安西言

月は、暑いころよりも、寒いころに見上げた方が、きれいに見える。これが早月(さつき)の持論だ。この論について、早月の周囲には賛同する人間が少なかった。部活帰りに、

学校の校舎から暗くなった外に出て、

「月って、寒い時期のほうがきれいだよね」

と言ってみても、

「さむーい、早月、なにのんびりしてんの、早く帰ろうよ」

と、友人は空を見上げようともしなかったし、暖かい屋内で同じことを話しても、

「冬の夜なんて、窓開けないし」

とばっさり切られてしまったりで、仕方なく、早月は一人で月を愛でていた。


早月が冬に月を見上げるのは、もうひとつ理由がある。忘れられない人との思い出を愛でるためだ。会わなくなってからもう5年経つのに、早月はいまだに他の男性を愛せないでいた。


 彼の部屋に泊まりに行ったときに、二人で月を眺めた。そのときも、寒い季節だった。

「月って、寒い時期のほうがきれいだよね」

「そうだな。光が冴え冴えとしてるな」

即座に肯定の返事が返ってきて、早月は驚いた。

「賛成してくれる人、初めてだよ」

「え?そう?今まで反対されてたの?」

「反対というか、見向きもされなかったというか」

早月は、嬉しさで緩む表情を彼に見られないように、下を向いた。

「俺は、一人でここに居るときも、月明かりで晩酌するけど」

「そっかあ……月見酒なんて、高校のときは想像もしなかったなあ」

「あ、ビールでよかったら飲む?」

彼が誘ってくれたので、

「うん、飲もう、月見酒!」

早月は声を弾ませた。二人で、月を眺めながら、お酒を飲んだ。


人を傷つけることを、何よりも恐れる人だった。「大丈夫?」が口癖だった。冬の月の光のように、冴えて繊細な彼の隣に居ることが、早月にはだんだん負担になっていった。こんなにどろどろした人間が、彼の隣にいてはいけない、彼を好きな気持ちよりも、離れたい気持ちのほうが、早月の中で大きくなっていったのだ。しかし、別れを口にすることもまた、彼を傷つける行為だった。二日くらい眠れないで考えた挙句、早月は「自分を嫌わせる方法」を実行した。


 作戦は、上手くいった。彼に嫌われることに成功したのだ。「俺は信用されてない」という傷を与えてしまいはしたが、「早月を傷つけることで俺は10倍傷ついた」という状況は免れた。


 夜、自分の部屋の窓を開け放って、早月は月を見上げる。寒い、心地いい、手が冷たい、といろんな感覚が、早月の中を駆け巡る。握り締めた冷たい手に、涙が零れる。彼は、この時間なら眠っているだろうか。新しい人との出会いがあって、幸せでいるだろうか。抱きついたときの彼の温もりやにおいを思い出しながら、早月は泣いた。



「さつきせんせー!」

「どうしたの?こんな時間に」

すっかり暗くなった道で、教え子に出会って、早月は驚いた。

「見てカバン!塾の帰り!」

小学校の教師になって5年。そうか、小学5年生にもなれば、塾くらい行くよな、と早月は納得した。

「気をつけて帰るのよ」

「はーい!」

走り出した男の子が、足を止めてもう一度早月のほうを見た。そして空を仰ぐと、

「せんせー、月って寒い時期のほうがきれいに見えるよねー?そう思わない?」


月って、寒い時期の、ほうが。


「せんせーさよなら!」

固まってしまった早月を気にせず、男の子は走って行ってしまった。早月は、視界から男の子が消えると、やっと肩の力を抜いた。


 これからも出会えるだろうか、と早月は思った。これからも、寒い時期のほうが月はきれいだと言ってくれる人に、出会えるだろうか、と。


早月は空を仰ぐと、深呼吸をして、歩き出した。



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安西言 @kototonkoto

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