第28話 ワッツ・ザ・トゥルー・イズ・アグリー

 

 

 

 

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 あまりにも苛烈な鉄風と滑稽と踊る骨肉と共に、彼の眼の前で母と父は声一つ発する事はできなくなった。


 「――――」


 さようならの一言も作れず、少年は肉親を失った。二度と帰らない。ただ、彼はその一身に両親だったものを呆然と浴びていた。

 

 下手人は、刃金の翼を擁していた。その真ん中、翼の付け根に挟まれたそこには、彼と変わらぬ年齢と思しき少年が居た。

 傷んだ金髪/骨骨しい胸手足/臨月の妊婦が如き腹/光を通さぬ黒の瞳――総評、人ならざるもの、刃金の異形ソードウィング

 見られていた。瞳が瞳の役割を成しているかどうかは、その異形にしか解らぬであろう。けれど、少年はそう思った。瞳が向いていたから。瞳孔のあるそこが確かに向けられている――気がするから。

 

 開いたままの彼の口には両親が・・・入り込んでいた。鼻も目も。だから呼吸も、舌も、何もかも両親に満たされていた。

 吸う空気が生臭い。味蕾が二人を感じている。視界は赤く染まっている。

 けれど、拭えず、吐き出せない。まるで固定されているように少年は動けなかった。意識と体が分離させられているかのように。

 

 ――異形の呼声ホラーボイス。現ならざる異方の機能アートが彼の身体機能を絞り、その場に縛りつけていた。

 

 何のために? ――分からない。異形の思考など誰が読み取れようか。

 

 「ギギ、」首を傾げ「ガガガ」反対に傾げ、いつの間にか少年の眼前で瞳は大きく見開かれていた。

 

 声無き悲鳴。恐怖に怯える絶望の声。肉体の動作を縛られた上でも零れる温かなもの。彼の股下で積み重なり、濡れていた。汚臭がツンと辺りに漂った。

 しかして、刃金の異形ソードウィング、少年型の異形は目的を達した。

 

 「――――?!?!」

 

 接吻。口づけ。異形が、少年の唇を奪い去った。これは比喩だ。喰らったのではない。ただ本当にキスをしたのだ。少年の最初で最後を奪い去る一撃だった。最低の最後とも言えよう。少年が、特殊な性癖を背負っていなければ間違いなくそうだろう。

 開いたままに固定された瞳の奥で瞳孔が微細に震える。変わらぬ恐怖か。それとも恥辱か、はたまた興奮か。それは彼のみがことだ。

 

 と、すれば――変化が一つ、訪れる。

 

 「ッ――」

 

 瞳孔が激しく揺れる。変化の煽りを受けてのことだ。衝撃は先よりも強いのだ。

 フレンチから、貪るディープに。麻痺した体は迎え撃てない。動けば、噛み千切るなどできるだろう。しかし、この現実を前にしては無意味な仮定であろう。

 歯茎を舐め上げ、舌を絡め、表の一筋を舐り、裏側に潜り込ませる。一連をランダムに繰り返す。それはあまりにも熟練していて、手慣れていた。

 その折、終わりは唐突に訪れた。

 

 少年の体が、奇っ怪に螺子曲がる。何の拍子もない。唐突極まりなく。ぎゅるんと音を立てるように。矮躯全体、未だ接吻の続く頭部を除いた全てが。

 腕が、胴が、足が、螺旋を作る。雑巾絞りされるように。

 原因は、見て知れる。異形であろう。だが、殺すには迂曲過ぎる。殺害など先のついでにしておけばよかったのだ。両親共々逝かせてやればいい。

 なら、これはもっと醜悪な事が行われていると考えて間違いないだろう。

 

 数瞬を以て、事は成し遂げられた。

 

 すっと離れる刃金の異形ソードウィング。少年の居た場所には――少年と同じ顔をした奇っ怪が二足を地に付けていた。

 穏やかな笑みが少年の顔面を満たしている。幸せ心地の下には、見るも無残な様があった。

 前傾姿勢。頭部を地につけんばかりに垂らし、丸まった背中様子は人の背骨の可動域を超えているようにも思える。両腕はまるで飛び立つ前の雛のように空を掻いていた。足はガニ股に開かれ、膝を曲げている。バランスが悪そうだが頭の位置で絶妙に取れているのかも知れない。

