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 紗千さちは昔から少し抜けていて、それゆえに男を引き寄せるところがあった。

 いまの俗っぽい言い方に寄せるなら、「ゆるふわ」というやつだろうか。男性から見れば保護欲でもそそるのかわからないが、自分ではこれといった努力をしていないはずなのに、よくもてた。大学四年間で、彼氏のいない時期のほうが短かったのではなかろうか。人数は、少なくとも四人か五人。

 そういうところも含めて私とは正反対なところばかり目立ったものの、不思議と波長が合って、大学時代一番の友人として付き合っていた。

 図らずも恋多き女だった友から結婚の報せを聞いたとき、私はひとつも驚かなかった。私よりも早く結婚することは、予想するまでもなく明らかな、「予定」とでもいうべきことだったから。

 結婚生活がうまくいくことも想像に易く、実際にそうだった。彼女はマイペースではあったが、熱しやすいところもあり、何事にもハマると長いし、のめりこむ。時にそれは悪癖であったけれど、結婚にあたってはむしろ良い方向にはたらいて、きっと相手を一途に愛することができると信じていた。

 まもなく紗千は子どもを産んだ。息子は少々虚弱だったらしく、苦労したらしい。私も私で、仕事でそれなりの地位に就き、新人のころとは別の何かに忙殺されるようになる。それでも、私たちは忙しい合間を縫って、時々喫茶店などで会って話す機会を設けていた。

 話題は大学時代のことが多かったが、特に盛り上がるのは、ふたりで二週間九州を回った旅行の話だった。

 といっても、思い出を共有する喜びに声が大きくなるのではない。当時は気にならなかった旅先での関心の不一致や、同じ場所に居ながらまったく異なるものを見ていた驚きなどが私たちを笑わせてくれるのだ。

「え? そんなところ行ったっけ?」

 という紗千の素っ頓狂な声は、私を飽きさせない。

「証拠が残っていればよかったのに。カメラを忘れてくるから」

「紗千のほうこそ、カメラがあるくせにほとんど撮らないんだから」

「だって、心底感動していたら、撮ろうという気も起らないもの」

「どうだか」

 証拠所写真がほとんど残っていないがために、私たちがあのときに見た光景は、各々が記憶の中に閉じ込めている。それゆえ共有は難しい。言ってみれば、写真が思い出を裏付けしてくれるはずだったのだ。いまになって惜しんでも、あのときあの地を訪れた事実は、もはや再現不可能になってしまった。

 だから、協力して手探りで描きなおす作業が楽しかった。

 実際には持たない写真を、一から手作りしているようだった。

 もしかすると、あの旅行の記憶こそ、私の中に残る最後で、最も鮮明な記憶だったのかもしれない。紗千が結婚して妻になる前の、あるいは、恋や愛に絡めとられていく女性になる前の。私との一対一の関係だけで描かれる彼女の。



 しかし、紗千の結婚生活の終焉とともに私たちは一度疎遠になった。

 不運はある夏の夜、彼女の夫に降りかかった。確か、お盆休みが明けて最初の金曜日だったと聞いている。久々に同僚と飲みに行って、その帰り道、酔った足で歩道橋の階段を踏み外して転落してしまう。日の出も近い時間になってようやく発見されたときには、すでに帰らぬ人となっていた。打ち所も悪かったらしく、発見が早くても助からなかった可能性のほうが高かったとか。

『どうしよう、どうしよう……』

 電話口でそう繰り返す、動転した彼女の声は未だに耳について離れない。家族に報告するより先に、私に連絡を入れてきたそうだ。土曜日で仕事は休みだったから、できるだけ宥めて、励ましてやることはできたつもりでいるけれど、自信はない。私だって心臓を口から吐き出してしまいそうだったから。

 かわいそう、という気持ちはあまりなかった。その代わり、彼女は大丈夫だろうかという不安が強かった。気をおかしくしてしまわないだろうか、と。

 何回か会う機会を設けた。その度彼女は泣き崩れた。

「急に亡くなるなんて。もっと思い出を作りたかった」

 彼女は決まってそう言い、別れを悲しむ。土曜日には、家族で撮った写真を三人でアルバムに整理する約束をしていたのだという。奇しくも、彼女の息子にとって初めての、小学校一年生の夏休みであった。

