水底の夏

@niiko

水底の夏

 東京郊外のキャンプ場に、その川はある。

毎年、夏になると家族でその川にキャンプに出かけるのが私の楽しみだった。

ところがその年は両親に急遽仕事が入り、キャンプを楽しみにしていた私のために、母は叔母夫婦と一緒に行くように私に告げた。

 何年か前に法事で会ったきりの叔母夫婦と従姉妹たちは私に対して素っ気なくて、私そっちのけではしゃいでいた。

従妹達は彼女らだけで遊びたがるし、義理の叔父は家族サービスで来ただけだし、叔母は自分の子供にしか興味はない。


 そんな叔母達に嫌気がさして、川へ泳ぎにいくことにした。

何回か来たことのあるこの川は、私にとって庭も同じだ。

「遠いところに行っちゃ駄目よ」なんて叔母達は言ったが、それっきり彼らが私を気にかけることはなかった。


 水の流れを体中に感じながら、休むことなく水を掻く。

体力が許す限り川を遡り、川の流れに身を任せて川を下る。水死体みたいだなと思うけれど、なかなかにいい気持ちだ。

耳元で水の音がする。日の光が眩しくて、目を閉じた。

都会の喧騒から離れて、こうして暖かな陽光と水の冷たさのアンバランスさを感じながらぼーっとするのも悪くない。

身体を捻って水に沈めば、川底の石が体に触れて、いつの間にか浅瀬の方に来ていたことを知った。

川底に足をつけて立ち上がると、重力がものすごく重たいものに感じてふらつく。

今日は、向こう岸まで行ってみよう。

この川のことなら、どこにどんな大きさの石があるかもどこがどれくらい深いかも流れの速さも全部知っている。

勝手知ったるなんとやらだ。

浮力で体が軽くなり、すいすいと泳ぐ。

この川の川底は意外ときれいだ。藻もないし、泥も溜まっていない。自然のまま綺麗に保たれている証拠だ。小石が堆積した小高い山を越えると、川は一気に深くなる。

川の淵だ。

手がざらざらとした硬い感触を捉えて、それにしがみついて顔を上げる。川の反対側に来ていた。この場所は木陰になっているので、水がとても冷たい。太陽光がどんなに偉大か思い知った。足元を小さな魚たちが泳いでゆく。顔を水につけると、そのさまがよく見えた。水の透明度が高いからできることだ。

身体を捻って水に潜ると、魚たちはいっせいに散らばってしまう。川底には大きな流木があって、そこを住処にでもしているらしい。しばらくじっとしていると、徐々に魚たちが戻ってきて泳ぎ始める。小さいものから豆アジくらいの大きさのものまで様々だ。魚はチョロチョロと休みなく動き回るから見ていて飽きない。

そろそろ息継ぎをしよう、と水面に向かって水を掻くが、ふと気づく。

体が動かない。

精一杯手足を動かすが、体は浮きも沈みもしない。

やばい、かもしれない。

脳裏に、去年の景色が蘇る。

去年ここに来たとき、たしかこのあたりには黄色いテープが張られていた。なんでも、成人男性が溺れ死んだらしい。

そうだ。たしか、丁度この場所だった。

落ち着け。落ちつけ。おちつけ。

大丈夫だ。一体何年水泳を習ってると思ってる。

水の冷たさが、私をクールダウンさせてくれる。

……いける。大丈夫。

もう一度、水面を目指して水を掻いた。今度はさっきよりも強く。それでも体は動かない。もっと強く。足も動かす。

それでも体は動かない。

これは後に中学校で習ったことだが、この世には『浮力』というものがある。まあ物体を浮き上がらせる方向に働く圧力のことだ。ただし、物体をある深さまで沈めると、浮力と重力とが釣り合って物体はその場で静止するらしい。

私は多分それで浮きも沈みもできなくなったのだ。

ちなみに、それ以上深く沈めると物体はただただ沈んでいく。

それを、当時小学生の私はなんとなく察していた。

このまま何もしなければ私は本当に溺れ死ぬ、と。

そこで、下には潜れないかと考えた。

川底を蹴って、その推進力で上に上がるのだ。

……いや、待てよ。

そのまま上がってこれなくなったらどうする。

息が苦しくなってきて、口の端から小さな泡が零れる。手で口元を押えた。

静寂に満ちた水の中で、自分の心臓の鼓動だけが聞こえた。

ドクリ、ドクリと早い鼓動。

息が苦しい。

私、このまま死ぬのかな。大の大人だって溺れたんだ。なら、私は?