 そういう風な何かがあった。雛鳥の振りをした人めいたもの。これは、あれマンイーターと同じだ。自己の狂気を感染させたのだ。

 双眸がそれを物語っていた。黒く、闇より濃い、黒色こそが刃金の異形ソードウィングの仔であることの他ならぬ証左である。

 それが、暗がりから幾体も現れる。ぺたりぺたりと素足を鳴らして、親の周りに集う仔の様に。穏やか、且つ、無邪気な笑みを湛えながら。

 

 しゃらん、刃金が鳴る。それは指し示すような動作。刃金の異形ソードウィングはある一方を確かに指していた。

 ぎゅるんとそちらに仔らの顔が向く。意図を察したようだ。ソードウィングからそちらの方へと真っ直ぐに向かい始める。ぺたりぺたりと足音たて、ぞろぞろと歩んでいく。

 

 

 ――ほんの一時、〈観測者ウォッチャー〉達の目から逃れた最中の出来事であった。

 

 

 この発見が遅れたことにより、低層街がさらなる地獄に見舞われることになるのは当然至極の道理であろう。

 

 

 

 

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 「……これで、よろしいので?」

 

 一仕事――〈ハンターズ〉への出動命令を下し終えたブラッドフォードはホロウインドウから、側でくつろぐ主にそう声を掛けた。

 

 「ああ、完璧だよ。ブラッドフォード」

 

 場所変わって、何処かの一室。一室と評したのはそこが一応、部屋の形をしていたからに過ぎない。一辺が同じ長さの立方体。飾り気はない。人の生活する一室にしてはあまりにも生活感がなかった。

 それと代わりとばかり、この部屋には類を見ない特異性がある

 一面を覆う映像であろう。四方の壁、天井に床に。一部の隙間なくこの都市、エンパイアの状況が克明と鮮やかに現れ、刻々と移り変わっていた。

 無論、件の低層街一帯も。異形の姿も、雨霰と荒ぶ鉄火雷鳴も、射ち手たる〈富士山〉に〈マーキュリー〉も。刃鳴り散らす両陣営の強化外骨格エクソスケルトンも。蹂躙される人々も――何もかも。

 そんな部屋の中央に、一人がけのソファが一つ。腰掛ける姿一つ。クローク=F=エンボルトが長い脚を組み、肘掛けに杖をついていた。

 脇に控えるのは、レイ=ブラッドフォード。

 

 「ここまで公に、身を隠す手間を省いての攻勢――何か考えがお有りですか?」

 

 あまりの暴挙であろう。この〈エンパイア〉そのものの危機を前にして、自らの利益だけを追求したのだから。流石のブラッドフォードの硬い口からも突いて出ていた。なにせ人材整理リストラの危機……どころか取り潰され兼ねない。どちらも似てるが、後者となれば給与も怪しい。全て持っていかれる可能性すらあるのだ。彼女で無くとも危機感は覚えるだろう。人生の危機敵局面である故。

 

 「ああ、勿論さ」肯定と首を立てに「これで全てが終わる――想定を遥かに上回る出来になったからね」

 

 嬉しげに一点を見る。在るのはやはり、あの異形。翼に抱かれし少年の形をしたもの。彼が先触れたる者マスターキーと呼ぶ、その姿。

 

 「貴方が……あれを……?」

 

 困惑。当たり前であろう。あれはこの世に残された唯一無二の神秘。地上、最後の化外。それの一端をこの眼の前の男が作ったのだというのだ。

 一端……果たしてそうなのか? 疑念は留まりを知らず、滝壺を彩る水泡の如く、ブラッドフォードの内に湧き出る。

 

 「そういえば、君には言っていなかったな」

 

 失念とばかりに頬杖を崩すとブラッドフォードの方へと向く。艶のある黒瞳が彼女と視線を合わせる。

 

 「まあ、誰にも話してなどいないがね?」クックと可笑しげに零し「まあ、なに。ちょっとした世界改革だよ」

 

