第22話 そのあと

 海外には慣れているはずの選手の大半が、ディズニーランドで遊んでから帰りたいと言うので、日本サッカー協会が「準優勝のご褒美に」ということで便宜を図ってくれた。

 という訳でニューヨークからは高速ジェットで約二時間、年甲斐もなく私も一緒にやってきた夢の国。日本へ帰国する前の僅か二日の休暇を、誰も咎めはしないだろう。

 優勝出来なかったということ、銀メダルに悔しさを滲ませたこと。それらは一晩眠れば案外すっきりするもので、試合の翌日には私たちは談笑するまでに精神を回復させていた。なので日本の皆さん、どうか選手たちが空港で笑っていても、生卵は投げないでやってください。

 中にはまだ死闘の疲れや、自分の一つ一つのプレイに対する後悔、反省を心に残す様子の者もいたが、それらは自らが戦いを続けていくことのエネルギーとし、いつか払拭していけばいいと思う。

 53年生きてきて、これほど熱かった夏はない。

 選手時代も味わうことのなかった興奮と、異常なまでの雰囲気に、私は飲まれていたことをここに白状する。選手同様、何度も我に返ったつもりだったが、結局ワールドカップ決勝という、初めて登るとてつもなく高い山に、徹頭徹尾飲み込まれていた。

 冷静に判断しているようで、本当に私が打った手は最善策だったのか。あの時、こうしていれば、ああしていれば、考え出すとキリがない。私は今大会をもって、日本代表監督としての契約が切れるが、同じ熱量で次の仕事に当たれる自信が今はない。

 それくらい、異空間だった。

 ワールドカップという舞台は。

 強行な日程の中、無理矢理家族をここフロリダ(ディズニーランド)まで呼び寄せた者もいる。チームメイトと賑やかに過ごす選手もいる。サッカー選手としては大人びた表情を見せるとは言え、18歳や19歳の若者もいるのだから、彼らがディズニーを満喫するのも特別不思議なことではない。

 どれほどのものか計り知れない緊張感。世界中の人間に注目され、好き勝手な批評を受ける職業。それがサッカー選手。その重圧と極限状態で闘い続けた90分。その中の、特に後半45分は、地獄の壺の中に押し込められているような感覚だった。バカンスによって緩和される今の心もまた、彼らの持つ人間性を豊かにする。そうやって、人は成長していく。


 4と5。色んな場面でキーワードとなった数字だ。

 願わくば大逆転をし、5対4で試合を終えることが出来ていれば、この『夢の国』の光景は、もっと色鮮やかなものになっていただろう。

 ただ私たちは、ブラジルの4分の3(スリー・クォーター)しか得点を奪うことが出来なかっただけ。


 たった、それだけのこと。



 「藤崎監督、楽しんでるっ?」

 飄々と声を掛けてきたのは、日本のエースであり、大会優秀選手の一人にも当然選ばれた能美水流だった。

 「なんだ、お前?その子供は誰だ?」

 日本人と思しき少年を、能美は連れて歩いていた。はて、こいつは未婚のはずだが…。

 「こいつ、俺の大ファンなんだって。かわいいよな~」

 能美は10歳にも満たなそうなその子供の頭を撫でた。少年は嬉しそうに微笑んだ。

 「誘拐すんなよ。親御さんは近くにいるのか?」

「大丈夫だよ。ノープロブレム!」

 けたけたと少年のように笑う能美。波長が合うのか、子供とは既に打ち解けているようだ。

 「ミズルのサインほしい」

「おっ、いいぞー。ペン持ってる?」

 えーっと…、と言いながら、能美はその少年に連れ去られるように、彼の両親らしき人たちの方へ走っていった。

 お前が誘拐されるんじゃないか?

 そんなことを思い、私は吹き出していた。


 小さき少年が纏う、イングランド・プレミアリーグの名門、リバプールの『9』番のユニフォーム。能美が以前、所属していたクラブのものだ。

 背中の刺繍は『NOUMI』。

 このワールドカップのもっと前から、少年は能美のファンであり、能美は世界中の子供たちに夢を与える存在なのだ。


 サッカーワールドカップのそのあと。

 四年毎に開かれる大会。次の開催地も決まっている。

 いつかまた、日本にその祭典がやってくるまで、脈々と日本サッカーの系譜は引き継がれていく。

 能美が少年からペンを取り、自分の番号のユニフォームにサインした。そしてペンを再び少年へ。

 その光景は、フロリダの高い陽に照らされて、さながら希望のバトンパスのようだった。

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