走馬灯とやらはまだ巡ってこない。自分の人生をほんの一瞬で見せるというそれはどんなものだろう。

溺死は苦しいと聞く。どれくらい苦しいのだろう。

でも、くるしい内はまだいい。

だって、それはまだ自分が生きている証だから。

視界の端を、なにか黒いものが横切った。

大きな魚、この川の主だ。

数メートル先で悠々と漂うその姿を、私はただぼんやりと眺めた。彼は、普段なかなか私達のもとには近づかない。

彼は私達が川で泳いでいるときはいつもどこかへ行ってしまう。いつも私達がいなくなってから、自然の姿に還ったその川で彼は悠々と満足そうに泳ぐのだ。

私はその時、彼に何か言われた気がした。

もちろんそんなはずはない。魚が喋るものか。でも、そんな気がしたのだ。私はその時、何故か彼の言葉なき言葉を理解した。

暴れていた心臓の鼓動が、だんだんと元に戻っていった。私が完全に落ち着きを取り戻したときには、主はもういなくなっていた。

もう、さっきまで感じていた息苦しさはなくなっていた。

不思議な感覚だった。

まるで、川の水がすべて自分のものにでもなったような感覚。

体から余計な力が全部抜けていた。体を捻ると、今度はさっきよりずっと楽に、思い通りに動いた。川底に足がついた。とたんに泥や藻が舞い上がって、足元を滑らせて思わず転んだ。水の流れがない澱みにゴミが溜まっていたらしい。水の中でどうやったら転べたのか、今となってはわからない。石のごつごつした感触と藻のぬるぬる感が印象的だった。

その時見た景色を、私は一生忘れないだろう。

足元に小さく舞った藻。逃げ出していく小魚達。水面に煌めく日の光。冷たい水の感触。

すべてが非日常的で、幻想的だった。

その時ばかりは自分の命の危機も、すべての煩悩も憂いも忘れた。

感嘆のため息が零れ落ちた。途端に息苦しさが蘇る。

急いで立ち上がり、水底を蹴った。全身を水が撫でていく。

精一杯水を掻いた。これで上がれなければもう私に望みはない。水死体の出来上がりだ。

あと少しで水面に手が届くというところで、ぐい、と体が一段沈んだ。また止まった?いけるか?いや、やらなきゃ死ぬ。

なにかを振り払うように、足をもっとばたつかせた。

 「っはぁ…………」

やっと水面に顔がとどいた。さっきまであんなに苦しかったのに、いざ水面に顔を出すとそうでもなかったように思う。喉元過ぎれば熱さを忘れるとはまさにこのことなのだろう。

向こう岸では、叔母が自分の姪が死にかけていたとも気付かずに自分の子供と遊んでいた。いや、そもそも向こう岸の奥深くで溺れているのを察知しろという方が無理な話か。

その後、叔母さんたちと一緒に昼食を食べてからまた川で泳いだ。従妹達は相変わらず私を視界に入れようとしないし、叔母夫婦もとくに何も言わない。

だから私も彼らを無視することにした。この大人げない家族に何を言っても無駄だと悟った。

さっき溺れかけた川の淵にもう一度行った。潜ってまた上がってこれなくなったら怖いので、最初は川岸の岩に捕まって眼下を覗き込む程度だった。けれど、どうしてももう一度潜ってみたくなって、長い紐を借りてきてそれを川岸の岩と自分の腕に結んでもう一度潜った。

そこについさっきまでの高揚感や感動はなく、水の底はただの風景として私の目に映った。

不思議なことに、紐は役目を果たさないで済んでしまった。今度は難なく浮き上がることができたのだ。

最初に潜ったときの体の不自由さが嘘のようだった。

体がコツでも覚えたのか、何度潜っても帰ってこられる。

不思議なこともあるものだ、と思いながらキャンプ場に戻った。


 夕暮れ時、コテージのベランダから川を眺めていた。

だれもいなくなった川には黒い大きな影が悠々自適に泳いでいる。もちろん川の主だ。川を行ったり来たり、縦横無尽に泳ぐその姿はまさに主そのものだ。

今日姿を見ることができたのは、怪我の功名とでもいうべきだろうか。

主を目で追い続け、気付いたことがあった。

主はある場所にだけは近寄らなかった。

そこは、今日私が溺れかけた場所。

「去年亡くなった男の人が今もまだ水底にいたりして……そんなわけないか」

頭に浮かんだ馬鹿な考えが口を突いて出た。あまりの馬鹿馬鹿しさに我ながら嘲笑が洩れる。

夕暮れ時は、黄昏時ともいう。他にも逢魔が時、誰そ彼時などとも呼ばれる。薄暗くて人間も魔物も判別がつかない時間帯だ。なんだか一度意識してしまうと気になってきて、川の淵辺りを眺めていた。木陰であることも相まって、暗くてよく見えない。暗いところの物や場所を見つめているとピンボケして見えてしまう。

何もない場所に何かがあるように錯覚を起こすこともたまにある。

「…………まさか、ね」

なんだか薄気味悪くなって、部屋に戻った。地縛霊なんて馬鹿馬鹿しい。



 それ以来、あの川には行っていない。

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