えの色が含まれて、露骨に警戒するユキの反応を前に、ブライアンが珍しく言い淀む。すぐに答えを返せずにいたが、尋ねられたからには黙っている訳にもいかない。やがて観念したように、簡潔に答える。
「俺の弟」
「え」
唐突な告白に、ユキがぽかんと口を開けたままジャックを見上げる。
視線に気付いたジャックが目線を合わせるために膝を折ると、ユキは咄嗟にブライアンの後ろへと隠れてしまった。
そんなユキの反応に気を悪くした様子はなく、ジャックは無邪気に口を開く。
「ジャックだ、はじめまして!君は天使様でしょ。お話は耳に入ってくるからよーく知ってるよ。いつも兄がお世話になってます!」
街で軍人を見掛ける度、彼らの視界にいる内は少しの間違いも許されないような、張り詰めた緊張感を感じていた。
しかし目の前の男からは威圧感など微塵も感じられない。
軍人に抱く印象とは程遠い雰囲気を感じて、ユキがそろりとブライアンの背からジャックを見上る。
ジャックはもう立ち上がり、他所を向いてしまっていた。
そっとジャックの顔を見つめてみる。その横顔は、確かにいつも見ているブライアンの横顔によく似ていた。
「ブライアンには、弟がいたのか…」
「身内に軍の人間がいるなんて、わざわざ紹介する事じゃねえからな」
「ええー、俺は自慢の兄が自警団で活躍してるって言いふらしてるけど」
「止めろ…」
「で、おにーちゃんはどうしてここに?」
「おにーちゃん言うな。仕事だよ。お前こそどうしてここに」
「俺もお仕事ですよ」
「…?軍が?どうして…」
そこへ、一人の青年が姿を見せた。二人分の湯飲みと茶菓子を盆に乗せている。
机の上には既に二つの湯飲みが置いてあったところを見ると、どうやら追加で持ってきてくれたようだ。
「…ご苦労様、です」
お世辞にも愛想が良いとは言えない態度で取ってつけたような敬語を口にした青年を見て、婦人が苦笑する。
「息子の藍です。藍、こちら自警団のブライアンさん、そして天使様よ」
婦人に紹介され、藍が小さく頭を下げた。
藍が机に湯飲みを並べ、お茶菓子を置いた、その時だった。
「あー!!」
突然ユキが大声をあげた。
その場にいた全員の視線を集めたユキは、驚愕で目を見開いてある一点を指差している。
ユキが指を差した先、窓の外。そこには、つい先日遭遇した窃盗未遂事件の現場に居合わせた少女が頭を覗かせていた。
窃盗未遂の件は大和がきちんと自警団員へ報告していたが、少女の顔までは知らないブライアンは不思議そうに首を傾げる。
唐突に轟いた大声に少女も驚いたようで硬直していたが、すぐに声の主の顔に見覚えがあると気づいて顔色を変える。窓を開け放ち、少女が室内に転がり込む。乱雑な髪に身体に合っていない服、素足で着地したその姿は先日遭遇した時のものと同じだった。
「何でお前がここに!」
「それはこっちの台詞よ!」
「まさか、盗みに入る家を物色していたのか…!」
「ななな…!適当な事言うなあ!!」
睨み合い、喚き合い、一触即発の二人。
婦人がおろおろするしか出来ずにいる中、とりあえず落ち着かせようとブライアンが仲裁に割って入るよりも先に、ジャックがユキと少女をそれぞれ脇に抱え上げた。
俵のように持ち上げられた二人はぎょっと目を丸くしたまま固まってしまっている。唖然とした空気が流れる中、ブライアンが呆れたような溜息を吐いた。
「んじゃ、俺は二人を外に連れ出しとくから。後で何話したか聞かせてね!」
「なんでだよ」
「兄貴がそこで耳にする話が俺の仕事と無関係じゃないからだよ。だから、簡潔にまとめて教えてね!」
「自分で聞け」
「婦人に二度も同じ話させる気?」
「……」
「と、言う訳で。宜しく!」
ハッ!と我に返ったユキと少女が各々離せ!下ろせ!と口にするが、ジャックは聞き流して玄関へと向かう。器用に肘を使って戸を開けて、賑やかに三人は外へと出て行った。
「あ、あの…お任せして、大丈夫なのでしょうか…?」
「ああ見えて仕事は出来る。さて…じゃあ、話はこちらが引き継ぐ。ちゃんと情報は共有するから安心してくれ」
「自警団と軍は…敵対していると思っていました」
「はは、まあ…相容れないとこもありますけどね。で、だ。俺達は貴方から連絡を受けてここへ来た訳だが…軍へも、連絡を入れていたのか?」