 話を聞くごとに、彼女の夫がまたとない人だったのだろうとわかった。マイペースな彼女にとことんまで付き合って、優しく包み込んでくれる人だったのだ。夫を失った彼女はきっと、もはや世界に居所はないと絶望していたに違いない。

 私は充分な助けになれなかったのかもしれない。私を頼ってくれているなら、もっと会いたいと言ってきそうなものだ。でも実際には、一周忌のころを境に、彼女と連絡をとる機会がめっきり減ってしまった。彼女は実家に戻ったわけではないし、私の仕事もまったく余裕がないというわけではなかったから、会おうと思えば会えた。しかし、いつしか私のほうから誘うばかりになっていると気がついて、気後れするようになってしまった。それ以降、ほとんど会わなくなってしまった。

 会えないあいだ寄る辺のない彼女を案じていると、「ああ、確かにそうだったな」と彼女の言っていたことを思い出す。私たちは大学時代からずっと、当たり前に会って話して過ごしてきた。こういうとき、寂しさに打ち勝つためには、写真くらい撮っておけばよかったのだな、と。

 それでも、いつしか記憶の遠く向こう側に彼女の存在は飛ばされていってしまった。彼女のお気に入りの洋服が何色だったか思い出せなくなり、彼女の子どもが何年生になったのかも忘れてしまった。

 それこそ、写真の一枚でもあれば違ったのだろう。



 友人を介して久々に紗千から連絡があった。

 年賀状のやり取りすら続かなくなって数年は経っていただろう。時代遅れとからかわれたガラパゴス携帯電話をスマートフォンに機種変更したころで、紗千のメールアドレスと電話番号はもはや不通になっていた。私もそれらを変更することになったため、せっかく見つけた彼女の足跡を消さなくてはならなかった。

 惜しんだのも束の間、無料メールアプリで友人から電話番号が送られてきた。紗千が私と連絡を取りたくて探していたのだという。

 通話がつながると、紗千の嬉しそうな明るい声が聞こえてきた。

「会える? 話したいことがいっぱいあるの」

 双方とも転居していたので日程の調整が必要だったものの、一か月以内には半日一緒に過ごす時間をつくることができた。ふたりとも電車を乗り継いで九〇分はかかる場所が話し合って決まった中立地だった。

 これでは簡単には会えないな、と疲れた脚をさすりながら喫茶店で待っていると、約束の時間に数分遅れて紗千がやってきた。彼女のいで立ちは若々しかった。実家で行き遅れと揶揄されるようになった私だったら、ちょっと躊躇うだろう恰好だ。少なくとも女友達の前で見せられる服装とは思わない。

 その姿を見て、彼女が話したいことが何なのか一瞬で理解した。

 あたふたと前置きをしたあとで、彼女は思い切ったように言った。

「今度ね、結婚するの」

 一応驚いて喜んで見せたが、内心では「またか」と思っていた。二度目の結婚についてそう思ったのではない。二度までも、彼女の結婚に驚かなかった私自身のことを「またか」と思ったのだった。

 紗千はもてるのだ。自分がそうしているわけでもないのに。

 私がパートナーを見つけられないうちに、二回目か。悔しい思いがしないでもないが、心を乱すほどのことはなく、すとん、と腑に落ちる。そういうこともあろう、紗千のことだから。

 写真も見せてもらった。最初の夫とは毛色の違う人で、いくらか年下だという。一枚や二枚ではなく、相当たくさんの写真を彼女は見せてきて、息子を含めて仲良く過ごせていることを教えてくれた。その息子は中学生になっていて、多感な時期なのにすんなりと新しい夫を家族に迎えられると紗千は喜んでいた。

 それにしても、と思った。

「いっぱい撮っているのね。もう一〇〇枚は見せられたんじゃない?」

 際限なく彼女は写真を見せてきている。本音を言うと、飽きてきている。そんな私を気にする紗千ではなく、問われるのを待っていたかのように瞳を輝かせた。

「そう、そうなの。思い出はちゃんと残さないといけないでしょう?」

 彼女の表情はころころと変わる。いったん身を引いて、声を低くした。

「……前に思い知ったから。残しておかないと、いつ続きがなくなるかわからないって」

 しばらく会わないうちに私は紗千を誤解していたらしい。次の男性に影響されて写真趣味にハマったのかと想像したけれど、必ずしもそういうわけではなかった。彼女は未だに、心の奥底では思い出を抱いて泣いている。