 「改革……?」訝しげに眉潜め「それは、どういう……」

 

 「気に入らないところが今の世の中にあってね。少しばかしメスを入れてやろうと思い立ったのさ」

 

 太腿に乗せていた手をおもむろ持ち上げて、人差し指をピンと伸ばせばタクトが如く振ってみせる。そして、空に留まる指先が指すのは、

 

 「あれは起爆剤なんだ」

 

 刃金の異形マスターキー

 

 「エンパイアここ中枢機関メインコアに同期させ、〈エンパイア〉を起こす」

 

 ……よくわからない。ブラッドフォードにはこの男が言いたいことが理解できない。比喩が多すぎる。

 辿り着かせたいのは分かる。現に異形アレの障害を排除するために〈ハンターズ〉と〈マーキュリー〉企業軍部隊の一部を動かした。それにその足で向かっている。

 しかし、起こすとは何か。〈エンパイア〉を起こす。今現在のこれは本来の稼働状態ではないということだろうか。このメガフロートに隠された機構でも存在するのか。

 この男は、このメガフロート〈エンパイア〉の建設に関わっているという話は本当だったか。ブラッドフォードの脳裏に過ったのは彼女の情報網に引っ掛かった話の一つ。この男に付随する、無数の都市伝説アーバンレジェンド

 ――だった、というべきだろう。

 

 「――これから分かる」と鷹揚に微笑み「言って分かるなら何事にも難も易しも無いものさ」

 

 視線をブラッドフォードから、また同じ位置に戻して、エンボルトは唇前で両手の指だけを合わせた。

 

 「そうとも、これから始まる」

 

 心の底から、そう楽しげに言った。

 

 「CEO――」

 

 次いで言葉を口にする。見逃せない事象が視界に映ったのだ。

 

 「ああ、そうだね」頷いて「狩人――」過去を慮るかのように目を細め「ケンゴ、君がなるとは思わなかった」

 

 「咬切ケンゴ…………」ブラッドフォードの動体視力を超えて駆ける影を見、呟くと「ああ、君、彼のことを調べていたね」

 

 さらりとエンボルトは言う。沈黙の中、一瞬、口端を引き攣らせ、

 

 「……ご存知でしたか」

 

 「無論。私は、君たちの動向、心情寸分違わず知っているよ」

 

 糸も容易く言ってのけるものだ。必死の隠蔽を虚しいまでに、児戯とばかりに男は見抜く。慧眼故か。それともまた別の要因か。何はともあれ、ブラッドフォードは恐怖した。プライベートが無いという可愛らしいものではない。この男の云うそれはその程度ではない。彼女の直感は断定していた。本人の言葉の裏付けもある。事実だろう。事実無根を云う意味が此処にない。

 

 「一時期な。私は、自分で立てた計画に押し潰されそうになっていた」

 

 独白。沈黙し、ブラッドフォードは耳を傾けた。

 

 「誰にだって経験のある無計画さ。色々と言われ、色々と作ったが結局分かったのは私一人では目標達成は難しい――分かったのは何年越しだったか……」

 

 想起する瞳は、遠くを見つめるよう。

 

 「それが分かってから思ったんだ――私がもう一人、いやもっと居れば良いのではないか? その方が効率的だと……ああ、きっと誰だって最初に考える事だというのは分かっている。だが私は普通の段階をすっ飛ばしてしまった。思考の一欠片はあっても、実行には至らなかった。

 幼年期を終えてから、私はそんな単純な事に至ったんだ」

 

 「……それで、結果が?」

 

 「ああ――失敗した」肯定。深く息を吐けば「私という情報の重さを失念していた。物質界由来の蛋白質に私は馴染まなかった」

 

 「失敗して、失敗して、失敗して、失敗して、失敗して、失敗して、失敗して――何度も失敗を重ね。幾らかの成功作とは程遠い産物を得、最後に作ったのが」

 

 「彼、と」

 

 視線、狩人に――接敵までほんの少しの所。ついに、映像からその姿が消えた。撮影者の知覚と機材の限界だろう。

 