「いいえ。連絡を差し上げたのは自警団へのみです。本当は軍部へ連絡を入れた方が良かったのでしょうが…、混乱…していて、相談をするなら自警団の方達だと思って……その、軍は、怖くて……」
「気持ちは分かるよ、そう思わせる政策をしてるからな。じゃあ、アイツ何しに来たんだ…?」
「報告がある、と…。話を聞く前に、お二人が到着されたので、詳しくは…」
「そっか…分かった。それで、相談と言うのは」
「…はい。えっと、うちの、夫、なんですが…軍に務めておりまして」
「ああ、把握している」
「その夫が…数日前から、家に、戻っていなくって……」
婦人が言葉を詰まらせる。続きを話そうと口を開くが、意志に反して声を出せないでいるようだ。俯いてしまった顔色は見る見る悪くなっていく。その肩を青年がやさしく叩いた。
「…俺が話す」
「…でも、藍…」
「母さんは、休んでろ」
ぶっきらぼうな物言いだが、その言葉には労いが込められていた。それは婦人にも伝わったのだろう、ブライアンに一礼して、席を立つ。藍と呼ばれた青年が婦人を支え、奥の部屋へと連れて行った。
少しの間を置いて、藍が客間へと戻って来た。その腕には箱を抱えている。
「…日を改めようか」
「いえ…大丈夫、ですよ。憔悴してるとこに今朝荷物が届いたもんで、参ってるん、です」
「荷物?」
「自警団に連絡したのもその荷物が理由だ…いや、理由、です。アンタ達よりも先にあの軍人が来たから、預かって貰うつもりだったけど」
机に置かれたのは、何の変哲もない長方形の箱だ。見た目に変わったところは見られない。
しかしブライアンはすぐに顔を顰めた。箱から漏れる臭いに覚えがあったからだ。
藍が蓋を開ける。
箱の中には、成人男性の脚が一本収められていた。
◇
「はい。ここでなら思う存分喧嘩しちゃって良いよー」
玄関ポーチにユキと少女を下ろすと、ジャックは二人の間に挟まるように腰を下ろした。やっと解放された二人は髪を逆立てジャックを睨みつけたが、ジャックは飄々と笑顔で受け流す。
自分達を相手にする気など毛頭ない相手の胸の内を察した二人は、今度は互いの顔を見合わせて睨み合う。
目を吊り上げて、歯をむき出しにして、敵意と敵意がぶつかり合い、険悪な空気が漂いはじめる。
しかしその睨み合いは長くは続かなかった。
何故自分達が部屋から出されたのか考えるまでもない。時も場所も考えず、顔を合わせただけで喧嘩を始めそうになったからだ。迷惑な行為だっただろう。
どちらからともなく、しおしおと敵意が薄れていく。
「頭、冷えたかな?二人の間にはそれなりの因縁があるんだろうけどさ、お話の邪魔はしちゃダメだよ」
二人はむっと口を尖らせたが、そのまま沈黙する。
いくら頭に血が上っていても相手は軍人。いくらフランクな雰囲気を纏う男でも、言動には細心の注意を払わねばならない。
まだ何か言いたそうな顔をしてはいたが、それぞれ冷静さを取り戻したようで、ユキはジャックの右側へ、少女はジャックの左側へ、おとなしく腰を下ろした。
「聞き分けの良い子達!じゃ、中のお話が終わるまでおにーさんとお話ししてよっか!」
ジャックがユキと少女交互に笑顔を向けると二人は眉根を寄せて身を引いた。けれどジャックは構わず続ける。
「お嬢ちゃんがこの家の問題に首を突っ込みたいのはどうして?このおうちの子じゃないよネ」
この家が抱える問題。それが何なのかユキには分からないが、婦人の相談というのがそれなのだろう。
まさか自分が質問されるとは思っていなかった少女は驚いた顔で口をもごもごさせていたが、すぐに取り繕い強い口調で答える。
「…確かに、私はこの家の子供じゃないけど…別に、首を突っ込みたい訳じゃ」
「じゃあどうして家を覗き込むような真似してたの?理由があるんでしょ?それとも、天使様が言うように、ほんとに物色?」
「馬鹿な事言うな!首を突っ込みたかったら何?部外者は首突っ込んじゃいけないの?!」
「そんな事言うつもりは微塵もないよん。だから喧嘩腰はやめて頂戴。だってさ、気になっちゃうよ。君、スラムの子でしょう?」
「何を根拠に」
「君、住民登録していないよねー。見た事ない顔だもん。おにーさんはこれでも軍部務めですからね。管轄区域の住民は全員把握していますよ」