「それでね、これをやるようになったの」

 それから彼女は写真の投稿を旨とするSNSを紹介してきた。現在ではすっかり身近に浸透したそのサービスも、当時はまだ一部の芸能人の発信が注目されているくらいで、黎明期だったといえる。会社の部下からも話を聞いたことがあったが、スマートフォンが手に馴染まないころだったので、自分には関係ないものと思っていた。

 私がやると「年甲斐もなく」と言われてしまいそうなそれを、紗千は楽しんでいた。紗千なら許されるような気はした。まして新しいパートナーは、私に比べれば若者の文化に親しみやすかったことだろう。羨ましいほどに、楽しんでいた。

 投稿した写真の履歴だの、タイムラインだのと、一通り機能を紹介され、「いろいろ見られて楽しいよ」とアカウントの作成を勧められた。断る理由もないし、紗千も自分の投稿を私に見せたいのだろうと思い、言われた通り自分のアカウントを登録した。

 夕食もともにして、他愛無い話ばかりして過ごした。実りのない会話が私たちに若さを思い出させてくれるようだった。紗千が大学生のころの彼女に感じた瞬間さえあった。彼女にとっても、再婚とはそういう機会だったのかもしれない。

 ほろ酔いで別れて、長い電車での移動中にふと寂しい気分になった。

 次に会うのはいつになるだろう? そのときが来たなら、彼女はどのようないで立ちで現れるだろう? ――女、妻、母。私と違って「顔」を使い分けているから、いつでも同じ紗千に会えるとは限らない。次のそのときまで、紗千はどのような紗千として日々を送っているのか?

 ああ。

 そうだった。

 こういうときのためにSNSがあるのだった。



「始めてから二年くらいなんだけど、それだけでもたくさん変わっていることがあって、やっていてよかったなって思うの。うちの子も成長期だから、最初のころといまとでとは全然違うんだもの、びっくりしちゃう」

 紗千がそう喜んでいたように、彼女はSNSをアルバムのように用いていた。綺麗にセッティングして写真を撮り、選りすぐってアップするというよりも、スマートフォンで気軽に写した飾り気のないものを次々に投稿している。旅先で撮ったもの、誕生日ケーキと一緒に息子を撮ったもの、夫とツーショットで撮ったもの、並んでテレビを見る家族の背中を撮ったもの――日常と非日常が入り混じっている。

 試しにほかのユーザのページも見てみた。若いユーザは写真の加工に慣れていて、紗千のページと比べると色彩がはっきりとしていて、一枚一枚に美しくは感じるのだが、全体としては眩しくて鬱陶しい。紗千のほうは素朴で、日常のありがたみを切り取った写真なのだと伝わってくる。この感じ方の違いは、私が紗千の経験を知っているからこそではあるが、根本には、時間の捉え方の差異によるのかもしれない。

「本当に良かった」

 つい、ため息とともにそんな言葉が漏れて、ひとりで赤面した。活力を取り戻した紗千に気圧されて、心が老けてしまったらしい。確かに、形にして残しておきたい日常を持たない私は、彼女に比べて老けこむのが早くても仕方がないとも思える。

 若さが羨ましいからではないが、私はちょくちょくアカウントにログインするようにした。無料メールアプリを用いて連絡をすることもあったが、SNSの投稿なら文字以上の情報を物語ってくれる。

 ログインするたび、自分にくすりと笑ってしまう。旧友に再会したことがそんなにも嬉しかったのだな、と。コメントはしなかったが、彼女の日常をSNSから垣間見ることが習慣になっていった。

 ある日、ふと、私がSNSを見ていることに気がついた部下――SNSにハマっている女の子で、一緒にランチに行くと料理を撮影して投稿しているところを見る――が声をかけてきた。

「あ、その男の子知ってます。投稿しているユーザさん、近頃人気が高まっているんです」

 アカウントは持っていても投稿はしていなかったし、そもそもスマートフォンに未だ慣れない私は知らなかったが、紗千は投稿数が多く、また日常的で素朴な写真の魅力がウケているという。

 知らないうちにもてるなんて、紗千らしいといえばそうか。

「ほら、フォロワーの数とか見てみてくださいよ」

 それまで意味を知らなかったので気にも留めなかったが、フォロワーというのは紗千の投稿を追っかけているユーザのことらしい。私もそのひとり。紗千は、そのフォロワーを四桁も抱えていた。

