ある写真家の感傷
Epilogue
出版社の厚意もあって、写真集に収めきれないほど多量になってしまった、私の故郷の写真たちが写真展によって公にされることに相成った。郊外のデパートの一角のみの、小規模な開催である。
飾られたいずれの写真も、出来栄えの良いものとは思っていなかった。これらの写真を撮るあいだ、自分の力量では、私の知る郷里を私の知るままに伝えることができないと痛感させられていた。
それゆえに、私の中では、この個展はある種の「供養」のつもりだった。
最終日、私は会場へ足を運んだ。平日ゆえ人はまばら。デパート側の人間にいくらか声をかけられたが、客の中に私に気がつく者はいない。会場の入り口では顔写真付きで私を紹介するパネルもあるのだが。
三〇分ほど場内をうろうろして、帰ろうかと思い立ったときだった。ふと、場内中央の長椅子に座る、ベージュの帽子を被った老人が目についた。
その男性は白い杖を持っていた。それを手にしていなければ、私は彼に声をかけようとは思わなかっただろう。ひとりで疲れた様子にしている彼への親切心と、隠しきれない興味があった。
「大丈夫ですか? お疲れではありませんか?」
すると、男性はこちらに顔を向けた。
「ああ、お気遣いありがとうございます。妻がお手洗いに離れているあいだ、休憩させてもらっているだけですから」
相当高齢とみえ、声もがさがさに枯れているのだが、活舌ははっきりとしていた。とりあえず心配は要らないとわかり、一安心する。安心すると、今度は興味のほうが前に出てくる。
「この写真展へは、奥様が来たいと?」
老人はこくこくと小さく繰り返し頷いた。
「ええ、そうなんです。まあ、おかしな話でしょうね。見えないくせに写真展に行きたいなんて言い出したら」
「あ、いえ、そういうつもりでは」
彼は笑った。若々しい声だった。
「失礼、からかってしまいました。妻の希望で来たことには違いないものですから。いつも助けてもらっているので、少なくとも月に一度は、妻の行きたいところへ一緒に出掛ける約束なのです」
「それは良いことですね。でも、その……楽しめていますか?」
私の懸念を聞いた彼はきょとん、としていたが、すぐにまた相好を崩す。
「もちろんですとも」
上機嫌な彼に、今度は私のほうが呆気に取られてしまった。私の身に置き換えて考えてみれば、写真家という職業を見えていてさえ困難と感じるのに、もし見えなくなってしまったなら――写真そのものを忌み嫌って、距離を置いてしまうだろう。
でも、彼は楽しいと言い切ってしまうことができる。
「いやね、見えないものは見えないのですよ? けれどね、私も見えない身体で長いものですから、雰囲気くらいは感じられる気がしています。周りの人の吐息とか、足音とか、聞こえてくるものなんかを頼りに、何となく」
彼も彼なりに見えている世界があるのだろう。それが私と決定的に違うとすれば、切り取ることが可能かどうかなのかもしれない。彼は常に、音や気配といったリアルタイムの出来事を感じ取って生きている。構図を考え、一瞬を永久に変えることを生業とする私には、到底及ぶことのできない境地にある世界だ。
ため息の出る思いでいると、彼が不意に呟いた。
「綺麗なところなのですね。撮った方の故郷なのでしょう? きっと、たくさんの思い出がある、素敵なところなのですね」
妻が迎えに来たようだ、と入り口に現れた老婦人の気配を感じ取り、彼はゆっくりと椅子から立ち上がると、杖で足元を探りながら軽い足取りで去っていった。そして、妻と腕を組むとこちらを振り返り、帽子を取ってみせた。
彼の見ている世界においては、私がこの個展を開いた写真家その人であるとはっきり見えていたのかもしれない。
私も立ち上がって、一周、客のふりをして自分の写真を見てみた。どれも納得のいく作品とは言い難い。プロの撮る写真ではない。しかし、見え方は変わっていた。私の知るふるさとがそこに切り取られているように思えた。
彼のおかげで、確かに、私の中の何かが供養されたようだ。
写真狂時代 大和麻也 @maya-yamato
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