ユキが少女を見る。その顔は俯いていて、感情が読めない。
スラム。
極貧層の人々が流れ着き、寄り集まり、住み着いた区域を指してそう呼ぶ。無計画に建てられた建造物が犇めき、生活環境衛生面共に何の保証もされていない。
処刑という政策が敷かれる前から、どの街の治安よりも問題視されていた無法地帯。
ユキは、生きるためになりふりかまわない少女の姿を思い出す。
同情するつもりも、彼女の行いを庇うつもりもない。
ただ、きっと、彼女は自分には想像の出来ない環境で生き抜いてきたのだと思った。
「お嬢ちゃん、じゃない。私には九十九さんにつけてもらった、ういって名前があるの」
―九十九。
どこかで聞いた名前だと、ユキが記憶を遡る。
それは、ここに辿り着く前、ブライアンの口から行き先を聞いた時に耳にした。
この家の、主人の名前。
「おや、そうだったの!それは失礼。そんなかわいらしい名前を貰うなんて、ういちゃんは九十九さんと随分親しいのネ」
「親しい、とかじゃない。それに、私だけじゃない。九十九さんは私達みんなに良くしてくれた。寄り添ってくれた。分け隔てなく接してくれたの」
「…聞いた事あるよ。スラムの実情を気にかけてて、個人的に活動してるって」
「初めはのこのこやってきた軍人に、見世物じゃないと皆石を投げたわ。でも九十九さんは懲りずに何度もやってきた。私たちがどんな酷い仕打ちをしようとも、毎日、笑顔で、丸腰で…何年も」
「根負けしたんだ」
「たくさん話を聞いてくれたわ。一緒に考えてもくれた。助けてだってくれた。みんな九十九さんがすきよ。だから、心配してる。だから…私も…何か、助けになれる事はないかと思って…」
「ないよ。子供の君に出来る事なんてない」
ういが今にも掴みかかりそうな目でジャックを睨みつける。その感情を真正面から受け止めて、尚も笑顔を崩さない。
「君はどうやら九十九さんが帰って来ない事を知っているようだね」
「帰って、来ない…?」
「ああ、天使様は初耳だった?言葉そのままの意味だよ。ここのおうちの人がね、数日前から帰って来てないの」
「軽く言わないで」
「そんなつもりはなかったけど。どう言っても、現実は変わりませんよ」
「…変わって、もらわなくっちゃ…帰ってこないままなんて、嫌よ」
「だったら、帰って来るのを信じて待っててあげなよ。助け出すのは、俺達の仕事」
「……助け、出す…?」
「これは内緒の話なんだけどね」
ジャックが声を潜めると、ういが身を乗り出す。
「九十九さんが捕らえられてる場所は特定出来たから、近いうちに軍が動くよ」
「…嘘」
「嘘じゃありませーん」
「だって、軍が、仲間を助けるために動くなんて…」
「あらあらなんて酷い言われよう。まあね、分かるよ。軍には非道な印象抱いちゃうよね。でも、仲間を見捨てたりなんかしないよ」
ジャックはひょいっと立ち上がると、軽い足取りで二人の正面に回り込む。
まるで芝居を演じる役者のように両手を広げて、声高に告げる。
「軍はどんな脅威にも屈したりしないよ。俺達は秩序の番人なんだから」
その言葉には何の保証もない。けれど、自信に満ちた笑顔と澄んだ声で淀みなく放たれた言葉を受けて、ういは信じてみたくなった。
出会って間もない、軍の人間の言葉を。
そんな感情を抱く自分が不思議だったが、軍に関わる人物の言葉だからこそ、帰って来るかもしれない希望に縋っても良いんじゃないかと思えてしまう。
否、信じたいのだ。
生きて帰って来ると。
不安と期待が入り乱れる胸の前で両手の指を絡ませて、ういがか細く問い掛ける。
「九十九さん、生きてる…?」
「俺達はそう信じてる」
「脚が、届いたって…」
「脚だけだから。本人のものかは分からないし…本人のものだったとしても、生存の確率は高いと思うよ。人質が軍人の誰でも良いのなら幾らでも替えが利くけど…他に消息を絶ってる人間はいない。きっともっと時間を掛けて削って、こちらを脅したいんじゃないかなって思う。時間の猶予は、ないだろうけどネ」
「九十九さん、助かる…?」
「助ける」
小さな肩を震わせて、両目から涙をはらはらと零しながら。
ういは声を絞り出した。
「九十九さん、助けて」
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