「アップ数も……あ、こっちも四桁の終わりのころですね。投稿意欲が旺盛なユーザは目立つんですよ、やっぱり。わたしなんかは質で勝負しているつもりなんですけど、とりあえず見てもらうには投稿数の多いほうが有利なんですよね」

 部下は少し口を尖らせながら話していた。

「というか、その人とリアルで知り合いなんですか? そのSNSを使っているとは知りませんでした」

 隠すこともないので大学時代の友人だと伝えると、彼女は興奮して「へえ、羨ましい」と口走った。

「そんなに憧れるものなの? 誰しも人気になりたいってこと?」

「そうですね。ネットに自分を晒すんですから、多少はリターンを目指しますよ」

 お昼行ってきます、と彼女は踵を返し、後輩たちを連れてオフィスを後にした。たぶん、近場の洒落た店でかわいいランチを注文し、写真を投稿するのだろう。

 それにしても、紗千がそんなに評判になっているとは。彼女のアカウントはあくまで彼女のためのアルバムであって、見られて評価されるためのものではないものと思っていた。

 今度ばかりは、努力して人気を得ているのだろうか? ハマりやすい彼女のことだ、案外、何人かに好評を得たところで気分がよくなって、人気ユーザとして階段を上っていくことに興じているとも考えられる。

 まあ、それも悪くない。彼女は自身の辛い経験から、思い出を形にして残すことに必死になっている側面もある。誰かからそれを評価されて、やりがいや楽しみを見いだせているのなら、それはそれでよいことだろう。

 私も携帯電話を閉じて、昼食にした。



 私の冷めやすいところも、紗千と好対照をみせる性質のひとつだ。

 仕事で大きいプロジェクトがあってログインしない時期が続いてから、SNSのアカウントにログインすることはほとんどなくなっていた。紗千の投稿を見ないどころか、また忘却の彼方へと彼女を置き去りにしているところだったから、本人から連絡がきたとき「あ」と声を漏らしてしまうのだった。

「久しぶりに会わない?」

 カレンダーを見ると、前回会ってから一年と数か月が経過していた。私の口からこぼれた「言われてみれば、久しぶりだね」という言葉は、私たちの友情がいかに淡泊であるかをよく表している。一方には家庭ががあるのだから、そのくらいで普通なのかもしれないが。

 予定が空いていたので、さっそく週末に会う約束をした。

 予習ではないが、彼女に会うまでのあいだに彼女のアカウントを確認した。トップページにはもはや見覚えのある写真はなく、遡ってみても知らない写真ばかりだ。少なくとも半年弱は見ていなかったらしい――それにしても投稿が多い。数か月遡るのにこれほど苦労するものだろうか?

 中学二年生の息子を写したものが非常に多い。家、外出先、グラウンドなど場所は様々で、制服、Tシャツ、ユニフォームと服装も様々だ。ありとあらゆる場面を写真に収めているといって過言ではない。かつてよく見られた家族の写真も以前と同じペースで投稿されているようだが、それを何倍も上回るハイペースで息子の姿がアップされている。

 まるで芸能人のように、一分一秒、母と一緒にいる時間にはひたすら写真を撮られているようだ。母は過去と現在とを写真で比べて成長を喜んでいたが、間隔が短すぎてそれどころではない。

 異常だ――私はついに、そう感じてしまった。

 これはもはやアルバムではなくなっている。写真集? 違う。写真集であれば、撮られる側にその用意があって、もっと綺麗にまとめられるものだ。いまこのアカウントには、息子の「生」の姿が時系列順になって大量に並べられている。これは相当、むごいもののように思う。

 投稿数を確認する。

 五桁も半ばになろうとしている。

 以前職場の女の子と話したときは、まだ四桁が終わろうというときだった。あの時点で、紗千はSNSを二年続けていると言っていた。それから一年。その間に、数万点の写真を? 悪い癖が出てしまったということか。

 調べてみると、熱しすぎたことに気がついて自制が利いたのだろうか。投稿は一か月ほど前にぴたりと止まっているようだった。アカウントも、親しいユーザ以外には公開されない設定に変更されている。それに伴ってか、フォロワーの数は一〇〇人ちょっとまで激減していた。

 異常に加熱し、急激に冷める――私が見ていないしばらくのうちに、劇的な変化がそこで起っていた。人気者になろうと熱を上げているのではなさそうだが、だからこそ奇妙な何かを感じる。