 「全部失敗で終わらせるのも癪でね。物質界の流儀に沿ってみようと思った」

 

 「それは……?」眉を顰めれば「子育てというやつさ。あれはあれで楽しいものだったな」

 

 穏やかにエンボルトは微笑んだ。まるで、その笑みはまるで――。

 

 「まあ、細かいことなどいいだろう?」打って変わって悪戯げに嗤い「終わったことだし――なにより君が覗き込まれる事はもうない」

 

 言って、エンボルトは腰を上げる。ブラッドフォードの脇を通りすがりに肩を軽く叩いた。それから背後の、何もなかった筈の壁に現れた扉へと彼は歩調そのまま進んでいく。

 

 「なにせ、」

 

 言葉と同時。開かれるホロウインドウはブラッドフォードの双眸を通して精神を揺さぶった。これほどの衝撃、今の今まで、生を得てから二十と数年、在っただろうか。いや、無い。手足が震えた。歯が微かに打ち鳴らされた。

 

 「君こそがこれからその権限を得るのだから! 好きに使い給え。私にはもうその椅子は必要ない」

 

 そこには、それには――――。

 

 「よろしく」扉の前で見返り「新CEO、レイ=ブラッドフォードくん」

 

 ――――そう、あった。

 

 「……行かれる前に、一つ」衝撃をどうにか腹奥で押し殺し「貴方は、どちらに……?」

 

 やっと出た声は微かな震えを乗せて、エンボルトに問いかける。すれば、答えは即座と。

 

 「特等席さ。実験成果を見に行くのにこれ越しは味気ないじゃあないか――なあ?」

 

 笑みと共に、少年のような笑顔を浮かべたエンボルトは開かれた扉に一歩踏み出して――消えた。

 

 「…………」

 

 取り残されたブラッドフォードは暫しの沈黙を置いて。

 

 「フフッ」哄笑――抑えきれず「フフフフフフハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」

 

 おかしくておかしくて堪らない様子でブラッドフォードは独り嗤う。ウインドウに溜まっていく通知やチャットなど目もくれない。ひたすらに、気が済むまで声を上げた。

 

 「あーほんと、変態の考えてることって意味わかんない」

 

 尚も肩を震わせながら眦の涙を拭えば、先までエンボルトが腰掛けていた椅子に座って、足を組む。

 

 「元CEOにしろあのメンヘラブラコン男にしろ。ほんとどいつもこいつも」

 

 言葉の端々に喜色で飾り付け、彼女は自身の操作限度までホロウインドウを展開。もう外の様子など目もくれない。視界と意識の外に追いやられていた。

 

 「でもまあ、助かったわ。これで――」

 

 キーボードの上に、いつものポジションに両手を合わせ、振り下ろす。

 

 「私に安寧が訪れる! もう逃げ惑う必要も、夜道を恐れる必要もない!!」

 

 ――この瞬間、レイ=ブラッドフォードは全てのしがらみから開放された。

 

 

 

 

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 カツリ、カツリ、カツリ、カツリ。

 革靴が硬く、足音たてて行くは低層街。人っ子一人居ない、今この〈エンパイア〉で尤も地獄に近い場所。

 地獄は顎門を開き、人々を迎え入れようとしていた。

 足音の主は、黒の彼――クローク=F=エンボルトはスーツの裾を揺らしながらそこに居た。

 

 「重弐番上位存在トゥエルフスアッパーストレイタム。貴様らが拒み、不可能だと烙印を押した理想を、今此処に実現させてやろう」

 

 呟くのは、勝利宣言に他ならず。正しく、彼の心の発露。ならばもたらされる現象は唯一つだろう。

 

 

 ――発狂/開放――

 

 

 咲き誇る狂気の波動は、周囲一帯を破壊し尽くしていく。形容し難いたい波動めいたものが低層街1ブロックに咲き乱れたのだ。生存者は誰一人としていなかった。瓦礫に埋もれた市街に生の息吹はもう無い。

 

 「――私の掲げた願いの叶う瞬間を座して見ているが良い。First:5th」

 

 両腕を広げたエンボルトへと狂気は収束して。

 

 

 

 

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