 紗千に喫茶店で会ってすぐには、自分からその話を持ち出すことができなかった。とりあえずは自分の愚痴――気の利かない部下やら、結婚しろとうるさい実家やら――を適当に話して笑っていた。ところが、紗千は私から言い出せない話題を話したくて仕方がなかったらしい。ふとしたことにかこつけて、不意に切り出した。

「この前ね、息子に怒られちゃったの」

 そのときの紗千の声には何か粘り気のようなものが感じられた。言葉の中に感情が溶けきっていないのだろうか。頭の中にはいつもお花畑が広がっていた彼女のものとは思えないほど、粘着質の不快さを孕んでいた。

 でも、私には平静を装って問うほかに選択肢はなかった。

「何のことで怒らせたの?」

「……写真を撮りすぎだって」

 息子も反抗期になって当然の年頃だ。母親が写真を撮って付きまとえば、苛立ちを募らせてもおかしくない。

 ただ、どれくらい話が大きくなっているのかまだわからない。とりあえず、話の続きを促した。

「最近投稿を控えているのはそのせいなの。子どもが嫌がるから、更新を止めるしかなくて。無理に撮ったものは、素敵な思い出とは言えないでしょう?」

 おそらく、息子は彼女が手を止める以前から、嫌がるところを無理に撮られていると感じていたことだろう。母親がそんな息子の心の動きに気がつけなかったとすれば、理由は薄々想像がついていた。

「実は前の冬にインフルエンザにかかってね。すごく辛そうにしていたから、ちょっとだけ、不安になって」

 インフルエンザといえば大病ではあるが、中学生なら適切に治療できる。しかし、紗千の子どもは病弱であったから、脳裏によぎってしまう――このまま死んでしまったらどうしよう、と。

 彼女にとっては、決して大げさではなかった。

「だから、いま以上に思い出を残しておかないといけないって感じちゃったの。成長期だから毎日のように顔や体格が変わっていくの。それなら、どんどん撮らないといけないなって。でもそれは、男の子にしてみればうるさかったのね」

 子どもの思いを無視していたことには呆れていたが、紗千の不安にも、ある程度同情したかった。彼女の「思い出」に対する執着は、根が深い。

「何て言って怒っていたの? 解決はできそう?」

 根本的な解決には、彼女の不安の解消が必要なのだろうけれど、それには自信が持てない。せめて、表面上、親子の絆の修復にアドバイスをしたいと思った。

 紗千は嘆息を漏らす。

「『気持ち悪い』って言われた」

 反抗期にありがちな台詞である。和解にそう時間はかかるまい、少し励ましておけばいいだろうと思ったそのときだった。

 もっと重大な歪みが生じていることを思い知らされた。

「『知らない人に知られているなんて嫌だ』って言うの。この前、街中でSNSの写真を見た人に声をかけられたらしいのね。確かにそれは嫌だっただろうから、アカウントは非公開にして、大半のユーザとも関係を切ったんだけど……あんまり解決になっていないみたいで」

「…………」

 頭の中で整理が必要だった。

 私は初め、息子が思春期の親への反抗心から「気持ち悪い」と投げかけたものと思った。しかしそれは違って、自分の顔や背恰好が世の中に向けて公開されている恐怖を指して「気持ち悪い」と言っていた。

 ところが、母親が公開を制限しても、息子は満足しなかった。アカウントがどうなっていようと、彼には「気持ち悪い」ことが起こっていると感じられる。一度公開され、世間の記憶に残ってしまったから許せないとも考えうる。それでも、息子なら、母親が思い出を形にしたい感情も理解していそうなものだ。気持ち悪さの正体は、さらにまた別にある。

 どういう意味なのかな、と呟く紗千が鈍感に過ぎるのは確かなのだが、私にも掴みきれないものがある。彼女の息子に共感する部分はあるが、何に共鳴しているのか、自分でもなかなか見えてこない。

 試しに問うてみた。

「旦那さんは何て言っているの?」

 目が覚めたように、紗千は「ああ」と声を漏らした。

「それがね、子どもの味方をするの。なんだか意味深長なことを言っちゃって」

 続きを促した。

 そして、彼女の夫の言葉を聞いて、ようやく私も違和感の正体を感じ取ることになる。


「数が思い出を『記録』にする――ですって。これってどういう意味?」

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